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夏目漱石の「現代日本の開花」という講演を読んだんですけど、なんだか言葉が難し過ぎてよく分からなかったんですが、漱石が定義した開化で発展した結果をどのように評価し、日本にはどういう影響を与えたのか教えてください。よろしくお願いします。
前半の開化の定義までは分かるんですけど、後半の日本の開化についてはよく分かりませんでした。

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A 回答 (1件)

後半のわからなくなった部分というのは、人間の意識にふれたあたりのことでしょうか。


この部分は、漱石が影響を受けたウィリアム・ジェイムズの心理学の紹介なんです。だから全体で見ると、少し違和感がありますね。

ウィリアム・ジェイムズは「意識の流れ」(意識は、塊のような要素が集まってできたものではなく、常に変化しつつある一連の流れであるという主張)を提唱し、やがて文学における技法として、さまざまな作品に用いられるようになるのですが、その最高峰といわれるのが、ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』(1922)。
この講演が1910年のことですから、漱石は日本にあって、世界とほぼ同時的にジェイムズの心理学の著書を読んでいたことがわかります。

さて、その部分はちょっとおいておいて、全体を流れに沿って見てみましょう。

まず漱石は「文明開化」をこう定義します。
「開化は人間活力の発現の経路である」(『現代日本の開化』 講談社学術文庫『私の個人主義』所収)

漱石は文明開化というものは、人間の活力の表れであると考えていたわけです。
その人間の活力には消極的なものと積極的なものがある。

消極的なものは、外部から強いられることを果たすために活力を節約しようとするために働く。その結果として電信電話や自動車などが発明された。
積極的なものとは、強いられないものに対して、みずからすすんで取り組むことです。
こうやって、文学や科学、哲学などがおこってきた。
この二種類の活力が相まって、今日の文明に至ったと言うことができる。

そうやって文明開化が進んで、死ぬか生きるかのために争うことはなくなったけれども、こんどはAの状態として生きるか、Bの状態として生きるか、と生き方の質をめぐる争いになった。
結果、たとえ技術面では便利になったとしても、精神状態の苦しさはそれほど変わるものではない。
それが一般的な開化の現状だと言うのです。

日本の場合はどうか。
日本は外から迫られて、外発的な開化を余儀なくされた。
外国では二種類の活力の結果として、年月をかけて必然的な開化を行ってきたのに、日本はそれだけの年月をかけることなく、一足飛びに来てしまった。

そこで、問題の箇所に来るわけです。
人間の意識というのは、一箇所に留まるものではなく、波を描きながら移り変わっていくものである。 波動の高いところは意識の焦点が当たった部分で、低いところは焦点の当たらない無意識の部分です。高いところから低いところへ、そしてまた次の波へ、と意識は移り変わる。
こうした意識の波動は、個人の内のみならず、社会全体にも起こっている。

「かく推論の結果心理学者の解剖を拡張して集合の意識やまた長時間の意識の上に応用して考えてみますと、人間活力の発展の経路たる開化というものの動くラインもまた波動を描いて弧線を幾個も幾個も繋ぎ合せて進んで行くと云わなければなりません」

つまり、個人の意識が流れていくように、社会の意識も必然的に流れていく。
西洋の開化は、こうした社会の意識が成熟した結果、次の波へと至るように、必然性を持って移り変わったものである。
ところが日本は、その波の上っ面だけ、なんとか飛び移ろうとしているに過ぎない。

漱石はこれをダメだ、とは言っていないんです。
仕方がないことだ。
けれども、開き直るのではなしに、また「追いついた」と得意がるのでもなしに、

「こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐かなければなりません」と言うのです。

開化というものが、必ずしも人間の幸福を意味しないことは、先にも見た通りです。
加えて日本は、外から開化を余儀なくされ、上っ面を滑りつつ、また滑るまいと踏ん張り、大変な苦労を背負い込んだ状態になっている。

漱石は、これからの日本はどうすべきだ、とは言っていません。
ただ、そうした現実を見据えていくしかない、と言っているのです。

中村光夫は『明治文学史』(筑摩叢書)の中で、漱石の小説の主人公についてこのようにふれています。
主人公の多くは「高等遊民」である。
「日本対西洋の関係が駄目である以上、それに何も希望がみとめられない以上、なすべきことは何ひとつないと言い切り」
「彼等は何もしないことで同時代と社会の人々の生き方を批判している」

日本のとるべき方向性を一文学者である漱石は提示しえなかったけれども、漱石は生涯を通じてこの問題を考え、作品を通じてあきらかにしていったのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
少し説明不足だったようですが、知りたい事が分かったのでありがとうございました。

お礼日時:2004/07/21 14:41

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Q夏目漱石の文明論

レポートの課題で漱石の文明論について調べていて、漱石文明論集を読んでみたんですが、よく分かりませんでした。漱石の文明観を分かりやすく教えてください。おねがいします。

Aベストアンサー

明治四十三年八月、修善寺で吐血し死線をさまよった漱石は、療養のためしばらく創作活動を休んでいました。
けれども翌年六月頃から体調も良くなったのか、いくつかの講演の要請に応えるようになり、八月には関西に招聘されて四つの連続講演をおこないます。

「道楽と職業」…8月13日
「現代日本の開化」…8月15日
「中味と形式」…8月17日
「文芸と道徳」…8月18日

この四つの講演は、漱石自身の手によって文章化され、さらに「文芸の哲学的基礎」と「創作家の態度」を加えて、後に『社会と自分』というタイトルで出版されます。
漱石の「文明観」を、小説ではなく評論という形式で見ていこうとするなら、こうした作品を読んでいくのが良いと思います。

まず「現代日本の開化」で、漱石は、総論的な立場から、近代化とはなにか、その問題点はなにか、とくに日本が抱える「外発的開化」の問題点を述べます。
これに関しては、以前ここで回答しているので、良かったら参考にしてください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=929665

近代化していく社会の中で、職業は次第に細分化され、その結果、個人は孤独を余儀なくされていく、という考察をおこなっているのが「道楽と職業」です。

同じく、急激に移り変わる社会を道徳の面から考察したのが「文芸と道徳」。文芸思潮上の概念、ロマンス主義と自然主義というふたつの潮流を道徳観に援用しつつ、自然主義の時代に、どのような道徳観を持つことができるのかが述べられます。

「中味と形式」は、社会的変化に対応して、政治形態も変わっていかなければならない、という内容のものです。

「一言にして云えば、明治に適切な型というものは、明治の社会的状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会的状況を形造るあなた方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならないのです」

そのためには傍観者であってはならない、と言います。


非常に興味深いのは、漱石が人々の暮らしや文化、職業あるいは道徳といったものを、個々バラバラにとらえるのではなく、社会のありようとして全体的にとらえ、かつ、それぞれの要素が有機的に関連しあっていると考えていた点です。
おそらく漱石は、実際の社会を見る中から、こうした思想を培っていったのだと思います。

よく分からない、とのことですが、漱石はあくまでも作家であって、みずからの思想を表現する手段は、なによりもまず、小説においてでした。
したがって、いわゆる「文明論」集も、きわめて独創的な考察がなされていたり、現象が深く掘り下げられていたり、鮮明な指針が提示されていたりするわけではありません。それだけに、きわだって難解なものではなく、普通に読んでいきさえすれば、理解できるのではないかと思います。

『三四郎』で、あっさり「(日本は)滅びるね」と言ってのける広田先生や、あるいは「日本程、借金を拵えて貧乏震いしている国はありゃしない。……西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。……日本国中何所を見渡したって、輝いている断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ」という『それから』の代助の独白など、漱石の作品の登場人物たちは、きわめてペシミスティックに現実をとらえています。
けれども漱石は、社会の矛盾は矛盾としてとらえつつも、そこから離れて高等遊民として生きる代助や、「冷然たる傍観者」(「中味と形式」)の広田先生の生き方を肯定しているわけではない。

こうした文明論を読むことで、漱石が何を批判し、どういった方向性を模索しようとしていたのかがはっきりと見えてくる。そうして、作品が一層奥行きをもってとらえられるのではないかと思います。

あと、「私の個人主義」に関しては、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=885537
で概略を紹介していますので、こちらも参考になれば。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=929665

明治四十三年八月、修善寺で吐血し死線をさまよった漱石は、療養のためしばらく創作活動を休んでいました。
けれども翌年六月頃から体調も良くなったのか、いくつかの講演の要請に応えるようになり、八月には関西に招聘されて四つの連続講演をおこないます。

「道楽と職業」…8月13日
「現代日本の開化」…8月15日
「中味と形式」…8月17日
「文芸と道徳」…8月18日

この四つの講演は、漱石自身の手によって文章化され、さらに「文芸の哲学的基礎」と「創作家の態度」を加えて、後に『社会と自分』というタ...続きを読む

Q夏目漱石について

夏目漱石の"私の個人主義"という本で漱石は他人本位ではなくて、自己本位という考えを持つようになりました。しかし、私には自己本位とはどういうものかよく分かりませんでした。よろしければ、どういうものか分かる方がいらしたらどうか教えていただけませんでしょうか。

Aベストアンサー

まず『私の個人主義』の「他人本位」はこのように説明してあります。

「私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。…たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです」(『私の個人主義』 講談社学術文庫)


この発言の背景としてあったのは、漱石の、日本人が英文学を学ぶことに対する疑問でした。
英語を母語としない日本人に、英文学が理解できるのか。
自分の判断とイギリス人の判断が異なった場合、自分の方が正しいと、一体何を根拠に主張することができるのか。

この場合、「他人本位」というのは、自分の頭で読み、理解し、味わうのではなく、他人の目を借り、解釈をしてもらい、わかったような気になることです。
イギリス人の解釈や評価を鵜呑みにし、それをそのまま日本に紹介することです。

さらに漱石のこの問題意識は、文学にとどまることなく、日本における西洋文化の移入についても通じていきます(江戸末期に生まれた文学者たちは、漱石も鴎外も、あるいは二葉亭四迷も、日本の将来について、非常に大きな責任を感じていたことが特徴です。このような問題意識は、数十年後に生まれた芥川龍之介や志賀直哉には無縁のものでした)。

漱石は開国して以降の日本の文化をこのようにとらえていました。

「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。…西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。…この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである」(『現代日本の開化』)

漱石は当時の日本の文化自体も、他人本位のものである、と考えていたのです。

漱石は「人の借着をして威張つてゐる内心の不安」(『私の個人主義』)を抱え、一部の人からはロンドン滞在中に“狂人になった”と噂されるほど悩んだ挙げ句にたどりついたのが、「自己本位」という考え方でした。

漱石は帰国して『文学評論』と題して、イギリスの18世紀文学史を発表します。

「言語こそ違へ、内容は文学である。文学といふ点に相違がない以上は、趣味を以て判断すべき以上は、自己の趣味の標準を捨てて人の説に服従するという法はない」(『文学評論』)

これは、文学に日本人である「自分の立脚地」を堅めた漱石のマニフェストとも言えるべきものです。
イギリス人による英文学の評価とはまた別個に、日本流の英文学の解釈にも意味がある、と漱石は考えたのです。

『私の個人主義』のなかで、漱石は「自己本位」とは、
「自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行く」
ことであると述べます。

さらには、こうした「自己本位」に立つだけにとどまらず、他人の個性をも尊重すること。
社会の中で生きていくための倫理的修養を積むこと。
これが漱石の言う「個人主義」であると考えることができます。

一方、日本文化に関しては、漱石は、たとえそれが外発的なものであっても、「上皮を滑つてゆく」ものであったとしても、そうした開化は避けられないと考えていました。
そのなかで個人が生きていくにはどうしたらよいのか。
それは「個人主義」に徹するほかはない、と考えたのです。

漱石の「他人本位」「自己本位」「個人主義」を簡単にまとめると、このように言えると思います。

まず『私の個人主義』の「他人本位」はこのように説明してあります。

「私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。…たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも...続きを読む

Q群馬の前橋女子高校と高崎女子高校はどちらがおすすめ?

群馬の受験生なのですが前女と高女どちらを受けるか悩んでいます。

家からの最寄駅はJR桐生ですので,通学の条件も大差がないように思っています。

進学実績などに現れない実際の校風や高校生活などの観点からアドバイスをお願いします。

大学受験を考えると予備校などのことも考えに入れた方が良いのかもしれません。

こんな時期になっての質問でお恥ずかしいのですが,よろしくお願いします。

Aベストアンサー

在校生、OG、保護者から回答がないようなので、僭越ですが私見を述べさせていただきます。

私は前女の方がお勧めだと思います。独断と偏見ですが。
校風や高校生活等は分かりません。

・桐生からならば、前女は前橋駅で降り、高女は問屋町で降りることに なると思います。前橋駅の方が3駅手前ですね。時間にして10分。
 朝の忙しい時に、10分は貴重だと思います。駅からの距離も前女の 方が近いのではないでしょうか。
・進学実績では、両校とも大差はないと思います。ただ、医者になりた いとかいう夢があるならば前女の方が良いと思います。
 昨春、国公立の医学科(現役)に前女は12、高女は4名。
・予備校は、どちらも駅の周辺に点在してますね。
・昨春の高校入試では、前女の方が良かった(難しかった?)と聞いて ます。北毛方面の優秀な女子が問屋町駅ではなく新前橋駅で降りて前 女に通うことを選択したというのがあるのでしょうか?
・今春の倍率を見ると高女の方が高くて難しそうですが、倍率はあまり あてになりません。と言うのは、昨春の入試では前高よりも高高の方 が倍率が高くて入学する生徒の質も高高の方が上がるのではないかと 思われましたが、現在の高校1年生の外部の実力テストでは、前高が 高高に大きく差を付けました。ちなみに、両校の間に中央中等が入っ たようです。

勝手なことを書きましたが、どちらでも後悔するようなことはないと思います。
後期試験まであと2ヶ月ですね。
体に気をつけて頑張って下さい。

在校生、OG、保護者から回答がないようなので、僭越ですが私見を述べさせていただきます。

私は前女の方がお勧めだと思います。独断と偏見ですが。
校風や高校生活等は分かりません。

・桐生からならば、前女は前橋駅で降り、高女は問屋町で降りることに なると思います。前橋駅の方が3駅手前ですね。時間にして10分。
 朝の忙しい時に、10分は貴重だと思います。駅からの距離も前女の 方が近いのではないでしょうか。
・進学実績では、両校とも大差はないと思います。ただ、医者になりた い...続きを読む

Q家庭科でホームプロジェクトという宿題が出ました

高1です。家庭科で、夏休みの宿題としてホームプロジェクトというものが出ました。その計画をあと1週間で決めなければいけません。今のところ私は、料理系は苦手なのでそれは避けたくて、部屋が汚いし、私の家は物が多いので、片付け術みたいなのがいいかな、と思っています。アドバイスや、他のホームプロジェクトの例などを教えていただきたいです。

Aベストアンサー

家庭科の宿題で『ホームプロジェクト』…知らなかったわ~。で、調べてみたら、(SEE→)PLAN→DO→SEE…このPLANの部分ですね。

私だったら・・・

①我が家を観察したら、汚れが多いことに気づいた。
②汚れを放置しておけば、自分だけでなく家族の健康を害する可能性がある。
…埃の中には、ダニやダニの死骸があり、それを吸い込めば…(アレルギーを起こしたり…とかと調べる。)
③精神衛生上も良くないことだと感じる。
④自分一人で家の中全てを掃除することが難しいと感じた。
…その理由は、親の部屋・兄弟の部屋を勝手に掃除するのは家族と言えどもプライバシーの侵害かもしれないと思うから。自分の部屋を勝手に掃除されるのも嫌だから。
⑤でも、共有スペースなら、家族と相談しながら、掃除できるかもしれない。
⑥とりあえず、自分の部屋の掃除から着手しようと思う。
⑦そのためには、物が多過ぎて掃除をするのに邪魔だと気付いた。
⑧ネットで片付け術を見つける。(図書館でその本を借りても良い)
 「○○著 ***片付け術」を参考に、まずは、要るものと要らないものを選別する。
…要らないものを捨てるために、自治会のごみの捨て方を母から教えてもらう。
⑨⑧をしながら、掃除の基本である上から下を参考に、天井の埃をモップで払い、棚の高いところを拭き掃除してから物を納めて行く。
この時、利用頻度の高い物は、取り出しやすい場所に配置したい。
・・・
自分の部屋がこの計画通りにキレイになったら、共有スペースの掃除・片づけについて、家族と相談し、実行する。
…カーテンが自宅で洗濯可であれば、カーテンの洗濯(方法はお母さんに教えてもらってもいいし、自分でもネットで調べられますよ)、窓拭きは勝手にやっても良いでしょう、

(事前に準備するもの)
片づけや掃除で参考になるもの、掃除用具(天井を掃除できる長さのモノ、モップ、雑巾、掃除用洗剤)
*洗剤に関しては、色んな洗剤があるので、その用途に合わせて。
 または、エコを意識するならそれも調べてみて…今なら、重曹を使った掃除がエコにもいいし、そこに住む人間にも優しいと言われていますので、そう言ったことも計画書に盛り込んだ方がいいと思います。

自分が自らの部屋を掃除することで、他の家族が掃除に目覚めてくれたら、今後は家族で協力して生活していけるかもしれない。
それを期待しつつ、この計画をやり遂げたい。


・・・こんな感じで提出すると思います。
的外れだったらゴメンね。

家庭科の宿題で『ホームプロジェクト』…知らなかったわ~。で、調べてみたら、(SEE→)PLAN→DO→SEE…このPLANの部分ですね。

私だったら・・・

①我が家を観察したら、汚れが多いことに気づいた。
②汚れを放置しておけば、自分だけでなく家族の健康を害する可能性がある。
…埃の中には、ダニやダニの死骸があり、それを吸い込めば…(アレルギーを起こしたり…とかと調べる。)
③精神衛生上も良くないことだと感じる。
④自分一人で家の中全てを掃除することが難しいと感じた。
…その理由は、親の部屋・兄弟の部屋を...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q小林秀雄さんの無常ということがわかりません

今、学校で無常ということについてやっていてもうすぐテストなのですが、分からない事があるのでいくつか教えていただけるとありがたいです。

1.どうして作者は、鎌倉時代に生きていないのに「あの時は実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかもしれぬ。」となるのですか。
この、「あの時」とは、比叡山に行って短文が突如心に浮かんだ時でいいのですよね?

2.筆者は「歴史」と「思い出す」ということの関係をどうあるべきだと思っているのか。
筆者は「歴史」も「思い出す」ことも肯定的に見ていると私は読み取ったのですが、関係をどうあるべきか、と問われるとわかりません。

3.「この世は無常(全てのものは移り変わる?)とは決して仏説というようなものではあるまい。それはいついかなる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。」とありますが、「一種の動物」とは、「鑑賞に堪えないしかたのない代物」でいいのですよね?そうなると、いついかなる時代でも人間が一種の動物的状態に置かれるというのは、過去・歴史にはあてはまらず矛盾するとおもってしまったのですがどうですか。

4.「現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも無常ということがわかっていない。常なるものを見失ったからである」とありますが、それは、現代人は動く事無い固定点を失ってしまったので、移り変わるものの基準を認識できないということ、でいいですか。


質問がわかりにくくなってしまってすみません。
どなたか分かる方は教えてください、よろしくおねがいします。

今、学校で無常ということについてやっていてもうすぐテストなのですが、分からない事があるのでいくつか教えていただけるとありがたいです。

1.どうして作者は、鎌倉時代に生きていないのに「あの時は実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかもしれぬ。」となるのですか。
この、「あの時」とは、比叡山に行って短文が突如心に浮かんだ時でいいのですよね?

2.筆者は「歴史」と「思い出す」ということの関係をどうあるべきだと思っているのか。
筆者は「歴史」も「思い出す...続きを読む

Aベストアンサー

小林秀雄を読むときには、本当の意味で素直になって考えたり、自分自身の頭で考えたりするのがいかに難しいかを身に沁みてわきまえることが、そのためにも、自分の頭がいかに余計な先入観、偏見、雑念等々に囚われすぎているかをきちんと自覚できることが強く求められるのではないでしょうか。
もっとも、実際には、かく言う私自身にとってもなかなか難しいことではありますが。

>1.どうして作者は、鎌倉時代に生きていないのに「あの時は実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかもしれぬ。」となるのですか。
>この、「あの時」とは、比叡山に行って短文が突如心に浮かんだ時でいいのですよね?

小林は、「あの時」にこそ、鎌倉時代の人々の切実な本物の思想、つまり「なま女房」の心を自分自身の心として感じ取っていたからでしょうね。
なお、われわれが歴史と向き合うというのは、それが鎌倉時代であろうと、他の時代であろうと、とにかくその時代を生きた人々の魂に参入することだ、と小林は言いたいようです。

>2.筆者は「歴史」と「思い出す」ということの関係をどうあるべきだと思っているのか。
>筆者は「歴史」も「思い出す」ことも肯定的に見ていると私は読み取ったのですが、関係をどうあるべきか、と問われるとわかりません。

小林は、「歴史」という言葉をめぐるこれまでの呪縛から自分の頭を解き放ち、過去の人々の生きた証や痕跡(ここでは『一言芳談抄』のなま女房のエピソードや『徒然草』といった歴史資料や遺品のこと)をよすがにして、当時の人々の心をありありと「思い出す」ことが本当の意味での「歴史」だと言いたいのです。

>3.「この世は無常(全てのものは移り変わる?)とは決して仏説というようなものではあるまい。それはいついかなる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。」とありますが、「一種の動物」とは、「鑑賞に堪えないしかたのない代物」でいいのですよね?そうなると、いついかなる時代でも人間が一種の動物的状態に置かれるというのは、過去・歴史にはあてはまらず矛盾するとおもってしまったのですがどうですか。

「人間とは、人間になりつゝある一種の動物かな」という言葉が示しているように、小林は、いつの時代であろうと、生きている人間はまだ発展途上の動物状態にあり、死んではじめて完成された、本当の意味での人間になると言いたいわけです。
その意味では、まだ動物段階にある、人間としては中途半端なわれわれが軽々に「自分の価値観」などという怪しげなものを振りかざさない方が賢明だ、ということになるかもしれませんね。

4.「現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも無常ということがわかっていない。常なるものを見失ったからである」とありますが、それは、現代人は動く事無い固定点を失ってしまったので、移り変わるものの基準を認識できないということ、でいいですか。

「固定点を失ってしまった」と言うよりは、現代人が人生における確たる目的や生き甲斐を見失い、時代の表層現象に流されているという自覚がないということでしょうね。
それに較べると、鎌倉時代の「なま女房」は、「此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給へ」と念じ、浄土欣求という確たる目標だけを信じて「此世」を生きられたということになります。

テスト、頑張って下さいね。

小林秀雄を読むときには、本当の意味で素直になって考えたり、自分自身の頭で考えたりするのがいかに難しいかを身に沁みてわきまえることが、そのためにも、自分の頭がいかに余計な先入観、偏見、雑念等々に囚われすぎているかをきちんと自覚できることが強く求められるのではないでしょうか。
もっとも、実際には、かく言う私自身にとってもなかなか難しいことではありますが。

>1.どうして作者は、鎌倉時代に生きていないのに「あの時は実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そう...続きを読む

Q日本文学における「近代的自我」って、わかりやすく言うとどういうこと?

いまいち、ピンときません。近現代の日本文学を理解する上では必須の概念のようですが。たとえば、封建時代には無かったこういう考え方が、明治以降の思潮として生まれた…というような具体例をふまえて、わかりやすく教えていただけませんか。素人にわかるようにお願いいたします。

Aベストアンサー

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自我が自然な発達段階を経て成熟し、それと軌を一にして市民社会も成熟した、その結果としての文明ではないわけです。
そのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」というものを確立しようとして苦闘した、一連の作家がいる、という考え方です。

ではヨーロッパの近代をささえた「自我」とはなんなのか。

これをまた考え始めると、大変なのですが、ここでは簡単に、「わたしとはなんなのか(わたしはなぜわたしなのか、わたしと他者はどうちがうのか、といった一連の質問も含みます)」という問いを立て、それに答えていくこと、としておきます(もし自我とはどういうことか、に興味がおありでしたら、宮沢賢治の作品を自我という観点から読み解いていく見田 宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫が大変おもしろく、参考になるのではないかと思います)。

ヨーロッパ社会では、キリスト教の強い支配と、封建的な身分関係のなかにあって、ひとは、社会からも、神からも自由で独立した「わたし」を想定してみようとも思わなかった時代から、近代に入って、自我が哲学の中心的な問題となっていきます(ヨーロッパ社会の中で「個人」という意識がどのように確立していったか、ということに興味がおありでしたら、作田啓一『個人主義の運命』岩波新書を。この本は手に入りにくい本ですが、非常によくまとまっています)。

近代社会を構成するのは、ひとりひとりの市民である。そしてその市民は「自我」を有している。これがヨーロッパの近代を支える思想であり、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのは、その思想であったわけです。

さて、上でも言ったように、ヨーロッパでは百年~二百年の期間を経て成熟していったところへ、日本は一気に追いつかなくてはならなくなってしまった。

文学も、それまでの戯作文学のように、楽しみのためだけに読むようなものではダメだ、西洋の芸術観に基づいた新しい文学が生まれなければならない、と、そのように考えられるようになった。そうやって、明治二十年代に入って、新しい文学が起こってきます。

その代表的な作品が、二葉亭四迷の『浮雲』、あるいは森鴎外の『舞姫』です(『舞姫』に関してはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=993639で回答しているので、もし興味がおありでしたら、ご覧になってください)。

両者とも、知識階級の青年を主人公にしています。
主人公は、どういうふうに生きたらいいか考え、悩み、自分が良いと信じる生き方と、社会の現実が相容れないことに悩みます。
つまり、現代までつながってくる問題が、明治二十年代に、初めて登場したのです。

この二葉亭や鴎外がここで提出した問題は、そののち、鴎外自身や漱石によって深められ、あるいは明治四十年以降からは私小説という表現形式をとって現れたりもします。

その現れはさまざまだけれど、いずれも、社会のなかで生きる「わたし」は、社会から独立した存在である、それゆえに、社会とは相容れず、みずからの理想を、社会のなかで体現することもできない、その「わたし」は、いったいどう生きていったらいいのだろうか、ということを、日常生活のなかに描き出そうとするものだった。そういうものが、日本の近現代の文学であった、と概観することもできるわけです。

非常に大雑把に書きましたが、「日本文学における近代的自我の確立」と言ってしまうとずいぶんたいそうなことのようですが、その内容は、そうしたものである、と考えて良いのではないでしょうか。

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自...続きを読む

Q(数研出版、数ii)教科書の章末問題の解答解説がのっているサイトはありますか? 教科書は、解答しか載

(数研出版、数ii)教科書の章末問題の解答解説がのっているサイトはありますか?
教科書は、解答しか載っていないので、少し難しい問題があって困っています。

Aベストアンサー

教科書ガイドによって違います。買う予定であれば、とりあえず本屋さんに行って教科書ガイドを手に取って中を見るべきです。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q舞姫について

高校の頃、教科書で学び、最近改めて読み直しましたが、大学になった今でも私が成長してないのか(^^;読後の感想は変わりませんでした。
文体が美しかったり、文学的要素はあるのだと思います。が、確か自分をモデルにした小説だったと思いますが、内容がどうも私には、筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです。そもそも、女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだと私は思ってしまいます。
しかし、教科書にも載る程の文学ということは、何か内容的にもすばらしいところがある気がします。
そこで、私とは違い、この小説の内容はこんないいところがあると理解できる方、是非どんなところか教えて下さい。
この作品に対して違った見方をしてみたいです。

Aベストアンサー

明治文学の一愛好者として回答させていただきます。

まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。
にもかかわらず、『坊ちゃん』の主人公と夏目漱石をだれも同一視することはないのに、鴎外と豊太郎を平気で同一視して解釈しようとする人が多いことが不思議です。
まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。

>女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ

鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関係にあったことはいくつもの資料が指摘するところです。

けれども、鴎外が帰国した二ヶ月後の明治二十一年九月十二日、彼女は鴎外のあとを追って来日、築地の精養軒ホテルに一ヶ月滞在した後、帰国します(鴎外は、二十二年後、48歳という年齢になって、その経験をもとに『普請中』という短編を書いています)。

このElise Wiegertがどういった人物なのかはよくわかっていないのですが、とにかく鴎外を追って単身日本に来れるような彼女が、少なくとも作品中の「エリス」とはずいぶん境遇がちがったことは間違いない(当然狂気にも陥っていないし、妊娠の事実も疑わしい)。
むしろ、ごく普通の恋愛だった、と見るべきではないかと思います。

>筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです

自慢がしたいなら、「エリス」を令嬢として描き、そんな極悪非道な仕打ちを書くかわりに、どれだけ彼女が別れをつらがったか、さらに「彼女ったらオレを追っかけて、日本にまできたんだゼ~、どうだ、オレってすごいだろー」と書けば、(文学として成立するかどうかはともかく)作者の自尊心は、はるかに充たされるはずです。

豊太郎はエリスに対してひどい仕打ちをする。
おそらく『舞姫』を読む人のだれもが、太田豊太郎を嫌いになるはずです。
豊太郎の行動を、批判するはずです。
憐憫を持つことはできても、好きにはなれない(たとえば「坊っちゃん」をキライになるのがむずかしいと同じくらい、豊太郎は好きになるのがむずかしい人物です)。

どうして鴎外は、あえて主人公をそのような人物として造型していったか。
また同時に、そんなひどい人間を描いた小説が「明治時代の青春を象徴する小説」(中村光夫『日本の近代小説』岩波新書)として、今日まで読み継がれてきたのか。
そこを読み解いていかなければならないと思います。

この場で読解をやっていく時間もスペースもありませんので、比較的手に入れやすい参考文献をひとつあげておきます。
山崎一穎『森鴎外 明治人の生き方』筑摩新書、とくに第四章「作家誕生 ――『舞姫』を読む」では、読解と作品が誕生した経緯が描かれています。

「鴎外が『舞姫』を発表した時、不特定多数の読者を対象にしてはいない。豊太郎の文脈に添えば、手記の読者として想定可能なものは、「心ある人」であり、豊太郎とエリスとの行実を「あやしみ、又た誹る人」であろう。これを鴎外の文脈で語るならば、エリス(エリーゼ)に代表される西欧の自由と美に象徴される市民精神を自らの手で扼殺した己れの生のあり様を「心ある人」に告白することであり、「この行ありしをあやしみ、又た誹る人」として陸軍軍医部の上官、特に石黒忠悳へ向けられた痛烈な刃であった。おそらく『舞姫』発表は対自家用(鴎外の母や妻登志子)を超えた標的に向けて放たれた小説であり、鴎外としても自己の進退を賭けた表現であったと言える」(引用同)

以下、簡単にわたしの解釈を書きます。
やはりこの小説を読むとき、何よりも忘れてはならないのは、明治という時代の特殊性です。

こんにちのわたしたちは、「日本」というものをそれほど意識せずに生活していますが、江戸末期に生まれた文学者、たとえば坪内逍遙も、二葉亭四迷も、そして鴎外も漱石も、「日本」をどうしていくか、が、自分の人生をどう生きていくか、と表裏の問題としてあった(エリートというのは、そのような社会的重責を課せられた存在でもあったのです)。

とくに鴎外は、ほかの文学者たちが、ともかくも文学を専業(二葉亭の場合はなかなかそういうのもむずかしい側面はありますが)としていたのに対して、陸軍の軍医として、作家とは別の顔を持っていた。

おそらくは鴎外の内面は、公的な生活の充実にもかかわらず、ひどく空虚な部分があったのではないか。
その空虚さとは、当時の日本の「外発的開化」の現状とも結びついていた。
鴎外の創作活動は、その精神的空白を見据え、なんとか埋めようとしたものではなかったか。
その空白は、早くも『舞姫』のなかに胚胎していたと思うのです。

冒頭、豊太郎は自己を恨みます。自分のしたこと、自分の卑しさを、だれよりもよく知っている。
おそらく豊太郎は、どれほど世間的に成功しても、みずからに対する尊敬の念を取り戻すことはできないでしょう。
だれよりも、鴎外がそれを許さないものとして『舞姫』を創作した、と考えることができると思います。

『舞姫』はこの文章で終わります。
「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」

相沢謙吉とは誰か。
豊太郎を日本に連れ戻した友人は、同時にまた母であり、日本でもあったのではなかったか、と思います。

明治文学の一愛好者として回答させていただきます。

まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。
にもかかわらず、『坊ちゃん』の主人公と夏目漱石をだれも同一視することはないのに、鴎外と豊太郎を平気で同一視して解釈しようとする人が多いことが不思議です。
まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。

>女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ

鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関...続きを読む


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