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第二次世界大戦時、ナチスドイツはソ連に戦いを挑み、首都であるモスクワまで攻めのぼりましたが、最後は猛烈な反撃を受けて大惨敗を喫しました。

でも、ナチスドイツはソ連と戦う一方で西部戦線でアメリカやイギリスとも戦っており、ソ連はレンドリース法によりアメリカ合衆国から膨大な軍需物資の提供を受けていたといわれます。
このように考えると、ソ連とドイツが1対1で戦ったと仮定すればドイツはもう少し強かったと考えられますし、ソ連はもう少し弱かったと考えられます。

歴史に「もしも」がないことは確かですが、国としての純粋な軍事力でみればどちらが強かったと考えられるでしょうか。

A 回答 (4件)

単純な兵器の比較なのですか?



最も大きな違いは、指揮系統や将校レベルの能力だと思うけど?
スターリンが独裁体制を確立し独ソ開戦前までの期間、猛烈な粛正の嵐がソ連を覆っていました
軍の将校などはある意味インテリ層だったりするし、自らの権力を脅かす勢力に成りかねないと言うことで
有能な将校ほど粛正の対象になっていった、そのあいた穴を埋めたのは軍事的な能力はなくともスターリンに対する忠誠や他人を陥れる能力にたけた軍人や党人
それに軍事的な訓練よりも共産主義の学習を重視しているので、兵の練度も低下するし軍組織もガタガタになる

そんなまともな状態でない軍がどんなに立派な兵器を所持しても宝の持ち腐れ

開戦直後はそういう感じで好き放題にされた
で、モスクワの目の前まで独逸軍に迫られた事により、背に腹は代えられない状態に陥り
収容所などで生き残っていた、赤軍の旧将校などを赤軍に復帰させ組織の立て直しを行ったこと
日本軍の侵攻に備えて極東地域に配備していた、兵士や装備を独ソ戦線に再配備したこと
そして、ご指摘の様に米英からの支援兵器を活用出来たこと

さらには、独逸自身戦略ミス(寒冷地用の装備不足、補給品の欠乏、一貫性の無い作戦方針、ヒトラーの過剰介入)と言うのも大きかった

軍事力=兵器の能力としてみるなら
西部戦線の経験を踏まえた装備を持っていた独逸に対して、旧態依然の装備だった開戦初期のソ連軍では当然独逸

でも、独ソ戦での戦訓、経験を元に独逸軍を上回る戦闘車両を次々を送り込む事が出来たことで時間の経過と共にソ連軍有利に変わっていった
同時に、独逸自身は能力的には優れていても、生産設備の損耗に伴い数を揃えられなくなった事もある

車両や航空機の一対一で見れば、決して独逸の兵器が劣っているわけではないが
故障ばかりとか燃料が不足してといった理由稼働率が上がらなくなり
絶対数での差が大きくなれば、個々の兵器性能の優劣では乗り越えられなくなる
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ドイツの作戦の失敗です。

レニングラードあたりで持久戦に持ち込めば、そのまま、その場所がドイツの領土になっていたと億もいます。
 しかし、無謀にもモスクワまで攻め込みます。その時に冬将軍がやってきます。モスクワを占領しても何の食料もありません。
戦線は伸びきって補給も出来ません。結局、雪の降る中を歩いて撤退することになり、それをチャンスばかりにソ連が攻撃します。
 ナポレオンも同じ間違いをしています。
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リデルハートの「第二次世界大戦」に面白い記述があります。

ドイツは「道」にやられた、と。道がグチャグチャで
独軍の車両が進むのに難儀したらしいです。それを理解してソ連は中型(ここが大きなポイントです)・無限車両の
T-34を開発しました。ソ連は独軍の車両が苦しむのを逆手に取ったんです。独軍はまさか首都につながる道が
未整備とは思わなかったんでしょうね。独軍はヒトラーのキエフ攻略指令に将校が逆らい、強硬にモスクワ攻略を
主張しましたがこの疑問氷解です。T-34の特徴は中型なのに大型砲を備えてたことです。中型戦車が大型砲を
撃つと車両が吹っ飛びます。なぜ可能だったのでしょうか? それはソ連の大地が湿地だったからです。湿地だと
車体が沈み込むので中型で足ります。むろんタイガー戦車よりも小型の分機動性に優ります。こう考えると朝鮮
戦争の際、なぜT-34が市街戦で及び腰だったのかもわかります。ソ連はこの戦車が悪路専用なのを理解してた
からです。そうですね、アメリカの支援がなければ独軍が勝ったと思います。もし独軍が再度ソ連の大地に攻め込む
とすれば今度は独軍が教訓を生かしたはずです。戦後ドイツ陸軍の司令長官が助命されました。むろんソ連と
直接対決した経験を西側が欲したからです。ソ連のほうがラッキーでした。軍事力自体はドイツが上です。
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ソ連

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