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古代(1~3世紀)の日本で、二つほど続けて質問させてください。
当時に大陸(中国の皇帝)から金印が送られていますが
これは、お互いにどのような意味があったのでしょうか。
漢の時代に 光武帝から「漢委奴国王印」
魏の時代に 「親魏倭王」の金印が邪馬台国の女王 卑弥呼へ送られていますが
当時の日本には、紙も墨も文字もなかったと思います。
どうも疑問が払しょくできません。
1、どうして倭の王は、大陸(中国)へ奴隷など貢物物を献上する必要があったのか
2、何故、中国の皇帝は紙も文字もない日本になぜ金印(ハンコ)を贈ったのか。
3、卑弥呼は、もらった金印を何に使ったのか。
卑弥呼の部屋には紙も墨もあって、文字が書けたのでしょうか。
書き上げた書面に、金印で印をうって、周囲の諸国に出したら、諸国の王はそれを
読む事が出来たのでしょうか。
仮に、読めたとして、遠く離れた中国の皇帝が認めた王と云うのはそんなに権限があったのでしょうか。
そんなの関係ね~と思うのではないでしょうか。
卑弥呼もよっぽど最新の鉄の武器や農耕具を贈ってくれた方が良かったと思わなかったのでしょうか。
4、中国の皇帝に接するには、日本語と中国語と云う言葉の壁や大陸の権力構造、地理などの情報が
必要で、それなりに高い身分の官僚や皇帝の側近などとの人間関係が必要など思いますが
そのようなものが卑弥呼にあったのでしょうか?
「漢委奴国王印」の場合も同様ですが、中国の皇帝との関係をだいぶ重視して、その証が
金印(ハンコ)と云うのが腑に落ちないのですが、どなたかすっきりする回答をお願いします。

A 回答 (6件)

魏志倭人伝を読むと、当時の倭の国々が中国の制度をいろいろと取り入れていたと思われる記述があります。

伊都国のところに一大率の記述で有名ですが、大倭(大率のことか?)が国々に居て市をみていることなどが書かれています。また倭の伊都国および一大率も魏の帯方郡とその太守に対応するように国の出先機関として機能している、つまり倭も魏と同様の国のシステムを持っていることを魏使にアピールしていたりします。また法で治めていることも書かれていますが、中華帝国も秦(始皇帝)までは法ではなく力による支配であったことを考えると、実質はともかく倭も魏と引けを取らない文明国家であることを、かなりアピールしていたことが分かります。
これらはもちろん、全て中国から(おそらく公孫氏時代の帯方郡から)取り入れたものな訳です。そのための朝貢だったと考えて良いと思います。

印は、封をするのに使います。袋でも箱でも、泥をべったりつけて印を押して乾かします。封をあければ泥がぼろっと割れて開けたことがバレるので誰かが勝手に開けられない、って感じで使われてたようです。

鏡にも漢字が書かれていますが、読めなくても支障はないわけです。
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この回答へのお礼

一大率(いちだいそつ)
http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono101.htm
ありがとうございます。だいぶすっきりしました。
以下のようなイメージでよろしいでしょうか。
古代中国(漢、魏など)の時代
朝鮮半島には帯方郡、日本では糸島市で外交貨物や文書を検査していた。

卑弥呼は中華国をならって、諸国が勝手に外交を行わないように、
糸島市の港付近で検査した。
金印もその合格印として使われていた(?)

「漢委奴国王印」の金印もすぐ近くの志賀島で見つかっているし
卑弥呼以前より定着していた可能性もありますよね。

「一大率」は「卑弥呼(ひみこ)の弟」と同一人物である、との説もあるようであるが
とありますが、卑弥呼一族が、代々この手の仕事を行っていた氏族の可能性もありますね。

お礼日時:2016/06/13 15:45

> 当時の日本には、紙も墨も文字もなかったと思います。


倭人伝によれば、卑弥呼は魏に対して「上表」しています。上表とは、「皇帝に上奏文を差し出す」ことですから、紙と墨がなければできません。また漢文を書ける人も、当時から日本列島にいたということです(中国や朝鮮半島からの渡来人でしょう)。
奴国の場合ははっきりしませんが、やはりなんらかの文書くらいは出したと思います。

> 中国の皇帝に接するには、……
当時、魏は朝鮮半島に楽浪郡と帯方郡を置いていました。帯方郡と倭の諸国(邪馬台国など)の間には、ふだんから交流があったようです(渡来人が通訳したのでしょう)。
魏の皇帝への遣使については、帯方郡の役人が時期をみて、「そろそろ都に使いを送っとけ」と教えてくれたと考えられています。卑弥呼サイドで苦労して根回ししなくても、向こうから話が来るわけです。
当時の中国には、「遠い国から朝貢してくるのは、それだけ皇帝の徳が高い証拠」という思想がありました(渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く』)。帯方郡の役人もそれを知っていますから、節目節目で辺境の人(この場合は倭人)に遣使をすすめます。帯方郡から魏の都へは、案内役をつけてくれますし、道を知らなくても困りません。

> 卑弥呼もよっぽど最新の鉄の武器や農耕具を贈ってくれた方が良かったと思わなかったのでしょうか。
卑弥呼の使者は金印のほかに、「銅鏡100枚」「白い絹織物50枚」などをもらいました。これだけあれば各地の有力者に配ることもできますから、充分役に立ったでしょう。
鉄などは、朝鮮半島との交易で手に入ります。朝鮮半島の北半分は、魏の領土です。交易路を確保するためにも、日本列島の国々にとって、魏との関係は大事でした。

ちなみに後世の戦国大名たちは争って、大陸伝来の高価な陶器を買い求めました。軍事力だけでなく、文化の力で優位に立つことも、重要とされていたからです。戦国時代でもそうですから、邪馬台国の時代なら、「大陸の皇帝からもらったお宝がある」ということは、相当のステイタスだったと思います。
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この回答へのお礼

>当時の中国には、「遠い国から朝貢してくるのは、それだけ皇帝の徳が高い証拠」という思想がありました
今でも通じると思います。いつも近くにてみすかれていた朝鮮半島とは印象が違ったでしょう。
>卑弥呼の使者は金印のほかに、「銅鏡100枚」「白い絹織物50枚」などをもらいました。
そうなんですが、仮に周囲の国王(男王)がもらったとして、取り扱いが難しくないですか。
仮に、妻に上げても、卑弥呼みたいにシャーマン的な巫女になれ と云う風に受け取られたり
多くの女性がいた場合、女性同士のやっかみが生まれませんかね。
(私が変な目で女性を見ているのかもしれませんが)
卑弥呼も周囲に自分と同じような格好をした女性が増えるのを喜ぶでしょうか。
なんとなく、自分の部屋の中に飾って、眺めて一人で満足しそうな気がするのですが。
魏の皇帝(高官)も女性目線でよく鏡とか白い織物とかを贈り物に選んだなと感服します。
黄金の国ジパングではありませんが、絶世の美女 「卑弥呼」 みたいに中華側には伝わっていてのでしょうか。
当時の魏や帯方郡の役人は、卑弥呼にあったことがあるのでしょうか?
伊都国より邪馬台国へ実際に云った方はいるのでしょうか。
全てが卑弥呼の掌の中で踊らされているような気がします。
女性が本気になれば、本当に怖い存在になると思います。

お礼日時:2016/06/15 20:43

伊都国は、確かに出先機関として、鹿鳴館だっけ?宿泊施設を作ってたりして、魏使(というか公孫氏時代の使いが主でしょうが)を受け入れていたりしてたようですね。

倭人伝に書かれている伊都国のは1度目の魏使の梯儁によるものでしょう(私説)。なので倭国側のデモンストレーション的なところも多々あったと思っています。全ての荷物の受け渡しをここでやる、とかってのは、そういう面がかなり強いと思います。
先の回答にも書きましたが、倭からの使いは帯方郡で貢物などの受け渡しが行われ、その後、魏の人達と一緒に帝のいる都(洛陽だっけ?)に行ってます。それと同じことを伊都国で梯儁にやってみせた、伊都国で荷物を受け取り、一緒に卑弥呼の邪馬台国まで送ってます。見事な対比。

伊都国といえば、大抵の人がはまるのが、伊都国で荷物渡してるのに、なんで1こ前の末廬國で船を降りて陸行してるの?って疑問でしょうか。わざわざ荷物持って陸行しないで船で伊都国まで行けば良いのに、って思うじゃないですか。この答えは簡単で、船で行ってるんです(私説)。上でもちょこっと書きましたが、伊都国に行ったのは1回目の魏使の梯儁です。彼は末廬國には寄らずにスルーして船で伊都国に行ってます。じゃ末廬國から東南陸行五百里は何?というと、2度目の魏使の張政の行程なんですね。私は、張政は東南陸行五百里で佐賀平野に出たと考えていますが、それはさておき、魏志倭人伝も読み解くと納得づくのことが書かれていると私は感じています。

話が反れたので。金印自体は国内で使われてたのだと思います。卑弥呼が何かを一大率に贈るときに、途中で誰かが勝手に開けないように、みたいな。いえ実際に使われたのかどうかは分かりませんが。璧(へき)の様に威信財として飾られてただけかも。

卑弥呼の弟は、一大率説は始めて聞きましたが、次の男王だったのではないかとか、卑弥呼は飾りで実権をにぎってたのではないかとか、いろいろ言われることも多いですが、私は裏方のような役だったと思ってます。シャーマン系の家系ですし。
このあたりは、宇佐神宮の女性職である禰宜が最高位であるところなどに継承されてるのかも、などと考えると面白いところですね。(とはいえ私は宇佐説ではありません)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
伊都国を境に、中華側と九州側でかなりの違いがあるような気がしてきました。
中華側には、文明国家に見える様に対応し、朝貢でも真珠や翡翠など中華の皇帝が喜ぶようなものを
国内に向けては、雨ごいや占いなどシャーマン的な手法を
卑弥呼もなかなかのやり手だと思うこの頃です。
裏方がいる可能性、絶対にあると感じますね。

お礼日時:2016/06/15 20:09

所詮朝鮮は中国の属国でしたから。




身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。


・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、
 馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。

ーーーーーー



世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。
記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮人にも 自ら属国であったことを認めている者もいる。海外に行くとお前らの国の真実の歴史がわかるw

そもそも韓国の古い国旗にまで 「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから属国だったことは否定しようがないわな^^

しかし韓国は国家レベルで「属国だった過去」を消し去りたかった。 もう必死でしょ^^
古い国旗が発見された時も、韓国国内のニュースでは「大清国属」という 文字をカットして報道したほどである。

実はこの韓国の感情的問題は「反日」に密接な関係があると思う^^ 
  


まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。

朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。


そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。

天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。

また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。

そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。

         (黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)
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この回答へのお礼

16世紀の中国と朝鮮の関係ですよね。
朝鮮問題(南北合わせて)は現在でも東アジアの問題児ですね。
魏の時代より古くから朝鮮半島と中華国との関係はあったと思いますが
中華側から見て、あまり良いお付き合いは出来てなかったのでしょうね。
その点、日本の外交はすごい。
秦の始皇帝の時代には
不老不死の薬がある。
ジパングは黄金の国
と諸外国に思わせるくらいですから。
元々、弥生時代に日本へ来て住み着いたですから
日本と中華との関係は良くて当たりまえでしょうね。

お礼日時:2016/06/13 19:06

日本に卑弥呼がいた頃、中国では『三国志』の時代でした。


日本人が竪穴式住居に住んで、各地で集落ごとに生活していた頃、
中国では、大きな船を造る技術もあり、戦争をする兵士もいました。
領土を広げるため、技術と武力を持って、周辺各国に戦争を仕掛けるのですから、
弱い国は、もし攻められたら、ひとたまりもありません。
①だから、日本に限らず周辺国は、臣下の礼として、魏の国に貢物をしたのです。
②礼を示してきた日本に、「国として認めます」という、皇帝直々の「お墨付き」を与えたんですね。
 武器や農耕具の方が、喜ぶことは、おそらく、知っていたでしょうけど、もったいないし、
 武器をいくつかあげるよりは、もったいぶって、象徴としての金印を渡した方が、偉そうでしょう。
③実用はできないですよね。
 あの皇帝から贈られた金印であるぞ。
 これを持っているということは、この国の王なんだと知らしめる道具です。
 国を統べるために、使われていたんでしょうね。
④大陸からは、船を使って、渡来人が来ていたようです。
 昔の日本語は、今の言葉とは違っていたようです。
 渡来人から、言葉や、大陸の情報などを教わっていたと思います。
 対等な国としての外交ではないので、
 皇帝に謁見するのも、臣下の国として、なので、
 高い身分の官僚たちとつながりを作る必要はなかったのではと思います。

あくまで、想像ですが。
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この回答へのお礼

金印は、国内向けではなく
中華との交易に必要な証
と思えば必要性が感じられますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/13 08:28

ハンコでランク付してたんじゃないですか?


朝鮮半島は銅印だし。
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この回答へのお礼

何故、日本が金で、朝鮮半島が銅なのでしょうか。
もちろん、貢物の質や量もあるでしょうが
朝鮮半島は、中華と領土が接していて付き合いも長いが
いけすかない。
日本は、どこの誰の誰ともわからない海を越えた国からのお付き合い。
気に入られた部分があると思います。

お礼日時:2016/06/12 21:19

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