ウォーターサーバーとコーヒーマシンが一体化した画期的マシン >>

ちょっと本当に分からないので教えてください
個人的には
絵を見れば、面白い絵だなとか、こう考えて書いたのかな?とか考えて見ます
彫刻はよく分からないですが、同じ感じで見ます
ごくたまに美術館に見に行く事はありますが、それだけです

そこで質問なのですが、現代アートだけは意味がわかりません
ある作品の意味が分からないという話ではないです
まず、現代アートの定義がよく分からないのです
古典西洋美術ではない物である という事なら、それはなんとなく分かります
では現代の人が古典美術に似た絵を描いて、現代アートだと言った場合は?
そもそも古典の西洋美術との差は何か?

とある物でアートと美術は別である、美術は技術系の話で、アートは概念系の話だ
技術は金で買える、と言ってたのを見ました
それを言ってた人に、私はあなたの言ってる意味が分からないと言いましたが
アートから技術として金の部分を引いたら何が残るのですか?
アートの部分も金で買える物なのではないでしょうか?

現代アートは自由でなくてはならないという話も見かけた事ありますが
際限の無い自由はただの不自由ではないのか?

芸術には批判が必要だと言ってる人が居ましたが、これはそもそも必要なんですか?
必要だという話は、自由ではないのでは?
そもそも批判は何で必要なのか

調べれば調べるほど、アートと言っておけばいい一発屋の集団に見えてしまいます

これを見りゃ分かるんじゃないか?という本とかでもいいです
狭義の現代アートの定義を教えてください

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    >「アート」と呼ばなければいけない「必然性」を持つのが、「現代美術(アート)」だと言う事です。
    アートと呼ばなければいけない必然性 というのは何なんですか?
    私が女の子だと思われるキャラ書いて、「これは現代アートだ」と言えば済む話?

    >既成概念に対する批判や
    うん、だからその批判て現代アートに必要な物なの?構成要素なの?って話で

    >あらゆるものに対する主張を内包しているものであり
    あらゆるものというのは言葉のあやでしょうからスルーしますが、主張する事は物を作れば主張になるはずで
    じゃあ「アートではない物を作ってるのとアートは何の差があるの?」となると思うけど

    >鑑賞者になんらかの「衝撃」や「問題意識」を生み出す物とも言えます。
    衝撃や問題意識が生まれなかったらそれは現代アートではないと?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/06/19 03:45
  • うーん・・・

    >アーチストの技量が乏しかったり、「鑑賞者」の意識の乏しさにより、それは単なる「ゴミ」にも成りえます。
    アーティストが現代アートと言って作ってもですか?
    マルセル・デュシャンは便器にサインして作品としたのに、ゴミになるので?

    >「批判」うんぬんは、芸術をアナーキズムと捉えてる場合は、そこに何らかの「批判」が存在すべきと言う事でしょう。
    ここはちょっと分かった気がします
    アナーキズムとしては批判が必要だけど、だからといってそれは現代アートではない?
    だから別?

    私が書いたのが大枠で合ってるとすると
    定義もなにもされてない、自分が作ったか他人が作ったかも関係無い
    そういうよく分からない物に現代アートと言っておけば、それは現代アートだ
    という事になると思うんですが

      補足日時:2016/06/19 03:46
  • うーん・・・

    個人的には
    >作り手がアートだと主張して、受け手がアートだと思えば、それはアートになると言う事です。
    という話は、なんとなく意味はってると思いますが
    それはアートという言葉の定義が出来てれば言える事です
    Wikipediaより「アート」
    1 間接的に社会に影響を与えるもの
    2 芸術
    3 美術
    美術や芸術の中にアートは含まれるっぽく書かれています
    ただ、現実的には芸術や美術っぽくなくてもアートという言葉はついてるし
    あれはアートじゃない(類似含む)、「美術とアートという言葉を区別して使う奴」
    なども居るし
    「>作り手がアートだと主張して」だと
    別に社会に影響が与えられなくても本人がアートだと主張すれば良い事になってしまう

    あきらかにアート云々という言葉を使ってる人は、その人の中だけで定義して使用してますよね
    では実質でアートというのはどういう定義なのですか?って話です

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/06/21 14:07
  • どう思う?

    回答ありがとうございます
    ちょっと考えをまとめ直してみました
    こういう認識でいいのか教えてください

    アートは美術を内包しているが、美術と言われなくてもアートと言われる物がある
    アートはどちらかというと概念的な意味が強い
    何かの意図を持って製作者が作り、それ見た人に心理的変化がある事(驚き、興味、好意、嫌悪など)
    両方が存在してアートである(片方だけではアートとは言えない?)
    アートと自由さは関係無い(自由じゃなくてもアートはある)
    アートと批判は関係無い(作品内容として批判があると面白い、などの話は別問題)
    作り手側と受け手側の個人的な経験によるので、アートというものの定義は難しい
    ですかね

    そこに上乗せして、現代アートというのはそれまでのアートが分からないと理解しづらい
    理由はデュシャンの所で概念を重視したため、下地となる知識が必要になった
    という所なんでしょうか?

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/06/27 21:02
  • うーん・・・

    >コンテンポラリー・アートに関していえばそう言えると思います。
    ふと思ったというか、やっぱり疑問なのが、古典、近代、現代の区別です
    コンテンポラリー・アートは近代や現代にしかないと思いますが
    現代で印象派と呼ばれる感じの油絵を描いた場合、何というのでしょうか?

    >個人的には、眼差しが「あるもの」をアート足らしめる、受け手の意識の問題だと思います。
    うーん、提供者が存在しない状態が想像できないです
    「アートとは「それ自体」ではなく、われわれ(提供者(デュシャン)と見る人)が「そこ」に注ぐ眼差しである」
    と読めたのと
    >河原の石ころをアートとして売っていた
    この例で言うと、石ころが河原にあった状態はアートではなく
    持ってきて売るという行為が入ってアートになったのでは?と思います
    変な石が河原にあって、それを見てアートと思うかと言われると、うーん、なんとも言えないかなと

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/06/28 20:48
  • >この場合の自由というのは、「表現の自由」という意味だろうと思います。<中略>それに従っていては最早アートではありません。
    なんとなく意味は分かりました
    ただ、もはやアートではありません、という所はちょっと言い過ぎのような
    脱線しますが、個人的には「制限があって(金、方法、自分と他人が違う存在、その他色々)それを飛び越えて何かを伝えるのがアートなのでは」と考えたり
    自由とは言うが、100m走はコースが決まっていて、タイムを計るのが必要で
    走る道が決まってない徒競走(100m走)は意味があるのか?と考えてしまったり
    表現者としては表現する方法の自由度が必要と言うのは分かりますが、不可欠かというと個人的には同意できないです

    >モーツァルトを聴いて心地よい、モネを観てきれいだと思う、ミロをみて笑ってしまう、それで充分だと思います。
    これは了解です

      補足日時:2016/06/28 21:43
  • うーん・・・

    >デュシャンの「見出されたもの」=男性用便器だって、単純に面白がれればいいんです。<後略>
    これについては、ちょっと考える所があって
    村上隆さんが重層化という言葉を使って説明してる部分がありますが
    それが現代アートと言われる物なのかなと思った事があります
    この重層化されてる物を理解するためには、何に対する表現の層があるか理解してないと分からない
    一般的な人は人生経験などから自分の中で印象という物を作るけど
    専門で見てる人は他のアートの意味を考えた経験も含めて印象を作っていて
    その差が現代アートを理解出来ない差なのかなと考えた事はあるんですが
    では、これが現代アートとそれより前のアートの違いなのかというと、それはやっぱり違うんじゃないかと
    じゃあ、現代アートと昔の西洋絵画の違いは?日本画との違いは?
    油絵や日本画で現代の人が現代の題材で古典ぽく書いた物は現代アート?
    となって悩んだのです

      補足日時:2016/06/28 22:03
  • >「印象派」というのは、絵画のスタイルです。技法です。<中略>何故なら、実時間で「印象派」と呼ばれた一連の画家たちはもういないのですから。
    印象派と言われる物は、当時の環境も含めて存在しているわけで
    それは現代では存在できない
    現代だと印象派風という形になるという事でしょうか?

    重層化についてはここらへんでちょろっと話が出てます
    http://togetter.com/li/391315
    あとはニコニコ動画で講座っぽい動画上げてましたね
    >現代のアートはそれだけ外付けの「意味」や「付加価値」を加えなければ
    賛同は出来ないのですが、その構造はなんとなくは分かります
    濃い方が好まれるのは普通ですし、物の濃さという事だと付加価値が必要という話だと思います
    ただ、濃いのを初めての人が好むかというのは別かなと

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/06/29 21:14

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (7件)

>美術や芸術の中にアートは含まれるっぽく書かれています



「絵画」「版画」「彫刻」「イラスト」「写真」「広義のデザイン」「オブジェ(オブジェクト)」など、すべてArtです。

http://www.sothebys.com/content/dam/stb/lots/L16 …

これは現在サザビーズ・ロンドンのオークションにかけられている、ジャン・デュビュフェのアクリル画です。
描かれたのは1983年です。

これは「芸術っぽい」ですか?「美術っぽいですか?」わたしにはそうは思えないのです(苦笑)

わたしはデュビュフェの作品でも好きなものもあります。でも多くのコンテンポラリー・アート(現代美術)には、ジャクソン・ポロックや、ウィリアム・デ・クーニングなどの「抽象表現主義」などを主に、意味不明なものが多い。

これらは、「絵画の死」と呼ばれるもので、言ってみれば、「芸術っぽくない」「絵画っぽくない」アートのことです。

>狭義の現代アートの定義を教えてください

これは簡単ではありません。だって、コンテンポラリー・アートには「コンセプチュアル・アート」あり「ミニマリズム」あり、様々なムーブメントが存在して、それは広義のアートを定義することと同様に困難です。

古典派にも、ロマン派にも、印象主義にも、表現主義にも、異なった思想的背景があるのと同じです。

それを単に「意味が分かる画である」というのは本質的な定義とは言えません。

最後にデュシャンの言葉を引用します。

“Art is not about itself but the attention we bring to it.”

『アートとは「それ自体」ではなく、われわれが「そこ」に注ぐ眼差しである』
この回答への補足あり
    • good
    • 1

こんばんは。



>やっぱり疑問なのが、古典、近代、現代の区別です
コンテンポラリー・アートは近代や現代にしかないと思いますが
現代で印象派と呼ばれる感じの油絵を描いた場合、何というのでしょうか?

「印象派」というのは、絵画のスタイルです。技法です。ですから、現代のアーティストがモネのような画を描いたら、印象派風(印象派スタイルの)絵、ということになるでしょう。何故なら、実時間で「印象派」と呼ばれた一連の画家たちはもういないのですから。
残ったのはそのスタイルです。バロックであろうとロココであろうと、それらの画家たちはその時代にしか存在しない。けれどもそのスタイルは残ります。

>うーん、提供者が存在しない状態が想像できないです

>河原の石ころをアートとして売っていた
この例で言うと、石ころが河原にあった状態はアートではなく持ってきて売るという行為が入ってアートになったのでは?と思います

そう思います。アートが河原に転がっているのではなく、「それをアートと見做して」「市場」に乗せる(この場合は河原のテントですが)
それは物象化であり、同時に石ころがアートになることでもあります。

これは面白い問題で、例えばピカソのアトリエに未発表の作品が存在するが、誰もその存在を知らない。ではそれは「アート」か?
けれども一方で、ピカソの習作、鉛筆書きの下絵のようなものでも、巨額のお金を出して買おうという好事家と呼ばれる人たちもいます。彼らにとってそれはアートです。上下逆にして見ていても気づかなくてもアートです。なぜってそれはそれを享受するものにとってアートだからです。「これこれの条件を満たしていなければアートとは言えない」というような、外部的な規定は存在しないはずです。

>変な石が河原にあって、それを見てアートと思うかと言われると、うーん、なんとも言えないかなと

それが市場に流通しはじめた時点で、それを「アート」と呼びます。「石」ですが。(笑)
つまりアートの定義は一義的ではないということです。

「自由さ」の問題は、わたしの立場としては「物理的」な不自由は仕方がないけれども、「検閲」などで、作者の意図しない改変が強制されるような場合は、それは最早本来のアートではなくなっているという意味です。ただこれはあくまで個人的な意見ですので、場合によってはそのような外部の力による半強制的な「改変」もありうると考えることを非難するものではありません。

「重層化」という言葉は知りませんでしたが、アートに限らず、新たに目にするもの、耳にするものは、過去の記憶からそれに関連する記憶を連想させます。ですからアートを鑑賞する際に、いろいろな知識があるのは鑑賞の手助けにはなりますが、逆に言えば、雨宿りのつもりで飛び込んだギャラリーで偶然目にした一枚の絵、一体の彫像に目を奪われ、心を奪われるという体験を欠いたアートにどれだけの価値があるだろうという気持ちもあります。逆に言えば、現代のアートはそれだけ外付けの「意味」や「付加価値」を加えなければ、それ自体としてインパクトを持ち得なくなったという現代の衰退の象徴かもしれませんね。

繰り返しますが現代のアーティストが大正モダンのような画を描いても、それは「大正モダン」ではなく、「~風」でしかないということです。そこに「芸術の一回性」があります。
この回答への補足あり
    • good
    • 1
この回答へのお礼

色々ありがとうございました

お礼日時:2016/07/01 20:19

こんばんは。



>アートは美術を内包しているが、美術と言われなくてもアートと言われる物がある

勿論そう思います。

>アートはどちらかというと概念的な意味が強い

コンテンポラリー・アートに関していえばそう言えると思います。けれども、美術史の中で、中世のロマネクス、ゴシックからルネサンス、バロック・・・20世紀のピカソやシュールレアリズムなどに至るモダン・アートまでは、ご質問にあるように、もっと生身の人間とアートが、ダイレクトに向き合えたという気がします。

>何かの意図を持って製作者が作り、それ見た人に心理的変化がある事(驚き、興味、好意、嫌悪など)
両方が存在してアートである(片方だけではアートとは言えない?)

個人的には、眼差しが「あるもの」をアート足らしめるとおもうので、受け手の意識の問題だと思います。
つげ義春の「石を売る人」(映画『無能の人』原作)だって、河原の石ころをアートとして売っていたのですから、
河原の石でもアートと思えばアートです。それがデュシャンの言う「見出されたもの」=Found Objects です。

>アートと自由さは関係無い(自由じゃなくてもアートはある)

ある種の「制約」の中でもアートは生まれるということです。(例えば予算の制約によって、材料が不足している)などの
制約、制限の中で、いかに想像力とクリエイティビティを発揮できるかもアーティストの力量だと思います。

>現代アートは自由でなくてはならないという話も見かけた事ありますが
際限の無い自由はただの不自由ではないのか?

この場合の自由というのは、「表現の自由」という意味だろうと思います。このときの「自由」の対義語は、例えば「検閲」というようなものです。何らかの外部の「圧力」によって、不当に表現を規制されない自由、これは不可欠です。それに従っていては最早アートではありません。

>アートと批判は関係無い(作品内容として批判があると面白い、などの話は別問題)

これも捉え方の問題だと思います。例えば、古典主義の主張に対するアンチテーゼとして現れたのがロマン主義です、それに対して批判的になったのがリアリズムです。
アート・ムーブメントは原則的にそれ以前の方法論への批判から発展しています。
けれどもいかなる運動であっても、基本的にアートが目指すのは「美」であって「批判」や「プロパガンダ」ではないと思うので、
アートと批判は分けて考えるべきで、それを不可分のものと考えるべきではないでしょう。

モーツァルトを聴いて心地よい、モネを観てきれいだと思う、ミロをみて笑ってしまう、それで充分だと思います。

>作り手側と受け手側の個人的な経験によるので、アートというものの定義は難しい

ことに現代のアートはそう感じます。

>現代アートというのはそれまでのアートが分からないと理解しづらい
理由はデュシャンの所で概念を重視したため、下地となる知識が必要になった
という所なんでしょうか?

デュシャンの「見出されたもの」=男性用便器だって、単純に面白がれればいいんです。逆に「知的」に「理解しよう」とするから、ダイレクトに面白がれないのではないでしょうか。道端の名もない花や、珍しい形の石でもおもしろがれる、それが大事だと思います。
子供の隠している「秘密の箱」の中なんて、「見出されたもの」(ファウンド・オブジェクト)たちばかりです。
この回答への補足あり
    • good
    • 2

追記です。



デュシャンの言葉を敷衍して、現代アートを定義するとしたら、それは予め(アートとして)「あるもの」ではなく(アートに)「なるもの」ということができるかもしれません。

ですから高校生が描いた女性の画でも、例えば美術の先生がそれを気に入って、知り合いのギャラリーのオーナーのところに持って行き、
それが展示された時点で、立派な(?)アートです。

>実質でアートというのはどういう定義なのですか?

モダン・アートでもそうですが、コンテンポラリー・アートになって、より「固有」の意味というものから「関係性」へと移行していったようです。つまりデュシャンの言う「まなざし」です。

なかなか面白いテーマなので、補足が必要なら書いてください、一緒に考えましょう。

アートについて wiki

https://en.wikipedia.org/wiki/Fine_art
    • good
    • 1

芸術とは何なのかについては色々な説があります。



大きく分けて、人間とは独立して芸術が存在する
とする説と、
あくまで人間があっての芸術だ、とする説があります。

古来の人々は、人間とは別に芸術が存在する
と考えてきました。
これは神の存在を前提としたものです。

この考えに基づく芸術とは、自然の模倣だ、
いや、均斉こそが芸術だ、イデアを表した
モノが芸術だ、と言われてきました。


しかし、神が死んだとされる現在では
芸術は、人間あってのモノだと考えられて
います。

これには、作者の感性、感動を表出した
のが芸術だ、鈍磨した感性を覚醒させるのが
芸術だ、と言われています。
後者は異化説といわれ、最有力の説だと
言われています。
だから、奇妙きてれつな作品が登場するように
なったのです。

この異化説には、原爆を落とせば異化するぞ
という批判があります。
事実、911以降、異化説は力を失ったとも
言われています。
    • good
    • 0

補足ありがとうございます。


ほぼ、そのとおりです。
作り手がアートだと主張して、受け手がアートだと思えば、それはアートになると言う事です。
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2016/07/01 20:19

おおむね、質問文の認識で正しいとは言えます。


ただ、そのような認識を与えるのが「現代美術(アート)」だと言う事です。
実のところ、それを「アート」と呼ばなければいけない「必然性」を持つのが、「現代美術(アート)」だと言う事です。
それは、既成概念に対する批判や、あらゆるものに対する主張を内包しているものであり、鑑賞者になんらかの「衝撃」や「問題意識」を生み出す物とも言えます。(こんなものは意味が無いと言うのも、ある意味付けです)
アーチストの技量が乏しかったり、「鑑賞者」の意識の乏しさにより、それは単なる「ゴミ」にも成りえます。
しかし、「ゴミ」になる事が目的のものもあるので、なかなか難しいですね。
「批判」うんぬんは、芸術をアナーキズムと捉えてる場合は、そこに何らかの「批判」が存在すべきと言う事でしょう。
この回答への補足あり
    • good
    • 1

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q現代美術とは?また現代美術と近代美術の違いはなんでしょうか。

学校の課題で「現代美術」についてレポートを書くことになりました。
それにあたって今度、美術館などに行こうと思っています。しかし現在、現代美術について理解出来ていない事が多いので、美術館に行く前に、少しでも自分の中での現代美術というものの実体について明確にしたいと思い質問させて頂きました。

ネットで現代美術について検索して、いろいろ読んでみたのですが、理解に悩んでしまう文がおおくて…。
また、近代美術と現代美術の違いもイマイチ理解出来ないのですが、、どのへんが違うのでしょうか?
現代美術は抽象絵画?

すみません、分からない事ばかりです。
分かりやすく、ご説明頂けると幸いですm(__)m

Aベストアンサー

先ず、近代と現代の違いは下記のようなものです。
きんだい【近代】
(2)歴史の時代区分の一。(ア)西洋史では,ルネサンス,大航海,宗教改革以降の時代,特に市民社会と資本主義を特徴とする時代をいう。(イ)日本史では一般に,明治維新から太平洋戦争終了までの時期をさし,それ以降を現代という。
三省堂 『ハイブリッド新辞林』

近代美術と現代美術の詳細は下記のURLから色々な項目に行けますから暇を見つけてチェックして下さい。

美術に限らず芸術というものの変化をどうとらえるかと考えるときに何を基準にするか(技術、モチーフ、流通経路、中心地など)を自分なりに明確にしておくと全体の流れがつかみやすいでしょう。
ここでは「誰のために芸術があったか」という基準で非常に簡略に書きます。
古代:神に捧げる為
中世:王および宗教権力者のため
近代:富豪のため(プルジョワジー)
現代:一般市民のため(企業のための部分も大きいかも)

詩、演劇、絵画、建築、彫刻、音楽などすべてこのように変化して来ましたが二つだけその誕生以来一般大衆向けである分野が二つ存在します。それは、「小説」と「映画」で両方とも19世紀に生まれましたす。

美術に絞って言えば、大きな変化は3回有ったと思うのですが、最初は絵が壁から離れた事(キャンバスの誕生):中世、次が「複製技術の発達」:近代で、3回目は「タブロー芸術の終焉」:現代、と私は考えています。

解らない事が有れば補足質問して下さい。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E3%81%A8%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93

先ず、近代と現代の違いは下記のようなものです。
きんだい【近代】
(2)歴史の時代区分の一。(ア)西洋史では,ルネサンス,大航海,宗教改革以降の時代,特に市民社会と資本主義を特徴とする時代をいう。(イ)日本史では一般に,明治維新から太平洋戦争終了までの時期をさし,それ以降を現代という。
三省堂 『ハイブリッド新辞林』

近代美術と現代美術の詳細は下記のURLから色々な項目に行けますから暇を見つけてチェックして下さい。

美術に限らず芸術というものの変化をどうとらえるかと考える...続きを読む

Qコンテンポラリー・アートとコンセプチュアル・アート

(1)コンテンポラリー・アートって何ですか?
(2)コンセプチュアル・アートって何ですか?
(3)現在、コンセプチュアル・アートの世界で活躍している方いますか?

誰かソフトリーにおせーて下さい。お願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
今日質問に気がついたので、亀レスでございます。
softlyっすか……。
ま、やってみやしょう。

(1)コンテンポラリー・アート:contemporary art
むりやり日本語にすると、同時代芸術ということになるんでしょうか。
だいたい60~70年代からいまにいたるまでの芸術をすべて指します。

たとえば印象派ってあるでしょう、モネとかセザンヌとかゴッホとか、有名な画家がたくさんいますね。
正確に言うと、モネやルノワールは印象主義、セザンヌやゴッホは後期印象主義に属します。
美術史ではこんなふうに、主義主張、志を同じくするグループをひとくくりにして~派、その理論を~主義と呼びます。
自分たちのことを**派である、として**宣言をする人たちもいれば、美術批評家によって名前を付けられるケースもある。

これも昔は単純だったんです。
ところが20世紀に入るか、入らないかぐらいのころから、このグループがもうぼこぼこ、雨後のタケノコのごとく出てくる。
キュビスムが生まれて、そこからフォーヴィスムが生まれ、さらに表現主義が出てきて、かと思うとダダがでてきてシュルレアリスムが生まれて……、とまぁ、~主義もめまぐるしく変わっていく。ピカソのように、いろんなところに顔を出す人まで出てくる。
(2)のコンセプチュアル・アートもそうした運動のひとつなんですが、70年前後から、そんなふうにひとつのグループに括れない人たちが増えてきた。とくに~理論っていうのももっているわけじゃない。作品によって、スタイルもころころ変わっていく。

で、こういう人たちの芸術(絵画だけではなく、インスタレーションっていって、空間全体を作品として提示するようなものなんかもあります)を総称して、コンテンポラリー・アートと呼ぶわけです。
シカゴ・コンテンポラリー・アート・ミュージアムのページ、貼っておきます。
英語だけど、クリックしていろんなとこ、見てください。
おもしろいと思うんだけど。
http://www.mcachicago.org/

(2),(3)コンセプチュアル・アートとコンセプチュアル・アーティスト
日本語で言うと(言う人がいるかどうかはともかく)、概念芸術。
つまり、作品よりもコンセプトが命!っていうものです。

普通はコンセプチュアル・アートには含まれないんだけど、マルセル・デュシャンっていう人が、男性用便器をひっくりかえして“泉”とタイトルをつけて展示した。
大量生産品であっても、アーティストの手にかかれば芸術作品である、と証明したわけです。
デュシャンのこうした思想が先駆けになって、1969年、ジョゼフ・コスースが『哲学以前の芸術』を発表し、コンセプチュアル・アートのコンセプトっていうのは、芸術そのものの本質を問うことだ、とぶち上げた。

これがコスースの作品のひとつです。
http://www.guggenheimcollection.org/site/artist_work_lg_79_1.html

びっくりした?
ものと言葉、イメージを問い直す、っていう趣旨なんだって。

なんといっても一番有名なのがオノヨーコさんです!
http://www.ago.net/www/information/exhibitions/ono/guide/about_yoko/index.cfm

いまも活躍している日本人といったら、河原温かな。
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/review/0315/exhibi0315.html
ここにはコンセプチュアル・アートの説明もあわせてしてあります。

とまぁこんなあたりでいかがでしょうか。

こんにちは。
今日質問に気がついたので、亀レスでございます。
softlyっすか……。
ま、やってみやしょう。

(1)コンテンポラリー・アート:contemporary art
むりやり日本語にすると、同時代芸術ということになるんでしょうか。
だいたい60~70年代からいまにいたるまでの芸術をすべて指します。

たとえば印象派ってあるでしょう、モネとかセザンヌとかゴッホとか、有名な画家がたくさんいますね。
正確に言うと、モネやルノワールは印象主義、セザンヌやゴッホは後期印象主義に属します。
美術史では...続きを読む

Q現代美術の定義

 現代美術って何でもあり、だと思っていましたが、実はそうではないらしいのです。現代美術にもルールがある、というようなことを本で読みました。(そのルールについては書かれていなかったので)「こういうのが現代美術だ」という定義って(たとえ暗黙、漠然としたものでも)あるのですか?それとも、なんとなく新しくて、いままで見たことない作品で、なんだかわからないけどカッコイイからOKなんでしょうか?

Aベストアンサー

現代アートに『ルール』はありません、というかアートにおいて『ルール』は存在しないのです。例えば、音楽であれば、『音階』『リズム』で構成さているので、それが構成上の「ルール」になりますよね。数学だったら、微分*積分の『式』といったものが「ルール」、、、等。けれど、こと美術においては、表現方法も、意図する事も千差万別なわけで、ルールは決めようありあせん。もし「ルール」が存在するなら、それは作家個人個人の心の中にだけでしょう。例えば絵画において、「この大きさで、この絵の具を使って、これを表現しなければならない」といったルールがあったとしたら、、それは作家個人が意図したものではなく、命令、もしくは機械のごとく表現させられている事になってしまうのです。例えば、富士山を描く際、画家はそれぞれの思い、感じ方でその表現方法を決定していくので、完成品の中で一つとして同じものは存在しません。もしこれが決められたコンセプトや方法を他者から求められたのであれば、それはアート(芸術)ではなく、何かのプロパガンダ、宣伝になってしますうのです。またはコピー、贋作となります。それの一番顕著な例が、ロシアの構成主義であったり、ヒトラー占領下時代の絵画展であったりします。
現代アートとは、美術史上、特に平面も立体も既に垣根を越えてしまい、ボーダレスになってしまった今、もうなんでもありありで(表現方法が)もうひとくくりにできない、けれど、印象派、フォービズムというようなこれといった一つにくくる言葉が見つからない今の時代の「総称」としてお考えていただければと思います。だからこそ、似非も多いしはったりも多いし、『なんとなく現代アート?って感じ』みたいなわけわかんないものが多いのです、、、。   いってしまえば、それだけ見る側に、本物を見分ける真価が問われはじめてきてるんだと思います。

現代アートに『ルール』はありません、というかアートにおいて『ルール』は存在しないのです。例えば、音楽であれば、『音階』『リズム』で構成さているので、それが構成上の「ルール」になりますよね。数学だったら、微分*積分の『式』といったものが「ルール」、、、等。けれど、こと美術においては、表現方法も、意図する事も千差万別なわけで、ルールは決めようありあせん。もし「ルール」が存在するなら、それは作家個人個人の心の中にだけでしょう。例えば絵画において、「この大きさで、この絵の具を使っ...続きを読む

Q「現代アート」の定義

「現代アート」の「現代」って何年からのことですか?
また、それも含め定義はあるのですか?
小さい頃は「現代アート」=「新しい表現をしたもの」
という風に何となく捉えてたのですが
今はありとあらゆる表現がなされていて、
特に「新しい!」と感じる事がほとんどありません。
それでも「現代」という言葉を使いますか?

Aベストアンサー

 現代、というのは同時代、ということですので、いつから、ということではなく、時が経てばそれ自体変わっていくものでしょう。
 もし区切りを作るとしたらある時代を代表するアーティストが生きている内はその作歴が概ね現代、といって良いでしょうし、そうした人はわりと同時期に数人登場したりするのでその世代と共に現代の定義も移っていく、と考えても良いかもしれません。
 そういうわけで、現代=新しいというのは必須ということでもないと思います。
 音楽においても60~70年代には現代=前衛的だったものが80年代頃から揺らぎ始め、90年代には調性の復活(勿論元のままではありませんけれど)など寧ろ聴き易いやや古典復古がもて囃されるようになりました。
 元来新しい芸術運動は実は古典回帰を唱えていることも多く(ルネサンスなどが典型例)、より良いものを作ろうと精進した結果が新しいものを産み出していく、とも言えます。
 前衛的なものは結局発想の新しさを競うだけになり勝ちで、それを100年後に価値あるものと見なせるかどうかについては疑問もあります。
 様々なベクトルへの揺れを経つつ、その中から真に時代を超えて残り得るものが現れてくる、時と共に振るい分けられていくものなのだと思います。
 「現代」アートにおいてはそうしたものが産み出される瞬間に立ち会える可能性もある替わりに、玉石混淆種々のレベルのものが同居していることで良いものを見つけにくいということもあるのではないでしょうか。

 現代、というのは同時代、ということですので、いつから、ということではなく、時が経てばそれ自体変わっていくものでしょう。
 もし区切りを作るとしたらある時代を代表するアーティストが生きている内はその作歴が概ね現代、といって良いでしょうし、そうした人はわりと同時期に数人登場したりするのでその世代と共に現代の定義も移っていく、と考えても良いかもしれません。
 そういうわけで、現代=新しいというのは必須ということでもないと思います。
 音楽においても60~70年代には現代=前衛...続きを読む

Q「プロデューサー」と「ディレクター」の違いについて

 テリー伊藤氏の或る本を読んでいたら、次の一節が出てきました。
  「テレビ業界にも、ディレクターとしてはダメだったけれどもプロデューサーとしては優秀だという人たちが少なからずいる」
 これってどういう意味なんでしょうか?
 プロデューサーは「企画する人」、ディレクターは「指示を出す人」だというのはわかるんですが、プロデューサーは自分の頭の中に企画のイメージやアイデアがあるということで、ディレクターの代わりにディレクションをすることはないんでしょうか?
 また、「プロデューサーとしてはダメだったけれどもディレクターとしては優秀」というのならなんとなくわかるんですが(自分で企画を立てられるほど発想が豊かでない、アイデアマンではないけど、他人に指示を出すのはうまい)、その逆ってどうも今ひとつイメージできません。
 テレビ業界に限らず、映画・アニメ・音楽などの業界での話として、どなたか説明してくださる方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんばんは。

まず、

>「プロデューサーとしてはダメだったけれどもディレクターとしては優秀」というのならなんとなくわかるんですが(自分で企画を立てられるほど発想が豊かでない、アイデアマンではないけど、他人に指示を出すのはうまい)

という認識が、理解を妨げている気がします^^;

ディレクターとは、No.3の回答者さんが仰る通り、演出を行なう者の事です。
演出とは頭の中の考えを表現する事ですから、それこそ『発想が豊か』かつ『他人に指示を出すのがうまい』事が求められます。

一方、「プロデューサー」が行なう事は、制作全般の運営・管理です。
企画立案、資金調達(企画売り込み営業等)、スタッフや出演者のキャスティング、スケジュール管理、予算管理、作品のクオリティー管理などなど。
従って、プロデューサーはこれら制作管理の立場から、場合によってはディレクションに口を出すこともあり、ポジションとしては紛れも無くディレクターの上司に当たります。

即ち、ディレクターは演出力のみ発揮すれば良いですが、
プロデューサーは制作の全責任を負う職務な訳です。
従って、これまで投稿された回答がプロデューサーを軽んじてるように思えるのが少し気になるところです。
とりわけ、企画を通す、とか予算を引っ張って来る、なんて事はどんな業務より困難なのは明らかですよね。

しかしながら、以上は理想であり建前です。
現状は演出力のないディレクターや何もやらないプロデューサーを大勢見てきました。
ですから、『プロデューサーは「企画する人」』というのは、本来は間違いではありませんが、自分で企画を起さない人も多数いますから、むしろプロデューサーに絶対必要な資質というわけではないのでしょう。
現にテリー氏の会社には構成作家を何人も抱えていて、プロデューサーが企画を立てたい時は彼等を自由に使える仕組みになっています。

「営業」も然りで、テレビ局等との関係によっては勝手に仕事が舞い込む場合もあったりして、自らの営業力を発揮しないプロデューサーも少なくありません。

では、テリー氏の言う優秀なプロデューサーとは何を指すのかと言うと、
『企画を“然るべき”作家に立てさせる』
『その企画を“然るべき”スポンサーやテレビ局に通して資金を調達する』
『企画を遂行できる“然るべき”スタッフや出演者をブッキングする』といった、
当該企画に必要な“然るべき”人物達を見極められるだけの十分な【人脈】と、
それらと折衝を行ない使いこなす【コミュニケーション能力】ではないでしょうか。

私が業界に入った当初、私の師匠から「ディレクターになれなくてもプロデューサーにはなれる」と教わりました。
その意図するところは、ADや制作進行、助監督など(現場によって呼び名や職務は様々ですが)下積み業務をこなしているうちに自ずと制作管理全般の知識は身に付き、加えて、多くの人々に出会い人脈も構築できる。だから仮に演出能力がない場合に備えて人望を磨いとけ、というものでした。
ちなみに、テリー氏と私の師匠は元同僚なので同じ教育を受けて同じ考えを持っていても不思議ではありませんし。

加えて、
他の方々も指摘してらっしゃる通り、ディレクター達は往々にしてコスト意識が薄く、
それに対してプロデューサーは「金がかかり過ぎ!」などと怒ったりぼやいたりするのが常ですが、ディレクターのアイデアが実現できるように立ち回りつつも、同等の効果が得られしかも安く上がるような提案を積極的に行なうようなアグレッシブな予算管理を行なう事なども良いプロデューサーの資質だと思います。
また、それをしないと商業映画のプロデューサーなら即失格でしょう。

それから、

>ディレクターとしてはダメだったけれどもプロデューサーとしては優秀

ご承知かも知れませんが、
プロデューサーになるには必ずディレクターを経るというわけではなく、ディレクターを目指して業界入りしても修行半ばでプロデューサーに目標を変える人や、最初からプロデューサーを目指して業界入りする人も大勢います。
要するに、ディレクターはプロデューサーへの通過点ではなく、
プロデューサーはディレクターの成り損ないでもないという事をご理解下さい。

こんばんは。

まず、

>「プロデューサーとしてはダメだったけれどもディレクターとしては優秀」というのならなんとなくわかるんですが(自分で企画を立てられるほど発想が豊かでない、アイデアマンではないけど、他人に指示を出すのはうまい)

という認識が、理解を妨げている気がします^^;

ディレクターとは、No.3の回答者さんが仰る通り、演出を行なう者の事です。
演出とは頭の中の考えを表現する事ですから、それこそ『発想が豊か』かつ『他人に指示を出すのがうまい』事が求められます。

一...続きを読む

Q「○日までに」の意味、その日は含むor含まない?

提出期日などで、「20日の会議までに提出」という文章の場合、20日は含まれるのでしょか。それとも含まれなくて、19日のうちに提出しなければならないのでしょか。「までに」という言葉は、その日も含むのかそれとも含まないのか疑問です。「以下」と「未満」のように、対象となっている数字などを含む・含まないが明確に決まった言葉なのか、それとも含む・含まないは、その使われ方によって異なるのか教えてください。

Aベストアンサー

「まで」は、時・所・事態の終点(到達点)を指す概念なので、「○○まで」と言った場合「○○」を含みます。
例えば「新幹線で新大阪まで行く」と言った場合、一つ手前の京都で降りるわけではありません。
また、14時からの会議があるとして「会議の30分前までに提出しなさい」と言えば、13:30ジャストが提出期限になります。
したがって、「20日の会議までに提出」と言えば20日に出せば十分です。

【以下余談】
このように「まで」の意味自体は明確ですが、会議というものは普通始めるまでに色々と準備があります。これが会議での発表資料の作成を上司が部下に命じたケースだった場合、上司自身が事前に目を通しておく必要もあるでしょうし、出席者の人数分をコピーして予め全員の席に配布しておかなければならない場合もあります。しかもその資料が相当なボリュームだった場合は・・・?
もし上司が「20日の会議までに頼む」と言った場合、そういった諸々の作業も含めて “会議に間に合うように” 提出せよという意味に他なりません。会議直前に持って行けば確実にどやされますし、「だって “会議までに” って言ったじゃん‥」などと言えば、間もなく人事から解雇予告があるものと覚悟しましょう ( ^^;

「まで」は、時・所・事態の終点(到達点)を指す概念なので、「○○まで」と言った場合「○○」を含みます。
例えば「新幹線で新大阪まで行く」と言った場合、一つ手前の京都で降りるわけではありません。
また、14時からの会議があるとして「会議の30分前までに提出しなさい」と言えば、13:30ジャストが提出期限になります。
したがって、「20日の会議までに提出」と言えば20日に出せば十分です。

【以下余談】
このように「まで」の意味自体は明確ですが、会議というものは普通始めるまでに色々と準備があり...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q重いタバコ、軽いタバコの違いって?

私は喫煙者なのですが、健康も気になるので1mmのタバコを吸っています。
最初は8mmのタバコを吸っていたのですが、止めようと思い、まずは軽いタバコに変えようと思って、今に至ります。
すると友人から、軽いタバコも重いタバコも体への影響は変わらないよと言われました。
本当に軽い、重いは体への影響は変わらないのでしょうか?
また、8mmを一本吸う=1mmを8本吸う なのでしょうか?
止めるに越したことはないのは分かっているので、タバコを吸うことを前提に誰か教えてください。

Aベストアンサー

どうも…同じく喫煙者です。
友人の言う「軽いタバコも重いタバコも体への影響は変わらない」と言うのは一理あります。
それは、
1mgタバコと8mgタバコの一番大きな違いは中の葉ではなくフィルターにある事と
1mgと測定する方法に誤りがあるという事から言えます。

1mgタバコはフィルターが長くなっていたり、空気が混ざるように穴があいている事で調整しているのがほとんどです。
ですが実際に吸う時は指にはさみますから穴を塞いでしまうことが多く効果が充分なのかが疑問視されていますし。酷い方はフィルターを外して吸ってしまったりとさまざまです。

次に、タールニコチン量の測定は、含有量ではなく特殊な装置で実際に火をつけて
何秒ごとに何秒間吸って…と言う方法で測定していますがここにも問題があります。

この測定は、実際の喫煙ペースよりもかなりゆっくりしたペースで吸引しています。
それに、肺の中の滞在時間等は人それぞれですので1mgという数値は単なる目安にしかなりません。

喫煙者は、体内のニコチンが減ってくるとタバコが吸いたくなります。
ですから当然1mgにするとそれを補おうと本数が増えたり肺の中の煙の滞在時間が長くなります。
当然タバコの量が足りないという自覚症状がなければ8mgタバコを吸う時と同量のニコチン量を摂取しているので影響は変わらないと言えるでしょう。

ここからは私見です。
本当に吸いたい!ではなく「何となく吸う」事が多い方には1mgタバコの方が良いと言えます。
ただし、タバコの煙は実際に吸引するほうではなく先から出る煙のほうに害があるので
重いタバコの方が1mgタバコへ移行されればそれだけ喫煙時間が長くなる恐れがあるため、軽いタバコを長い時間吸うよりは、重いタバコを短時間で吸った方が害は少ないと思います。

どうも…同じく喫煙者です。
友人の言う「軽いタバコも重いタバコも体への影響は変わらない」と言うのは一理あります。
それは、
1mgタバコと8mgタバコの一番大きな違いは中の葉ではなくフィルターにある事と
1mgと測定する方法に誤りがあるという事から言えます。

1mgタバコはフィルターが長くなっていたり、空気が混ざるように穴があいている事で調整しているのがほとんどです。
ですが実際に吸う時は指にはさみますから穴を塞いでしまうことが多く効果が充分なのかが疑問視されていますし。...続きを読む

Q映画を観る? 見る

映画館へ映画をみにいくと
時に
見る 観る どっちが正しいですか?
それともどちらも正解ですか

Aベストアンサー

どちらも正しい。国語辞典風にいうと基本は「見る」でOK、観るとも書くとなっていると思います。
つまり見るという単語は汎用性のあるものと解釈すれば分かりやすいかと思います。
こういったことは国語辞典を見れば簡単に書いてありますのでこれからはまず辞書を紐解いてから聞いた方がいいかもしれませんね。
では。

Q「黙示録」って何ですか?

カテが分からないのですが、「黙示録」ってどういうものですか?

Aベストアンサー

 黙示はギリシャ語で「覆いを取り去る」「隠されていたものが明らかにされる」つまりは啓示を意味していて、紀元前3世紀頃から紀元後数世紀のいわゆる後期ユダヤ教の内外で起こった文学運動を「黙示文学」といいます。一番有名なのは、新約聖書にある「ヨハネの黙示録」なのですが、旧約聖書の「ダニエル書」も黙示文学として分類されています。

 現代において「○○黙示録」などと使われる場合、終末的な記述や人間の絶望的な状況の記述がある場合に用いられていることがよくあります。それは「ヨハネの黙示録」の影響が少なからずあると思いますが、厳密な意味での黙示文学とはほとんど関係ないと考えていいと思います。


人気Q&Aランキング