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嫌いと差別の境界線がうまく分かりません。
恐らく個人的な感情の範囲と社会的に影響を及ぼすか否かだと思うのですが以下はどうでしょうか?

外国人を例に出させていただきます(不快に感じられたら申し訳ありません)

・外国人は嫌いだから関わりを持ちたくないと思う、しかし道を尋ねられると教える。

・外国人は嫌いだから関わりを持ちたくないと思う、道を尋ねられても無視する。

・嫌いだから身近な人にも同調してもらうべく悪口を言う。

・自国の人間が罪を犯すと個人として咎めるが、外国人の場合は「これだから」と一括りにして咎める。

A 回答 (9件)

『外国人は嫌い』がすでに差別です。



宗教じみた偏見で、それに関連する全てを否定することが 差別だと自分は思います。
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4つとも、すべて差別でしょうね。


理由は、学校で同じことを皆でやれば、間違いなくいじめですから。
仲間外れと感じた時点で、多くの人は尋ねることすら困難になります。

嫌いじゃないという人に対応を任せればいいじゃないと思うかも知れないが、それは消極的な共犯者。
嫌いなことには理由があるいうのは、言い訳に過ぎず、多くは自己正当化のため。

ただし、この例の場合、犯罪には該当しません。
この程度で、社会問題化するとは思えませんから。
逆に、社会問題化するような対象の場合は、いじめやセクハラのような扱いとなるでしょう。
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嫌い、というのは感情です。


これに対し、差別というのは、言動において
差別することです。

だから、これは次元が異なります。

つまり、嫌いというのは差別の動機の一つに
なることがある、ということです。

嫌いは感情ですから、言動として表に出さなければ
差別にはなりません。


・外国人は嫌いだから関わりを持ちたくないと思う、
しかし道を尋ねられると教える。
   ↑
差別ではありません。
言動に出していないからです。


・外国人は嫌いだから関わりを持ちたくないと思う、
 道を尋ねられても無視する。
    ↑
言動に出していますので、差別です。

・嫌いだから身近な人にも同調してもらうべく悪口を言う。
   ↑
同じく差別です。

・自国の人間が罪を犯すと個人として咎めるが、
外国人の場合は「これだから」と一括りにして咎める。
    ↑
差別です。


ある黒人の活動家が次のようなことを指摘して
いました。

白人が何を考えていてもそれは問題無い。
心の内は自由だからだ。
それが表に出て、就職で差別する、という
ようなことが無ければ問題無い。
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>・外国人は嫌いだから関わりを持ちたくないと思う、しかし道を尋ねられると教える。



これは普通の事でしょう。私の場合、外国人全般ではなく朝鮮人が嫌いです。しかし道を聞かれれば
普通に教えています。道ばかりでなく他のものでも教えるときは他の外国人へと同様に教えています。

>・外国人は嫌いだから関わりを持ちたくないと思う、道を尋ねられても無視する。

これも構わないと思いますが、了見の狭い人間のすることだと思います。

>・嫌いだから身近な人にも同調してもらうべく悪口を言う。

この「悪口」というのが問題です。実際より悪くいうのであれば×、本当のことを言うのであれば
〇であろうと思います。誹謗中傷というのはいけませんね。しかし泥棒した人のことを「泥棒した」
といっても「悪口」とされることもありますので、そういう「悪口」は構わないでしょう。
で、悪口を言うのにどうして身近な人に同調してもらわないといけないのでしょうか。
他人の同調を求めないと「悪口」の言えない人は器が小さいと思います。
正しいことを言っているという自覚があるなら、原則は「千万人と雖も吾往かん」の気概をもって
言うべきでしょう。こそこそと陰口叩くことしかできないのであれば、心の隅にやましいところが
あるのだと思います。

>・自国の人間が罪を犯すと個人として咎めるが、外国人の場合は「これだから」と一括りにして咎める。

これも場合分けが必要でしょう。日本人が日本国内で罪を犯せば、粛々として処罰されます。
外国人がその本国で罪を犯すのも同様です。しかし外国人が日本で罪を犯すのは日本人が日本で罪を犯すのと
意味が違います。日本が外国人の入国を認める場合、その外国人が善良で無害、もしくは有益な方であると信頼
しているからです。その信頼を裏切るなら当然国外退去命令を出して当然です。どこの国も、邪悪な外国人を
受け入れる義理はありません。日本も当然です。
しかし直ちに「だから外国人は」と十把一絡げに言うのはよくないですね。とはいえ、その頻度が多いのであれば
特定外国人のことを「だから××人は」というのも当然ではないですか。それぞれの外国人は自分の国籍という
ブランドを背負っているわけですから。

例えば、在日朝鮮人は凶悪犯罪(殺人、強盗、強姦)発生率が人口比で日本人の3倍以上です。生活保護受給率も
同様に3倍以上です。こういう客観的数値を以て朝鮮人を嫌う人が出るのも仕方ないと思います。
もしですよ、Aというメーカーの家電製品が3倍も壊れやすいならば、A製のものは避けるでしょう。それを
言いふらすのではないですか?レビューとか読むと、そこまで行ってないと思われる製品に対する「悪い」評価が
満載されていますね。三菱の軽自動車の5月の販売実績は0だったそうですし。蓼食う虫も好き好きとは言いますが
1億3千万人の日本人が完全に嫌ってしまいましたね。
自己防衛のため、特定国籍の外国人の犯罪が多い場合は「これだから〇〇人は」もありだと思います。
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それは、よく言う、区別と差別の違いが参考になるのでは無いでしょうか。



区別
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/62788/meaning/m0u …
[名](スル)あるものと他のものとが違っていると判断して分けること。また、その違い。「善悪の―」「公私を―する」

差別
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/89144/meaning/m0u …
2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって―しない」「人種―」

分類上必要なものや客観的な事実は区別だと思います。例えば、女子トイレ、男子トイレを分ける。女性より男子の方が力がある傾向があるという事実。
それに対して、合理性の無い差を付けることや誤った評価は差別だと思います。
例えば、ある国では女性は大統領になれないという決まりがあるとします。これは差別です。

このように、嫌いに合理的な理由があるかどうかが分かれ目と考えるのはどうでしょうか。
相手を嫌う合理的な理由・・・例えばお風呂に入っておらず悪臭が酷い、人の悪口を言う性格などが考えられるでしょう。
(ちなみに、「生理的に嫌い」というのは理由が述べられていないため、当然ながら駄目です)
つまり、次のように考えられると思います。
・相手を嫌ったり、ある対応をする合理的な理由があれば、単に嫌いなだけで問題が無い。
・相手を嫌ったり、ある対応をする合理的な理由が無ければ、差別であり問題である。

上記のように考えてはどうでしょうか。例を見てみましょう。

>・外国人は嫌いだから関わりを持ちたくないと思う、しかし道を尋ねられると教える。

>・外国人は嫌いだから関わりを持ちたくないと思う、道を尋ねられても無視する。

外国人という一括りで嫌いというのは合理的な理由が見えません。国も民族も色々あるからです。親日国もあります。反日国もあります。
ゆえに、上記どちらの例も差別と言って良いのではないでしょうか。
反中国論者、嫌韓論者、反米論者のように理由があるなら良いと思います。
それでも、道を聞かれたときの対応は思想とは関係がありません。韓国に対して竹島を返せと思っていても、目の前の韓国人を無視する理由にはなりません。無視しても竹島は返ってきません。
道を尋ねられても無視するというのは差別になるでしょう。

>・嫌いだから身近な人にも同調してもらうべく悪口を言う。

自分が嫌いだから同調してもらうべくというのは、やはり合理的な理由が見えてきません。
それはただの個人的なストレス解消か愚痴ではないでしょうか。見苦しい気がします。
同じ思想の仲間を増やすために、政治や外交の観点から話をするのは良いと思います。例えば、最近のどこ国の政策はこのような問題が~などの話です。

>・自国の人間が罪を犯すと個人として咎めるが、外国人の場合は「これだから」と一括りにして咎める。

これはダブルスタンダードでありやはり見苦しいです。差別でしょう。


ここからは個人的な想いが強くなります。
私は差別というのは、現実無視や現実逃避の働きだと思っています。自分が嫌だから見たくない、知りたくない、関わりたくない、存在を認めたくない、視界から排除することで欺瞞でも自分の周りを”ユートピア”に見えるようにしたい、自分の周りを美しいものに見せかけたい・・・。そういう事だと思います。
井沢元彦という作家は、日本には穢れ思想や言霊思想(悪い物を連想する縁起が悪いものを差別)による軍隊差別があると主張しました。
個人的に思うのですが、そういう嫌なものを見るとか連想するのが嫌だから差別するというのは、古今東西どの分野でもある悪弊なのではないでしょうか。階級主義、階層主義、ヘイト、生まれ、上流と下流(底辺)・・・など色々な差別。

なので、話が戻ると、その相手を客観的視点・公平・平等な視点できちんと見た上で、合理的な理由に基づき嫌いだと言いましょう、相手をきちんと見ないで合理的な理由も無く嫌いだというのは差別です。
嫌いというのは感情ですが、知性や理性を置き去りにして良いものではありませんし、きちんと相手を見た上で語れるものです。
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その4つ、どれも差別になりません。


最後は差別ではなくて、偏見や無知に近いです。

差別は、道案内をしている時に相手が「外国人」だと知ったら辞める、普段は道を尋ねられても無視するのに外国人だったら応える、となります。
加えて、外国人だから外国人をなくそうと、国交を閉ざしたり、国籍を無理やりに変更させたり、等の行為がヘイトなのだと思っています。
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キライ、は個人の感情の自由ですよね。

嫌う事由がありますよね。なので1点目は差別ではないと思います。

差別、は相手の人権を侵害することだと思います。
・同調してもらうべく悪口、はいじめと同じで、人権の侵害で差別だと思います。
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嫌いと思うこと自体、そもそも自分の勝手な判断です。



自分の考えや価値観、生理的な要素を中心にして、
自分と合わないから嫌いって思ってるだけですからね。

他人からしたら、「知るか」って話で。
なんで、アンタに合わせなきゃなんないのさ?って感じで。


なので、③にしても④にしても、
心の中で、どう思うかは自由だと思いますけど、

それを表面化して、
自己中心的な意見(この場合は好き・嫌い)を他人に押し付けたり・巻き込んだり、
それが「当たり前」とか「普通」とかって勘違いしたあげく、

人前で、人を傷つけるようなことを言ったり、仲間はずれにしたり、
ケガを負わせたりするのは差別・イジメに入ると思います。

一括りにして判断する事そのものが、そもそも視野が狭い人の発想ですからね。


世の中のどれだけの事を見て、知っているのか、逆に聞きたいくらいですもん。

一括りにして、「これだから女は…」とか「これだから◯◯人は…」とかってね。
『アンタ、女をどれだけ知ってんのさ?』って思いますしね。
たいして知らないでしょうよ…って。


思いたくなるのはわかりますし、思うのは勝手ですけど、
それを口にしてしなったら、
少なからず腹が立ったり、嫌な思いしたり、悲しい思いする人が出てきますから。
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嫌いというか「差別」と「区別」ですね。


嫌いになる理由が具体的にはっきりしていて、それが人間として改善できる内容ならば区別になるでしょう。

「外国人だから」なら差別ですね。
でも、「この国の人の慣習がいや」なら区別になるかもしれません。
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