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http://news.ameba.jp/20160202-1055/

今日の昼時に、公園のベンチで、脳死とされた人からの心臓移植を断ったという人と話す機会がありました。
何だか、考えさせられてしまいました。

「心臓移植でしか助からないと医者から言われているんです、息子は、で、やっと移植できる心臓が回ってきたんですが、それは脳死の人の心臓だそうで、息子は、脳死の人からの心臓提供は絶対に受けないって言っていたんです…、脳死でない心停止の人からの心臓移植、この遭遇確率なんて殆ど0%に限りなくマァ有り得ないだろうとは理解していたけれど、いざ移植できる心臓が実際に出てきて、でもソレは息子が絶対否定していた脳死の人の心臓、動いて呼吸している人から、脳が死んでいるとかという理由や解説だけで、この人から心臓を取り出して、移植されて、コレその瞬間の時をもって、この人の心臓が脈打たなくなり、その結果この人は完全に息の根を止められ、火葬される、そんなコトしてまでも生き長られたいとは全く思わない…、脳は死んでいるかもしれないけれど、心臓は脈打って動いているんだから、この脳死とされている人の家族の人々には、どうか息の根を人工的に無理矢理に止めないでほしい、0.0001%でも奇跡を追求してほしい、それが息子の本心なんです、例えこの脳死になった人が生前に移植の許可を表明し、それを遺族も認めているとしても、そんなコトで延命なんてしても、息子は絶対に喜ばないし、逆にアレだけ言っていたのに何というバカなことをしてくれたんだ…、これ明らかにそうだろうと思うし、息子ってそんなコンな信念の奴だったんです、ですから、結局このたびの心臓移植は断ったんです、でも、これで本当によかったのか、息子を騙してでも、やっぱり移植手術して息子の命を…、一昨日、息子は死んでしまいましたんで…、何だか答えの無い複雑な感じがしてしまって…」

何だか、久しぶりに深く考えさせられました、この親父…、コレでよかったんでしょうか?それとも、息子を騙してでも…。

教えてください。
勿論ご意見でも結構です。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

私はがん患者です。


4年前に最初手術を受けその後に2回の転移、その手術を繰り返し
死を覚悟しました。

心臓病に限らず死を覚悟する病気は
年齢、性別に限らず死と向き合うことになります。
最初はショックでノイローゼ、鬱状態になりますが
少しづつ受け入れることになります。
なぜ受け入れるか?

それは、何度も裏切られたからです
手術が成功しましても、数か月後の検査で肝臓に影が見つかる
を何度か経験すると
あまり希望を持たず「また再発したのかな?」ぐらいで構えないと
精神が持たないのです。
ジェットコースターのように天国と地獄を繰り返すと
そのショックを和らげるために「あきらめ」を持つのだと思います。
息子さんの年齢がわかりませんが、ある意味で悟りを開いているのです。

10数年前から、未成年者や特例を除いて
ガン患者に対して告知するようになりました。

そのことで医師のストレスは減りましたが
がん患者の自殺が増えました。
これも悟りなのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/28 09:55

脳死でない人からの移植はあり得ないのですから移植医療を受け入れないということですね。

つまり、人の生死を脳死だけで決め付けることへの受け入れ難い心情で生命に対するとらえ方が息子さんは脳死だけではないとお考えだったのでしょう。日本人の死生観に少なからず脈がある内は死んでないんだというのがあると思います。それが脳死、即死という論理の欧米とは違うところで日本人が心臓移植を受け入れない素地があるような気がしてなりません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/28 15:05

リンク元のアメーバ記事はテキトー過ぎる内容なので評価するほどではない。



 お父さんの判断は正しいと言えるのか?
 これは個人の倫理観、道徳観、思想の違いから来ると思われるのでどれが正しいとは他人からはなんとも評価しがたい。

 宗教によっては他人からの血液の輸血でさえ拒否する人たちもいるくらい。

 なぜ日本では心臓の移植医が遅れているのか?
 昔の北海道で実施された心臓移植、俗に「和田移植」を巡っていつまでも結論が出せなかったことによるのだろう。

>和田心臓移植事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0 …

 当時の医療水準では確実に脳死と判断するだけの技術が足りなかった。
 臓器移植法案が施行された後でもとある新聞紙は断固として反対していましたが。
※政府の政策をすべて批判することが主旨の新聞なので医学的根拠はない。


 心臓を移植することで他人の生命を奪っていると言えるのか?

 脳死判定と言うことはその患者はいつか完全に心肺停止することは経験的に知られている事実。

 人工心肺装置を停止させるとおよそ5分、平均して20分程度で自発呼吸は停止します。

 およそ回復する見込みはない。

 さきの新聞では低体温療法を実施すれば治るとしているが、事実無根のいいがかりというものです。


 現実問題、移植手術を受けるとなると手術費用が高い。
 日本国内で治療を受けた場合9000万円、海外で治療を受けた場合は1億5000万円ほどかかるとされている。


 こういった内容で良いであろうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/28 09:54

こんばんは。



思うに、心臓移植などは、「本人の希望以上に家族の希望が
大きい」と思うのです。家族は「生きてもらいたい」と考え
たのでしょう。

しかし、本人には本人の都合があると思うのです。今現在ま
ともな運動は出来ないでしょうから肉体はへろへろ状態でしょ
う。手術には小さくない失敗確率がついてまわり怖いでしょ
うし、移植成功しても未来がどうなるかも保証されないと思
うのです。だったら移植せずに「(静かに)死にたい」とい
う考えをもっていても不思議ではないと思うのです。

死にたいと思ってる人間なら死なせてあげればいいと個人的
は思いますが、その人の状況、残される家族の状況によって
違うとは思います。どちらにすべきかは事情を知らない他人
(=私)がいうべきことではないでしょう。

ただ「脳死の人からの心臓提供は絶対に受けない」というポ
リシーは一般的なのか、実は上に書いた「もう生きたくない」
ではないか、と思うのですけども。


>この脳死とされている人の家族の人々には、どうか息の根を
>人工的に無理矢理に止めないでほしい

脳死の場合、「人工的に息の根を止める」ではなく、延命装
置を止めたらほっといても死ぬ、だと思うのです。何もしな
いと(火葬されて)灰にしかならない、今使える臓器だけで
も移植出来れば、家族からみて、この世に生まれてきた証に
なるという考えだと思うのです。

そのポリシーで、用意していた心臓が移植できなくなってし
まったならその家族が結果を聞いたら物凄く微妙に思うので
はないか(実際は移植結果や誰に移植したか等は知らされな
いんですよね?)、と思ってみました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/28 09:53

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