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1. 人間たるわれらが自由意志は 復讐する自由度を持つ。その自由度を用いないのは 
どうしてか?

2. じっさいに復讐を自分でおこなう人間はいる。それは 自由意志の自由度を用いた
のか?

3. われわれには 復讐しない自由度もあるということか。

4. 人間が自分で復讐する自由は ほんとうの自由ではないということか?

5. それとも 神が何と言おうとそんなことは関係ない。か?

6. 神が復讐をしてくれるのだろうか?

A 回答 (7件)

返信



>≪バーチャルなまぼろし≫ ですか。これは――つまり
まぼろしは―― 便利なことばであり たとえば神のことを
表わす≪霊≫のことを示すことが出来るかも知れない。

たぶん同じことをイメージしているのだと思います。
「神」という、人の取りようでいかようにも姿の変わる、いわば「空想的思い込み」のことですから。
なので、神論議はまとまりのつかないことが多いですね。
それぞれ人によって「神」そのものが違うわけですから。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ いわば「空想的思い込み」のことです
☆ あぁ。この定義には 抵抗します。

もし≪空想的≫であろうとなかろうと(つまりは 具体的な経験事実
であったとしても という意味ですが)

≪思い込み≫であるなら その≪思い≫という・やはり経験事実のこと
を言っています。

神をわれとの関係は たしかにわれが 神の名を心に受け容れると
いう意志行為として(つまりは 経験事実として)成り立つことで
はあるのですが

そうなのですが ところが 心に受け容れるのは ただ・仮りのシル
シとしての名だけです。キリストならキリスト ブラフマンならそれ
として・あるいは ≪無い神≫なら 無い神として 受け留めている
だけのことです。

要するに神は 人間には 分かりません。分かるから分からないかが
分かりません。

だから 霊と呼びます。ナゾだという意味です。だから まぼろしと
いう言葉を使うときもあるかと考えます。

ですが それが何であるかが分からないナゾを どうやって≪思い込
む≫のでしょう? 

そのシルシなら――ブッダだとかアッラーフだとかのシルシなら――
思ったり想像したりすることが ひょっとすると出来るかも分かりま
せんが シルシが示す神そのものについては 無理です。

分からないナゾをどうして認識し得ましょう?



★ それぞれ人によって「神」そのものが違うわけですから。
☆ これについては ふたつコメントすることがあります。

ひとつは 神はナゾなのですから 人によってどういう中身の神を思
っているのか? これは これも じつは分からないのです。

人それぞれに抱く神は 互いに違うか? その違い自体にしても 分
からないのです。

分かったら それは 人間のつくった(想像した)概念や観念として
の神のことです。つまりは 定義を一致させるようないわゆる宗教の
オシヘとしての神です。

これは 人間の想像物・思考の産物です。神ではありません。

もうひとつは 人それぞれに神をいだくというとき いま言って来て
いるように霊としてのナゾのことであるなら どんな名前をそれにつ
けていたとしても それは 基本的に≪普遍神≫である。

つまり みんな同じひとつの神である。つまり それは ナゾである
のですから・そのナゾにおいて そうなります。

お礼日時:2016/07/06 23:37

No1さんの回答に対するあなたの解釈はまちがっている。


神は人の心に存在するバーチャルなまぼろしであります。
人から離れて神が存在するものではありません。

>6. 神が復讐をしてくれるのだろうか?

神を宿した自分が、という意味ならそのとおり。
ただし、その結果についてはすべての責任を負わなければならない。
心の中の幻に責任を転嫁することはできない。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆(№1お礼欄) ~~~~
復讐は このわたし・神がするものですよ。と言っている。

つまり 復讐は わたし(=神)にまかせなさい。
~~~~~~~~~~~
☆ という解釈は パウロと同じだと思いますよ。

▲ (ローマ書 12:19) ~~~~~
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。

 「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は
 言われる」(申命記32:35)

と書いてあります。
~~~~~~~~~~~~~~~
☆ なぜそうなるか? どういう理屈でそういう考えになる
のか? これが知りたいという問いです。

★ 神は人の心に存在するバーチャルなまぼろしであります。
☆ ≪バーチャルなまぼろし≫ ですか。これは――つまり
まぼろしは―― 便利なことばであり たとえば神のことを
表わす≪霊≫のことを示すことが出来るかも知れない。

でも そういう場合には わざわざ≪バーチャルな≫とは言わ
ない。とすれば たぶん 神のことを説明していないのでは
ないか。とは受け留めざるを得ないように いまは思ってい
ます。

いづれにせよ あいまいです。


★ ~~~~~~~~~~
  >6. 神が復讐をしてくれるのだろうか?

神を宿した自分が、という意味ならそのとおり。
ただし、その結果についてはすべての責任を負わなければな
らない。
~~~~~~~~~
☆ 自分の意志行為について その自由とともに同時にその
〔まづは〕説明責任を負うのも ふつうに自然で当然のこと
と考えます。

ただし この問いでは ≪復讐する自由≫は どうもウソの自
由ではないか? という疑問を持っています。

≪復讐しない自由≫が 人間にとってホントウの自由であるの
ではないかと。

ただ そのための説明がまだととのっていません。ので 問
うています。

お礼日時:2016/07/06 23:06

~~~~~~~~~~~~~~~~~~



Der Geist der Rache: meine Freunde, das war bisher der Menschen bestes Nachdenken; und wo Leid war, da sollte immer Strafe sein.


Von der Erlösung.

Also sprach Zarathustra.
Ein Buch für Alle und Keinen.

Zweiter Theil.
http://www.nietzschesource.org#eKGWB/Za-II-Erloe …



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Rom 12:19

Dearly beloved, avenge not yourselves, but rather give place unto wrath: for it is written, Vengeance is mine; I will repay, saith the Lord.



12:19 μὴ ἑαυτοὺς ἐκδικοῦντες ἀγαπητοί ἀλλὰ δότε τόπον τῇ ὀργῇ γέγραπται γάρ Ἐμοὶ ἐκδίκησις ἐγὼ ἀνταποδώσω λέγει κύριος


https://www.blueletterbible.org/kjv/rom/12/1/t_c …

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


19:ローマの信徒への手紙/ 12章 19節
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。

http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


今日は投稿するつもりはなかったのですけど。


Der Geist der Rache

復讐の精神

というのは、パウロのその文章を元にしているのだろうか。


あと、
旧約聖書のどこかに書いてあるのだろうか。


それから

~~~~~~~~~~~~~~~

Und nun wälzte sich Wolke auf Wolke über den Geist: bis endlich der Wahnsinn predigte: „Alles vergeht, darum ist Alles Werth zu vergehn!“

http://www.nietzschesource.org#eKGWB/Za-II-Erloe …

~~~~~~~~~~~~~~


そのニーチェの文章と


~~~~~~~~~~~~~~~

9:出エジプト記/ 19章 09節
主はモーセに言われた。「見よ、わたしは濃い雲の中にあってあなたに臨む。わたしがあなたと語るのを民が聞いて、いつまでもあなたを信じるようになるためである。」モーセは民の言葉を主に告げた。

~~~~~~~~~~~~~~~

それとか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

▲ (Deu 32:35) ~~~~~~~~~~
https://www.blueletterbible.org/kjv/deu/32/1/t_c …

32:35 לִי נָקָם וְשִׁלֵּם לְעֵת תָּמוּט רַגְלָם כִּי קָרֹוב יֹום אֵידָם וְחָשׁ עֲתִדֹת לָֽמֹו׃

32:35 ἐν  ἡμέρᾳ  ἐκδικήσεως  ἀνταποδώσω 
ἐν  καιρῷ ὅταν  σφαλῇ  ὁ  ποὺς  αὐτῶν 
ὅτι  ἐγγὺς  ἡμέρα  ἀπωλείας  αὐτῶν 
καὶ  πάρεστιν  ἕτοιμα  ὑμῖν

32:35 To me belongeth vengeance, and recompence; their foot
shall slide in due time: for the day of their calamity is at hand,
and the things that shall come upon them make haste.


申命記32:35 わたしが報復し、報いをする
彼らの足がよろめく時まで。
彼らの災いの日は近い。
彼らの終わりは速やかに来る。
~~~~~~~~~~~~~

▼ 復讐の精神
☆ というのは お門違いだと考えます。そういう精神はないと。

お礼日時:2016/07/06 22:51

早合点と言われてしまった事について。


云おうとした事を例えれば、神の世界を白、或いは透明とイメージすれば悪魔の世界は黒、或いは不透明となるし、我々はその中間として灰色の世界に住んでいると例えられます。

その灰色の心に起きる“思い”に悪の要素が増せば、より濃い灰色に成るわけでその時の心持ちそのものが“因”であり“果”ともなる、と言うことが言いたかったんです。

また使った「正義」は正当性と言い替えて見ようかと思います。
時間が無くなったのでここで投稿しておきます。
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この回答へのお礼

そうですね。ご回答をありがとうございます。

この問い求めは 大まかには ≪復讐はさらに復讐を呼ぶ。したがって
つつしむのがよい。それは 人びとの意志の集まりとしての国家権力・
つまり法にゆだねるのがよい≫といったひとつの結論がすでに一般には
得られています。

ですから ここでは細かく重箱を突っついて考えておきたい。

★ 我々はその中間として灰色の世界に住んでいる
☆ か?

たとえば 次のように考えます。:

われわれ人間の心は それぞれ 色とりどりである。
その奥底には 神の霊の白が基礎となっている〔かと思われる〕。
ただし われわれの心は つねに流動的でもある。
いつ何どき 黒く濁るかも分からない。

≪灰色の心≫というよりは 灰色であったり黒に成りやすいと知ってい
る色とりどりの≪わたし色≫である。のではないかと。

≪灰色の心≫だと知っているその知る心は 無色透明である。か?



かなり屁理屈まじりのようでしたが いろんなふうに考えておきたい。
と思います。

お礼日時:2016/07/06 17:15

再考です。


自分の考えに都合が良いように解釈して見ました。

心は使うほどに育つ、という考えを基礎に置く私は、質問のタイトルを次のように受け止めて見ました。

行為は自身に跳ね返ってくる、と。
復讐という行為で考えるならば、復讐しようという心理が現れた時点でその心は汚染される、と言うことをいっているのだと思います。
行為に及べば、それに等しい痕を心に残すと。

ただ、実際には意志に「正義」が入っていると、そう単純には解釈出来ないかな、とも思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 心は使うほどに育つ、という考えを基礎に置く
☆ 分かるように思います。

ただ そうだとすると:
★ 復讐という行為で考えるならば、復讐しようという心理が
現れた時点でその心は汚染される
☆ というのは 早合点であって きちんと自分の中でその心
理について問題点を取り出し考え切っておくなら 文句なしだ
とも考えられます。

★ ただ、実際には意志に「正義」が入っていると、そう単純
には解釈出来ないかな、とも思います。
☆ ≪正義≫は 何かと厄介であって 結論としては 扱うこと
自体が 無理ではないかと考えます。

つまり ≪たがが嵌められる≫ような主義の問題になるのではな
いかと。


つまり 復讐について 何とかしてやわらかな心と推論ですん
なりとした見方を持てないものかと考えています。

≪自由≫について ≪解放された(自由とされた)自由≫とそし
て≪まだ解放されていない〔観念としての〕自由≫とがある。と
いうふうな見方があることは 知っています。が。

お礼日時:2016/07/06 13:15

貴方、とは読み人、聞く人、の事です。

(念為)
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この回答へのお礼

了解しました。




☆☆(趣旨説明欄) 3. われわれには 復讐しない自由度
もあるということか。
☆ そうだ。――と答えたとき それに対して おそらくは
≪復讐する自由度もあるはずだ≫と問い返される。

では ≪復讐する自由≫と≪復讐しない自由≫とは 互いにどう
違うか?

復讐する自由は ウソの自由で 復讐をせずに神にゆだねる自
由は ホントウの自由である。のだろうか?

そうだとして なぜか?


☆☆ 5. それとも 神が何と言おうとそんなことは関係な
い。か?
☆ つまり 神を離れる自由もあるか。

お礼日時:2016/07/06 04:45

それは神が、貴方の心に有りと言っているのです。


われとは貴方の事。

復讐心は貴方の心に有るのだ、と言っているのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

まづ この言葉は 神が人びとに向けて語っている。――ですね。

そうしてどういう意味かと言えば:

ひとつに 神は 自分があなたの心にいますよと言っている。

もうひとつに 神が言うには そのあなたの心には 復讐心がある
ことを知っていますよと。

そうすると ここから読みをすすめるなら:

復讐というものは あなたたち人間のすることではない。

そうではなく 復讐は このわたし・神がするものですよ。と言っ
ている。

つまり 復讐は わたし(=神)にまかせなさい。

つまり
☆☆ 6. 神が復讐をしてくれるのだろうか?
☆ イエス。という答えになる。

――こうでしょうか?




じつは わたしも同じように思っています。
思っているのですが ただ それだけでコトは済むか? とも思い
ました。

≪あなた≫つまり人びとは それで納得するだろうか? という問い
です。

☆☆ 4. 人間が自分で復讐する自由は ほんとうの自由ではな
いということか?
☆ この問いにも イエスと答えることになるとき では≪ほんと
うの自由とは何だ? そもそも自由とは何なんだ?≫という問いに
哲学は 答えなければならない。

でも ≪自由≫は 論証抜きでそうであるとして皆が認め合った公
理のようなものです。なかなか むつかしい。・・・

どうしましょう?

お礼日時:2016/07/06 04:38

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