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質問です。
何百年か先、死後の世界含む全ての現象や森羅万象が科学によって解明される日が来るのでしょうか?
仮に解明出来たら、宗教もとい神という概念は無くなるのでしょうか?

身近なもので言うと、交通事故とかは少なくとも神とか運命の仕業と思えないからです。

例えば、「事故」は、いくつかの原因や要素(不注意、スピードの出し過ぎ、道路の塗装具合、運転手の心理状況、天候)が絡み合い、どこかのタイミングで暴発し全く予想できない「事故」という最悪な現象を発生させる。決して運命または神の仕業とは思えない。
というのが私の「事故」に対する考えです。

今の妻もしくは夫に出会ったのも努力とか伴侶を見つけようとする努力が報われたからであります。他の現象も然り。

とどのつまり、全ての現象には必ず理由があり、神とか運命とか奇跡と言う言葉に帰結させるのもどうなのかなと思うのです。

皆さんはどうお考えでしょうか

A 回答 (12件中1~10件)

「全ての現象には必ず理由がある」という原理を、ライプニッツは充足理由率と名づけました。

宗教と科学は実はともにこの充足理由率から導き出されているのです。
充足理由率がなければ因果律も存在しません。科学法則はすべて自然現象の観察から帰納されたものです。この宇宙が斉一な秩序(因果律)に従っているという信念がなければ、現実から法則を帰納する根拠がなくなってしまいます。
また、科学法則はすべて結果からの帰納ですので、この世界の根源には永遠に到達できません。この世界が存在することの意味が科学では解明できないのです。
充足理由率を受け入れる限り、一番最初の理由としての「神」がどうしても必要となるのです。

実存的な意味での死後の世界は科学の対象外でしょう。それは経験の及ばない領域なので分かりようがありません。科学が対象とするのは客観的な(他者)の死のみで、それは生物学の領域です。

ちなみに、仏教では充足理由率を受け入れていないので、神は設定しません。この世界をあるがまま受け止めるというのが仏教の姿勢です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほどですね。

お礼日時:2016/08/12 19:59

人間の認識能力にも構造的限界があるんだと思います。


それが科学の限界で
その限界を超えた部分に関して信仰という拠り所は存在意義を失うことはなく
その行き着く先に神に類する存在がクローズアップされてくる
ということになるんだろうと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/12 20:00

科学の基本は、「全ての可能性を否定しない」であると思います。


それは「全てに疑問を持つ」と言っても良いと思います。
だからこそ、それまで「科学的真実」とされていたようなことでも、「新発見!」があるのでしょう。
つまり、「科学には限界が無い」と言うことだと思います。
例え全てが解明し尽くされたとしても、科学を志す人達は、その「既に解明された真実」について、「これは本当に真実であるか?」と追求を続けるでしょう。
彼等は実に粘着質なのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/12 20:00

科学も宗教も無くなる?


@ 地球科学? 今の科学は無くなるでしょうね。
  宗教宗派も 無くなると思います。

そして、宇宙神、宇宙科学と言う様な 一体化された 思想が現れると感じます
互いに 補うような・・・太極拳のシンボルマーク?のような、二つ巴!!ですか?!!

二元対立では無い 相互補完の状況が出来上がる、と感じます。

そして、現在の「 神 」と表現されている、対象も無くなる事でしょう

新たなる「 神 」 宇宙神 ?、
今は サムシング-グレート と呼んでいます、「筑波大教授の村上先生 方」
宇宙神=運行する規律 ではないでしょうか。 

 地球の人類の 存在を とやかく?かまう?そんな事は自由に・・・お構いなしでしょうね。

地球を破壊して、宇宙の運行に障害を及ぼす影響がでる事には、関与するでしょうね。
  核兵器で影響がでるならば、人類は「宇宙神」に依って、駆除されるでしょう。

*** 地球の浄化作用です、***

人間側から言えば、天変地異、異常気象と言いますねぇ

それまでは・・・自由です、・・・ 安心している? 場合ですかね?


貴方の言う、神の定義によりますが

人の人生に起こる出来事に「神」は干渉する事は、無いと思っています。

出来事に関与するのは 「因縁因果」です  
言葉が今も存在するのには意味が有る、「あらゆるものが存在するには意味≪理由≫があるのです」

因縁因果から抜ける・・方法は

果因説です!!

果=望ましい結果を先に 創造する・・・!!
因=そのための、原因を今創る・・・!!
未来を創造する生き方です。

因縁となる、今現在の行いが、未来に結果となって受け取る現象なのです。

何百年前かに、行った結果をいま受け取る・・・!! 「知らねえ~~よと言うことでしょうか」悩みの種ですねぇ。

今、地球に存在する事が許されている《 理由は 》個人で真剣に考えて見る「 時期に 」思います。

『 命(いのち)は神の責任であり、その使い方は 人類の責任であります。 』


世界人類が平和でありますように。

無限なる感謝。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/12 19:58

感理なんて、辞書にも、小百科事典にも、Wikiにもない。

私の人生体験にもない。
きちの世界に泳いで気持ちが良い。
きちは何が分からないのかとかしこぶるが、まともな人間は言葉を崩されると分からない。
当然である。
きちは意味を述べていただかないと崩された言葉ではまともな人間には分からない。
当然である。

まず、そこからだな。きちになったか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/06 00:29

物理は物質的世界の理と思います。


感理?は精神世界の理と思います。

科学は物理だとすれば、物質を持って物質を"知ろう"と云うものです。
例えれば、箸で水は掴めませんが、スプーンでは掬うことができます。
どちらも物理現象です。

物に対しては心が当たります。
対照、です。
形,重さ,大きさ、温度、などが有る物質に対して心,精神はそれらが有りません。
まったく対照的です。

水はつかめない箸でも個体なら掴めます。
でも、物質と対照の精神は掴めません。

何やら心の世界を何とか科学的に解明しようとする人たちがいるようですが、箸で空気を掴もうとするようなもので、無駄な努力と言えます。
せいぜい箸の先に空気がくっ付いた、といったレベルでしょう。

質問の疑問を解消するなら、宇宙の本体は絶対の(絶対とは二つと無いと云う意味です)霊体"精神"であると思ってみる事です。

我々の心には意志、感情,理性、という働きが有ります。
宗教では我々の事を仏子とか神の子と言います。
このことから宇宙の精神には意,感、理という働きの有ることが想像できます。
いや、宇宙の精神にこの働きが有るから人の心にもこの能力が備わっているのだと云えるでしょう。

そして意志を力とすれば、宇宙の精神の意の力がこの世を現しているのだと思えます。
(力めばウンチが出るような・・・)

世の"現象"は理的に変化し、物として感覚に捉えられる。
理的変化は地球を生み出し、地球に生命が生まれる環境を作り出し、必然、そこに生命が現れた。

こうした理的変化は"因果の法則"に当たります。
心も然り、です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

精神の概念と科学の世概念を決して混同して考えてはならないということですね。

お礼日時:2016/08/06 00:33

森羅万象が科学によって解明される日が来るのでしょうか?と、おっしゃいますが、


理論理詰めで解明された方が仏陀さんですから、なんと回答してよいやら分かりません。
たった、一人が分かったって仕方がないとおっしゃるのならば、それもまた、是でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/12 19:59

>何百年か先


何を思って“何百年”かは知りませんが…
現時点で不明なことが解明されることが科学のゴールではありません。
科学が進歩すれば、それに応じて新たな不明なことが出てきます。
ゴールすら不明瞭で、この進歩が速いかどうかも分からないのに、“いつ”なんて論じられるものではありません。

>死後の世界含む全ての現象や森羅万象
含んじゃダメでしょ。
そもそもそれは科学の範疇ではないし、それを挙げることが許されるのなら、科学の範囲外のことを無限に科学に押し付け続ければ、科学のゴールはなくなります。

そもそも日本人は 科学 vs 宗教 という構図がお好きなようですが、科学的知識が多ければ、それに反比例して信心が薄れるわけではありません。
100円拾う確率も、犬のウンコを踏む確率も(統計学としてそれを取り扱おうと思わない限り)科学では取り扱いません。
そもそも解明に必要な要素はあまりに膨大で、どれだけ科学が進んでも時間的、資金的などの面で検証不可能であって、仮に検証できても無価値で、簡単に言うと科学で測るには「あまりに馬鹿馬鹿しい」ことです。
科学者でも「神の仕業」であり、「運」であり、「運命」であり、「日ごろの行い」という結論になるでしょう。
だって科学的に考えてその要素が揃う確率はほぼ0ですから。

科学と宗教は全くの別物であると思った方がいいでしょう。
僕に言わせれば科学で宗教をどうこう言う人は、結局「科学」という名前の宗教の信者に過ぎません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

いくら科学が発達しようと、限界があるということですね。

お礼日時:2016/08/05 11:39

何百年か先、死後の世界含む全ての現象や森羅万象が科学


によって解明される日が来るのでしょうか?
   ↑
果たして、人間の脳にそこまでのキャパが
あるかの問題だと思います。
で、ワタシは来ると思っています。


仮に解明出来たら、宗教もとい神という概念は
無くなるのでしょうか?
   ↑
人間が神になります。
だから神という無くならないと思います。
宗教という概念は無くなるでしょう。


全ての現象には必ず理由があり、神とか運命とか奇跡と
言う言葉に帰結させるのもどうなのかなと思うのです。
   ↑
その通りだと思います。
神とか運命で帰結させてしまえば、それで終わりに
なります。
そこには何の発達も進歩もありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/05 11:38

神と運命と奇跡を一括りにするのは良くないですねえ



神は人の頭の中にあります 集団精神存在です。心の世界にある訳で、大自然や宇宙の摂理とは少し違います。

神は主観的なものです。

それに対して運命というのは現実全てが関わる客観的に見ても分かるものです

事故というのは「とても運命とは思えない」ものであって、人間に分からないだけです。

運命は因果律でもう決まっています。人間に分からないだけです。歴史は一つしかありません。

歴史を詳しく調べたら何がどうなってそういう歴史になったか分かる訳です。

全ての現象には因果関係が有り、存在するからにはそれなりの性質があります(存在性と言いますが)

存在できるものが存続することもあり、存続できないこともある。存在することが全てですから

存在しない事には話にもならないので自然と存在存続を目指すものが残って行きます。

一人の人間は地球の存続には敵いません。生物や人間はタスキをつないで40億年やって来たのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この世の全ては因果律で決められており、全ての現象はこれに従って存在しているということですね。

お礼日時:2016/08/05 10:57

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