このカテゴリでよいかどうかわかりませんが…。

昔から気になっていることがあります。
現在の星座は、シュメール時代からいろいろな変遷を経て
移り変わって来ていますが、中には紀元前4000年から
位置も星座名もほとんど変わっていないものがあります。
それがオリオン座や獅子座など、わかりやすく目立つもの
なら納得いくのですが、大して明るい星のないものでも、
そのまま残っているものがあります。例えばうお座やかに
座など。ケフェウス座など、暗い星ばかりなのに、中国で
もヨーロッパでも王様(皇帝)をあてはめていたり…。
何故?古代にはそんな暗い星々に星座を当てはめる意味が
あったのでしょうか?
長文ですみません。よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

『占星術の誕生』矢島文雄著:オリエント選書:東京新聞出版局


定価1200円(昭和55年当時)

によると、シュメールとその後のバビロニアにおいて天文学、数学、医学が発達し、中でも、天文学から派生し、むしろそれら学問の中心的役割を担ってきたのが占星術だったようです。

 この本によると、バビロニア人に知られていた星座名は407(後に追加2)、星名は377に達していたらしいです。

 占星術と言っても、現代のように個人のことを占うのではなく、国家的吉凶禍福を占うための非常に高度な学問であって、この知識を有する者を古代諸王国において珍重し、それらの人物は、国家の中でもかなりの重職に就いていたようです。

 これらの人々や知識が、バビロニアから地中海地方に伝わり、東方には、紀元前4世紀アレキサンダー大王の東方遠征の前辺りからインド地方に伝わっていた形跡があるらしいです。そして、それが後に中国を通って日本にまで伝わったようです。

 いずれにせよ、これらの学問は、国家的吉凶禍福を占うための国家的に非常に重要な知識であったために、星座につけられた名前も、元々はシュメールやその後を継いだバビロニアの神話伝説や王の名前を元に星名や星座名がつけられ、その後、それらの知識が伝えられた地や時代によって、その地や時代に合った神話伝説や王・皇帝の名前をつけて後世に伝えられたものだと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
文化の流れと共に伝わって、その土地に馴染むように変わっていったんですね。
このテーマはずっと考えていたので、これからも、いろいろ調べていきたいと思います。

お礼日時:2001/07/12 12:56

ケフェウス座のなかに変光星が含まれていることがポイントではないでしょうか。

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星座を作ったのはおそらく、天球に座標を付けるという


目的があったのではないでしょうか?

天球のある部分(角度)を示すのに、たとえば、
魚座がある方向と言えば、それで通用します。

現在では、極座標表示で天球を表現することもできると思いますが、
古代の人にとっては無理な話でしょうから、天球の全てを
覆い尽くせるように星座を考えたのだと思います。

なぜくらい星に皇帝をあてるか?については、その王が即位した
もしくは生まれた頃にちょうど宮殿の真上に見えたとか、
そんな理由があったような・・・・
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