ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ベルリン・天使の詩』では、不死の天使ダミエルが、サーカスの女性に恋をし、うつせみの「ヒト」になった瞬間に、世界はカラーに転じました。
人間の姿をし、人間の気持ちが手に取るようにわかりながら、決して人と交わることのできない「不死の存在」のシーンをモノクロームにし、死すべき生身の人間となった時、彼をとりまく世界は、突然色を持ち始めた。
これは、「色を持つ世界」・・・わたしたちが現に生きている「リアルの世界」の見え方、在り方に呼応しているように見えます。
一方で、ドルトン・トランボ監督の『ジョニーは戦場へ行った』では、戦場で被弾し、手足と、目と耳、鼻と口を失ってベッドに横たわる「現在の」ジョニーのシーンのみはモノクロで、戦場で負傷する以前の過去のシーンは逆にすべてカラーで撮られています。
この二つの映画での、カラーとモノクロシーンの使い分けはどのように為されていると考えられるでしょう。
活き活きとした生命にあふれる世界がカラーで描かれ、「死するともなく生きるともない」生命の躍動の伴わない世界が白と黒の世界であるのか?
映画から「写真芸術」に目を転じれば、19世紀半ばから20世紀の半ばまで、写真の世界はモノクロームが主流でした。それらは白と黒の写真でありながら精彩を放ち、その時代を生きた人々の哀歓、息遣いまでが、逆にあまりに現実に即し過ぎているカラーでは掬い取れない濃やかな時代のテクスチャーを醸し出しているように感じます。
ですから現在においても、セバスチャン・サルガドのように、過酷な生のダイナミズム、リアリズムを追求し表現するために、敢えてモノクロ写真を使うことを選ぶということもあるのかもしれません。
人間の情動=「喜び」「楽しさ」「悲しみ」「怒り」「孤独」或いは「生の躍動」=「エラン・ヴィタール」を表現・表象する際の「カラー」と「モノクローム」の意味はどのように考えられるでしょう?
また広く絵画、写真、映画その他の「モノクロ」表現についてのご意見などお聞かせください。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
日本の漫画は、海外ではMANGA=Graphic novelとして、広く認知されていますし、主要マーケットでは翻訳されて出版されています。
週刊少年ジャンプなどは、アメリカでの翻訳販売もされているようです。(その厚さから、電話帳雑誌と呼ばれているようです)
そして、アメリカでも日本の漫画のような表現を行う作家も出現しているようです。(単色、着彩の両方があります)
スヌーピーが登場するPenutsは、新聞掲載のカートゥーンなので、単色だったのだと思います。
なお、カートゥーンの場合は、アメリカに限らず、単色のものが多いです。
DC、マーベルに代表されるアメリカンコミックの場合は、着彩がほとんどですね。(作画担当は、コミックアーティストと呼ばれます)
水墨画的な漫画家と言うと、日本の場合は池上遼一氏、井上雄彦氏が有名ですね。(この両者は、実際に筆で書いているようです)
井上雄彦氏の場合は、すでに漫画よりも、水墨画を中心とした活動になっているようです。(バカボンドの場合は、すでに着彩は不要な領域に到達していました)
海外では、日本の漫画は、ストーリー性が中心であり、コミックのいわゆる絵としての表現とは違うと認知されているようです。
ただし、アメリカでも人気のあるMANGAは、やはりアニメ化されたものが多いので、着彩された絵のイメージが強くなっているかもしれません。
こんばんは。
アメコミとカトゥーンって違うものだったんですね。アメリカ産の漫画をアメコミ=カトゥーンと呼ぶのだと思っていました。
>日本の漫画は、海外ではMANGA=Graphic novelとして、広く認知されていますし、主要マーケットでは翻訳されて出版されています。
ということは、欧米その他の国には日本の漫画のようなものはないのでしょうか?
「グラフィック・ノベル」ですか。へえ(笑)
わたしは日本製のアニメーションってなんだか興味が湧きません。ジブリ作品でも、観たのは古い作品を2本ほどで、宮崎駿のどこがいいの?といった感じです。あまり詳しくはありませんが、イタリアのブルーノ・ボツェットや、ロシアのユーリ・ノルシュテインといった(それぞれ全然作風は異なりますが)アニメーション作家の作品が好きです。あとは、ポール・デルヴォーの絵をアニメ化した、ラウル・セルヴェなどの作品の方に惹かれます。日本のアニメって、(観てもいないで言うものなんですが)みな同じに見えるんです。
>週刊少年ジャンプなどは、アメリカでの翻訳販売もされているようです。(その厚さから、電話帳雑誌と呼ばれているようです)
21世紀の漫画って全然わかりません。(テレビを全く観ないので、ドラマも、歌手も、俳優も女優もまるで知らないのですが)
まだ小学生でしたが、1970年頃のマガジンやチャンピオンといったところが黄金時代のような気がします。
>井上雄彦氏の場合は、すでに漫画よりも、水墨画を中心とした活動になっているようです。(バカボンドの場合は、すでに着彩は不要な領域に到達していました)
海外では、日本の漫画は、ストーリー性が中心であり、コミックのいわゆる絵としての表現とは違うと認知されているようです。
「バカボンド」-「バガボンド」ですね。
吉川英治の宮本武蔵が原作ですか。うーん。
バカボンで思い出しましたが、赤塚不二夫の作品などはどうやって翻訳するんでしょうね?
彼の作品は「~~なのだ」「~~ニャロメ!」「~~でやんす」「~~ざんす」「~~~のココロ」といった言い回しが面白い部分が大きいのですが、翻訳では「レレレのおじさん」の味は出せないような。チビ太の「おでん」もわからないだろうし(笑)
たのしい雑談(でも一応モノクロ談義ではあるようです)をありがとうございます。
No.9
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
なぜ、イメージに単色と着彩があるかを考えていて、もしかして、いわゆる右脳・左脳が関係しているのではと思ったら、そのものずばりの記事がありました。
にゃんぽこりんさんの回答のとおり、現代人は、とあるアンケート(20代~60代対象)では、40人中39人が着彩の夢をみていたようです。
アメリカでも同様の調査を行ったところ、白黒テレビを見ていた経験がある年代は、夢が単色の場合が多かったようです。
その記事の中では、論理的思考をする人は単色の夢を見るという噂をとりあげて、左脳(言語処理)、右脳(画像処理)の関連から、左脳中心の思考の場合は、画像に色を関連付ける必要が無いのではと推定しています。
もし、この説が正しいとしたら、単色の夢を見る人は、その内容が言語的に構成されていて、着彩の夢を見る人は画像中心に構成される事になります。
なんとなく、着彩の夢を見る人は、文字通りの夢=幻想的なイメージの夢を見そうな感じですね。
単色の場合は、言語の関連になるので、物語が中心になりそうです。
最近はあまり無いですが、昔の大衆小説は挿絵が結構入っていました。(これは単色である事がほとんどでしたね)
なんとなく、そのイメージから、小説の情景を単色で考えてしまう癖があるのかなとも思います。
黒澤明監督の「夢」は全てをカラーで表現していました。(黒澤明監督は、白黒も名手なわけですが、夢はカラーで見ていたようですね)
なるほど。右脳・左脳の働きと夢の見方が関係あるのですね。
わたしは論理的・理性的というよりも、感情的・直感的な人間ですから、右脳の比重が大きいのだと思います。
ルパンさんやニャンポコさんは論理派なのでモノクロームの夢を見るのでしょう。
テレビの影響ってどの程度あるんでしょうね。それよりも「絵本」の影響はどうなのだろうと考えてしまいます。
絵本は大抵カラーですから、(「どろんこハリー」や「フランシス」シリーズはペン画でしたが。)子供はテレビ以前に絵本を見て育つのでは?と。
黒澤明の「夢」のことも考えていました。綺麗な映画でしたね。でもあんなふうに鮮明に夢を見ることが可能なのか?別にそんなに鮮明じゃなくても構わないという気がします。
例えば生まれつき目の見えない人たちは、耳の聞こえない人は、どのような夢をみるのでしょうね。
ひきつづきのご回答をありがとうございます。
No.7
- 回答日時:
現代人はほとんどの人が夢をカラーで見る、という記事を見つけました。
私のデータによれば、ほとんどの人が夢をモノクロで見るとなります。但
し私のデータとは、数十年前に知人、友人から直接聞いた数少ないものに
すぎませんが。
人間の見る夢が、モノクロからカラーに変わってきたということが真実で
あるならば、これは大変興味深いことだと思います。
なぜなら、世の中は太古の昔からカラーであったからです。
精神の世界は色彩がないわけです。精神活動である夢にも色彩がないはず
です。ですから、モノクロというよりlupanさんが仰るように、「色彩を
意識していない」という表現がより正確なのかもしれません。
問題は、その夢の記憶をモノクロでするかカラーでするかの「違い」とい
うことになると思います。
私は、夢も小説等を読んでイメージを膨らませるときも、空想をして頭に
浮かぶ映像も、たいてい色彩はついていないですね。
何でしょうか?不思議ですね。
育ってきた環境もあるでしょうが、
唯物論的、唯心論的思考の違いかとも思えるし、
物質文明を嫌っているからそうなるのか、とか‥
こんばんは。
>現代人はほとんどの人が夢をカラーで見る、という記事を見つけました。
でもニャンポコさんも、お友達も現代人ですよね。
年代、性別、或いは地域差や心身の状態なども影響してくるのでしょうか。「現代人」という調査のサンプルの内容が分からないとなんともいえませんが。
>精神の世界は色彩がないわけです。精神活動である夢にも色彩がないはずです。
精神の活動とはいわゆる「思索・思惟」のことでしょうか?例えば今日一日のスケジュールを考える際に、会社の中の情景や、自分のデスク、同僚たちの姿、得意先の様子などはカラーではありませんか?
また「思い出す」「想起する」場合、去年のお盆はどうだった、と思い返す時にはどうでしょう。
大瀧詠一の『君は天然色』の歌詞に「思い出はモノクローム、色を付けてくれ」というフレーズがありますが、
「記憶」はモノクロでしょうか。わたしは、これも夢と似ていて、完全なカラーではないのですが、色は着いています。
「記憶力」ということと「記憶の色」は関連があるのだろうか?などと考えてしまいます。
>私は、夢も小説等を読んでイメージを膨らませるときも、空想をして頭に浮かぶ映像も、たいてい色彩はついていないですね。
へえ、おもしろいですね。なにが違うんでしょう?
>唯物論的、唯心論的思考の違いかとも思えるし、
物質文明を嫌っているからそうなるのか、とか‥
主義や思想と色の記憶とは関係があるのでしょうか?
物質文明を嫌うという点ではわたしもそうですが、夢を見るとき、文章ー概念をイメージする際のモロクロの世界とカラーの世界の違いは興味深いですね!
「唯物論者はピンクの羊の夢を見るか?」で、質問を立てましょうか?
とても興味深いご回答をありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
質問の本題から離れた話題ですみません。
脱線ついでですが、夢の中の人格に関しては、稀にですが、違っている可能性がある場合があります。
人格が違うというか、性別が違う可能性がある場合があると言う事です。
この場合は、ある意味別人である可能性はあると思います。(ただし、人格的には同じなので、状況が違うと言う事でしょう)
これは、あまり無いですから、かなり特殊な場合と言う事でしょう。
夢自体は、脳が睡眠時に記憶や、気になっている事を処理している際に、夢として覚えている事なんでしょう。
脳が勝手に物語を作って、それが記憶の中に残っているから、その物語が続いていると言う事なんだと思います。
夢が言語的に構成されるか、画像として構成されるかで、それがモノクロとなったり、着彩となったりする場合があるのかもしれません。
色を意識しないのは、物語が言語的に構成されていて、そこに補助的に画像を当てはめているのかもしれませんね。
確かに、私は小説の情景を想起する時も、特に色は意識しません。(もちろん、明確に色が明示されている場合は、意識はしますね)
日本の漫画は、一般的に着彩するのは、特別な場合だけです。(アメリカのコミックがほとんど着彩なのと比べると、特徴的と言えるでしょう)
外国では、水墨画的な、日本独特の手法と思われているかもしれません。(アニメなどは、着彩なので、ここら辺のギャップがどう理解されているかはわからないですね)
日本独特の色彩は、彩度の高い色が少ないです。(その代わり、中間色は豊富です)
今は、デジカメなので、差は無いですが、カラーフィルムなどは、その色再現に独特な部分がありました。(サクラ(Konica)が青っぽかったり、フジが緑が強く、コダックが明るく派手な発色などです)
夢の中で、ルパンはルパン。グラス・ルーツはグラス・ルーツではあるけれども、現実の性格・性質とかなり異なっている場合があるということでしょうか。これが自分だと認識している自己イメージ、自己像がありますが、夢の中で、その枠組みが違っているということがあるとすればそれはどういうことなんでしょうね。
例えば現実にはとても引っ込み思案であるのに、夢の中では自己主張が強い人間であったりという場合です。
ルパンさんのお話ですと、「見る夢」と「読む夢」との違いがあるようですね。興味深いご意見です。
そして
>私は小説の情景を想起する時も、特に色は意識しません。(もちろん、明確に色が明示されている場合は、意識はしますね)
これも興味深い。最近横溝正史の『蔵の中』という短編を面白く読みましたが、蔵の中の描写や室内の様子を描いた文章はありますが、特に色の名前は出てきません。「空を見上げると」と書いてあれば、青い色が再現されますし、「山道を辿ってゆくと」とあれば、道の脇に枝を伸ばす樹々の緑がイメージされます。
アメコミというのはあまり実際に見たことがないのですが、「スヌーピー」は白黒でしたね。
ルパンさんは『カルヴィンとホッブス』というアメリカのコミックをご存知ですか?読んだことはありませんが、ピーナッツ同様になかなか哲学的です。翻訳物があれば是非読んでみたいと思っています。
日本の漫画を読んでいて、色を感じるということはありませんね。色が必要だとも思いません。
外国では日本の漫画は読まれているのでしょうか?アニメーションとしてではなく、本の体裁での漫画です。
水墨画、山水画に、日本人は秘められた色を感じているのか。それとも、白と黒の世界をそれ自体として享受しているのか?そんな疑問も持ち上がってきますね。
>今は、デジカメなので、差は無いですが、カラーフィルムなどは、その色再現に独特な部分がありました。(サクラ(Konica)が青っぽかったり、フジが緑が強く、コダックが明るく派手な発色などです)
へえ、そうなんですか。でも使う人がその色味の好き嫌いで選ぶ自由があるというのは、選択肢があるというのは何にせよいいことだと思います。
こういう脱線、雑談も面白いもんです。(笑)
ご回答をありがとうございます。
No.4
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
夢に関しては、いくつかのパターンがあって、そこにはある決まった登場人物が存在する場合が多いです。
ただし、その登場人物は、私の身近にいる人物では無い事が多いですね。
パターンごとに、その夢は連続したある物語になっています。
実際問題、この物語が面白いんですね。
ですから、続きが見たいとはおもうんですが、すぐには続きは見れません。
ある日、突然続きがはじまる感じになります。(登場人物や、情景から続きである事はわかります)
色があまり無いので、夜だと思っているだけかもしれません。(ただし、暗い道を移動する感覚はあります)
外だけでなく、室内もありますが、そこは暗い場所である事が多いです。
ある日、突然続きがはじまる感じになります。
天空から星が流れ落ちる夢は、一度しか見ていません。(実際は、色とりどりの幾何学模様が、山の上に構成されたあと、星が一直線に山に向かって流れ落ちる夢です)
信仰心がある人ならば、神の啓示だと思うでしょうが、いかんせん、そういう信仰心を持ち合わせていないので、単純にその状態を見ているような感じでしたね。
予知夢のようなものも見たことがあります。
秋葉原の通り魔事件の前日に、見た夢は、秋葉原の中央通りを歩いているときに後ろから男が刃物で襲ってきて、カバンで防御して、その上から刺されると言うものでした。
事件当日は、息子に頼まれて、秋葉原に行くことになっていましたが、その夢のせいで行くのやめました。
昼過ぎに息子がニュースを見て、行かなくて良かったねと言いました。
予知夢のようなものは、この一回だけですね。
不思議なのは、パターンがある夢の場合は、登場人物の顔は、はっきりしないか、本当に会ったことが無い人だと言う事です。(ただし、感覚的にその人物が誰かは識別できます)
はっきり認識できるのは、過去に見たことがある情景だけです。(そのような夢も時々はあります)
パターンがある夢の場合は、その町は行った事も見たこともない町です。(ただし、その町は夢の中では、既知として認識されます)
こんばんは。
何パターンかの連続ものの夢があるのですか?へえ!続き物の夢は見たことがありません。ホームドラマ、サスペンス、恋愛ものといったかんじでしょうか?
「啓示」を感じさせるような夢もみたことがありませんし、予知夢といったものも経験がありません。
でも例えば出張の前日に不吉な夢を見た時には出張は取りやめますか?
>不思議なのは、パターンがある夢の場合は、登場人物の顔は、はっきりしないか、本当に会ったことが無い人だと言う事です。(ただし、感覚的にその人物が誰かは識別できます)
そうですね。それで思い出したのは、よくテレビや映画で、犯罪の被害者や目撃者が、警察に協力して、「似顔絵」を作りますよね。わたしはあれは出来ないと思うんです。家族の顔でさえ、どうやって言語化したらいのかわかりません。夢の中での認識と同じように、誰だかははっきりとわかっているのだけれど、顔の特徴を言葉にできない。見分というような形で、何人か並んでいる中で、「あの人です」と特定することはできても、頭の中で見た顔を再現し、それを言葉で表現することができないのは何故だろうと思います(苦笑)
>パターンがある夢の場合は、その町は行った事も見たこともない町です。(ただし、その町は夢の中では、既知として認識されます)
その夢の中では人格が連続しているわけですね。じゃあ別人になってる夢なんてあるのでしょうか?(笑)
つまり「わたしらしくない」ということではなく、別の人格になっている・・・なんてことはありえないですね。だって別の人格になっていればその時点で、その別人である「彼」が「自分」「わたし」なわけですから、そこで、今自分はルパンではない、グラス・ルーツではないなどというような比較する意識が存在することは考えられませんものね。
夢を見る際の脳の働きはわかりませんが、人がどのように夢を見るかというのは興味深いですね。
おもしろいお話をありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
夢に関してですが、私が記憶している夢は、ほとんどが夜の情景です。
(したがって、元々色がそれほど無いと言う事になります)確実に覚えている色が着いた夢は、天空から色とりどりの星が落下してくるというものだけですね。(正確には、夜空に幾何学模様の色が着いた星が配置されて、それが流れるように下へ崩れ落ちると言う夢です)
実際は、夢の色に関しては、ほとんど意識した事は無いです。(内容だけを覚えていると言う感じですね)
>私が記憶している夢は、ほとんどが夜の情景です。(したがって、元々色がそれほど無いと言う事になります)
へえ、夜の夢ということは、屋外ですか。夜の夢を時々見るというのは何か理由があるのでしょうか?
わたしは夜の夢って記憶にありません。
>確実に覚えている色が着いた夢は、天空から色とりどりの星が落下してくるというものだけですね。(正確には、夜空に幾何学模様の色が着いた星が配置されて、それが流れるように下へ崩れ落ちると言う夢です)
これはなんの象徴でしょうね。
>実際は、夢の色に関しては、ほとんど意識した事は無いです。(内容だけを覚えていると言う感じですね)
これはおもしろいですね。内容を憶えているけれど、色は憶えていない、というか色を認識していないんでしょうか。わたしも例えばテレビを見ているような感じで鮮明に色を認識して夢を見ているわけではなく、仰るように、内容を憶えているという方が近いかもしれません。それでも「色」はあるようです。
再度のご回答をありがとうございます。
No.2
- 回答日時:
表現者の意図は、表現者にしかわからないとは思いますが、美術などの単色表現(デッサン・ドローイング・彫塑など)は、その「形(フォルム)」を際立たせる事にあると思います。
着彩の場合は、感情や印象を表現する場合が多いでしょう。
したがって、単色表現は、その不動の「形(フォルム)」を意味し、着彩は変動する感情・印象の表現と捉えられると言えます。
表現として、単色・着彩を使い分けるとしたら、単色は不動の実体、着彩は変動する感情の表現とするのが、素直なような感じがします。
映像などでは、過去を単色、現在を着彩と言うのは、よく使われる手法ですね。(過去は変わらない不動であり、現在は変動する未来への動きと考える)
また、現在を単色で、夢や願望を着彩する手法もあります。
単色が、「形(フォルム)」を際立たせる事から、あえてその形の動きを際立たせる為に、映像表現として、単色を好む場合もあるでしょう。
こんにちは。
>表現者の意図は、表現者にしかわからないとは思いますが、
仰る通りです。どういう場合にはカラーを使い、どういうイメージを喚起させたいときには単色をつかうという、「定式」のようなものはありませんね。
>表現として、単色・着彩を使い分けるとしたら、単色は不動の実体、着彩は変動する感情の表現とするのが、素直なような感じがします。
>映像などでは、過去を単色、現在を着彩と言うのは、よく使われる手法ですね。(過去は変わらない不動であり、現在は変動する未来への動きと考える)
そうですね。一方で、絵画は別にして、写真や映画の領域では、「カラーフィルム以前」の時代があって、白黒とカラーを使い分けるという手法を採ることが出来なかった。けれども、そのような「限界・制約」(?)の中で、物理的に網膜に映じる「色」を超えた躍動的な「イメージ」を観る者に喚起し得ている映画や写真は少なくありません。
クロノロジカルに白黒テレビがカラーテレビに駆逐されたように、単にモノクロは「カラー以前」の表現の地平で、豊穣な色彩の世界から色を「引いていった」ものではなく、表現手法として積極的な意味を持つのだと思います。1920年代のドイツ表現主義時代の映画『カリガリ博士』や『ノスフェラトゥ』は現在の撮影・編集技術を使っては決して創り上げることができないと感じるのは、錯覚でしょうか?
芸術作品として、1920年代から30年代の、チャップリンやキートンのコメディ、D.W.グリフィスやカール・テオドール・ドライヤー等の作品の方が21世紀現在の「色の氾濫」とも見られる映像作品よりも上質であったと感じるのは、単にわたしの趣味・主観に過ぎないにせよ、顧みられることのない意見に過ぎないのでしょうか?
カラーとモノクロを使い分けた映画監督としては、ベルイマン、小津安二郎、ロベール・ブレッソン、タルコフスキーなどが思い浮かびますね。
最初にルパンさんが言われたように「表現者の意図は、表現者にしかわからない」イコール「観賞者の感じ方は、見る者によって違う」のを前提としたうえで、みなさんの「モノクロ」へのイメージ、表現における「単色」と「多色」の意味論を考えることが出来ればと思います。
ご回答をありがとうございます。
No.1
- 回答日時:
物質には色彩がありますが、精神と色彩とは無関係のように思えます。
子供の頃に夢がすべてモノクロであることに気が付いて、カラーの夢を
見たいと心から願ったときに(あまりにも純粋でしたねえ)素晴らしく美
しい色彩のみの夢を見たことを思い起こしました。
人間としての感覚のほとんどを失ってしまったジョニーの心はまさにモ
ノクロの世界であったでしょう。
しかし、看護婦から「Merry Christmas」のメッセージを受けとった彼
の心の中はどうであったか?
写真にしても映像にしても、モノクロの方が精神性がストレートに伝わっ
てくる気がします。その時には色彩というものがうるさく思えるときすら
あります。
色彩とは何か?何のためにあるのか?少し考えてみたい。
こんにちは、ニャンポコさん。
>子供の頃に夢がすべてモノクロであることに気が付いて、カラーの夢を見たいと心から願ったときに(あまりにも純粋でしたねえ)素晴らしく美しい色彩のみの夢を見たことを思い起こしました。
これはみなさんにお聞きしたいことなのですが、夢ってモノクロですか?それとも、モノクロの時とカラーの時があるのでしょうか?わたしは夢はカラーです。
それから小説や詩歌を読むときに、そこに描かれている情景を(頭の中で)モノクロでイメージすることは出来るのでしょうか?つまり視覚、色覚が特別な人でない場合は、わたしたちは世界をカラーで認識しています。日頃目にするモノクロームの世界って、新聞や週刊誌に掲載されている写真くらいのものです。そのように「色彩の世界」に生きているわたしたちの脳が、小説や詩・歌を読むときに、情景を「モノクロ」で想像・再現することができるのか?
>人間としての感覚のほとんどを失ってしまったジョニーの心はまさにモノクロの世界であったでしょう。
しかし、看護婦から「Merry Christmas」のメッセージを受けとった彼の心の中はどうであったか?
ニャンポコさんは以前どこかで、『ジョニーは戦場へ行った』のお話をされていたように思います。
そして、わたしも、上記のような感想をもつのですが、何故「現在の」ジョニーはモノクロームの世界に生きていると考えてしまうのでしょう?また「メリー・クリスマス」を受け取った時に、何故「こころが」色づいたようだ、と感じるのでしょう。この辺りの白黒の世界とカラーの世界を存在の内面に対応させてみたいと思い質問しました。
>写真にしても映像にしても、モノクロの方が精神性がストレートに伝わってくる気がします。その時には色彩というものがうるさく思えるときすらあります。
わたしも同感です。その理由として、モノクロ写真は撮られた時期が古く、今は見られない風俗や街並み、ファッションを写していて、単にその時代に共感を寄せているだけで、逆にカラーはおおむね現在(最近)であって、わたしのように「古きゃいい」といった頑固な人間にはそれが「鬱陶しく」感じられるのかも、などと思ったりします(苦笑)
ご回答をありがとうございます。
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