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【長谷川豊】「死刑反対」の人権派は「死刑」の根本的な意味を分かっていないんじゃないか?
https://oshiete.goo.ne.jp/watch/entry/b38e511fd0 …

この長谷川豊さんの記事で、死刑反対の人権派が分かっていないという死刑の「根本的な意味」とは何でしょうか。

本文中には「意味」という語は1度しか使用されていません:
> せっかく死刑にするなら、もっと「教育」に役立てないと意味がないと

死刑の根本的な意味は「教育」ということでしょうか。

質問者からの補足コメント

A 回答 (13件中1~10件)

> 死刑の根本的な意味は「教育」ということでしょうか。



この記事からは、その解釈で妥当です。

なぜ、それが判りにくいか?と言うと、長谷川氏が「根本的」と言う言葉の使い方を、間違っているからでしょう。

死刑の根本的な意味は、「死刑に処す以外に術が無い様な、凶悪な犯罪を引き起こしたから」に他なりませんからね。
その死刑と言う刑罰執行に際し、「みせしめ」的な教育効果を求めるかどうかは、別の次元の話です。

長谷川氏の理屈で言えば、死刑のみならず、あらゆる刑罰の執行は、どんどん「公開」にすりゃ良いです。
たとえ情状酌量の余地が多大にあっても、前途ある人の命を断てば、無期懲役刑に処され、獄中で辛い日々を過ごすとか。
子供のいたずら程度でも、万引きなどしたら、保護観察処分を受けて、社会から白い目で見られ、まともな職にも就けず、転落人生を歩むとか。

そう言う姿を白日に曝せば、教育効果は高いかも知れません。
しかし、もしそれで犯罪の無い平和な社会が営まれるなら、NHK(教育)あたりは、「今日の死刑囚」「犯罪者の末路」みたいな番組を、毎日、放送してるんじゃないですかね?
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この回答へのお礼

ありがとう

> 長谷川氏が「根本的」と言う言葉の使い方を、間違っているから

逆に、間違っていないとすると、とても邪悪で恐ろしい思想の人物のように思えます。

お礼日時:2016/08/24 03:42

こういう議論で、個々の事例をあげつらっても仕方がないということがお判りにならないのですね。

どんなことにも例外はあるし、反対意見はある。また死刑の是非に関しては、決着のつくような問題ではない。そもそも、リトマス試験紙で簡単に酸性かアルカリ性か判定できるような話ではないから。
長谷川氏の文章は、いわゆる「人権派」(この場合、アメリカの加害者側の弁護士および新聞記事)に対する違和感を表明したものです。
当該の被害者家族が満足したかしないか。そんな個々の事例は関係ないのです。あくまで長谷川氏自身の意見の表明なのだから。

>こういう記事を読むたびに、ものすごく違和感を感じるのです。
>もっと苦しめて全然いいんじゃないのって考え方の人間なんです

そのうえで、いちおう、自分の意見を補強する材料として

>私、仕事の関係で、今まで100人以上の「事件・事故のご遺族」に直接話を聞いてきたんですよね。

といっている。
上記の文に続く一連の段落では、「人権派」への疑問を表明すると同時に、被害者の権利はどうなるんだ?という疑問を呈しています。

この一文では、長谷川氏は小学生に見せることが正しいと信じているようだ。で、だから何?

>そのレイプ犯、その殺人鬼、裁判所なぞに任せませんぜ? 絶対に自分の手でヤるわ。そんなゴミクズ。

つまり長谷川氏は、死刑さえ生ぬるいと思っているようだ。

死刑は残酷だ。死刑をするなら苦しめてはいけない。
そういう意見、ご立派とは思う。理屈もわかる。というより、そういう理屈を書いた人権派の本などを何冊も読んだ。しかし、結果として納得できず、私は死刑に賛成している。つまり長谷川氏と基本的に同じ側に立っているので、長谷川氏の気持ちを代弁してみたまで。ただし、私は長谷川氏ではないので、まるっきりの勘違いということもあり得る。

納得できないなら、長谷川氏に直接、質問してください。
面倒みきれません。
少なくとも、私は、いちおう私の主張の補強材料も提示し、また死刑反対派への一定の理解も示している。それに対して、貴方は自分の主張、死刑反対らしいが、それに対してなぜそう思うのかといった根拠をまったく示さずに、質問ばかり重ねてくる。しかも、こちらの文章をきちんと読まずに。いくら何でも失礼と思う。


例えば私たちの正義の行いのボタンはどうして3人同時に押すのでしょうか

あのね、死刑執行官はお仕事だから。人殺すのが好きでやってるわけじゃないから。人を殺すことなんて、普通の人間はいやなの。しかも被害者家族に殺せというと、それまた問題あるでしょ。かといって、人殺すのが好きなサイコパスにやらせたら、もっと問題だし。

どうして、こんなバカな質問できるのかな? 少しは自分の頭で考えてください。

ということで、申し訳ないが、これ以上のお相手はいたしかねます。
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この回答へのお礼

解決しました

この質問は「長谷川豊さんの主張は正しいか」ではありません。「長谷川豊さんは何と主張しているのか」も正確ではありません。「長谷川豊さんのこの記事は何と主張していると考えるべきか」です。

> 根拠をまったく示さずに、質問ばかり重ねてくる

長谷川豊さんはこの記事で、ただの死刑の意味ではなく人権派が分かっていない死刑の意味を伝えようとしています。この時点でその結論は、今まで聞いたことがないものであると予想されます。報復や犯罪抑止は、非常に有名でうさん臭い人権派も間違いなく知っていますので、人権派が分かっていない死刑の意味としては最初に除外されるべきですが、それでも彼が100人にインタビューした統計は彼しか知らない新しい見識ですし、10分間の死刑執行による復讐の結果も新しいので、これらが人権派が分かっていない死刑の意味であるかもしれません。しかし、どちらも記事には書かれていません。

教育:「教育」とは何か。それには今すでに「教育」であると認識している対象と比較しています。
・教育のために科学実験を体験させます。
・教育のために原爆資料館を見せます。
・教育のために死刑を残酷にします。

最後の文は今まで聞いたことがないです。

お礼日時:2016/09/03 14:14

>人が残酷に時間を掛けて殺されていく様子を子供のころに見たかった



「見たかった」人に見せたら、それは喜ばせてあげることになりそうなので、質問したのですが。

自分が子どもの頃、死刑を見たかったかといわれても、答えは子供の頃そんなこと考えなかった、なので、質問者さんは見たかったのかなぁと思ったまでです。

死刑に反対する理由。いろいろ思いつくし、知ってもいる。
もっとも大きなものは法律の自己矛盾ですよね。一方で殺人を禁止しているのに、司法による殺人は許されるのか?
いろいろ考えた上で賛成している。面倒なのでこれ以上説明しない。

3.に関していえば、たぶん復讐感情は100%は満足されないし、被害者遺族は癒されない。それでも、犯人が生きているよりはマシと自分自身を納得させるしかない。そして遺族が自分を納得させる材料として「犯人も命をもって償った」という事実は、助けになると思う。(私が思うことで、たぶん長谷川氏もその意見だと思うだけ。ほかの意見も知っているし、それはそれで尊重する)

4.フィクションでも見たくない。それは個人の自由。事実でも、原爆資料館を子どもに見せるべきか否か、議論があるんだし、それは人それぞれだよ。正解なんかない。わたしは見せるというだけだ。
そもそも、私はとっくにその問題は提示してます。殺人被害者遺族でも死刑廃止運動をしている人もいる、人それぞれだと。その上で私はと書いている。たぶん長谷川氏も、と書いている。

きちんと文章を読んでください。
だけど三行以上の文章も書けるようで、安心しました。別に皮肉ではなく。
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この回答へのお礼

ありがとう

> 復讐感情は100%は満足されない

記事は遺族が「何百倍も苦しんでいる」ことには触れられていますが、遺族の復讐感情には全く関心がないように思えます。例えば、この被害者(22歳の女性)の遺族が満足したとも満足したはずとも書かれていませんが、残酷な死刑を見せることに関しては「絶対にその方がいいはず」と書かれています。復讐感情が「根本的な意味」であれば、10分間の死刑執行によって通常より満足した/満足したはずと書かれているべきだと思います。

> それは個人の自由

記事に「死刑執行シーンはみんなに見せた方がいい」とありますが、みんなに見せるがこれを見ないのは自由ということでしょうか。将来の「ゴミ」候補の小学生がどこに潜んでいるか分からないのでネット生中継で全員に強制的に見せるのだと思ったのですが。

お礼日時:2016/09/02 02:52

No.9&10です。



では想像してください。
>米村でんじろう先生の体験科学実験ショーを子供のころに見たかった/子供に見せたいと思いますか?
>人が残酷に時間を掛けて殺されていく様子を子供のころに見たかった/子供に見せたいと思いますか?

別に想像する必要もなく、米村先生のショーは私に限っては子どもでなくても見たいです。次の問いは、ひっかけですか?
>人が残酷に時間を掛けて殺されていく様子を子供のころに見たかった…これだけで断言できませんけど、まるで社会的病質者のいいぶんですね。
「残酷に殺されていく様子を見たかった。子どもの頃はできなかったから、大人になって実行した」

わたしが例に挙げた重罪犯刑務所の見学は、犯罪を犯した少年たちに向けたものです。つまり将来の重罪予備軍。こういう少年たちには死刑の様子を見せるのも、一つの教育だと思いますよ。なぜなら、もう一度書きますが、絶望的に想像力に欠けるから。
長谷川氏の「すべての子どもに死刑をみせろ」は反対が多くて到底実現しないでしょうが、個人的に高校生以上にならOKと思います。ま、それより先にアメリカ製の薬物中毒者がどんなにミジメかというドキュメントを見せたいけどね。クラックベイビーとか。


>記事で例として挙げられている「22歳の女性」のご遺族(誰?)は「復讐感情の満足」を得たのでしょうか。

記事で触れられていないので、個別のケースはわかりません。
しかし、以下のような文言で十分では?

>もっと苦しめて全然いいんじゃないの
>殺された周囲全員に、どんな傷を与えたバカなのか、ちゃんと調べなきゃダメ
>この殺されたお嬢さんは10分どころか、苦しみまくった挙句、死んでるんだぜ?
>このお腹の赤ちゃんは、この世に生まれることすら出来なかったんだぜ?
>このお嬢さんのお父さんやお母さん、恋人は一生苦しんでるんだぜ?
>夜も寝られず、食事もとれず、どれだけ苦しんだと思う?
>ご遺族って、皆さんが思ってらっしゃるよりも、何百倍も苦しんでいるという事実。

あえて書かなかったが、人権の平等性もあるでしょう。加害者の人権と被害者の人権の平等。


逆に、quokprさんに質問なんですが、

1.死刑に反対なのですか? だとしたら、何を根拠に?
2.加害者(この場合は死刑囚)に過剰な人権的配慮がなされることを当然とお考えですか?
死刑の際に、わずか10分ですら苦しめてはいけない。もっと楽に殺してあげるべきだと?
その場合、被害者(とその家族の)人権はどうお考えですか?
3.自分の家族が殺されても、犯人を殺したいなどとは一切思わないのですか?
4.人が殺される様子を見せるのはダメだとお考えなら、シューティングゲームとか映画とか全部ダメという可能性もありますし、現実に規制を主張する人たちもいますけど、どこが境界線なんですか?映画「デッドマン・ウォーキング」では死刑の様子が克明に描写されてましたが、ああいうのも18禁にすべき?

きちんとご回答お願いします。
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この回答へのお礼

Thank you

> 次の問いは、ひっかけですか?

いいえ。長谷川豊さんの記事では測定可能な(教育的な)成果に言及していませんので、体験科学実験ショーを見たい/見せたいと思う気持ちに似ていると思ったのです。

1. 今すぐどちらかを選ぶのであれば存置にすると思います。事実、死刑があるのに特に反対の活動などをしていないという意味です。しかし、考えれば考えるほど反対したい理由はたくさん湧いてきます。例えば私たちの正義の行いのボタンはどうして3人同時に押すのでしょうか。ここで死刑賛成と答えるとダーイシュ(ISIL)の公開死刑にも何らかの賛成をしたという意味になるでしょうか。むしろ、あなたは死刑に反対する理由をただの一つも思いつかないのでしょうか。

2. 死刑で死ぬこと以外の苦しみは判決に反していると思います。

3. 分かりません。犯人を殺したいという感情が予測可能だとは思いません。予測可能性とは例えば「死刑によってx%の復讐感情が満足された」などという数値xです。

4. フィクションでも見たくないものがあります。死刑を行うのであれば原理的には主権者として?たぶんそれを確認しなければならないと思いますが、本当に効果的だとしても私はそれを見たくも見せたくもないです。

ともあれ、ここでは長谷川豊さんの記事における死刑の意味を質問しています。

お礼日時:2016/08/31 02:28

No.9です。


すみません、書き忘れました。
死刑の根本的な意味。
その一つに、被害者の復讐感情の満足が上げられると思います。それが頭にあったために、パリのテロ犠牲者の行動を書きました。長谷川氏の頭にも、それがあったと思います。

もちろん、復讐感情などというものは、進歩的で文明的な方々には無縁のものなのでしょう。しかし、私は好きな人には近づきたいと思うような至って原始的な人間なので、愛する者を殺されたら、犯人を殺したいという感情を抱くのです。

なぜかと聞かれても、答えられません。面倒くさい。

以上(笑)
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この回答へのお礼

ありがとう

記事では直接触れられていないと思いますが、「死刑」の根本的な意味は「復讐」でしょうか。記事で例として挙げられている「22歳の女性」のご遺族(誰?)は「復讐感情の満足」を得たのでしょうか。

お礼日時:2016/08/27 16:46

>ナメたことをやったバカが、どんな苦しんでごみ箱に捨てられるのか、見せた方が絶対に将来の役に立ちます。



この文には前提があると思います。
犯罪を犯す人間は、多少なりとも想像力が欠如している。という前提です。
→被害者の苦しみを想像する力、そして自分の行為がどのような社会的制裁を受けるものなのか推し量る力、最後に、社会的制裁の結果が自分と自分の周囲にどのような結末をもたらすか思い描く力。
具体的に書くと、このような三つの想像力にまとめられると思います。

そして、この文章で長谷川氏は、この死刑の記事を書いた記者、ひいては伝えているマスコミ、そして「人権派」という人たちにも同様の想像力のなさがあると揶揄しています。

>「人権派」とか名乗ってる人たち、そういう汗かいてきたんでしょうかね?
>私、残酷な人間なんだか知りませんが、こういう記事の書き方、大嫌いです。

という文章の前後、この2つの段落が「人権派」への非難です。

なぜ非難するかといえば、「犯罪者の権利」ばかり優先され、「被害者の権利」がないがしろにされている(と彼は思っている、と一応書いておきます)現在の司法制度、マスコミの論調に長谷川氏が憤っているから。

結論として、死刑はもっと残酷で良い。そして、あえて死刑を見せて「教育」に役立てるべきだと結んでいるわけです。

なぜかここでは「人権派」が幅を利かせているようですが、私は長谷川氏に大筋賛成です。つまり「人権派」ではありません。
日本では知りませんが(私が知らないだけだと思います)、アメリカの報道番組で殺人事件のご遺族(犠牲者のご家族です)が死刑反対運動に参加しているのを見たことがありますから、たぶん犠牲者の心情も多様なのだと思います。そして私は事件関係者になったことがない。だから想像でしかありませんが、長谷川氏の心情、もし自分の家族が殺人事件の被害者になったら云々には共感します。どうしたって自分の愛する人間を殺した人間を簡単に「許す」などとはいえないと思うのです。
だからこそ、死刑に教育的効果は期待できると思うし、抑制効果もあると思います。一時期、ここでいう「人権派」がもっと幅を利かせていた時代、盛んに「死刑に抑制効果はない」という心理学・統計学的論文が提出されていましたが、結局、決定打はでませんでした。

それに、同じくアメリカのドキュメンタリーですが、軽犯罪を犯した少年受刑者たちに、重罪犯ばかりの刑務所を訪問させるというものがありました。これで少年犯罪の再犯率を大幅に下げられたという話です。似たような研究報告もいくつか読んだことがあります。

ただ、私はたぶん憎い殺人者を前にしても、復讐で殺す勇気はでないだろうとも思います。たとえ許されても。それもあって、長谷川氏に“大筋”賛成であって、“全面”賛成ではありません。

パリのテロ事件の犠牲者のご家族が示した意志、「あなたたちに名誉はあげない」でしたっけ。あの行動には、本当に感動しましたし、そうありたいとも思いました。しかし、あのような意志を示せる人は少ないと思います。ましてや思想犯ではなく、ただの絶望的な想像力の欠如、頭の悪さによる犯罪には、こちらもそれなりのドギツイ手段で対抗するしかないのではないかと思います。少なくとも、わたしには何不自由のない刑務所暮らしが辛い刑務所暮らしよりも「矯正」効果が高いとは信じられません。どこかに刑務所の待遇を良くしたら再犯率が下がったという、信頼できる統計結果でもあるのなら、ぜひご教示いただきたいものです。

江戸時代の刑罰を野蛮と一刀両断するむきもいらっしゃるようですが、その時代なりの合理的な判断なのですよ、あれは。死刑囚という何の生産もしない、ただただ社会から隔離しておくしかない人間に、何十年もタダ飯を喰わせることができるほど豊かな社会ではなかったというだけの話です。

しかし、死刑囚に無駄にタダ飯を喰わせて生かして、犠牲者にはほとんど補償もないのが本当に正しい社会なのか、私にはわかりません。いまマスコミが騒いでいる強姦など、被害者は何十年も後遺症に悩まされることもあるのに、そのカウンセリングの費用を加害者にきっちり払わせる手段がないなんて不合理にしか思えません。

それと、長谷川氏が「教育」という言葉を使ったからといって、体罰と一括りに論じるのは、いくらなんでも悪意がありすぎるかと。ここで長谷川氏が論じているのは、強姦殺人犯の死刑にあたって「苦しみのないように配慮すべき」という行き過ぎた人権派とマスコミの、犯罪者保護、犯罪者への配慮に関してなのですから。

ま、私も野蛮でどうしようもない未開の人間なのでしょう。これでも「デッドマン・ウォーキング」やら「グリーン・マイル」も観たんですがねえ。
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この回答へのお礼

Thank you

では想像してください。
米村でんじろう先生の体験科学実験ショーを子供のころに見たかった/子供に見せたいと思いますか?
人が残酷に時間を掛けて殺されていく様子を子供のころに見たかった/子供に見せたいと思いますか?

お礼日時:2016/08/27 17:21

> 逆に、間違っていないとすると、とても邪悪で恐ろしい思想の人物のように思えます。



同感ですが、彼自身は、「間違いとは思ってない」と思いますよ。
すなわち、冤罪などではなければ、凶悪な犯罪者は、「みせしめにせよ!」と本気で考えているのでしょう。

確かに古今東西を見渡せば、それを目的とした時期も存在します。
中世のヨーロッパの「魔女狩り」とか。
マリー・アントワネットを断頭台で公開処刑にするとか。
日本でも江戸時代は、磔刑(たっけい,はりつけ),火炙り,晒し首など、残酷刑は多数ありました。
更には、死刑より残酷とも言われる、手足を切り落としたまま生かすなど、「陵恥刑」もあります。

ただ、少なくとも先進国においては、遅くとも19世紀くらいに、それらの刑罰は、ほぼ姿を消しています。
しかし長谷川氏は、それらの方が社会にとって有益であり、それが死刑(刑罰)の根本であると言う主張です。

自然界の動物は、命を賭けて殺し合うことはありますが・・。
「みせしめ」と言う動機で、他の生物の命を奪うなんてことがあるのでしょうか?
それが根本であることなど、ちょっと考えられないし。
こんな考え方は、「畜生にも劣る」と感じます。

言い換えれば、教育における「体罰」と言う方法に近く、体罰も教育上、有効な手段ではあります。
ただ、体罰と言う術しか教育方法を持っていない教師や指導者は、無能と言わざるを得ません。

すなわち体罰とは、教育方法の一つに過ぎず、多くの教育スキルを有す優れた教師にとっては、体罰は必ずしも必要なスキルではないし。
多くのスキルを有す優れた教師が、「体罰が最善」と考えた場合や、「体罰以外に術が無い」と考えた場合のみ、体罰は容認されるべきかと思います。

しかし長谷川氏は、「教育の根本は体罰である」みたいな主張をしている格好で、他にスキルを持たない無能なアホ教師と同じ様な考え方です。
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助かりました

みせしめ:
同じような犯罪が再び行われないように、私たちを残酷な死の恐怖で「教育」することが死刑の根本的な意味だとすれば、「死刑にするなら、もっと残酷に殺すべき」理由は「私たちの」恐怖が増すから、と本文の記述に納得できるような気がします。

お礼日時:2016/08/27 19:04

>彼はプロのアナウンサーです。

語彙が豊富で単語の選択も正確だと思います。

まずアナウンサーは所詮原稿読みです
またアナウンサーだから語彙が豊富だとは限りません。
とくダネ!当時もアナウンス力よりはむしろキャラクターで売っていました

>彼は文書が下手なのではなく理解しがたいほどに邪悪なのではないでしょうか。

ここは半分同意。邪悪というかそういうキャラクターを作ろうとして力不足で失笑を買っている感じ?
とくに彼の文書を普通に段落ごとに分解してよむと、彼の稚拙さがよくわかると思います
組み立てがおかしいし結論への持って行き方もぜんぜんできていない
そもそも質問者さんが疑問をもつように、結論がみえてこない
理路整然としないところは鳥越レベル

いずれにしろ彼に期待し過ぎないことです
ひまつぶしの三文記事ていどでうけとめれば腹も立ちません
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この回答へのお礼

Thank you

彼が死刑執行シーンを記録したスナッフフィルムを入手したとしたら、教育のためにと自分の子供に見せるでしょうか?
本当に子供に見せて感想を語り合いたいのかもしれないです。
子供の教育のタメだと言って自分が見たいだけかもしれないです。
「自分」や自分の家族は「教育」の対象外かもしれないです。
こんな狂気をアナウンサーの技術で語ることのできる彼はとても興味深い存在だと思います。

お礼日時:2016/08/27 19:10

教育に役立てるべきだというのももちろんですが,


普通に読めば「死刑により少しでも被害者遺族の感情が和らぐ」
とも言っています。だからもっと残酷でもいいと。

それにしても感情的で一方的かつ非論理的な文章ですね。
死刑賛成派の人が読んでも呆れるでしょう。
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この回答へのお礼

Thank you

遺族が一人もいなければ、死刑は残忍であってはいけないでしょうか。「死刑にするなら、もっと残酷に殺すべき」とあります。
彼はプロのアナウンサーです。非論理的な文章を公にしたりしないと思います。

お礼日時:2016/08/24 03:33

死刑は「残酷な罪を犯せば、残酷な刑を受ける」ということを人々に教える「教育」だと言いたいんでしょうね。

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助かりました

「教育」説ですね。

ご回答を受けての後出しですが考えてみました。
「残酷な罪」と「残酷な刑」との対比はそれほど強調されていないと思います。逆に「死刑にするなら、もっと残酷に殺すべき」とさえあります。(死刑で)残酷に人が殺されるところを見せることが「教育」に役立つということではないでしょうか。

お礼日時:2016/08/24 02:54

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