アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

上辺だけの優しさと本当の優しさの違いってなんですか?
調べてみても、当てはまる部分と当てはまらない部分があります。
私は小さい頃いじめなどにあったり、人に助けられたことが多々あり、人には親切にしていこうと生きてきました。
だからこそいまの私がありますし、自然に人を助けることができるようになりました。
自分では気づかなくても、友人に親切だね、などと言われるとやっぱり嬉しいです。

でも、怒ることはあまりしません。
どんなに仲が良くても、たぶん嫌われたくない、という本心があるんだと思います。
仲がいい人には強めに、言い聞かせるようには言いますが、怒ったことはないです。
彼女に対しでそうでした。
こう思うと、自分のしてきたことが、ただの上っつらだけのものだと感じてしまい、かなりショックです。

調べて感じたのは、私は余裕がなくなると機嫌が悪くなります。
すぐ謝りますが、時間に迫られているは時に、どうでもいい話をされると、かなりぶっきらぼうな対応をしてしまいます。
自分に余裕がないからこういったことになるのだとは思いますが、これを思い出してますます自分の生き方が上辺だけのようで悲しくなりました。

客観的にみても、やはり上辺だけでしょうか?

A 回答 (9件)

3つあると思います。



1. 自分も相手も大切にする、自然体の優しさ
2. 自分を裏切っても、相手に合わせる、自己犠牲の優しさ
3. きれいな言葉を使いながら、相手を犠牲にして自分が利益を得る、利己主義のうわべの優しさ

うわべの優しさは、3.だと思います。
優しい言葉や物腰なのに、自分にばかり都合よい関係。
自分をきれいな言葉で飾っているだけで理不尽。
あげるふりをして、実は相手から盗んでいる。
「冷たい優しさ」が特徴です。自分は自分、他人は他人と思っている。
メンヘラを搾取する。気づいた人は去っていきます。

2.は、自分に被害が及ぶだけで、人には被害がありません。
人の痛みを知る分、自分のことのように同情心が強く、人を苦しめることができない。
優しくて温かい人です。
メンヘラに依存されやすい。自分自身に被害が大きいので、長く続けるのは辛い。
ストレスを我慢しているので、辛いときに出る。


1.は、これが理想です。だれもむりせず、win-winで永続性がある。
自分の主張もちゃんとするので、信頼も置かれます。
ストレスのある環境はできるだけ避けます。
がまんをしてないので、ストレスもたまらず、人にもぶつけない。


ちょっとずつ、1の要素が増えると、いいんじゃないでしょうか。
    • good
    • 0

あなたが、と言う意味では決してありません事を前提として書かせて頂きますが、優しさって往々にして自己満足なことが多いような気がしますし、傲慢さや独りよがりを伴う事も多いような気がします。

(これは私自身を含めての事です)

世の中、中途半端に優しい人が多いのでしょうし、それは多少なりとも人の好き嫌いも出てしまうので、いた仕方ないようにも思えます。

ただ、本当の優しさは、それを与える側も、もらう側も、心が自然に喜んでいないといけない気がするのですよ。
どちらかが無理をしたり、負い目や、遠慮が感じられるようでは、本当の優しさとは言えないのかも知れませんね。

例えば、何かの施しをする場合……。
施しをする側は相手の喜ぶ顔が嬉しく、感謝が気持ちよく、優位に立てた気がします。
しかし、されるばかりの側の人は、その人がまともな人であればあるほど、施しに対し負い目や申し訳なさを感じてしまう場合が多いです。

本当は人に優しくする事や施しをする事で自分自身の徳が積めるのだし、される側だって相手の徳積みに貢献しているのだから、さほどの負担を感じる事は無いのでしょうが、やはり、受身ばかりでは申し訳なく思ってしまうものです。

又、一見優しソウな人は多いけれど、本当に優しい人って一万人に一人居るか居ないかなのでは無いかな……なんて私は思っています。

本当の優しさは、相手が望んでる事のみを与えられる人であり、相手が良くなるためのお手伝いやヒントを与えられる人のような気がします。

神にほど近く、誰に対しても純粋な気持ちから優しく有れる人って、かなり少なく、又、かなり難しい事のような気がします。

人の為、人の為、と言いながらも、実は人に優しくしてあげている自分に満足したい為であり、自己評価を上げる為であり、それは字で書くと(偽)になるんだよ……と、言い得て妙な事を聞いた事があります。

でも私もやはり人に対しては冷ややかな人よりも優しい方が素晴らしいことだと思いますし、誰に対しても優しくありたい。人に対しては真剣でありたい、とは思います。

ただ、それは相手の機嫌を取ることではなく、その場は煙たがられても、行く末は相手の身になることを言って差し上げることかも知れませんね。

無理や計算や裏のない優しさを、私もちゃんと身につけたいものですが、これは中々難しいことですね。
    • good
    • 1

私はそのまんまで良いんじゃないかと思います。



逆に考えてみると、「私は本当の優しさに溢れた人間だ」と自覚している人間なんて気持ち悪いし、
そういう人は自分の優しさが人に迷惑をかけているとき、それに気付けません。

「私は今善意でこういうことをやったが、これは本当の優しさだっただろうか」
「私の態度は上辺だけのものじゃないだろうか」
「今、余裕がなくて私は機嫌が悪くてぶっきらぼうな対応をしてしまった」

そういう葛藤を抱え、いつも自分に疑問を持ちつつ、それでも人に対して優しくありたいと思えるのが
強いて言うならば「本当の優しさ」と言えるものじゃないかと思います。


それから、人間の動機はふつう一つではありません。
例えば心底仲の良い夫婦を見てみても、
妻への愛情が、一片の下心も肉欲も含まないという夫は少ないと思います。
かといって、下心だけで妻と長年連れ添っている夫もいないでしょう。
家族になれば経済的な問題や生活の安定についての打算だって当然入って来ます。

でも、別にそのどれか一つが本質で残りはニセモノ、ということはないですよね。
妻の身体に興味があるから体目当てで本当の愛情はない、と言われても困ります。
別に、肉欲も本当の愛情も同時にあっていい。
そういう色々な感情や欲や打算が混ぜこぜで、それらをひっくるめて「この人と良い関係を保ちたい」
「今の私のやり方でそれが出来ているだろうか」と努力し、問い続けられるのが「愛情」だと私は思います。

質問者様の「優しさ」も、たぶん単純な利他心だけじゃなくて、色々な混ざり物が含まれていると思います。
例えば功名心や虚栄心、打算、規範意識、過去の自分との辻褄合わせ等々。

でも、だから利他心がニセモノだ、本当の優しさじゃない、というわけではないと思います。
純粋な利他心も、多少の功名心も打算も全部ある。でも、利他心だって確固としてあるし、
そういう色々なものをひっくるめて「相手の役に立ちたい」と思い、「本当に役に立っているか」と
問い続けられるならば、それが優しさじゃないでしょうか。
    • good
    • 1

人におすすめできない生き方なら上辺だけってことでしょう。


中身がある生き方なら本人も充実してるはずだし、人にもすすめたくなるものです。

ダメなものをダメと言えない人生など、他人から食い物にされるだけの人生です。
    • good
    • 1

いいえ、人間味あふれて良いと思います。

    • good
    • 0

私も八方美人のように行動することが少なくなく、克服したいと思っています。



そんな私が考えてみると、上辺だけの優しさって、結局は自分のための優しさなんだろうと思います。
ここでこんな対応をすると相手は喜んでくれるだろう・・・すると、自分もよく思われるだろう。と言う思い。
本当に相手のことを考えてではなく、一般的に良く思われる行動(優しさ)のこと。

本当の優しさは、本当に相手の人生が良くなるように考えているのだと思う。
相手に喜んでもらえるかではなく、相手の人生が良くなるようにすることが本当の優しさなのかな。

違いが分かりにくいけど、大切な場面での行動が変わってくると思う。
    • good
    • 0

上部というか本音で人と会話してないのでは?


親い人はそれを理解してしまったとかね
嫌われたくないから怒らない、人に合わせる、優しくする
やってんじゃないの?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

人に言われたことはありません。
優しすぎるとは言われますが、そのたびにわからなくなります。
本音でも語りますが、いつも本音とまではいかないですね

お礼日時:2016/08/29 23:40

下から染み出るのも本当だが、上から染み入ることだってあるんだよ。



「普段の心がけ」って重い意味がある、と思っています。

信じている、というか、そうですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うえから染み入るものもある…
なるほどです!
有難うございます\(^o^)/
普段から頑張ります

お礼日時:2016/08/29 23:39

人間なんだからムラがあって当然だよ。



態度に一貫性がない!自分は偽善者だ!

と思ったの?あなたは聖職者なの?違うでしょ?

あのね、まず「人に優しくしよう」は、
実は歪んだ発想なのは分かる?

もう傷つきたくないが故の受け身の発想なの。
分かるかな、説明難しいな。

だから「自分を信じよう」に変えてください。

人間なんだからムラがあって当然、人に優しく出来ない時もある。
それでいいの、それをあるがまま受け止めなさい。

自分の感情を、行動をあるがまま受け止めなさい。

あなたは自然体の自分でいること。
自然体のあなたも十分優しいのよ。
常に優しくしないといけない理由なんてどこにもない、あるのは自分がいつの間にか作った歪んだ受け身の発想。

優しく出来ない時もある、それは仕方ない。

あるがまま受け入れてください。

そしてあなた自身の感情をストレーザに受け止めてください。嫌なら嫌、面倒なら面倒、キライならキライ。

感情の受け止め方をごまかすと、精神が不健康になりますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございます。
たぶん、おっしゃる意味はわかるかと。
それに、優しくする、と思ってる時点でうえからですよね(・・;)
優しくできない時もあるのはわかりますが、きつく当たった時点で後悔してしまいます…
自分勝手に生きてみたいですが、自分勝手な人を目の当たりにして、ああはなりたくありません。
実際我慢して我慢して、いまはほんとに疲れました…
だからこそこういったことを思うのだと思います。
どうしたらよいのでしょう…
自分を出して行きようにも、染み付いてしまって何が自分なのかわかりません。。

お礼日時:2016/08/29 23:38

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!