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尖閣諸島について


1895日本の領土になったのは知っているんですが、その前はどこの国が所有していたのですか?またどの様にして、領土にしたんですか?

A 回答 (5件)

日本の領土になる前は、いずれの国の領有にも属せず、いずれの国の支配も及んでいない、国際法でいうところの「無主の地」でした。

 1884年(明治17年)に日本人古賀辰四郎が尖閣諸島を探検し、翌85年に同島の貸与願いを申請しました。同島でアホウドリの羽毛の採取などが試みられ、周辺の海域で漁業をおこなう漁民の数も増えるなか、沖縄県知事は実地調査をおこなうこととし、尖閣諸島が日本の領土であることを示す国標を建てるべきかどうかについて、政府に上申書を提出しました。 政府内での検討の結果は、国標を建てて開拓にあたるのは他日の機会に譲る、というものでした。 日本政府はその後、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで、1895年1月14日の閣議決定によって尖閣諸島を日本領に編入しました。 歴史的には、この措置が尖閣諸島に対する最初の領有行為です。 これは、「無主の地」を領有の意思をもって占有する「先占」にあたり、国際法で正当と認められている領土取得の権原のひとつです。
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この回答へのお礼

大変詳しくありがとうございます。
ルールに沿って獲得したならば、間違いなく我々の領土なのですね。
あとは、国際法がどこまで効力あるのかとか色々と知らなければなりませんね。

また興味が湧きました。ありがとうございます‼️

お礼日時:2016/09/11 17:00

日本側の主張では、日本が1895年に領有を主張するまでは無主地であり、


どこの国のものでもありませんでした。これは他の回答者が述べる通りです。
難しいかもしれませんが、少し解説の意見を述べておきます。



近年になって、領域の権原、つまりどこの国のものかを明確にすることが
欧米を中心とした先進国で活発になりました。
たとえば、アメリカは先住民族が占有していましたが、白人たちが権限を
明確にするために安価な金品と交換したり、泥酔させて書類をかかせたりして
土地を奪っていきました。
マンハッタン島はオランダ人が占有する部族と対立する部族に商談をもちかけ
ガラス玉や短剣など24$相当と交換したのは有名です。
小笠原諸島は普通に考えれば日本の領土ですが、大航海時代に「発見」され
フランス人が母島をエンゲル島と名付けたり、イギリス人が領有宣言したりで
アヘン戦争時にはイギリスの占領計画がありました。
日本が正式に領有を宣言したのが1876年です。
このような時代なので、日本も領土を明確にする必要がありました。
そこで、積極的に無主地と考えられる島の領有を宣言していきました。
尖閣諸島や竹島の領有宣言はこの流れに沿ったものです。



一方で、中国の主張は当然ですが違います。
尖閣諸島は中国がかつて先占によって領有していた中国固有の領土との主張で、
それを日本の植民地支配によって侵略されたので、第二次世界大戦の結果
中国に返還されるべきものであると主張しています。
尖閣諸島は沖縄へ向かう航路にあるので、古くから存在を知られていました。
15世紀の明の時代から記録にたびたび登場し、当時の認識では沖縄ではなく
中国が領有していたと考えています。
1895年は日本が日清戦争で優位に立っていた時に一方的に宣言したもので、
下関条約(日清戦争の講和条約・馬関条約ともいいます)によって
中国固有の領土を奪う意図で行ったという主張です。



中国の主張に正当性があるかは素人では断言できませんが、
中国が領有権を主張し始めたのが1968年の国連による海底調査によって
海底油田の存在が指摘されてから。
それまでは地図や公文書では日本領としていました。
中国の記録も明確に占有した記録はなく、「航海中にみた」などで、
島の記録があったというだけの主張は領有の権原の根拠にならない
ということは国際法においてはパルマス島事件で確定しています。
沖縄ではなく中国の付属諸島という主張は、1920年に尖閣諸島の島民が、
中国の遭難者を救助した事に対して中国政府の発行した感謝状にはっきりと
「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と書かれていますので、
当時の認識は台湾付属ではなく沖縄県です。
下関条約は1895年4月なので、日本の領有より後の話です。
今の政府や高官は、この経緯を認めずに固有のものと主張しますが、
中国の主張はたかだか半世紀しか歴史がないものです。



もし、興味があれば尖閣問題のWikiをお読みください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3 …
その上で、英語版Wikiも見てみてください。
(左側の各言語を選択して自動翻訳でもある程度わかると思います)
現在はだいぶましになりましたが、それでも中国の主張が先に
日本より詳しく記載されているでしょう。
フランス語では「中国の領土だったが日本が占領した」となっていました。
イタリア語も同様の主張です。
中国語は当然中国の主張で、歴史概況で「馬関条約によって日本に割譲」です。
(書き換えられていたらごめんなさい)
日本はもっとしっかりと主張していくべきだと思います。
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質問者さんの質問についての回答はすでに出ていますが、さらに詳しく知りたければ下を参照してください。



http://matome.naver.jp/odai/2134536780334484101

で、中国が自分の主張が正しいというなら、国際司法裁判所に訴えて白黒つける方法があるわけです。
日本政府は以前から受けて立つことをはっきり言っているのです。
なぜ訴えないかというと、中国は自身が負けることが分かっているからです。
実際、現政権国営の地図出版社の発行した地図にもはっきりと日本領である旨書いた地図も残っています。
それが日本にもわたり残っており、証拠としてしっかり保存されています。
中国政府は最近、北京王府井の古書店で、その様な表記の地図を買いあさったりもしています。

日本は実効支配しているので、国際司法裁判所に訴える必要はありません。
訴えても中国側は負けることが分かっているので応じません。
従ってそんなバカバカしいことは日本はやらないのです。
やるとすれば中国側が訴えたときだけです。

それくらい、尖閣はゆるぎない日本固有の領土ですので安心してください。
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ちょっと補足しますね。



尖閣は、固有の領土です。

固有というのは、誰かから譲られたとか
取り上げた、というのではなく、
当初から日本の領土だ、という意味です。
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存在は知ってた居たとしても何処の国も所有していないでしょう。


それを世界に確認して何処も所有して居ないと言う事で日本の領土とするとしたが、何処の国も異を唱えなかったので
日本の領土して認められたと言う事だったと思いましたが。
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