プロが教えるわが家の防犯対策術!

保守派についての考察を深めています。

最右翼と言えば、天皇主権を望み、自民党を売国政党と激しく批判します。

天皇制の話でいけば、自民党ほか、一般的な日本人は「象徴天皇」を支持。決して天皇主権などという発想にはならず、天皇は「飾り」であるべき的なあまり深く考えていないあいまいな立場ですね。

日本会議などは、男尊女卑、大日本帝国復古主義的な論調。「生前退位」は国家を破壊するというような言説まで飛び出てきています。つまり、現「皇室典範」を聖典、「絶対変えてはならない神の本」とでも言いますか、としているようなスタイルです。ですから、女系、女性天皇も一切受け付けません。
天皇のお言葉に対しても、不快感をあらわにしているように見受けられます。


天皇制だけ取ってみても、「保守派」は相容れないグループが複数存在するわけです。

天皇を国王に祭り上げ、復古主義を主張するか。
天皇は今まで通り奴隷、つまり人権を剥奪したままにし、国家の外交カードとして、道具として扱うか。


しかし昨今の特にネット上でよく見かける、余りにも「金太郎あめ的な主張をするグループ」主に「嫌韓グループ」で確実に一致しますが、彼らはその辺の整合性を超越していて、天皇を敬いつつ、象徴天皇制(天皇を人外とする)を絶対視していたりします。
天皇を敬っていると言いつつ、人権は認めず、自分たちの都合で女系議論から、生前退位まで、天皇には一切口出しさせないという、ダブルスタンダードを大真面目に論じたりします。


このネット保守、そして、それに若干近しい日本会議について、彼らの拠って立つ「思想信条」はいったい何なのか、なぜ整合性が取れないものも、彼らは平気で踵を返して主張できるのか、その謎の存在をいろいろ考察なさっている方は、その考察を披露して、私にその論を教えてください。

「竹島・尖閣諸島」「原発」「天皇制」「軍拡・日本経済の失敗と正当化」「嫌韓」などなど(もう少しあると思いますが、パッと出てきませんが・・・)が、彼らに考察を加えるキーワードとなると思います。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9398431.html
この質問から新たに巻き起こった疑問です。考察を幅広く教えてください。

質問者からの補足コメント

  • ソースなんですが、コレ、恐らく産経ですね。
    私産経も読んでいるんですが、経済に限らず「えっ?」と言う様な事が結構書かれていますよ。
    コレを「リフレ派の理論」と、私勘違いしていたかもしれません。

    産経は朝日新聞が慰安婦関係で一部自称保守派と政府に批判に晒された時、チャンスとばかり「ネットで非常に多数派に見える「一部保守層」に媚を売る紙面に変え、部数を伸ばす」作戦に切り替えたそうなんですが・・・

    顛末は、朝日が落とした部数より更に大きく部数を落としたというから笑えますが・・・

    今もその路線を堅持しているようで、気持ち悪いレベルの安倍擁護をしています。
    閲覧すれば、その無理矢理感に驚くと思います。

    保守ではないです。
    タダの体制迎合派と言うか、安倍神格紙というか・・・

    嫌になるほど「実例」が出てきますよ。

    逆に「ジョーク?」とか「安倍に対する高度なイヤミ?」とさえ思えてくるほど(笑)

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/10/18 04:54
  • http://www.sankei.com/column/newslist/editorial- …

    この辺りが、集約されていますかね?

      補足日時:2016/10/18 07:48
  • http://www.sankei.com/politics/news/161017/plt16 …

    もう一つ見つけました。
    私も初見ですが、これはアベノミクス第二弾についての論評。
    ううん、なんかすごいみたいです。産経の人から見たアベノミクス。数年でまた日本が世界トップ(アメリカの次の経済大国ですか)に返り咲きそうですね(笑)

    産経の論評だと、安倍氏は天才クラスの政治家のような感じですね・・・
    ここまで書かれると、嫌味なのか、マジなのか、かなり気になります。

    単に一部保守層向けの文章なだけで、記者は全く思ってもいないことを書いている可能性もありますね。売り上げアップの方針に沿って。
    産経とは言え、記者はそりゃ片っ端から高学歴の頭がいい人ばかりでしょうから・・・

      補足日時:2016/10/18 08:01

A 回答 (19件中1~10件)

記事をご紹介いただきありがとうございます。

ただ質問者様も言われるとおり、ご記憶のコラムとは別もののようです。横着しないで自分でも安倍さんの個人史を調べてみればよいのですが、いかんせん気が進みません・・・。
 ところで学生運動についてのご不審、もっともだと思います。自分でもここまで左翼学生運動にこだわるならもう少し内容がなければと迷いましたが、なにしろご質問は「保守派について」であり、白状しますと私自身さほど詳しいわけでもないので避けておりました。しかし、そうもいかないようなので簡単にふれます。

 私の個人的体験では、生家が大学のそばだったので学生運動は見なれていましたが、学生が勉強もしないでデモ三昧の光景には反感しか持ちませんでしたし、彼らの大仰にシュプレヒコールを連呼する姿はダサいので嫌いでした。その後、自分が大学生になるころには学生運動もすっかり退潮でしたが、たまたま知り合った活動家は思いのほか普通の人たちで拍子抜けした記憶があります。
 という程度の人間ですので、私の学生運動に関する知識は主に本で読んだものです。左翼の学生運動といえば連合赤軍事件を連想します。たしかに、こんなものに引かれる人間がいるのは不思議ですが、学生運動もその初期にはずいぶん違った風景だったのだと知りました。学生運動が多くの人を引き付けた理由として、既存の左翼政党や労働組合を「官僚的」「体制の一部」と感じる人の不満を代弁したこと、左翼政党があまり取り上げない具体的問題に積極的に関わって当事者からの支持を集めたこと、いまだ大学進学率が低かった時代のよい意味でのエリート意識を発揮したこと、運動に自己実現の道を見いだしたこと、そして経済成長をとげつつあった日本で「平和」の意味、「豊かさ」の中身を突く行動が時代の不安感を反映したこと、等々と考えました。
 左翼の学生運動は「管理社会」の実現を目指したのではなく、主観的には逆を目標としていたのです。なにしろ実存主義ですから。

 それがなぜあのような顛末をたどったのでしょう。ひと言でいえば、自分たちの「正しさ」にこだわりすぎたからだと思います。
 問題を前に悩むことをやめてイデオロギーが提示する「正しさ」を疑わず、少しでも意見が違うものを全否定し、仲間内の団結を重んじて小異を捨てることができず、現実との齟齬があれば都合の良い夢想に引きこもり、自分たちは邪悪な敵に囲まれているとの妄想に取りつかれ、いつしか暴力によってでも自分の「正しい」を貫徹することが「正しさ」の証明だと、すがるように信じました。疑問を持つことはこれまでの自分の否定となります。
 どこかで聞いたような話ですが、これを続ける前に学生運動以外の左翼、共産主義の歴史も簡略に概括します。

 敗戦直後、わが国では共産党などの左翼勢力が威信を高めましたが、その内実は、日本を破滅の淵に追いやり、国民に塗炭の苦しみを味あわせた者たちと真逆のものとして信用を得たのであり、支持者たちは共産主義を反戦平和、自由と民主主義、不平等の是正、そして経済発展の思想と解釈しました。この時点では、共産主義国家が管理社会であるとの認識は知識人をふくめてほとんどありません。共産主義に反対する人もその最大の理由は「国体の破壊」であり、不自由を問題視する視点はアメリカからもたらされたものです。しかもそのアメリカでは「赤狩り」が横行していたのですから、左翼の支持者たちへの説得力は皆無に近かったでしょう。ついでに、社会主義諸国のほうが経済成長の点で優秀だと主張できた時代でしたから、なおさらです。
 マルクス自身は階級の消滅は国家の消滅に至ると説いていましたが、これがファンタジーにすぎなかったことは歴史が証明しています。しかし、いまだ東側諸国の実態が明らかになっていなかった時代、日本人に「管理社会」としてリアルにイメージされたのはナチス・ドイツ、ムソリーニのイタリア、フランコのスペイン、そして大日本帝国などのファシズム国家です。
 戦前の西側世界(という言葉はまだありませんが)でマルクス主義が人気を博したのは、政治や経済の実権が少数の者に集中する現状と貧困層・労働者層の窮乏化に対する憤り、大国同士が争った第一次世界大戦の生々しい記憶からくる反戦感情、大恐慌という野放しの市場経済がもたらした惨状に対する恐怖などを背景に、労働者階級の解放を説くマルクス主義は魅力的なオルタナティブと受け止められたからです。
 戦後は第三世界でずいぶんともてはやされましたが、これは民族解放闘争の思想として機能したからです。「自由と民主主義」をうたう宗主国からの独立を目指す植民地の活動家たちに、貧しい大多数の国民が解放されないかぎり独立は達成できないし、独立してもひと握りの者に富と力が集中するなら無意味だ、とマルクス主義は唱えていると聞こえたのです。これは虐げられた人たちを一つにまとめ、立ち上がらせるのにうってつけの思想でした。

 ちなみに私はマルクス主義を当時の人はどう受け止めたかを説明しているのであって、共産主義は反戦平和の思想だと主張しているわけではありません。そもそも、100年以上も前の机上の仮説をそのまま現実と置きかえ可能だと信じることがまちがいです。
 マルクス主義は今やすっかり信用をおとしていますが、歴史学や経済学、社会経済政策におよぼした成果は無視できません。たとえば、歴史を人物史や法制史ではなく社会経済史として見る視点、GDPなどの国家経済を把握する発想、もっと大きく歴史から「民族の意志」「神の使命」などの形而上学を徹底して排除したのはマルクス主義の功績です。ピケティは『21世紀の資本』で、資本主義経済は特別なことが起こらないかぎり格差が拡大し続け、対策を講じなければ中間層は解体し、国内市場は縮小していくと説いて話題を呼びました。実証的になされた研究でありながら、多くの人が「マルクスの復権」と受け止めました。西欧諸国ではいまだに社会民主主義政党が大きな党勢を誇っていますし、サンダース候補の躍進も記憶に新しいところです。マルクス主義と社会民主主義は別ものですが、親子兄弟くらいの関係にはあります。マルクス主義の実害はあまりに大きなものでしたが、だからといって残らずゴミ箱に捨てるのもどうかしてます。

 ロシア革命を主導したレーニンも初期には国家の消滅を唱えていましたが、やがて革命と内戦の現実を前に俗にいう「兵営社会主義」へと路線を変えます。一つの政党、一つの組織、一人の指導者に意志決定が集中するレーニンの革命論は革命の遂行には「正解」だったかもしれませんが、その後の国家運営においては権力者にフリーハンドを与える結果となりました。マルクスの着想ではありませんが、すべてマルクス主義の名のもとに行われたことには違いありません。
 スターリン、毛沢東、ポルポト、等々、共産主義の独裁者たちは恐るべき蛮行をくり広げました。なにが「正しい」かを知っていると政治体制によって保証された権力者は、異論反論をすべて「敵の陰謀」「階級の敵」「敵国のスパイ」として退け、人びとから考える機会を奪います。なにしろ「正解」は共産主義のイデオロギーによって証明されているのですから、考えること、疑うこと自体が利敵行為です。通常なら絶対にしないような行為ですらイデオロギーによって「正しさ」が裏づけられるなら、状況に強いられて、あるいは自ら望んで、人はどんな愚行にも手を染めます。おまけに人びとにそれを強いている者が「自分は正しい」と信じこんでいるのですから、もはや誤りは修正されることなく拡大の一途をたどります。しかし、どこかで現実との帳尻合わせを迫られる時が必ず来ます。
 共産主義国家が崩壊したのは共産主義が邪悪な思想だったからではなく、為政者と体制があまりに嘘に頼りすぎたからです。それを許す余地が大きかったという意味では、共産主義は現実の国家論として致命的な欠陥をもっていたと言わざるをえません。

 しかし、この手の誤りはなにも共産主義の専売特許ではありません。どこの国でも力を持った者はさらに力を集めて自分の思いのままに振る舞いたいと願うものだし、どこの国でも個人の自由意志に敵意をいだき、国民の一致団結に陶酔感を感じる者がいるからです。人というものは煩わしい現実に直面したときまどろっこしい手だてを講じるより、美しい夢に浸って現実を忘れたいとの願望を持ちます。この手の者の耳に心地よく響くのは、なにも共産主義だけではありません。
 さて、これでようやくこれまでの回答とつながりました。
 理想を持つことは誰にとっても人生の重大事であり、社会にとって欠かすことのできない必需品です。しかし、それがイデオロギーとなって人から判断能力を奪うとき、イデオロギーは社会に対する凶器と化します。共産主義ならぬ国家神道(はたまたネトウヨ思想)が国民の意志を決定し、国家(ひいては一人に指導者)が国民の声を代弁し、この愚行に同調しない者は「反日」「在日」「非国民」と決めつけられる。これに疑問を感じない者でも自分の自由が侵害されれば「管理社会」に反対しますが、彼らは集団の呼号に身をゆだねるとき、何よりも「自由」を感じる習性の持ち主です。全体主義国家こそ、彼らの理想なのです。

 そういえば、ネットではいまだに「共産主義は国家を否定するから国益を考慮しない」との主張を見ます。しかし、歴史を見れば共産主義国家は度外れて民族主義的だとわかります。ソ連、中国、北朝鮮、例外はありません。にもかかわらず、かくのごとく唱える人たちは歴史を知らないのか、私とは別の地球に住んでいるのでしょうね。
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この回答へのお礼

うーん、これは。
左翼学生運動、すでに歴史の一ページだという認識が抜けてましたね。近世はついついこの視点が・・・

確かにそうだ。当時は共産主義陣営の国々がどんな状況か、一切わからない状態でした。
さらに、ソ連とアメリカが対等に渡り合っていた。どっち陣営が経済的に優れているか判断できるようになったのは、ソ連が崩壊してしばらくしてからでしたよね。


それにしても、詳しくありがとうございます。
よくわかりました。
要は、マルクス主義は、「王政」「ファシズム」のアンチテーゼとしての出発点から時代を経るごとに「平等面」で左へ寄り過ぎたという事ですね。


独裁-->自由民主主義-->共産主義


この真ん中で止まっていればよかったものを・・・


共産主義-->国家がなくなる理想郷パターン
    -->特定個人に権力が集中する独裁国家パターン


現実には、共産主義は「マルクス主義で言い訳、正当化されながら」独裁パターンに進んでしまった。
これも面白いですよね。
最右翼の最左翼も、結果は独裁に行き着くという・・・「全体主義」の意味では、左翼も右翼も同じ帰着点に到達するとはね・・・



>異論反論をすべて「敵の陰謀」「階級の敵」「敵国のスパイ」として退け、人びとから考える機会を奪います。

>同調しない者は「反日」「在日」「非国民」と決めつけられる。



右左両極がここまで全く同じとは・・・
学生運動とはつまり、当時の東側諸国の情報不足による「集団心理的な熱狂」「集団自慰的な快感を求めた」という感じですかね?
どこを切っても同じ かつ 矛盾する複数の主張で熱狂するネトウヨと本当に似ています・・・

「竹島・尖閣諸島」「原発」「天皇制」「軍拡・日本経済の失敗と正当化」「嫌韓」「マイナンバー制度」「秘密保護法」

いや、「全体主義」という軸で見れば、矛盾はなく一致しているのか・・・安倍、或いは自民独裁を求めているのは確かなのか・・・




※国益の人は気にしないほうが(笑)
彼は自分を正当化するためなら、かつて言っていたことと真逆の事も、「ちょっと調べれば嘘だとわかること」をも平気でここに投稿します。
あまり参考にはならないかと。

いや、しかし、「保守派」という事を考えるうえで、彼のような人も多いから、考慮に入れるべきなのか・・・

お礼日時:2016/10/01 14:00

いつもながらインスピレーションを与えてくれるお礼をありがとうございます。

今回は今までと趣を異にしておりますが、考えるきっかけになるという意味では変わりません。あらためてお礼申し上げます。
 photoshopherさんが疑義を呈されている軍備、戦争の経済効果について、屋上屋を重ねる観もありますが補足させていただきます。本質問は「保守派について」であり、その一環として軍拡・戦争を求める人たちの思考を経済から説明しようと試みたつもりでおりました。私自身が軍拡・戦争が景気対策として最適解だと思っているわけではありません。なお、今回は戦争の道義的側面は度外視します。

 まず、戦争はその結果手に入る権益を無視しても、一定の条件下では「儲ける」ことのできる事業となります。朝鮮特需はその典型です。朝鮮戦争において国連軍(米軍)の後方兵站に位置づけられた日本は米軍からの受注で好景気に沸きました。弾薬や砲弾は使えばなくなりますから戦争がつづくかぎり需要がありますし、武器や装備もやはり使えば損耗します。直接的にこれで儲ける業者は一部でも、その業者が別の業者へ、さらにそこからまた別の業者へと仕事が派生していったり、増えた収入を奢侈品や日用品の消費に充てればそれを売る商店や製造者の収入が増え、さらに彼らが・・・、と雪達磨式に商取引が拡大していき、結果的には最初の受注額を上まわる経済効果が得られます。
 この場合はアメリカが発注元でしたから「濡れ手に粟」状態でしたが、日本政府の発注ならこの出費は財政上赤字になってしまいます。しかし、この投資によって経済が活性化すれば税収は増えますし、インフレになれば実質的に借金は目減りします。第二次大戦時のアメリカは政府支出の九割も戦費に費やしながら、戦後とくに苦労することもなく返済しました。一番大きな理由は長期のインフレだったと言われています。
 戦争による経済効果が一時的なものでしかなくても、需要不足から止まってしまった経済の車輪を再び動かすことに成功したなら景気刺激策としては十分です。ただし、朝鮮特需が特殊なケースなのはまちがいありません。極端なケースには物事の本質が現れますが、特殊な例を一般化しすぎると非現実的な認識が出来上がってしまいます。

 戦争が需要の源となっている場合、しばしば起こるのは戦争の終結が不景気を呼びこむ事態です。砲弾などは消耗されることなく貯蔵され、使用されない兵器は修理も新造も必要がなく、復員する兵士は失業予備軍となります。こうなると戦争による経済効果も「刹那的」と思えるのですが、これはいかなる公共事業であっても同じです。公共土木事業によって作り出された社会的インフラがもたらす経済効果は重要ですが、景気刺激策としては二次的な意味しか持ちません。支出された公的資金が経済活動を再活性化させ、当初の額面を上まわる効果を上げることが目的です。もちろん、一部業者や政治家、役人の利権の源なんていうのは論外です。
 ということは、昨今のように公共工事がほとんど波及効果を失っている現状は由々しき事態です。投下された資本が額面通りの効果しか上げていないのですから景気刺激策になっていませんし、だからと言ってこれを止めてしまえばその分の需要が市場から消失します。この場合は公共工事の在り方にも問題がありますが、それ以上に国内経済の在り方に問題があるのです。

 戦争の場合は戦勝によって得た権益が利益をもたらすこともありますが、19世紀ならいざ知らず20世紀ではあまり重要性はありません。アメリカの経済的繁栄は戦争によって獲得した権益の実利より、国際環境や商慣行をアメリカにとって望ましい形に整えられたことによっています。これはアメリカ限定ではなく、多くの国で植民地は財政上の過大な重荷になっていました。彼らがそれでも海外領土にこだわったのは国防や戦略の必要性からです。日本はこの典型でした。明治維新以来、日本は対外戦争によって海外領土を広げていきましたが、そのすべてを失った戦後のほうが繁栄しています。これはあと知恵ではなく、当時から石橋湛山など、こうと主張する人はいました。第二次大戦後は植民地の独立が相次ぎましたが、その背景にはこんな事情があります。
 にもかかわらず、どこの国でも激しい独立運動に直面するまで植民地を手放そうとはしませんでした。経済的な悪影響を心配したのではなく、植民地の喪失を国家の威信への打撃と受け止めたからであり、植民地に根を下ろした植民者や企業家の反発をおそれたためです。つまりは経済が問題だったのではなく、政治の問題だったのです。

 経済政策としての戦争の特徴はすぐれて政治的性格をもつことにあります。近代国家という人工的な共同体をまとめる上で、軍隊とか兵器、戦争での勝利は非常にシンボリックな効果を持ちます。虚仮威しの巨大建造物も同じ効果を持ちますが、近代化に乗り出した国では軍事力を政府に集中させることが喫緊の課題であり、この必要性を踏まえれば軍備・戦争を前面に押し出すことがより効率的です。また、このような国では工業化を進めるための資本の集中を、「国防」を盾に近代兵器の整備と拡充を通して実行できます。ついでに国民から一般兵士を大量に徴収することが「国民化」教育の重要な手だてになります。かくして、為政者にとって軍拡・戦争はほとんど唯一の選択肢と見えるようです。
 しかし、photoshopherさんが言われるとおり、その費用を民生用に回したほうが時間はかかっても最終的には国民生活の向上につながるし、国家経済の発展にも役立つ、という道理にかなった意見は常に提起されます。ただ、どうもこの軍拡・戦争というのは近代国家がかかる一種のはしかのようなもので、どこの国でも大抵一度は罹患します。その症状は国によっていろいろですが、すでに近代化が進んでいた西ヨーロッパ以外ではしかにかからなかった国ではひと握りの大資本家に国家経済が牛耳られ、近代化の障害になる事例が見受けられます。国家経済のための政策がいつしか力を持つ者のための政策に変わってしまうのです。
 結論めきますが、だから軍事独裁国家は歴史の必然なのだと言いたいのではなく、結局はいかなる局面でも適用できる「正しい」政策などあるはずもなく、その時々で現実を見すえて現実的に判断しなければならないだけです。しかし、ここで客観的かつ合理的な判断をくだすことはなかなかに難しいことです。既得権益を手にした個人や組織は必ず抵抗しますから。

 軍拡・戦争が景気刺激策になることがある一方で、経済政策としては愚策としか言えない時も多々あります。一番多いのは必要なあるいは可能な程度をこえて押しすすめられる場合です。これは大日本帝国を思い浮かべれば十分でしょう。軍隊や軍需産業、それに彼らと結びついた政治家と官僚にとっては国内経済の発展よりも自分たちの利得や存在意義を高めるほうが重要であり、国家のために自分が不利益をこうむっても進んで甘受するような「愛国心」に充ちた人はごく少数にすぎません。
 軍拡・戦争もこれを始めるに当たってはそれなりの必要性があるものですが、いったん始めたら常に積極策を唱える者のほうが強く、これをくり返せば最後には現実離れした地点にたどり着いてしまいます。軍拡・戦争を国民に飲みこませるためのレトリックが定着した状況では、積極策のほうが筋が通って聞こえるからでしょう。この空想論が力を失うのは大体取りかえしがつかなくなってからです。
 アメリカで軍や軍需産業が大きな政治的影響力を持っている理由の一つがこれだと思います。Wikipediaによれば、2006年度の軍事支出がGDPに占める割合は4.0%、政府支出の19.7%、軍需産業の被雇用者は全就業人口の2.5%、軍人は1.5%と大きな数ではありません。しかし、アメリカでは軍や軍需産業に不利益になるような政策を提唱する政治家は落選の憂き目を見ると言われています。畑違いのようですが、全米ライフル協会の会員数など就業人口の0.02%しかいませんが、それでも政治家は銃規制を実行できないでいます。

 戦争と経済で忘れてはならないのは、他国で戦う戦争は「儲かる」こともあるが、現実にはそう行かないことも多いという点です。ナチス・ドイツは再軍備(だけではありませんが)で経済復興をとげながら、最終的にはすべてが灰燼に帰しました。ここまで極端な事例は珍しいですが、一方的に攻めるだけの戦争というのもあまりありません。しかし、世の中には成功事例だけを重視し、失敗はすべて人の所為にして忘れる癖のある人がたくさんいます。第一次大戦勃発時には、いずれの国の指導層も戦争は短時日の内に自国の勝利に終わると予想(期待)しました。たしかにそのとおりであれば「儲け」られたかもしれませんが、結果的にはアメリカをのぞく大部分の当事国が大損害を負いました。
 戦争は「儲かる」こともある。だから、話がややこしくなります。

 こうしてみると、やはり戦後の日本は幸運に恵まれていたのですね。アメリカの世界戦略の元で軍備はほどほどに、対外戦争などせず、民生経済にひた走る。多分に偶然の要素は大きいのですが、結果から見れば日本の指導層は「正しい」選択をしたと言えます。その背骨にあるのは、為政者のみならず国民のあいだで広く共有されていた戦争の経験でしょう。
 しかし、この経験を大多数の国民が失った昨今、安倍政権は軍需産業の育成に執心しています。アベノミクスが期待された成果を上げていない現状では、これこそ手つかずの成長分野と見えているようです。こういう人が次に考えるのは、その使用だと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。メガネさんの考え方は了解しました。が、あえて反論を入れてみますよ。

まず誤解を一つだけ。アメリカが特殊なのは、直接的な油などの権益ではなく、その軍事力由来の権益の事です。

つまり、外交です。

アメリカの場合、外交政策にその巨大な軍事力が背景にあるため、結果巨大な権益をアメリカは享受している。この話です。
これが相互しています。
金が集まれば軍備を増やせ、軍備を増やせば外交で敵なしになっていく。外交で敵なしになれば、不都合な国家間の取り決めを順守する必要はなくなり、また金が入る。

世界全体がアメリカ中心の経済になったのも、その圧倒的な軍事力=外交力=世界中を抑えている、この条件あってこそ。
アメリカの軍備が弱小であれば、だれもアメリカの外交リードには付いてこなかったはずで、アメリカは経済の中心たりえなかったはずです。


一部保守派はこれを見逃すんですよね。
アメリカを超えるような軍備を備え、さらに海外を抑えたとき、ようやくアメリカと同じような政策が取れるわけですが、今から日本がそれを目指すのは不可能です。
それは、それをもうアメリカが達成して、世界中をアメリカの権益(という言い方をしますよ)で埋めてしまっているからです。

やろうと思っても、日本はその権益を得ていないわけですから、すぐに破たんしてしまう訳です。

アメリカでは、軍備拡張が結果圧倒的な外交力につながり、アメリカ経済に富をもたらすことはあっても、それはアメリカ以外では成立しないんですよね・・・

この意味で、アメリカは特殊すぎる例で、一部保守派が軍拡を唱えていますが、その条件がそろわない以上、日本は軍拡すればするほど財政が圧迫され、増やした軍備を外交力に転嫁できないため、ただひたすら消費だけに終わってしまう。
この事実が認識できていないわけです。


前の回答で、ちょっと夢の話をしましたが(笑)
これ、あながち間違っていないと思うのですよ。
確かに前世紀前半は、軍事主導で技術が発展してきました。
ですが、後期はどうですかね?

すさまじく経済が発展した、20世紀後半です。

これ、日本と欧米の技術競争が、恐ろしく世界を発展させたと思いませんか?
もしかしたら、これは日本が仕掛けた戦争かもしれませんよ。
技術革新競争という。
この時代の発展する勢いは、戦争由来ではないと思うんですよね。

お礼日時:2016/10/28 06:43

ソースをご教示いただき、ありがとうございました。



 産経新聞はネットでも見出ししか見ないため、たまに中身を読むと目眩がします。歯の浮くような安倍礼賛が開陳され、まるで旧東側諸国か現在の北朝鮮、中国の新聞を読んでいるような錯覚を起こしました。こんな記事ばかり見ていると、少しでも安倍自民を批判するものは残らず反日サヨクに見えるのも無理はありません。一方で、安倍自民の政策、この場合はアベノミクスについて当事者、支持者がどう考えているかを知るための材料としては格好のものだと思いました。

 ところで、お礼にある「質量保存の法則」には吹き出しました。どんな文脈で出てきたのかわかりませんが、この人は原価1000円の商品は1000円で売らなければならないと思っているのでしょうか。公共事業が景気対策になるのは、政府などから支出された資金が仕事を請け負った事業者の収入になるのみならず、その事業者から他の事業者へ発注されたり、従業員の給与増となって、最終的な消費が当初の支出を上まわると期待されるからです。「質量」は「保存」されてはいけません。
 政府などが支払った資金を消費が上まわるなら収支は赤字ですが、事業者や各世帯にとって経済活動が活性化すれば取り返すことが可能と判断されますし、将来の収入増を見こんで設備投資や研究開発費も積極的に行われるようになります。もともとの政府支出は借金になりますが、経済活動の活性化による税収増と、インフレによって貨幣価値が下がれば実質的な減額になります。だからこそアベノミクスは理論的に成り立っています。もし「質量」が「保存」されるなら、税源だって生まれないじゃないですか。
 しかし、昨今の公共事業がこの波及効果をほとんど失っている現状は先回答のとおりです。事業を請け負った業者が儲けているだけです。額面相当の雇用は生まれていますが、これとても全産業平均を下まわる実績しか上げられていません。経済活動を下支えしている効果はあるとしても、そのための資金は国の借金の増大にしかつながっていないのですから看過できません。
 公共事業が景気対策となるには市場の潜在的需要力を喚起できなければなりませんが、目下の日本では需要が潜在しているのではなく消失しているのだと考えます。

 景気対策としての公共事業は主にインフラの整備として行われますが、これは社会的インフラ整備には巨額の資金が必要であるため政府の関与が必須だから、社会的インフラは国民全般が享受すべきものであるため私企業の営利事業になじまないから、社会的インフラであれば国民全般の納得を得られるから、などの理由からであって、作られたインフラがもたらす利益は二の次だったりします。無視することはできませんが、景気対策としては事業そのものに意味があります。この間の事情を指して、ケインズは「穴を掘って埋めるだけでも景気対策になる」と言っています。極論ですが。
 景気対策としての公共事業の理念はこのとおりでも、私たちの常識はこれを「おかしい」と感じます。それは、たとえ景気対策だとしても実際に使われない道路は「無駄」だからであり、その一方で必要な資金が得られず実現しない事業が多々あるからであり、公共事業が一部業者、政治家そして官僚の利権と化している現実を知っているからです。つまり、「本当は役に立たないけど景気対策と失業者対策になるからやる」と覚悟しているのではなく、こう言うとみんなを騙せるからやっているケースが多すぎます。まさに国民の金が「盗まれている」わけです。
 ケインズ流の財政出動策が全面的に実行されたのはアメリカのニュー・ディールでした。あのとき実施された大規模ダムなどの公共事業は、建設されたインフラがもたらす経済効果に期待しただけでなく、それ以上に緊急避難的に失業者に働き口を提供することと、事業を通じた波及効果に期待したからであり、市場に需要がないなら政府が一時的に肩代わりすれば良いという考えたからです。これが効果を発揮したのは不景気でもアメリカでは人口が増加しつづけており、需要は潜在化しただけだったからと考えられます。現代の日本とは条件が違います。

 一方、戦争の問題は難しいですが基本は同じです。photoshopherさんとは意見が食いちがうかもしれませんが、私は戦争およびその準備が景気対策になる一面はまちがいないものだと思っています。ケインズも「戦争は最大の公共事業だ」と皮肉を言っています。ただし、あくまでも皮肉です。
 「国家存亡の危機」を錦の御旗に巨額の国家予算を軍隊や軍需産業に投じれば、そこで作られた製品は消費されるだけであっても市場に欠けている大きな需要力になります。また、大勢の兵士を徴集すれば直接失業者を吸収するだけでなく、世の中全体が人不足になって労働者の待遇も改善されます。アメリカが大恐慌の痛手から完全に回復したのは第二次世界大戦のおかげだったと言われています。ナチス・ドイツがドイツ経済を立て直したのも、アウトバーンなどの大規模公共事業のみならず再軍備を進めたからです。あとは金融政策もありましたが今回は割愛します。
 また、戦争は「非常時」をテコに構造改革を進める契機にもなります。大量の武器を生産しなければならない必要性を背景に、国家が主導して生産の計画を立てて資源や労働力を配分し、老朽化した生産設備と硬直化した流通機構を改革し、同時に過度なインフレにならないよう価格を統制することによって、全体として産業の効率化を進めるわけです。この辺は各国の事情によって大きく変わり、イギリスでは基幹産業の国営化に頼り、日本では広範な規制を敷くことで達成しようとしました。アメリカはもともとの産業基盤が桁外れに大きかったことと、工場設備も比較的近代化されていたので、政府が働きかけることで対処しています。
 戦争とその準備は経済政策になるのです。

 しかし、ここには大きな問題があります。
 一つ目に、戦争が景気対策になると言っても自国が戦場になったのでは台無しです。戦争はあくまでも他国の領土でやることが前提です。二つ目に戦争が儲かるとなると、その必要がなくても戦争を求める圧力が生まれることです。アイゼンハワーは退任演説で「軍産複合体」がアメリカの国策をゆがめている実態を告発しました。
 戦争の開始は比較的簡単ですが、その遂行には多大な困難がともない、その終結はさらに難題となります。ならば「敵国の脅威」を訴えながら軍拡を進め、実際には戦争にいたらないのが得策と思えるのですが、増強された軍隊は自分たちの存在意義を高めるため現実の「行動」を望むようになりますし、軍需産業は製品の「消費」に期待し、軍拡を国民に納得させるためのレトリックは「実力行使」への欲求を招きよせます。また、政治家にしてみれば戦争を始めることによって異論を封じる大義名分を手にし、「愛国心」を盾に国民の支持を集めることができます。これを現実に実行してきたのは言わずと知れたアメリカです。戦後の世界でアメリカほど海外戦争をくり返してきた国はありません。
 公共事業としての戦争が抱える三つ目の問題は、戦争によって景気が回復するとしてもそれは道義的に正当化されうるのかという問題です。増強された軍隊はその文化を銃後の社会に持ちこみ、社会全体も戦争を正当化すべく変質します。個人の価値観によって評価は変わりますが、私はこれを望ましい変化だとは毛頭思いません。自分の国を守る意義は言うまでもないとしても、そのために人を殺すことを称賛するような社会に私たちは暮らしたいのか。殺人を正当化するために「愛国心」を持ちだすような国にしたいのか。

 だからケインズは「戦争は最大の公共事業だ」との皮肉を言ったのです。ここには戦争によらずに景気対策を行わなければならないとの含意があります。しかし、そんな含意などものともしない人が世の中には大勢います。自分と家族が無事なら一つ戦争をしてみたいと願うネット民など、掃いて捨てるほどいるに違いありません。安倍政権は歴代のどの政権よりも軍備の拡充と軍需産業の発展に熱心です。彼には実際の戦争にいたらないまでもその準備に励むよう圧力がかかっていますが、彼個人のイデオロギーはこれを抑止するどころか助長する方向でしか働きません。ネットの「保守派」と産経新聞はそれに喝采を叫んでいます。
 隣国とは友好関係を維持するほうが経済的には得策でも、敵対することによって政治的に利益を得られるなら躊躇しない政治家は現実にいます。たとえ国家経済を悪化させても自分の利益になるなら戦争を求める財界人、企業家も珍しくありません。彼らは邪悪な存在だからそのような願望を持つのではなく、人とは本来そうしたものなのでしょう。また、戦争のレトリックに快感を覚える一般国民もたくさんいます。しかし、その結果を引き受けるのは誰なのか、よくよく考える必要があります。

 photoshopherさんを憤慨させた元の回答がどのようなものか知りませんが、先にご紹介いただいた質問/回答からすると、ケインズやリフレ派を誤読したものなのではないでしょうか。もともとケインズは失業者の救済策を探ることから研究を始めた人で、共産主義者ではありませんでしたが彼らからすれば「サヨク」以外の何物でもないはずです。結局、自分を正当化するための材料として一言半句を利用しているだけだからこういうことになるのでしょう。

>再配分が不要なら、民主党自民党に限らず、国家不要論と同じことなんですけどね(笑)
→まったく道理ですね。でも、この道理が通じない人が世間には多すぎます。
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この回答へのお礼

そうですねぇ・・・
軍備に関しては私は若干考えが異なります。

戦争をすれば、基本的には兵器と兵士を消費しますよね。
確かに「他国の」軍需関連の産業は儲かるでしょう。
でも、破壊されるために作ったものは、刹那的な経済効果しかもたらさないと思うのですよ。

そして、消失した兵士、兵器、壊れた都市、民は、経済価値はゼロに帰するわけです。

アメリカは特殊すぎる例です。
極極少数の兵士の犠牲で、世界中の権益を得てこその、あの巨大な軍備ですよ。
アメリカのあの軍備が不要であったなら、アメリカはもしかしたら「月」に版図を広げていたかもしれません(笑)
あの巨額の軍備をもし宇宙開発にすべて注ぎ込んでいたら?
しかも、この一世期で死んでしまった兵士すべてが民として生きていて、その分の経済効果と知識、技術を供給出来ていたら?

宇宙空間に飛び出して、もっと巨大な富を手に入れていてもおかしくないと思う訳です。

他国同士が戦争して、そこに兵器を供給するのであれば、確かに供給国は大儲けできるでしょう。日本でも例があります。

ですが、ソレは地球として得られていたはずのパイを放棄し、途上国からパイを奪う、結果、途上国は途上国のママ、結局先進国はそれらから得られるはずだった富の量を減らしていると思うんですよね。

つまり、途上国がブクブク太れば、当然先進国はもっと太れるという理屈です。


今更隠しても無駄だと思いますが、私は実は保守派では無いのです。
合理主義者以外のなにモノでもないんです。
まあ、言論の自由がある自由民主主義も大好きですけどね。

色々いろんな立場でここで煽っているのは、全て「ネトウヨ研究」の為の、疑似思想家なんですよ。
色々化けていますよ。ここでは。
ガチの右翼風、ガチの保守等など。アレは、私の主張ではないです。

富こそ全て(笑)
皆がもっとお金持ちであれば、私の事業もウハウハ。あろうことか、貧民もそれなりにお金を持っていて、ウチの商品を買ってくれればウハウハ。
私だけでは有りません。

そこで働く人も、他の生産業も、国だってウハウハです。

ソレこそがベストですね。


なんかお礼が、一つの論のだけにしか返せず、アレなんですが・・・

お礼日時:2016/10/23 05:53

いつも刺激になるお礼をありがとうございます。



 ご紹介いただいた質問/回答、見せていただきました。お手間を取らせてしまって恐縮です。しかし、皆さんあまりに長文なうえに、経済学の素人である私からしても「???」な回答が頻出していて、途中でギブアップしてしまいました。それでもphotoshopherさんは最後まで丁寧にお礼を返されています。私だったら匙を投げるところです。
 以下、私が読んでおかしいと思った点を列挙します。

・日本経済が苦境に陥っている原因はデフレだ。
 経済活動が振るわないからデフレになるのであって、その逆ではありません。強いていえば、風邪をひいて熱が出ている状態がデフレだとすると、リフレは解熱剤を飲む対処療法です。体力があればこれで症状が緩和されて快方に向かいますが、それが無理なら風邪菌をどうにかしなければなりません。この風邪菌に相当するのが、私は盛んな消費活動を行う生産年齢人口の減少だと見ています。
 各産業別の売り上げを見ると、バラツキがあるもののいずれも生産年齢人口が減少に転じた世紀の変わり目ごろに潮目の転機があります。バブル崩壊によって日本経済はおかしくなった、はよくある誤解です。また地域別に見ると、人口が増加したところは消費支出も増えており、減ったところは消費も減っています。消費者が減るのですから経済が停滞するのはあたりまえの道理です。

・人口対策はアベノミクスとは関係ない。
 たしかにアベノミクスは経済政策であり、社会政策に位置づけられる人口問題とは畑が違います。しかし、経済の苦境を産み出している原因がこれならば、人口対策を視野に入れない経済対策に意味はありません。
 ついでに、人口を増やすには出生率を増やすか移民しかない、とくり返している人がいますが、どうすればそれが実現できるかを考えるのが「対策」です。火事を消すには火を消せば良い、と言っているようなものでまったく無意味ですね。

・輸出で企業が儲かれば国内に還元され、国民所得も上がる。
 日本は貿易立国だと言われてきましたが、過去においても貿易がGDPにしめる割合は一割に満たず、日本企業にとって最大の顧客は日本国民であり、最大の市場は日本国内であり続けました。ここで大きな利益を上げていたからこそ海外でダンピングもできたわけです。
 貿易の振興自体は結構なことですが、輸出で日本経済が潤う構造が既にないことは認識すべきでしょう。まさか発展途上国のように安い労働力で生産コストを下げろというのでしょうか。だから国民の貧困化に邁進する? 狂気の沙汰ですね。

・トリクルダウンはやがて起こる。
 大企業や資産家が儲ければ、やがて国民にその恩恵が行き渡るというトリクルダウン。しかし、発展途上国やシンガポールのような特殊な国でないかぎり、そんなことは現実に起こらないのはもう明らかです。「STAP細胞はあります」と言った人を思い起こさせる主張です。

・財政赤字に対処するために、福祉や年金、生活保護などを切り捨てなければならない。
 「バカ」としか言いようがありません。低所得者や年金生活者の消費を支えているのが各種の公的支出であり、地方経済ではこれが全体の3分の1にも達しています。ここを切り捨てれば、まちがいなく日本経済は破綻します。
 低所得者は生活保護だろうと収入が増えればそれだけ消費に回します。月収1億円の人の収入が一割増えても消費行動に変わりはありませんが、月収15万円なら確実に変わります。おまけに低所得者の消費行動は同じ階層で行われることが多いので波及効果も高くなります。彼らが生活を立て直せれば生活保護を打ち切ることができますし、今度は納税者になることが予想されます。財政赤字を心配するのは当然ですが、角を矯めて牛を殺してどうする気でしょう。考えなければならないのは「切り捨て」ではなく、お金の使い方です。

・唯一有効な景気対策は土木事業である。
 公共事業がGDPにおよぼす乗数効果は、20年前は1.33ありましたが、いまは1.07しかありません。事業への投資が最終的にどれだけの消費につながるかを見ると、全産業平均3.073、公共事業3.102、社会福祉3.384となります。雇用誘発効果のほうは、100万円を生産するのに必要な雇用者は最終的に、全産業平均0.138、公共事業0.1138、社会福祉0.1844です。
 公共事業が景気を下支えしている現実はまちがいないものですが、これしか景気対策がないと主張する人は、結局は公共土木事業を正当化したいだけでしょう。

・人口減は技術力で補えば良い。
 目標としてはもっともです。異論のある人はいないでしょう。しかしこの20年、日本発の画期的新商品とか、世界的ヒット商品などありましたか? 寝言は寝て言え、の典型です。

・不景気の時の増税はまちがっている。
 photoshopherさんも唱えていますが、正しいけれどまちがっていると思います。
 この10年で国民の平均所得は100万円も下がりましたが、年収5,000万円以上の世帯は3倍に増えています。これに1%の富裕税を課すだけで税収は20兆円になると試算する人もいます。わが国の最高税率は40%ですが、実際の負担率は年収1億円で26.5%、100億円になると14.2%に下がってしまいます。これは金持ち天国のようにいわれるアメリカよりも低い「実績」です。たしかアメリカでは17%くらいになるはずです。
 国税に住民税と社会保険料を加味すると、たとえば年収3億4千万円の某世界的企業の社長の場合、負担率は合計で20.7%であるのに対し、年収430万円の世帯だと34.6%になります。3億の年収があれば負担率が1%上がっても生活が破綻するようなことはありません。ついでに、資本金10億円以上の大企業の内部留保は、この10年で200兆円弱から300兆円超にまで増えました。
 これで税収が足りない? 片腹痛いというものです。

 アメリカではかつて最高税率90%という途方も無い時代がありました。50年代のアメリカ経済の黄金時代です。日本でも高度成長期には85%もありました。リフレ派のP.クルーグマンは、経済が好調だったから税率を上げられたのではなく、税率を上げて持てる者の富を持たざる者のために使ったからこそ経済活動が活性化したのだ、と説いています。つまりは所得の再分配を強化しろ、と彼は主張しているわけです。わが国で最も強力にこれを推しすすめたのは終戦直後でした。所得の再分配の強化などというと「日本が破綻する」と頭に血をのぼらせる人たちがいますが、一連の政策は破綻した日本を建て直し、その後の発展を用意しました。
 もちろん、昔と今とでは条件の相違は大きいですからそのままやるわけにはいきません。しかし、汲むべき歴史の教訓がここにはあると思うのです。少なくともOECDの中でも最低ランクの所得の再分配機能は全体として強化し、中でも若年層へのそれ、特に教育の無償化や出産育児への支援、働く女性の援護などは取り組むべき喫緊の課題です。たしかにそのための支出は増えますが、支出を上まわる効果が得られるなら躊躇する理由はないはずです。先ごろ炎上した長谷川某は医療費の抑制のために患者を「殺せ」と訴えましたが、本気で医療費の増大を心配するなら低所得者の疾病予防に予算をもっとつけるべきなのです。そのほうが結果的には医療費を抑えられるという、海外の実例もあります。
 工夫しなければならないのは、税金の取り方と使い方です。税金は役人と政治家、そして一部事業者のためにあるのではない、というあたりまえのことをやる必要があるだけです。

 本回答を作成するに当たって別サイトでの私の過去回答を読み返してみたのですが、私は安倍政権の発足当初から「アベノミクスは一時的な効果はあるが、抜本的な解決にはならない」と書いてました。そういう意味では、今の状況は「だから言ったじゃないか」という感じです。
 先回答で、私はリフレ派を評価していると書きましたが、私の経済学に関する知識の元になっているのは彼らの著作です。にもかかわらず「安倍より」の人たちとかくも喰い違うというのは、実に興味深いです。photoshopherさんの質問/回答は彼らの思考形態を知るために恰好の症例かと思いました。広くみんなに読まれるべきものです。読み通せもしなかったくせに厚かましいのですが、教えていただいてあらためて感謝します。

 ところで、この回答文を作ってから補足をいただいていたことに気がつきました。申し訳ないのですが、そちらはまだ目を通せていません。これからじっくり読ませていただきますが、産経だとまた妄想が書き連ねているのでしょうか。本当に彼らは変わりませんね。
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この回答へのお礼

そうそう、思い出しました(笑)
リフレ派は・・・と言うか、リフレを支持する一部保守層の論客は、基礎を飛ばすんですよね。

例えば一番分かりやすいのが「人口」「再配分」辺りだと思いますが、この当たり前の事を無視して「夢の世界に入っていく」んですよ。

恐らくは「保守」ではなく「自民党」を肯定し「民主党」を悪の権化としたいがために、の行動だとは思うんですけどね。

ほら、民主党が若干労働者寄りでしょう(笑)
だから労組とか労がつくものも悪の権化(笑)

一定以上の経済が回る基礎が人口やマトモな再配分で回っている事実を無視して、空論の上に空論を重ねて論理を進めようとするというか・・・

再配分が不要なら、民主党自民党に限らず、国家不要論と同じことなんですけどね(笑)

逆に、国の高価な買い物(軍拡ですね)は、何故か無条件で肯定しようとする。
軍備にお金を回せば、ソレが経済効果となって今後日本の税収が上がる。などという事を言う人まで居るんですよ(笑)
確かに経済規模からすれば僅かに兵器関連の所、そして自衛隊員の給料が市井に回ると思いますが、僅か過ぎますよね。
兵器の維持費や単体の価格、兵士の維持費でデフレ相殺など・・・

経済で質量保存の法則とかも笑いました。
国がいくら無駄遣いをしても、質量保存の法則で全部税収として帰ってくるんだそうです。

一般的な社会人であれば、一般庶民の購買力低下は、政治経済をある程度理解していれば恐怖の対象と理解できるはずなので・・・
単純に市井が停滞、縮小すれば、国際競争力もジワジワ落ちていきます。
そうやって日本のパイが縮小を続ければ、負のスパイラル、税収も縮小していき政治的な方向転換も難しくなっていき、どんどん衰退が止まらなくなる。
仰られるよう、確かに内需もデカイんですが、輸出輸入もデカイ。
今はまだトントンかも知れませんが、日本の内政をこのまま放置して行けば、何れジリ貧になります。
車で儲けて内需を回し、車の儲け分でエネルギーと食料を買っているようなもんです。

ちょっと話がズレますが、経済的な話を彼らとしていると、「ネトウヨはニート的な層」が多い説、コレについ傾倒してしまったりもするんですよね。


学者はどうなんでしょうね?

お礼日時:2016/10/19 14:46

連投の言い訳すらせず、回答はじめます。



 「WBSと温暖化」拝見いたしました。何だかいろいろスゴいですね。photoshopherさんはじめまともな回答が寄せられているのに、本人向きになるあまり質問を忘れてしまった様子。推察するに、途中で自分の誤りには気づいたもののそうと認められず、さりとてネットによくある切り返し法にも習熟していないのであんなことになってしまったのかと。
 二酸化炭素などの温室効果ガスの増大による地球温暖化は科学において仮説にすぎず、いまだ未解明な部分や、おそらくは誤った点が多々あるはずです。したがってそれらを指摘し、批判することはより真実に近づくという点で評価されるべきですが、おかしいのは、だからと言って批判している人たちの「正しさ」が証明されるわけではないし、その批判の「正しさ」も保証されないことであり、それを当人たちが自覚していないことです。もとより自分が「正しい」と思ったものは考えるまでもなく「正しい」と信じているのでしょうから、自覚などするわけがありません。
 科学の業績は大部分が仮説で構成されています。「定説」は多くの科学者が支持している仮説でしかなく、絶対の真理などではありません。だからこそ、たった一つの発見がそれまでの定説を覆したりします。科学に関心のない人ほど「だから科学は信用できない」ともっともらしく断罪しますが、これは真実に一つ近づいたことを喜ぶべきであり、それをなし遂げた科学者を称賛すべきです。また、仮説と言ってもすべてが等価なわけではありません。ほとんど真理と見なしてよい仮説もあれば、とるに足りない妄想レベルのものもあります。20年前なら温室効果ガスによる地球温暖化の危険性など信じるに足りない、との批判もまだ説得力がありましたが、いまなお地球温暖化を何かの陰謀論として唱える人は根本的に科学に興味がないのでしょう。ぶっちゃけた話が、科学に適性がないのだと思います。

 しかし、この地球温暖化陰謀論はなぜか一部の人に人気があります。特に、ネット右翼の皆さんはこれを安倍政権支持と結び付けています。科学的仮説としての温暖化説のどこにも彼らの政治信条をおびやかす要素は見あたりませんから、彼らはこれをもっぱら政治党派の問題として理解しているのだと想像できます。おそらく、サヨクが温暖化を唱えていると受け止めて反発しているのか、保守派(企業家など)が反対するから同調しているのか、でしょう。地球温暖化を現実の問題として認識するだけの想像力がないし、科学として理解するだけの素養がないから彼らの夢想(妄想)と等価のものと思えるのだと思います。
 地球温暖化というアイデンティティに関わらない問題でもこの有り様ですから、彼らのセントラルドグマである歴史や政治がテーマになったとき論理も論拠もかなぐり捨てて都合のいいファンタジー世界に引きこもってしまうのも、考えてみると無理からぬ話かもしれません。

 ところで「安倍より」「リフレ派」ですが、よろしければ実例をご教示いただけないでしょうか。あくまでもご無理のない範囲で結構ですので。と申しますのも、私は経済学に関してはつまみ食いの知識しかない門外漢で、おまけにその知識もこの10年ほどバージョンアップされておらず、実はリフレ派を基本的に評価しているもので、質問者様が憤っておられる言説がどんなものかよく知らないのです。ただしリフレ派を評価するといっても、アベノミクスは肝心なところがまちがっているので即効性はあっても効果は持続せず、中長期的には必ず破綻すると予想しています。
 本質問は経済についてではありませんし、アベノミクスには早々に関心を失ってしまったせいで詳しく知りませんので、以下簡単に私見を述べます。リフレ政策とは言うまでもなく通貨の再膨張策であり、そのために金融緩和と財政出動が行われます。しかし、現在の日本経済が長引くデフレに苦しんできた最大の原因は生産年齢人口が減少に転じたこと、すなわち消費者が減ったことであり、国内市場の需要力が減退したことです。なので、通貨の供給量を増やしたり債券市場の優遇策を導入したところで一部の資産家や企業が儲かるだけで、一般国民にその恩恵は行き渡りません。インフレになればより一層貯金にはげむだけです。いまだにトリクルダウンを口走る人がいますが、これが夢物語にすぎないことはすでに明らかです。また、現政権の財政出動は大規模公共土木事業に傾斜していますが、これは波及効果、消費効果ともにかつての数値に遠くおよばず、直接の事業者以外に効果はないと、こちらも各種のデータが示しています。要するに、国家経済の活性化につながらないのです。
 リフレ政策の核心を、私は所得の再分配の強化であり、所得格差の縮小と中間層の拡大だと理解しています。これを追及しないリフレ政策など、画竜点睛というより仏作って魂入れず、です。安倍さんも口ではこれを訴えるのですが、それにしては肝心なところで新保守革命をになったサプライサイド経済学に走ってしまい、問題の解決につながっていません。もしかすると、解決可能(に見える)問題だけを問題にしているからなのかもしれません。言いかえれば目下リフレ政策を導入しているのも、将来はさておき当面の効果はあるから、という程度の話なのかもしれません。

 それにしても、安倍政権の経済政策、社会政策はしばしば矛盾しており、評価に悩む局面があります。何があろうと安倍さんを支持する、あるいは反対すると心に決めている人以外、大方の人がそうなのではないでしょうか。
 たとえば、女性の社会進出をうたって企業に働きかける、人口増加に向けて高い数値を掲げる、賃上げを労使の交渉に任せず政府が経済団体に「要請」するなどです。いずれもその手法は行政手段に頼りながら方向性としてはリベラル基調であり、日本会議からすれば「裏切り」以外の何ものでもありません。実際、日本会議からは批判が寄せられていますが、だからと言って安倍さんがリベラルに宗旨替えしたと信じる人はいません。ならばこれらは単なる見せかけかといえば、こういったテーマにこだわっているのは誰よりも安倍さん自身のようですから、そうと断言するには躊躇します。ついでに毎度実現不可能な数値をあえてあげているところに政権の「本気」を見ることもできますし、ただの目くらましだとも見えます。スローガンはいつも明瞭で一貫しているのですが、一方で相反する政策も熱心に提唱してくるので、安倍さんは、少なくとも社会経済に関して日本をどこへ向かわせたいのかがわからなくなります。
 社会保障について安倍さんは意外にも(?)詳しいようですが、さりとて福祉や社会保険の課題に本気で関心を寄せているようには見えません。何より、支持者はだれもそこに関心を持っていないでしょう。たとえば公共投資としてみたとき、社会福祉は一般的に土木事業よりも波及効果、消費効果ともに勝っており、景気対策としてはこちらのほうが有効だという意見も根強くありますが、彼の口からこういった発想はついぞ聞かれません。もっとも、自民党の片山さつき氏やブログが炎上した長谷川某のような福祉や社会保険に対する執拗な敵意も見せておらず、彼にとってはもっぱらプライマリーバランスの文脈に位置づけられる問題のようです。

 安倍さんがファシズムに通じる復古的国家観の持ち主であり、日本会議の父権主義的社会観を共有しており、戦後の右派が抱いてきた左翼に対する敵愾心を継承していることに、疑いを持つ人はいないでしょう。だからそこを評価する人は彼を支持するのだし、評価しない人は批判します。しかし、話が社会経済の分野になると本当は何をしたいのか、政策だけでは判断できなくなります。目標はリベラルでもその手法は国家主義的であり、根底にある価値観はきわめて父権主義的です。しょせんリベラルのような目標はただの人気取りなのか、目標は本気で信じているけど彼の政治信条が具体策を誤らせているのか。もしかすると、シリア難民について外国人記者に聞かれたとき女性の社会進出に関する持論をまくしたてた場面に表れているように、根本的な知力に問題があるのかもしれません。これ、私には単なる聞き間違いには思えません。彼の言動からは、彼が非常に狭い世界に生きていると想像させます。その狭い世界ではシリア難民など話題にも上らないので、何を聞かれたかわからなかったのかもしれません。
 彼の言動は社会経済政策に関するかぎり「ぬえ的」だし「場当たり的」です。その背景には、世間というものは燃料が投下されないかぎり関心が持続しない、との見切りがあるのではないでしょうか。場当たり的でもじきにみな忘れるし、矛盾を突かれたら「民進党がー!」「レッテル張りだ!」と逆切れしていれば済む、と思っているのでは? しょせん想像でしかありませんが、こういう想像が成り立つところがまた問題です。

 打ち終えて読み返してみましたが、論旨が混乱してますね。安倍さんについて論じようとすると、どうしてもそうなりがちです。一番の理由は私の安倍さんに関する知識がとぼしいことですが、やっぱり彼自身にも原因があると思えてなりません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

WBSなんですが・・・こういう事を言ってはアレですが、韓国では「謝ると負け」という文化が根付いているそうなんですが・・・

まあ、わざわざ「正論」を嫌らしく捲し立てる私もアレですが、アレはアレで、追い込めば追い込むほど性格が出ますからね。

ムカついてもサクッと相手の正論、自分のミスは認める潔い侍タイプの人は、いわゆる「あの手の保守派」には居ないですね。
「性格」が非常に大きなウェイトを占めている気もしています。あの手の保守派になる人というのは・・・



それで、安倍氏ですね。
身も蓋もなく言ってしまえば・・・支持率至上主義でしょうね。
彼が非常に推していると見られる政策に「保守」の一貫性は皆無です。

根拠はやはり第一次の安倍内閣でしょうか?
彼は「腹痛サプライズ辞任」を経験しています。
日本のマスコミは勿論、アメリカの新聞にもコケにされているんですね。

日本だけでなく、世界中に「うんこ」を連想させる、情けない辞任の仕方をしています。
「政治を腹痛でサプライズ付きで辞めたトップ」ですからね。
そのプライドは木っ端微塵だったと思いますよ。

それが、第二次で一番にマスコミを押さえ込んだ戦略・・・と言うか「権力を使って強引に」潰しにかかった一連の画策、コレが説明できると思うんですね。

その後の「経済後回し、株価至上主義」等も、その「自分が辞任したあとは日本が壊滅しようと知らないよ的な、短期的な支持率(一瞬でも数字を上げられるなら、後先考えない散財主義)を追いかける手法」に繋がっているように見えるんですよね。

素人目に見ても、安倍内閣「後」の日本の財政、経済はかなりヤバイですよ。
逆に「続投の意志」をチラつかせている彼に、私は若干驚いています。
自分のやり散らかした後片付け、彼に出来るのか?


と、後はソースですね。
古い話なのでもう記事は探せませんが・・・

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8616773.html

この辺りがその頃ですね。
何を言っているんだ?と思った覚えがありますが、コレはもっと古い話、2008とか2009年のコラムだったか?

麻生氏のネトウヨと遊んでいた頃、そんなコラムを読んだ記憶もあり・・・

ま、取り敢えずその質問の回答者さんは「学者の受け売り」を公言していますから。

お礼日時:2016/10/17 14:35

回答もこれだけ続くと私信のような気がしてきます。

本サイトの趣旨からは外れていますが、開き直って始めます。

 こんな記事を見つけました。「『ネット上の争いでは、リベラルが99%負ける』津田大介さんが訴える政治運動の姿とは」http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/07/daisuke- …
 津田氏についてはたまにテレビで見かける程度でよく知りませんが、この記事にはいろいろ納得させられました。彼はリベラルとネトウヨの問題として述べていますが、私は「まとも派」とそうでない人の対立にネットの特性が加味されたものと受け止めました。つまり、論拠と論理をもって主張を組み立てようとする人はコピペで相手をやっつけようとする人にかなわない、ということかと。「かなわない」というより「音をあげる」というほうが実態に近いのでしょう。

 ネット右翼の皆さんが局所的な歴史に詳しいのはそのとおりで、私などは彼らの得意分野ではとうてい太刀打ちできません。しかし、ここにはとても非対称な関係がありまして、彼らの主張はいつも偏った主観が予断となって史料のつまみ食いを起こしているので、理解するにはその分野全体を俯瞰できるだけの知識がなければなりません。なにしろ彼らは自覚があるのかないのかわかりませんが、平気で嘘をつきますから。おまけに偏っているとはいえ極小的な知識は豊富で、とにかく執拗ですから、下手につつくとやぶ蛇になります。要するに、ものすごく面倒くさいことになります。
 というなかで、私としては珍しく会話が成立したケースがこれです。「朝日新聞はなぜ売れるのか?」http://okwave.jp/qa/q9003720/a25061762.html
 中身を確認してみたら、photoshopherさんも参加されていたのですね。なかなか難しいところはありますし、重要な点で話がかみ合っていなかったりもしていますが、少なくとも人の話を聞く姿勢があるところは貴重だと思います。ところで、この質疑ではネット右翼の皆さんが毎度熱くなる従軍慰安婦問題へと焦点が移ったため、それまで億劫に思って避けていたこの問題を簡単に概観してみましたが、「保守派」がくり出す詐術のひどさには正直驚きました。これだけ情況証拠がそろっていて、なお「朝日の捏造だ!」と叫ぶ人たちの頭の中が本気でわかりません。
 手もとに記録がないので正確ではありませんが、数年前に「保守派の研究者」が慰安婦の証言者を「嘘つき」呼ばわりして名誉毀損で訴えられた裁判がありました。その判決文には「被告の史料の扱いは恣意的で、およそ学術研究の名に値しない」との印象的な一文があり、そこだけはいまでも鮮明に覚えています。ネットで検索してみたのですがその後の出来事が多すぎるのと、ネット右翼の皆さんが別件でさかんに検索しているからか見つけられませんでした。この一文が印象的というのは、私をふくめて多くの人が感じている実感を巧みに文章化しているからです。ちなみに、当時全国紙では産経だけはこれを記事化しませんでしたし、もちろんネット右翼の皆さんは無視していましたので、彼らはこの顛末自体を知らないのかもしれません。
 ネット右翼の得意分野といっても、しょせんこの程度です。

 またしても個人的な話です。私はもともと「保守派」を自認していたことはどこかで書いたと思うのですが、いろいろあってすっかり幻滅してしまい、保守派から離れた経緯の持ち主です。その最大の契機が、歴史学を知るほどに「保守派」の歴史家は二流だと気づいたことです。まあ、保守派でもまともな歴史家はちゃんといるのですが、歴史学研究の場で通用しない二流が問題のすり替えのためにイデオロギーを持ちだしているケースが多すぎます。
 ここで連想するのが、分野違いですがソ連の生物学者ルイセンコの一件です。彼は環境が生物の遺伝子を変化させると説き、「獲得形質は遺伝しない」とする進化論の総合学説に異を唱えました。むろんソ連の生物学者たちはそろって批判しましたが、ルイセンコは自説を「社会主義的生物学」などと言って当局に売りこみ、政治の力で反対者を一掃してしまいます。特に時の権力者フルシチョフはことのほか熱心で、ルイセンコ説に基づいてシベリアにトウモロコシの大規模作付けを行い、大失敗に終わります。イデオロギーで生物学者の口は封じられても、トウモロコシには通用しなかったわけです。
 成功と失敗が際だっているという意味でルイセンコは突出した例ですが、いかなる分野であれ二流の学者は二流であるがゆえに専門分野で評価されず、その仕返しを政治論争へとすり替えて果たそうとすることがあります。歴史学の分野では同業者に相手にされない者から「学界は左翼に牛耳られている」と的外れな難癖をつける者が現れ、歴史学に関心のない保守派がそれに喝采叫ぶ。この構図にすっかりうんざりしてしまいました。
 つけ加えておきますが、わが国でも終戦後しばらくは左翼が同じことをやっています。ただし、それも50年代までが盛期で、せいぜい70年代前半で終わっています。政治思想がどうだろうと、歴史学研究の価値を決めるのは政治ではなく歴史学だけだと皆が悟ったのです。しかし、いまだに「保守派」にはそれ以前の段階で認識が止まってしまった人がたくさんいます。

 この問題で気をつけたいのは、研究者が政治的立場を持つことが悪いわけではない、という点です。問題というか論外なのはイデオロギーに研究を従わせるような姿勢であって、そうでないなら、むしろ強固な政治的立場を持つ人は研究に独自の視点をもたらすため歓迎すべき場合もあります。
 一例として、アメリカにはタカ派ロシア史研究者として名を馳せたR.パイプスという学者がいました。最近は息子がネオコンとして売り出してますが。それはさておきこのR.パイプス氏、私は学生時代に彼の「革命か発展か。レーニン主義の起源」という論文を読んでとても感銘を受けました。当時レーニンの個人史、とくに「レーニン」として認知されるまでのそれは、西側では断片的な史料しか得られず、東側では聖人伝のような共産党公認の正史しかない状況下で、パイプスはタカ派としての悪意と執拗さを発揮してこの正史の欺瞞を暴き出していったのです。
 この件、もう少し説明しますと、正史によるレーニンは実兄が皇帝暗殺を謀った咎で処刑された16歳の時「私たちはこの道はは選ばないだろう」とテロリズムとの決別を宣言し、以後共産主義者としてゆるぎない活動をつづけた、とされていました。しかしパイプスは、名士の家に生まれて「神童」ともてはやされたウラジーミル少年が、時にみっともない姿をさらしながらもがき苦しみ、変転を続け、共産主義者の革命家レーニンとなるまでを描きだしました。聖人伝にはない生身の人間の息づかいさえ感じられるその叙述と、わずかな史料から論理的にこれを導きだしたパイプスの手腕に、若い私は感動すら覚えたものです。
 あくまでもパイプスの目的は偶像化された「レーニン」を引きずり下ろすことであり、文章の端々にはレーニンと共産党に対する悪罵が付け足されていますが、研究そのものはまっとうな歴史学に則っています。私をうんざりさせた二流の「保守派」歴史家たちとは違うのです。

 ここまで個人的なことを書いてしまうと、もう隠す気はありません。というか、隠せないでしょうから白状します。私がイデオロギーに学術研究を従わせる姿勢を嫌うのは、真実に背を向けているからという理由でありつつ、それ以上にこれがつまらないし、くだらないと感じてしまうからです。要するに美的な感性の問題です。
 安倍さんを嫌うのも同じ理由からです。薄っぺらいイデオロギーで複雑怪奇、玄妙深淵、摩訶不思議なこの現実を切り取り、頭から決めつけてしまう彼の態度は、私たちが生きている世界をひどくつまらなく、くだらないものに変えています。たしかに私たちは現実を抽象化、類型化しなければ全体を把握することができませんが、彼の場合は度がすぎています。これまで述べてきたとおり、現実の課題に向き合う代わりに予断をもって答えとする姿勢は大問題です。たとえ現実の課題を解決することがあったとしても、それは運否天賦の幸運でしかありませんから。しかし、それ以上に彼の世界観によって描きだされる私たちの現実が、私には「醜悪」とさえ感じられます。スターリン体制や文化大革命に嫌悪感を感じるのとまったく同じです。
 私は一筋縄ではいかない日本の歴史がおもしろくて仕方ないのですが、その日本の歴史を自分の正しさを訴えるための材料としか見なしていない「保守派」の面々に、本気で嫌悪感を感じます。歴史はお前たちのオモチャじゃない、言いたいことを突きつめると、つまるところがここに行きつくようです。
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この回答へのお礼

分かります分かります。
そうなんですよね。
右翼、或いは左翼でも、行き過ぎた人は「今まで人間が試行錯誤して、長い年月をかけて、証明してきたこと」でも、簡単に無視しちゃうんですよね(笑)

今正に「WBSと温暖化」のスレッドに回答を寄せているんですが・・・

イヤ、そこ違うから!と言うものでも平気で「論拠」としちゃうんですよね。


一般的に「安倍より」「リフレ派」と言われる経済学者の論説がやたらニュースに上がるんですが・・・
そういう学者さんでさえ・・・
結構「前提が微妙」な感じの論が多いんですよね。

そこは「?」「特殊な例という前置き」或いは文頭に「これは証明された事実ではないが、この仮設を元にロンを組み立てた場合は・・・」と、前置きを置こうよ!
と言うものがやたら多いんですよ。

本当に学者なのか疑問でしかない。
タダのディベートの論客じゃないかと疑うことが多々あります。

余り私は学者を知っている訳ではないので、あまり例は上がりませんが・・・

「分かっていないこと」「確定できない物」を前提とされると・・・
もう読む気が無くなっちゃいますよね(笑)

分からないことは分からないことはで、ハッキリさせてから喋るのが当たり前でしょう。
学者であれば。

わからないことを分かっていないやつが、何を学者を名乗っているんだ?
とは思います。

お礼日時:2016/10/12 15:04

字数の限られたお礼欄で、photoshopherさんはいつも何かに気づかせてくれます。


 今回も情報革命と政治運動の変化が連動しているとの指摘、言われてみるとそのとおりですね。ラジオ時代の社会主義・労働運動とファシズム、テレビ時代の「若者の反乱」と新保守革命、そしてネット時代の現代。さかのぼれば、新聞時代のフランス革命とアメリカ独立戦争なども該当します。まさにバッチリです。

>情報が氾濫して、よりバランスの取れた考え方ができる土壌ができたところで、片方に極端に傾倒する人々。

 21世紀の芸能娯楽や出版業界では、際だったメガヒット作が生まれる一方で、それ以外の大多数が売れなくなっているとよく言われます。その要因はさまざまに分析されていますが、その中にコンテンツの増大を指摘する意見があります。ジャンルそのものも増えましたが、そのジャンル内でも作品の数が増えたので、お客にしてみればいちいち自分で判断するわけにはいかず、他人の判断、すなわち市場の結果を当てにします。かくしてヒット作は「ヒットしている」という事実がさらに注目を集める理由となり、そうでないものは存在すら気づかれない。つまり、情報量の増大は実質的に選択肢の減少をまねき、市場は画一化されていくというわけです。
 かつては情報量がもっと少なかったので、興味があればその分野を一覧することも難しくありませんでした。その過程では各自の価値観が磨かれるために判断も分かれ、市場にはそこそこの売り上げの作品が並ぶことになりました。
 ここで見すごせないのは、やはり情報ツールの変化です。昔はどの分野でも同好の士との出会いは活字媒体などのスピード感に劣るものに頼るか、リアルに顔をつきあわせてのものが主だったので、そこで培われる価値観の伝播と共有も緩慢であり、世間には複数の価値観が林立します。
 しかし、ネットはこの点、まったく逆です。何かに興味を持ってネットをのぞけば必ず自分と同じような価値観と出会うことができます。そこで出会った価値観同士は相互に「同じだ」と確認しあうことによって互いの間にあったかもしれない差異を無効化し、あるいはすでに多数の支持を得た価値観があればそれに自分を合わせることによって、ネットの世界には特定の価値観の寡占化が進みます。その成長があまりに早く、かつ圧倒的な情報量をそなえているため、多くの人は自分の価値観を育む余裕がありません。自分で考えるまでもなく答えがそこに示されているのですから、それ以上考えなくなります。
 かくして金太郎飴ができあがります。

 政治的思潮にも同じことが言えます。情報源をもっぱらマスメディアに依存していた時代は、それなりに選別された情報が現代とは比べものにならないくらい少量発信されていたので、受けとる側でも一とおり目を通すことができ、相反する価値観であっても意識せずに接する機会がありました。これは受けとる側だけでなく情報を送り出す側にも当てはまり、あまりにも党派的な記事や質の低いものでは世間に通用しない可能性が高くなります。ひと握りのごく少数派を相手にしているときはまた別ですが、これは「マス」ではないので例外です。
 もちろん現代でもマスメディアは健在であり、いまだ多くの国民(特に高齢者)は主たる情報源をテレビ、新聞等に頼っています。一方でインターネットにもっぱら依存する人も増えており、既存のメディアもネットの影響を受けて変質しています。当のネットの世界といえば無選別の情報、言説が入り乱れ、まさに玉石混淆。探そうと思えば大概の情報、多様な立場に基づいた主張を見つけられますが情報としての質は保証されませんし、なにより意識して努力しなければ宝の持ち腐れにしかなりません。
 このような状況では先のメガヒット現象と同じように、情報量があまりに膨大であるがゆえに特定の価値観が肥大化することがあります。そして、いったんこの価値観を受け入れた人はいちいちの情報を吟味して判断することもなくすべての情報に予断をもって臨み、その価値観に合致するものだけを「真実」として受けとり、それ以外のすべてを頭から否定してかかります。なにしろ自分は何が「正しい」かを知っていると確信をもっているのですから、わざわざ考えることをしなくなるのです。たとえ不安をおぼえても、ネットの世界では必ず安心させてくれる「同志」が山ほどいます。
 既存メディアを「リテラシー」をもって批判する人が、誰よりもリテラシーを持ち合わせていないのは何とも皮肉な話です。

 ここからはこれまでも回答してきた「保守派」について簡単に整理します。私は、安倍さんは個人的な劣等感の埋め合わせを保守思想に求めており、ネット右翼の皆さんは憤懣を解消する差別への欲求を正当化してくれるものとして保守思想に飛びつき、宗教心に根ざした世俗主義をかかげる日本会議がその思想を提供している、という構図だと理解しています。個々人には見すごせない違いもありますが、大まかにはこんな感じでしょう。要するに、同床異夢です。しかし、彼らは互いに互いを切実に必要としているため互いの間にある差異を無視し、みな「同志」であるとの錯覚に浸っています。
 錯覚であってもまとまるためには「われわれ」という存在を規定しなければなりませんが、それぞれ真の望みをあきらかにできない(本人も自覚していない)彼らにとって、意外にこれは難しいことです。そこで、彼らは「われわれとは○○によって攻撃されている被害者である」との定義に走ります。彼らは嫌韓・反中、反民進(民主)党、アンチマスメディアの姿勢で一致していますが、その言動を彼らが口にする愛国心、伝統、リアリズム、国益などから理解しようとするとつじつまが合わない事態によく出くわします。しかし、「反○○」がそもそも目的だと思えば話の平仄は合います。
 お礼にある民進党の例でいえば、民進党に反対すること自体が目的なのですから政策など二の次です。
 ならば民進党が消滅でもしたら彼らはアイデンティティの重要な一部を失い、彼らという存在も霧散してしまうのでしょうか。いえ、おそらくこれは杞憂でしょう。目下の所「反○○」に民進党が適しているだけで、なければないでまた別の標的を見つけるだけでしょう。彼らは鏡に映った自分の姿に向かってファイティングポーズを取っているにすぎず、敵が入れ替わっても気づかないかもしれません。
 この辺はいじめ問題と何も変わりません。弱い者いじめの極意とは、自分は安全圏に身をおいたままターゲットを責めたてることであり、ターゲットが転校でもしたらまた次のターゲットを見つけるだけです。彼らはいじめるという行為が好きな人たちであり、それによって団結を維持しています。しかし、当人たちは聞けば必ずターゲットに問題があったのだと言いますよね。

 安倍晋三氏が独裁者らしくないというご意見には賛同します。「ままごとっぽい」という印象にも同意です。しかし、私は客観的な条件がそろっていないだけだとも思っています。
 どこの国にも、またどこの分野でも「独裁者」は現れますが、いかなる独裁者であれ独裁者になるまでは「独裁者」らしく見えませんし、独裁者でなくなった途端に独裁者らしくなくなります。「独裁者」として振る舞うには当然本人の資質とか能力が必須ですが、同時にこれは相当程度、その地位が作るものだとも思うのです。むしろ衆目から認められる抜きんでた能力の持ち主は、たとえ本人が望んでも独裁者になれないことが多いようです。
 安倍晋三氏が独裁者となる現実的可能性が高いと思っているわけではないのですが、彼とその支持者が目指しているものは当人たちが自覚していなくても、まさしく全体主義国家の独裁者にほかなりません。私はその「正体」を大いに問題視するので、いささか書きすぎの気もしているのですが強調しています。集団的自衛権や「生前退位」をめぐって注目したのは、安倍氏の周囲には同じ意見を持った者しかいないという事実であり、異論反論を受け付ける気がさらさらないことです。思想的には、彼はすでに全体主義の中で生きているのです。ただ、世間がそれを受け入れていないだけで、彼らは押しつけられるなら躊躇なくこれをするでしょう。私はそこに疑問を持っていません。
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この回答へのお礼

>・・・かくして金太郎飴ができあがります。

まさにその通りですね。
いろいろとネトウヨ研究をしてきましたが、それを象徴するのが彼らが言う「歴史を勉強しろ!」という決まり文句。

歴史を勉強しろと言えば、通しの日本史や世界史を想像しますけど、彼らが言うのは、近代の韓国中国外交一点なんですよね。
これらに関してはとても雄弁に語り、情報を取り込んで吟味し、韓国史中国史の専門家ではない私たちが把握できない、非常に細部まで調べて、自分のものにしている感じが伝わってくるのですが、これに欧米、西~中央アジアを加え説明を要求すると、唐突に「wikiの写し」に変わり、しかも地域間の相互関係やその地域ごとの歴史概要を把握していないので、「アラブやヨーロッパに日本の(自分たちの)価値観・常識を加えたおかしな論説」が出来上がってきたりします。

記憶に新しいところでは、彼らの異様な天皇像です。
日本史を普通に高校レベルで勉強していれば、「傀儡の歴史」とわかりそうなものですが、おかしな論説がたくさん出てきましたよね(笑)
特に中世古代の彼らの天皇感はとてもユニークです。
まるで歴史を知らない・・・中国、韓国の近代史以外は・・・

価値観、情報のすり合わせでさえなく、保守速報などの「まとめサイト・個人ブログ」で画一的に新規教育されているのではないかとさえ思います(笑)


ここでも「私は政治や歴史は知らないが、私は金太郎あめのイデオロギーです」というのを公言している人までいます(笑)

めちゃくちゃですが、なるほど、同じような人がたくさんいますよね。
こういう人が、保守速報などの生徒となるのではないかと。


一度でいいので、ネトウヨと「建設的な議論」がしてみたいものですよね(笑)
一人だけ物事も知っているし、大人的な認識を持っているよさそうなのがいたんですが・・・突っ込むとそのものネトウヨ的言動を繰り返すだけに・・・アレは残念でした。まあ、煽り過ぎた私も悪いんですけど(苦笑)
いや、国益の人ではないですよ。

ま、そこまで「汚い大人の利己的な」政治外交を推論できる感覚がある人でも、最後はイデオロギーのため、自分の疑問を封殺しているように見えたのは、ちょっと興味深かったです。
そこまで推論できれば、安倍自民がガキという結論に行き着きそうなのですが、最後の最後にまとめサイトの理論武装・・・

お礼日時:2016/10/09 10:47

本サイトは質問者のためにあるものですが、photoshopherさんとのやりとりは勉強になるもので、ついついご厚意に甘えて連投です。


 それにしても、質問者様は毎回みごとに拙回答を要約されます。ことに前回は字数制限に収めるために四苦八苦しただけに脱帽です。なお、今回はさすがにネタが尽きてきたのであまり脈絡がありません。

 photoshopherさんのお礼で一点、東側諸国の実態は冷戦終結前からかなり周知のものだったことは指摘させてください。
 たしかに終戦直後しばらくは左翼支持者の間でソ連は地上の楽園のようにいわれていましたが、実態は違うという情報は入り続けていました。ことにユーゴスラビアのコミンフォルム追放(48)、スターリン批判(56)、ハンガリー動乱(56)、中ソ対立(60年代)、プラハの春(68)などの事件のたびに、左翼支持者の社会主義国観は動揺を来します。ただしその受け止め方は一様ではなく、それでもアメリカよりマシだ、スターリンがレーニンの業績を台無しにした、ソ連は覇権主義だが中国は違う、ソ連も中国も真のマルクス主義ではない、スターリンはやはり偉大だった、等々、まさに四分五裂です。もちろん、マルクス主義はまちがっていると転向する人、政治に関心をなくす人なども相次ぎました。日本共産党がソ連、中国の友党とたもとを分かったのもこの一環です。
 50年代はさておき、70年代が終わるころには知識人の間ではソ連を全体主義として捉える認識が一般化しており、世間的にも社会主義は自由がなく経済的に貧しい、がある種常識となっていました。それでも左翼思想に執着する学生運動が世間から遊離した一因であり、既成の左翼勢力が市民派へと変身する理由となりました。冷戦の終結は、たとえてみれば負け試合だとわかっていたゲームが本当に終わった、というくらいでは?

 個人的体験でいうと、学内には左翼に共感を寄せる学生がたくさんいましたが、さりとてソ連を称賛する者はいない、そんな状況でした。ついでにこのころ、特攻隊の生き残りでロシア史の研究者を知りましたが、この方は口癖のように「生まれ変わったらソ連でトラクターの運転手になりたい」と語っていました。彼にいわせれば、ソ連は意欲と能力がある人間には牢獄だが、そうでなければ意外に生きやすいのだそうです。政治体制についてはまったく評価していませんでしたが。余談までに。

 学生運動について補足しておくと、わが国で学生運動が盛り上がった時節は世界的にも「若者の反乱」と呼ばれる事件が相次ぎました。フランスの五月革命はその代表です。終戦から四半世紀がすぎ、平和の中で成長した世代が既成の権威や体制に一斉に非を唱えたわけです。実際の運動の態様は各国の条件によって異なりますが、若者が「世界は変えられる」「自分たちが変える」と信じた点は共通しています。と書いてみると、昨今の保守化する若者と比べて隔世の感があります。あくまでもその是非は棚に上げてですが。
 なお、この気分を現代の日本にあって色濃く保持しているのが日本会議であり、ネット右翼の皆さんです。彼らは自分たちのイデオロギーで世界はさておき日本を変える気が満々です。

 質問者様は時代の移り変わりを前の時代に対するカウンターとして整理されています。あまり図式的にこだわるのも問題ですが、私も基本的にはまったく同感です。
 たとえば、アメリカでは冷戦の勃発とともに赤狩りが横行し、アメリカ社会は「自由主義の砦」としてイデオロギー化されましたが、その反動として起こったのが公民権闘争とベトナム反戦運動でした。ついでこれに対する反動がレーガン以降の新保守革命であり、その原動力となったのは反人種主義に対する反発(要するに差別したい)だったとの指摘があります。いまはまた新しい時代に入ったようですが、現代がどのような時代なのかはまだわかりません。こういうものは後になって初めて俯瞰して把握できるものです。簡単にいうと、アメリカは戦前の左→戦後の右→「若者の反乱」時期の左→レーガン以降の右→現代の? となります。
 左右に振れる社会のどちらを好ましいと思うかは人それぞれとしても、いずれもカウンターは前の時代の宿題を解くために起こるのだとすると、カウンターそのものは社会の正常化機能だと理解できます。カウンターであるからには解くべき宿題が難しくないときはさほどの振れ幅になりませんが、ソ連のように硬直化して課題の解決が困難な国では体制の自滅にいたります。これもまた正常化ではありますが、一般国民がまっ先にその犠牲になるのだと思えば、宿題は後まわしにしないでさっさと片づけておくべきだ、とわかります。

 ところでレーニンといえばいまや落ちた偶像です。当然の評価だとは思いますが、それでもスターリンとは見すごせない差がいくつかあります。そのひとつがレーニンは他党派の異論反論を力で封じながら、党内ではそれをしなかったことです(できなかっただけなのかもしれませんが・・・)。
 ロシア共産党はもともとレーニンとその支持者たちで作られた党でありながら、そのレーニンは何度も重要な問題で党内の投票に負け、持論を撤回する羽目に陥っています。基本、革命家の集団ですからみな思いこみは激しく、論争は毎度熾烈をきわめますが、その中でもレーニンが異論反論を無視して持論を押し通したのは四月テーゼ(権力の掌握とドイツとの講和)の時だけでした。討論で物事を決しようとすると、相手を論破するために客観的な事実と合理的な論理が求められます。スターリンのように「問題など存在しない」と誤魔化したり、問題をでっち上げていては通用しません。
 中国でも毛沢東は文化大革命など、異論反論を議論以外の手段で封殺しましたが、実権を掌握したあとの鄧小平は説得に頼り、しばしば議論の結果を受けて政策を修正しています。彼もまた毀誉褒貶の激しい人物であり、天安門事件を思い出すだけで許せない気はするのですが、彼こそが現在の中国の躍進をデザインした人である事実は無視できません。レーニンも鄧小平も党外の言論の自由を認めなかった点はまったく評価に値しませんが、党内に限っては宿題に向き合うシステムがあったことを忘れてはならないでしょう。
 さて、ここで念頭にあるのが安倍自民であることは、質問者様には言わずもがなですね。自民党は長らく党内にさまざまな意見、主張が混在し、対立する政党でしたが、現状では官邸に抗する人士が一人もいないようです。首領様が決めたら従う、ということなのでしょうか。

 私が安倍晋三にスターリンを重ね合わせているのは、こんなところにも理由があります。全体主義者は軍事力を偏愛するだけでなく、情報の統制と警察の偏重という特徴も持ち合わせているものですが、安倍さんもこの点では資格十分のようです。アベノミクスは単なる入れ知恵ですが、彼が本領を発揮するのはメディア対策と警察官僚の登用、公安警察の活用であり、彼が得意とするのは党内の掌握(要するに反対者を黙らせる)です。
 にもかかわらず、彼が全体主義国家の独裁者たりえていないのは、わが国の政治社会状況がそこまでの状態に至っていないからにすぎません。右、左、宗教を問わず、第三者からすればバカらしい極論にはまった党派が権力を握るには、社会の流動化・不安定化・弱体化が必須の条件となります。ロシア革命はその典型です。ロシア共産党は革命の全期間を通じて一度も国民多数からの支持を勝ち取ることができませんでしたが、他の党派が混乱する社会情勢の中で自信と信用を失うのをしり目に、最後まで明確な理想と強固な組織、そして熱烈な支持者を保ちつづけました。つまり、共産党が勝ったというより、他の政治党派が残らず負けたと言うべきなのです。イスラム国の台頭をまねいたシリア、イラクの混乱を思い出すのも適切でしょう。
 どこの国でも極端派は少数派にしかなりませんから、まともな状況では権力を握ることはありません。まともでない状況が生まれればこそ、まともでない一団は生きるのです。

 ひるがえって、日本にはたしかに怪しい雰囲気もあるものの、状況がそこまで至っていないことは明白です。報道の自由度ランキングが世界の72位になったとはいえまだ言論の自由があることはその証拠になります。言いかえれば、安倍さんがどこぞの首領様のようになっていないのは状況がそこまで切迫していないからにすぎず、本人とその支持者はやる気十分と見えます。安倍政権の支持率は選択肢の中で最大ではあるものの過半数にはほど遠く、個々の政策に対してはさらに支持率が下がるにもかかわらずここまで自分の意思を押し通しているのですから、異論反論がさらに弱体化すれば抑制などきかないでしょう。
 ということは、この先状況が逼迫してくると彼もしくは彼のような人物が独裁的権力を握ることもありえるのだと想像できます。たとえば人口の減少から来る避けようのない経済規模の縮小によって日本の社会が激しく動揺すれば、ありえない夢想をかかげて登場した一団が権力をさらう可能性は小さくありません。いまだって荒唐無稽な日本会議が官邸を「支配」し、支離滅裂なネット右翼がネットの世界では蔓延しています。ことがそこまで至ったとき、社会の安定化が図れれば一番の処方箋となりますが、それがかなわない場合、最も有効な対策はこの一団の嘘に対して声を上げられる内に「それは嘘だ」と指さすことでしょう。結局、イデオロギーに取りつかれた人たちが一番嫌うのは「真実」だと思うのです。当人たちに通用しないのは自明ですが、世の中の普通の人たちに対しては効果があります。
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この回答へのお礼

おっとと、そうでしたか。
中国やソ連を直接称賛はしないけれども、現実の共産主義体制の国家が全体主義国家だという情報はちょくちょくあった。
しかも、経済的にも無理をしていることが薄々わかっていた。

にもかかわらず、多くの学生が「共産主義」というイデオロギーを称賛していたというわけですか?

これは・・・ますます現状のネット右翼と似てきましたね・・・

現実的に破たんしても、理想を頑なに追う。
似てますね・・・

「テレビの時代の学生の反乱」
「ネットの時代のネット右翼」

イデオロギーは真逆ですが、ネット右翼に明確なイデオロギーらしきものはない。ここは似ていない。あるとしたら嫌韓ですか。
ネットが浸透して、ホームページから始まり、掲示板、SNSを経て、今のネット右翼はイデオロギーならぬ、「嫌韓感情」でつながっている。
他国の右傾化も基本的には排外主義。

面白い、歴史を漁ると、情報革命ごとに何か起こってそうです。
しかも、情報が氾濫して、よりバランスの取れた考え方ができる土壌ができたところで、片方に極端に傾倒する人々。


中近世、科学的に地球は丸いというデータが一般に浸透したところで、その一派は「地球は丸くない!データはこれだ!」といって反発し、連合しているかのようです。
面白いですね。



さて、安倍晋三ですか・・・
これね、ちょっと気になることがあるんですが・・・
ネット右翼のイデオロギーの無さが象徴されているような行動パターンがあるんです。
それは、民主党をけなして安倍氏を浮揚させる支持の仕方をするんですよ。

客観的に見れば、民主党自民党ともに政策はほとんど変わり映えしません。
ほとんど同じなんですが、民主党が悪だから自民党は善!という支持の仕方なんですよ。
民主党が消えたら、自民党の何を支持するつもりなんだろうといつも思うのですが・・・

そういう状況だと、安倍独裁の心配は杞憂に終わりそうな気もするんですよ。
安倍が熱烈に支持されているのは、民主党の存在があってこそなんですよね。
今まさに風前の灯火である民進党ですが、彼らネット右翼にとっては、いまもって「強大な悪の巨大帝国」に見えているようなんですよね(苦笑)

こういう支持母体で、しかも本人がいかにもネトウヨ的な薄い答弁ばかりをしていて・・
ままごとっぽくも見えるんですよ。これが独裁、できますかね?

お礼日時:2016/10/04 16:17

連投が恒例になっておりますが、質問者様とのやりとりは本当に勉強になるため三度目回答です。


 安倍さんに左翼学生運動が影響をおよぼしたというコラム、気になります。私は思いついていなかった視点なので、思い出されたらぜひご教示いただければ幸いです。

 わが国の保守派について考察を重ねていると、個々に差異はあるものの、いずれもかつての左翼・革新派との対峙に大きな意味を見いだしており、その経験をいまだに引きずっているのだとわかって来ました。言いかえれば、彼らはかつての左翼勢力との戦いの構図からいまの世の中を見ているのです。中でも、安倍さんと同世代の日本会議の面々にとっては左翼学生運動との対決こそが彼らのアイデンティティを形成したとさえ言えます。
 先回答では、左翼学生運動と合わせ鏡を作っているのは日本会議的右派であり、安倍さんは「虎の威を借る狐」よろしくそれをまとっているだけと書きましたが、ご指摘のコラムもあるように、彼もまた左翼の学生運動から大きな影響を受けたであろうことはまちがいありません。ただし、問題はその中身です。

 岸元総理に連なる有力な保守政治家一族の御曹司である安倍さんにとって、左翼学生運動は己の出自の価値を否定するものでしかありませんし、彼自身が左派やインテリからさんざんにバカにされてきたであろうことは想像に難くありません。この点、日本会議的右派にとってはすべてが逆になります。彼らに言わせれば安倍さんを批判するすべての者が左翼の「反日」分子にほかならないのですから、まさに破鍋に綴蓋です。
 一方で安倍晋三氏の父、晋太郎氏は同じ保守(タカ派)政治家でしたが、息子と比べるとずっとリアリストの顔をしていました。それを思えば、日本会議だけが安倍晋三にとって唯一の道でなかったことは明らかです。二人の間には時代的な差異も大きくありますが、この差は二人の知的な資質の差だと思うのです。晋太郎氏は自分の頭で考える人であり、そのことに責任を感じる人でした。私はそこを評価しているのですが、保守派の受けがイマイチだったのはこれが原因かもしれません。ぶっちゃけて言えば、観念的な国家主義におぼれるには頭が良すぎる人だったのでしょう。

 わが国の右翼・保守派が左翼・革新派との対決の中で己の存在意義を見いだしてきたと言っても、そこには世代ごとの相違が少なからずあります。
 たとえば前世紀に右派運動を主導した人たちはおしなべて戦前から戦中、敗戦、占領、復興の時代をリアルに経験しており、彼らにとっての切迫した脅威は共産主義であり、日本共産党でした。しかし、その後の平和な時代に成人した世代、すなわち日本会議の面々にとっての主敵は左翼の学生運動でした。どちらも茫洋とした「戦後日本」を敵視しましたが、目の前に捉えている「敵」が違うのです。共産党と学生運動は同じ「左翼」と言ってもお互いを敵視していたように、見すごせない違いがあります(どちらが正しいのか、ではなく)。この違いが時代状況の推移と相まって、世代ごとの行動思考様式の差を生んだのではないでしょうか。
 安倍さんは世代的には日本会議の運動家といっしょですが、彼には左翼に敵意をいだく十分な理由があったにもかかわらず、政治家になるまで左翼と「戦った」経験はありません。右派の学生運動に参加したことも支援したこともなく、右派の思想に関心を持つことすらなかったようです。歳をとってから政治思想に目覚める人はいますが、彼の出自を考えるとこれは見すごせません。やはり青年期に右派運動に身を投じた人たちとはもともとの資質が違うのでしょう。とどのつまり、安倍さんが左派学生運動から受けた影響は反感にとどまり、現在のような保守派の政治信条を奉じるにはいたっていないし、それだけの知的な誠実さをもとから持ち合わせていないのだと想像しています。

 安倍さんを理解しようとするとき私が連想するのは、実はスターリンです。ソビエト共産党の書記長にして独裁者だったスターリンですが、彼は終生マルクス主義を理解しなかったとの証言があります。思想家としてはディレッタントだったからこそ物事を単純明快に処断することができ、もっともらしいスローガンを操ることにためらいがなく、敵と味方に峻別された世界を信じられ、知的な誠実さを軽蔑できました。わかりやすい「敵」を設定しては異論、反論を封じること、これこそスターリンにとっての政治でした。
 たとえば、都市部への食糧供給が問題となれば富農による農作物の私蔵が原因だと決めつけ、農村部を攻撃しました。まともに考えれば農民が食料を供給するインセンティブに欠けることこそ問題の核心だったことは明白であり、実際にそのように主張する者たちもいましたが、スターリンはその者たちをすべて粛清してしまいます。それによって異論、反論を封殺することのほうが彼にとっては重要だったのです。しかし、それでは問題は解決しません。すると今度はこれに従事した者たちを残らず粛清しました。つまりは問題を解決するより「問題だ」と指摘する声を消し去ったのです。
 もちろん、少年期からのたたき上げの革命家であったスターリンと安倍晋三氏を同一視はできません。しかし、現実を見ない夢想家の極端な弊害の実例として、参考になると思うのです。

 ところで、日本会議が左翼学生運動を真似たという話は別段珍しいことではありません。「敵」とよく戦うためには同じ土俵にのぼらなければなりませんから。たとえばボクサーである敵を倒したいなら、自分もボクシングで挑むしかありません。ここでサッカーを始めても「戦い」はかみ合いません。これは受動的なばかりでなく、能動的にも成り立ちます。自分がボクシングをしたいなら相手がサッカー選手であってもお構いなしに「お前はボクサーである」と宣言し、戦いに持ちこむわけです。もしも相手がリングに上がらなければ「卑怯者!」とでも罵っていれば良いのです。要は観客を納得させられればいいだけのことです。
 もうおわかりでしょうが、私はこれこそネット右翼をふくむ昨今の「保守派」がやっていることだと思っているのです。彼らが描きだす「左翼」像はしばしば時代錯誤だったり、空想的にすぎるのは、「左翼」がそのような敵であることが彼らにとって都合が良いからにほかなりません。社会主義を信じるから、日本なんかどうなっても良いと思っているから安倍自民に反対する日本人など、いったいどれだけいると思っているのでしょう。嫌韓・反中も同じことです。隣国が日本を狙う悪辣かつ愚かな敵であること、言いかえれば勧善懲悪のフィクションの世界における悪役のようであることを欲しているのは、誰よりも彼ら自身です。
 韓国・中国との間には見すごせない軋轢があります。だからと言って自分に都合の良い夢想をもてあそんで何か問題が解決するのでしょうか。と、考えるのは問題を解決したい人で、それよりリングでファイティングポーズを取ることのほうが大事な人にとっては、もとよりどうでも良いことなのでしょう。しかし、そこで相手にしているのは鏡に映った自分自身でしかないという事実は変わりません。

 世代による相違を取り上げましたが、ネット右翼の抱える事情はまた特殊です。彼らが保守派の政治信条を身につけたころの左翼はすでに大きな政治勢力ではありませんでした。しかし、それでも彼らは「左翼」と熾烈な戦いをくり広げています。「左翼と戦う」という姿勢自体が借り物でしかないのなら敵がいなくても大した意味はないし、それどころか実際の敵がいないからこそ望みのままに「敵」を思い描けるのだと思えば、むしろ都合が良いのかもしれません。そこまでして「保守派」に入れ込める精神性はいまだに理解できませんが。
 「生前退位」をめぐり強硬に反対論を唱えているのは日本会議の面々だけです。集団的自衛権を合憲と主張する憲法学者も、日本会議しかいませんでした。ネット右翼の皆さんは熱烈に支持していましたが、世間から見れば極端派でしかありません。しかし、安倍さんをはじめ自分にとって気持ちの良い言説しか見ようとしない者たちにとって、異論・反論はすべて「反日」「左翼」の陰謀に映るようです。現実と妄想の区別がつかない狂信者などしょせん少数だと安心することはできません。ロシア革命がひと握りの共産主義者によって遂行され、スターリン体制という醜悪さにいたった歴史は、はたして他人事なのでしょうか。
 これもまた極端な想定なのは承知していますが、私には同質のものと思えてなりません。
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この回答へのお礼

うーん・・・最近はスマホで好きなニュースサイトをセットしておけば、それだけを配信するサービスがあるのですが・・・
それ、海外系、海外誌に日本人が寄稿する系、朝日読売産経、主要週刊誌など、無節操に何もかも入れて通勤時に斜め読みしているもんで(笑)いったいどれを読んだやら・・・

「日本会議の研究」「安倍晋三」で検索すると、大量に出てくる「日本会議の研究」という本のレビューのどれかか、どれか複数を読んだと思われます。

http://www.nishinippon.co.jp/feature/press_comme …
こんな感じだったと思うんですが、これはちょっと内容が薄いですね・・・



しかし・・・メガネさんは学生運動を体験されたんですか?
私は知らないので、どうにもよくわかりません。どうしてもピンとこないんですよね。
学生が寄ってたかって「共産主義運動」ですよね?
普通のリベラル「庶民に自由を、人権を」だったら共感できるんですが、左翼運動にそんなにたくさんの学生が共感するものなんですか?
マルクスだとかそういうやつですよね。私は興味がないので「共産主義の概要」辺りまでしか理解していません。

いわゆる日本を「社会主義国家、管理社会」にしたいと思っていたのでしょうか?
だいたい、マイナンバーでも抵抗感がすさまじいのに、共産主義はもっとがちがちの管理社会でしょう・・・

自由(と責任)の意味で、余りに真逆に見えるんですよね、共産主義。リベラルの敵と言っても過言ではないような・・・

ですから、もし安倍氏が「反学生運動」にこだわっているとしたら、それも私の理解の範疇を超えています。
今の時代、いったい誰が「管理社会」を求めていて、安倍氏やネトウヨはいったい誰と戦っているのか、本当に謎で仕方ないんですよね。
しかも、安倍政権で成立したマイナンバーなど極左。

今の日本人が、或いは沖縄で基地反対をしている人々が、「共産化」なんか絶対望んでいないと思うんですけど・・・
ネトウヨは必至ですよね。沖縄の人が中国になりたいと思っているという決めつけとその宣伝がすさまじい。ありえないような(笑)

すいません、学生運動の話になると置いて行かれます。
知識としてどういうものだったのかというのはあっても、なんか別世界の話のように現実感がないというか・・・

お礼日時:2016/09/26 15:03

相変わらず、真実の中に、嘘を上手いこと混ぜますね。

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この回答へのお礼

アハハ、「ネトウヨという物は存在しないんだ。嘘だ!」ですかね?

お礼日時:2016/09/25 10:34

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