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20代♀です。長文失礼します。
タイトル通りなのですが、
いつからかそのように思って
生活しています。
私はおかしいのでしょうか。

現在資格職につき、
地元を離れて4年目になります。
地元にも今の土地にも
友人はそれなりにいます。
今の土地でできた彼とも順調です。
近いうち結婚したいね、
子どもも欲しいね、なんて話も
よくするようになってきました。

高校まで実家で過ごしましたが
家庭環境は冷えきっていました。
あの家にはまともな人は
いませんでした。
たぶん、私も含めて。
"家族"というものに対して
嫌悪感、不信感、不安、と
強い憧れという相反する感情を
持つようになりました。
自分自身に対しては考え込む、
自信が持てない、孤独感、
見放され感がついて回ります。

私は幼少からなぜか、
"普通になりたい"という思いが
ありました。
歳を重ねるにつれ、
意識的に普通に近づくと共に
みんながみんな普通じゃない、
みんな少しずつ普通じゃないんだ
大多数の普通が重なったところが
世間の普通と言われるんだ
ということがわかってきました。

無難に選んだ職業にもつけて
やりがいや意欲も沸かず、
家庭に対して良い印象がなく
わたしでは無理なのではと
将来に漠然と不安があり、
昔からのぼんやりとした
普通になりたいという
思いもある程度叶い、
そして大きいのは"死"に
具体的な恐怖がない、
だからいつ死んでもいいと
思えるのでしょうか。

誰もが思う感情なのでしょうか?
決して今がすごくすごく辛くて
死にたいと思っているわけでは
ありません。
ただ平均点以下の中で上下しながら
毎日が淡々と過ぎて行く中で
元々あった死んでもいい
という思いが少し大きくなったので
その感情について知りたくなり
わたしの思いを文章にしてみました

同じでも違っても
どんなものでもいいのです。
ご意見お聞かせください。
下手な文章を読んでいただき、
ありがとうございます。
よろしくお願いします。

A 回答 (18件中1~10件)

あなたの周囲の方たちは、最大公約数的に


自分はどういう人だ・・と見られていると思いますか

私がもしそう聞かれたら どくはくさんって、
何を考えているのかさっぱり判らない人だねぇ
と一言で答えるかも知れません

それは性格だから、と言ってしまえば
それまでですが、人生の損得勘定二者択一であれば
それは得な次元にいることとは思えない 

http://matome.naver.jp/odai/2136007428657656501

http://potect-a.com/utilization/johari_window/

↑他人は・・のところを、彼氏はに置き換えて
自分は彼にとって、果たしてあげまんになれるのだろうか
それとも、さげまんになるのだろうか(←言葉悪いけど)
少し掘り下げて分析し、この先のことを考えてみてはどうでしょう。
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16からの追記です。



自分の思いだけ書いて〆てしまってごめんなさいね。

あなたはとても22歳とは思えぬ程、繊細で、頭も良く、優れた感性の持ち主でもあり、ある意味冷めている程冷静なところもあり、とても魅力的ですよ。

文章力も抜群なので、何か思いの丈を文章に綴り、発表なさったら良いのに……何てふと感じました。
あなたみたいな若い方とお話してみたいです。
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はじめまして。


長文になると思いますが、なるべく読んでくださいね。
そして、これから書く事は私の空想でしかありません。
なのでイイ歳したイカレタお婆さんの御伽噺として読んでください。

私はあなたの三倍も長く生きている人間ですが、私もあなたと同じで、若い頃から、いつ死んでも良いや……と言う(投げやりなのとは少し違う気持ちなのですが)思いを持ち続けながら生きて来て、今に至っています。

自分自身の人生が苦しいから死にたいとか、辛いから死にたいとかではなく、生きている時々で、もっと大きなものに対し、失望や虚無感や哀しみを感じてしまうのです。

私の場合は未だにいつ死んでも良いどころか、無性に死にたい、と思う時が定期的にやってくるのですが、今現在の自分の人生が嫌な訳ではなく、何かが辛い訳でもなく、むしろ、こんなバラエティに富んだハチャメチャ人生はそんじょそこいらの人間には味わえないだろう……と、思うくらいのジェットコースター人生でしたので、振り返るともの凄く面白い貴重な人生だったとも思えます。

それにもう、何だかんだ言いながらも還暦まで死なずに生きたのだから、後僅かであろう生を、何としても今回は全うしなきゃ。と言う気にもなって来ましたが、でも今でもやはり、自死では無い死が早く訪れてくれないかなぁ…と願う自分は居ます。

何かこれ以上、この世が荒れて行くのをもう見たくない。と言うのが本音です。

私が時々無性に死にたくなったり、死を何処かで心待ちにしているのは、私はきっと前世、自殺しているからではないかと思うのです。

私は宗教団体は大嫌いですし、何処かの宗教に所属する気も無いので、無宗教者ですが、空想上の神様は信じてますし、独自の考えも持っていて、輪廻転生説やカルマなども有る気がしています。

そして人がこの世に何度も何度も生まれ変わって来るのは、自分の描いた脚本通りの人生シナリオを個々にこなしながら、自分が納得するまで自分の魂の汚れを透明に磨き上げたいからなのだと思っています。

多分私は前世の自殺のカルマから抜け出せず、何度も何度もあと一歩と言うところで自殺をしてしまうので、中々魂の色が綺麗にならないような気がしています。

なのでどうしても今世でそれを断ち切るべく、一気にカルマ落としがしたいので、敢えてジェットコースターのような波乱ずくめの人生シナリオを選び、自分が果たして最期まで自殺せずに生き延びられるのかどうなのか試してみたい、と言うのが今世の私の一番の課題なんだと思っています。

先日私は61歳を迎えたし、父は46。母は62で他界しましたので、どの道長生きな家系ではないですから、ここまで生きたのなら最期まで自分の人生ドラマを楽しみたいとは思っています。
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No2です。



沢山の回答や考え方、色々拝見出来たと思いますが、少しずつ考え方が変わりましたか?

ワザワザ自分から死ぬ事は有りません。
待っていたら、必ず死は訪れます。
それで良いと思いますよ。

私の希望は老衰ですが……どうなるかな?
幾つ迄生きるかも分からないけど、そんなに長生きしなくても良いと思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
再度見ていただけたこと、
またご意見いただけたこと、
とても嬉しく思います。
ありがとうございます。

たくさんの方からご回答いただき
死や生について様々な角度から
考えることができました。
自分の考えの幅が広まったと共に
洗練されたような気がします。
すごくいい機会をもったなと思います。

老衰、素敵だと思います。
自分で殺めることはしたくないので
どのような最期かわかりませんが
それを寿命と思い生きたいと思います。

二度もご回答いただき本当に
ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/21 00:01

そんなふうに思ったときもあったかもしれません。

死んじゃいたいと思ったときも、生きたいと思ったときも、生きてもいいと思ったときも。

突然フラッシュバックのように昔の気持ちが蘇ったり、私が死んだあとの未来を想像してみたり。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
回答者様にもあったのですね。
同じように感じる人がいること
安心し、嬉しく思います。

きっとわたしもなんだかんだと
いいながらそれなりに生きて
またこの場を読み返した時には
この時はこんなことを感じて
こんなことを考えていたのかと
思うのでしょう。
わたしはその積み重ねです。
それを積み重ねて自分の核なるものを
確立してきたと思います。
わたし自身の今の感情を感覚を
大切にしたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/20 23:49

自分なりの死生観を達観し、


悟りの境地になったのかもと言えなくもない
まだその若さでですからある意味凄いなと思います。
でも凡人には到底理解し難い相手と思われる可能性大かもです。

でもごく普通の同年代の人からみれば、
あまりにも突飛でもう浮世離れしている人なの
では、と思われないともかぎらない。

とにかく彼氏があなたのその死生観を
理解し納得の上に受け入れて
ソフトランディング出来れば良いですね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
本文ならびに礼文まで
読んでくださったように思います。
丁寧に見ていただけたことに
感謝します。
そして、わたし自身の考える事を
認めてもらえたような気がして
その言葉全てがとても嬉しいです。
本当にベストアンサーに選びたい
くらいなのですが…
それだと褒めてもらったから
回答者様を選んだようになるので(笑)
今回はすべてのご回答が
わたしにとっての幅に繋がったので
ベストアンサーを選ぶつもりは
ありません。が、本当に嬉しいです。
しつこくてすいません。(笑)

彼とも今後を考えて慎重に
上手くいくように
上手くやっていきたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/20 23:41

わたしはそういったなんとなく


淡々とした空虚な気持ちは
誰にでもあるんじゃないかな?
と思ったりします。

そこは意識をするか、しないかという
違いなだけのような気がします。

うまく言えないんですが
同じ空でも
青空と太陽だとだけ思っている時は
地に足ついて生きてる感じになるけど
宇宙の星空だと思えば
人の根源的な寂しさに
包まれるような気がします。
同じ心でも視点によって変わるというか。

毎日生活することに追われてたり
生きることに一生懸命だと
そういった孤独や果てしなさは
あまり見上げずに
過ぎていくんじゃないかと思います。

でも、大きな流れの中で
こうしてなんとなく過ぎて行って
ふと死んでいくのだろうと思えば
妙にさめたような
悟ったような寂しい気持ちになるような

大かれ少なかれ、生きることや死について
冷たい危うさを
心の片隅に持って生きてる人は
わりといるんじゃないかと思います。

ただ~死んでもいい、は若いのに
ちょっと渋いですよね(笑)

それでも生きることはきっと
素敵なことだから
もう少し喜怒哀楽して
現実にジタバタしながら
生きてみるといいんじゃないでしょうか。

まだまだですよ~。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり、誰もが思うことなのですかね。
少し安心しました。

わたしも、生きていることに
充実感や必死さがないから
このようなことを考える
余裕があるのではと思いますね。
学生時代には常になにかに追われ
忙しく本当に必死でしたので
このような思いを突詰めて
考えることはしてませんでした。
当方、社会人なりたての22歳ですが
毎日の生活に慣れてきて、
変わり映えしない日常が
このような考えを
突き詰めさせたのかと思います。

喜怒哀楽して現実にジタバタして…
は、生きてる感じがしていいなと
とても思います。
まだ少し生きたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/20 21:35

>いつ死んでもいい



⇒ かつて私も、「いつ死んでもいい」と嘯いていた頃がありました。

でも、ある夜、亡くなった姉が夢に出てきて、「お前は3日後に死ぬ。」と宣告されました。
その時、「えっ?あと3日しか生きられないの!? もう少し、待って欲しい。」と懇願している自分がいました。
姉は、「お前には、これまでずっと長い間反省する機会が与えられていたのに、少しも反省しなかった。もう、お前には時間は残されていない。」と言って消えていきました。
目が覚めた時、あれほど「自分はいつ死んでもいい」と豪語していたのに、いざ死ぬとなると「待ってくれ!」とうろたえる自分がおかしくなると同時に、妙に深い感慨を覚えました。

人間は、「いつ死んでもいい」と言っていても、いざ死ぬとなると、「もう少し生きていたい」と思うもののようですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そのような貴重な経験は
回答者様の生きる糧や価値観と
なっているのでしょう。
心を突き動かされるような体験
羨ましく思います。
わたしはこれまで生に執着することが
あまりありませんでした。
わたしにもそのようなことが
起きれば命乞いをするかも
しれませんね。
ただその数日で、また延びたとして
数週間、数年になったとして、
なにができるのでしょう?
歴史に残ること?成功すること?
自身の満足のためでしょうか?
死にそれらは持っていけないと
わたしは思っています。
死して感情すらも無くなったとき
なんのために生きていたのか?
わたしの生に意味はあったのか?
と思えるのです。
なので、長かろうと短かろうと
死を迎えてしまえば
生は当人にとって無意味では?と
思うのです。
残された人には、こんな人だった
こんなことをしたと思われるので
周りから見れば意味が無い事は
無いのでしょうが。
そのために生きるのでしょうか?
周りに覚えてもらえるように
生きることが大切なのでしょうか?
なのでわたしには生に対して
執着がなく、死んでもいいと
思えるのかもしれません。
わたしも命が終わるとわかった時には
滑稽なほど命乞いをするかも
しれませんが、ある程度死生観が
確立してきているので
なんとも言えませんね。
貴重なお話ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/20 21:19

死にたいと言う人ほど本当は生きたいと願っていると聞いたことがあります。


しかし無になりたい人の真意はまた別のところにある気がします。
言葉遊びになりますがアレコレ妄想を膨らませてみます。
先ず「無」が含まれる慣用句や熟語から。
「無に帰する」・・・元の状態に戻ること
「無にする」・・・・無駄にすること
「有象無象」・・・・多くの価値のない人やくだらない物のこと
他のも調べてみると日本語において「無」はゼロではないことが分かりました。
ゼロではないとすれば、例えるなら「無かったことにする」「リセットする」という感じでしょうか。
あなたの中にはどうせ上手くいきっこない。
無駄に終わるくらいならやらない方がマシだという思いもあるかも知れません。
しかし執着やこだわりを捨て去ることが出来れば、いつでもその瞬間から新たなスタートを切ることが可能だと思いますが如何でしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね、わたしは死にたい
とも思っていませんし、
かと言って生きたいとも
思ってもいません。

慣用句や熟語から
無はゼロではないという考えは
わたしにはありませんでした。
どうせ上手くいきっこないとは
あまり思っていませんし、
今のところ流れでいえば
思い描いた将来像に大きく
外れることなくこれています。
が、"無駄"は近いかも知れません。
わたしじゃなくても、とか
わたしという人が生を受ける
必要があったのかなとか、
わたしという人として
生きる意味を見いだせない
ということがあるからです。
しかしながら今後の将来について
期待がないわけではないのです。
ああしたい、こうなりたい、は
僅かながらあるのです。
それを叶えるために今生きています。
しかし突き詰めていけばそれらは
長く生きることを
想定してのものばかりで
例えばもう数日で死ぬよと
宣言されたとしたら
じゃあ頑張る意味無いやって
思ってしまいます。(普通ですかね?)
死を迎えれば成果を残したとしても
自分にとって無意味となってしまうなら
頑張る必要ってなに?誰のために?
死に向かいながら生きながらえている
今現在のために?と思うのです。
そういう思考を経て、なら今
死を言い渡されてもなんとも
思わないな、という事です。
だいぶ回答とズレてしまいましたね
すいません。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/20 21:07

自分でもあまりよくわかりませんが


たぶん私は死というよりも、
無を求めたいんです。」←人間に男と女 動物は雄と雌 電気等は+と- ・・・・この世の仕組みは2つのもので出来てる事が理解出来る・・

ならば 人間一人について考えていくと 身体という見えるものに対して心というみえないものが存在します・・

有形実体と無形実体・・二つのものから出来ている・・

あなたが思うところの「有無」です・・

然し乍ら 無は あなたが思ってる無とは違います・・

何故ならば 全てが二つのものから出来てるので 「無」も二つに分かれるのです・・

「二性性相」と言います・・

詳しく知るには もっと前段階から勉強しなきゃ解からないので割愛します・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
すこし難しい話でしたが
興味深いです。
勉強したいと思いました。
しかしながら、
身体という有形実体と
心という無形実体は
死を持ってしても
どちらも無くなることは
ないのでしょうか?
また勉強していきたいと思います。
貴重なお話ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/20 20:31

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