プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

.真面目な質問です。
 私は才能がないので、西内まりやなど見ると「死んでしまえばいいのに!」と思ってしまいます。
 私の感覚はおかしいでしょうか。
 私は中卒で40歳で就労継続支援A型で働いています。
 アドバイスありますか?

A 回答 (17件中1~10件)

別に良いじゃ無いの、それよりはドツキ漫才のダウンタウンや買春の旅有吉弘行消えろ!

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ねたみ そねみ ひがみ


西内まりや好きなんじゃん!
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No.14のものです。



自分は大丈夫と言う結論であれば何よりです。
あまり深刻な話ではなかったということですね。

そういう趣旨であれば、
40過ぎて「死んでしまえばいいのに!」と思うのは、残念であると思いました。
趣旨のとおり、アンケート的な回答であれば、私には無いですねえ。

大分思い悩んでいるのかと、慌ててしまいました。

「そんな自分も好きである」

と言うお話ならば、イイハナシですよ。
多くの人が、元気を出さなきゃと励まされると思います。

有難うございました。
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No.13のものですがw。



生活状況を改善するにも、今の仕事が続かないといけませんよね。
しかし、何かあるたびに、

「貴方の方法では私の状況は改善されない。」

といい続ける習慣があると、
仕事場の人も悩んでしまい、別の方に浮気をしたくなりませんでしょうか。
まずはここを防いでから、冷静になって、次の一手を打ったらいかがでしょうか。

そうそう何度も自分を鼓舞して、新しい職場にチャレンジできるものじゃありません。

私が相談にのった方も、転職を繰り返し、意欲が減退していました。

最後だと思う恐怖心から、悔しさを抑えて教えてくれと頼んだのでしょう。
そうであっても、一般のレベルよりも、イチャモンをつける度合いが高かったです。
そうなれば、殆どの人は仲良くしたいと思いません。

こういうものは冷静に考えて、そういう癖があるだけだとし、
これを治すことが先決でしょう。


確かに、
自分が憧れる人に成り変われれば、一気に問題が解決するのでしょう。
しかし、その様な方法論があるのならば、誰もが実施するでしょう。

そうなれば競争になりますし、
より優れている人から順番にご相伴に預かることになります。
でまあ、その様な方法論は、ローマ時代に教育制度として発明され、
既に国が実施しています。

単に、そういう状況であっても、悔しくて相手に教えてもらえない、
という癖があると、有効に活用できないという事です。

例えば、私が本当に効果がある答えを教えたとして、
貴方は、それを実践するよりも、それに効果が無いと証明することに夢中になるの
ではないでしょうか?

私が教えた人も、
実践して失敗し、「言われたとおりにしたのに上手く行かなかった」と皆の前で
嘆く誘惑に勝てず、完成間際になると、わざと失敗をしていました。

教えてくれる相手を困らせる誘惑に勝てないんですね。

最初は怒りましたが、段々と自分の勉強にもなると思い、継続しました。

そして、教え方も上手になりましたから、
勿体無いと思って、他の人にも教えたんですね。

彼はとても嫌がりましたよ。
彼が言うには、他の人はすぐ出来てしまうということ。
心が狭いのだなあと思いましたが、

実際の真意は、

「わざと失敗していたので、他の人は普通に出来てしまって、
 自分が(寿命を使って)困らせて演出していたことが無駄になる。」

と言うことです。

深いですよね。

最後には、

「あんたの泣き顔を見るまでは、離れないと決めた。」

とまで言ったのです。

しかしそこまでで11年です。
大事な働き盛りの寿命を、彼は11年使ったんですよ。

私は教える側でしたので、あーだこーだと言われた分、仕事として上達しました。
自分の忍耐や配慮が細やかになっていくのがわかりました。

このサイトでお答えしている内容のほとんどが、その11年に知ったことです。

人生における、良いこと悪いことがどう言う罰を与えるのか、
分ってしまったんです。

本当の罰は、
誰かが罰するのではなく、時間の浪費、寿命の浪費による到達度合いの違い。

これを、他の人の人生との差としてしり、

やり直したいと思っても、単なる無駄をした間抜けであると受け入れるのがつらい。
最後は、周囲に暴れまくって、絶望して老人になる。

「考え直して反省してやってもいい。だけど、これをリセットしてくれる保障を
 してくれ。そういう人意外は贋物だ。いい加減なことをいったら潰してやる。」

これをやらされるんです。
ここまできてしまうと、一生やることになりませんか?
人は、そうやって罰せられるのです。

彼がジョンレノンに対して、コンチキショウと言ったのは、
最後の11年目でした。

それまでは、普通に不遜な中年でしたが、
意地になって「相手を困らせよう」と、11年練習をしてしまったんです。
私のほうは、意地になって「怒るまい」と11年練習をしてしまったんです。

ですので、彼はアラユル確度から物事を否定し、
イチャモンをつける達人になったんです。

「今回は、そう来るか。凄いなあ。さすが達人。」

こんな感じで最後のほうは面白かったですし、皆笑ってました。
つまり、イチャモンと言うのは、周囲の人にバレます。

何せ、助けてくれと言った自分が、それを助けようとした他人に対して、
これを困らせようと夢中になるですから。
可笑しいと思うでしょう。

真意が他にあると誰もが気がつきます。
最後は、周囲の人が怒ります。
自分の失礼さを印象付けるだけなので、お得ではないんです。

実際の当事者は、
目の前が怒りで真っ赤になり、頭が働かないため、わからないんですよ。
やらないに越したことは無いんです。

例えば、
私のほうは、少し怒ったフリをしたり、負けそうな芝居をします。
すると、もう少しでゴールだと思うらしく、彼は非常に嬉しそうな顔をします。
次の日に、私が回復をしていますと(芝居ですから)、ガッカリします。
まだまだゴールが遠いからです。

こういう11年を自分の一生でやっちゃだめですよ。

芸能人のニュースを聞いて、コンチキショウと自然に思ってしまうという事は、
充分に練習を積み、達人の領域だという事です。

もし逆に、イチャモンをつけられても、
「仕方ない」と言って相手を許し、誠実に対応する練習を続けていたならば?
ほとんどの事は許せる人に成っていたんでは?
本来自分が憧れている人になっていたんではないでしょうか。

私たちはトイレに行って、自然に用を足しますよね。
しかし、本来動物にとっては受けいれがたい作業です。

それなのに、皆が当たり前に出来るのは凄いことですよ。
その理由は、10年で1万回ほど実施しているからです。

だとしたら?

日常で、1日3回ほど人にイチャモンをつけたり、
文句を言う練習をしていた場合、
その回数も、10年で1万回に到達し、
トイレで自然に用を足すくらいの感覚で、人にイチャモンがつけれるはずですよね。

この練習の成果が実って、
ふと、油断すると、自然にコンチキショウと言っているんですね。

その彼ですが、流石に怖いと思ったのか、
この後、3年ほど逆の練習を始めました。

まだまだ復調とは行きませんが、今は多くの人に頼られており、
とても礼儀正しいです。地獄からは抜け出しています。

ちなみに、彼も私も、うつ病にかかるくらい真剣に戦い、苦労しました。
共に自力で治すことが出来、いまは良かったと思っています。

それでも、まだ無理だなと思うのは、
どんなに助言をしても、スッと入ってこないようです。
これは、一朝一夕では回避できません。

西内さんに本気勝負を挑んだら?

と言う例えは面白いのですが、そこについて議論をして欲しいのですか?

でしたら、本当にやってみて、ダメなとき、
どこがダメだったかメモを取って、具体的に対策するしかないですよ。

私も音痴を治そうとして、プロ歌手に挑むと宣言し、
真剣にやったことがあります。
音楽史から、楽典、デジタル技術、色々やりましたよ。
音痴を治す方法もだいたいわかりました。

音痴の場合も、練習時間の差が問題です。
幼少の頃から取り組んだ(人前で歌った)時間が15分くらいであるのに、
音楽を目指している人は、18歳で4000時間くらいに達するはずです。

私の場合は、一日4時間毎日練習をし、約3年でほぼ同等になりました。
ですのでやはり4000時間ですね。
興味があったのは、何時間くらいで効果が出てくるかです。
どうも、2000時間で急激に向上します。

他のスキルでも大体そのくらいです。
しかしただ練習をするのでは勿体無いので、
効率上げるための練習方法なども編み出しました。

このサイトでも、たまに、回答を書いています。
ですので、いくばくかは、助言できると思います。

ちょっとワクワクしますね。
最近は、そうしたチャレンジから遠ざかっていましたから。

まずは、ボーカルソースをアップしてください。
安いピンマイクでも音程は測れます。
作品を作るわけではないですし。

また、西内さんへ挑戦する前には、人前でご披露する機会を得ないといけません。
段々とステージを上げる方がいいですよ。行き成りですと惨敗します。
私は職場で試そうとし、実施しました。
そこが最初の関門でしたよ・・・。

しかし、実際に自分に自信がついても、今からデビューを目指したら
変なオッサンに見えますよ。これは覚悟を。

知り合いが動画サイトや音楽サイトに結構います。
プロレベルの人も多いですし、まずは助言を貰えるようにいたします。

私は他にも、
小説を書こうという方がいて、その方と色々考えています。
私だけの趣味として、(絵のほうもやるので)如何にしてイラストを自動作成するか?
と言うテーマでツールをプログラミングしています。
こちらもやりたければ聞いてください。

一方で、
色んなコンテンツやプロを見て、
イチャモンをつける練習を何十年も続けている人もいます。
それで食べていければ良いんですけど。
その道では、他の人など遠く及ばないでしょうし。

しかし、それを何十年も続けて、さらにまだ続けるのか?

例えば、こんな議論をする時間で、100曲は歌えますよね。
そういう考え方ではいけませんかね?

イチャモンや八つ当たりをしても、その道の達人になってしまいます。
確かに、人生をかけて取り組んだ到達点でありますから、凄いと思いますが。
辞めたいと思わないんでしょうか?

以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

.回答ありがとうございます。
 11年間もご苦労様でした。癖のある人のようで大変でしたね。
 
 私は才能ある人に憧れはしますが、現実的にそれを目指しているわけではありませんので、スキルアップに過剰に時間を費やそうとは思いません。ボーカルを目指しているわけでもありません。ひとまずは一般的な就労を目指していますので、突出した能力を身に着ける必要も今のところないと思っています。
 その一般的な就労についても急いではいません。自身の病状と相談しつつ自分のペースを守って、自分のできる範囲で、自分の目標に到達できればよいと考えています。
 
 しかし、ときに才覚ある人を見ると妬んでしまうことがあるので、その感覚はいかがなものでしょうか。というのがこの質問の趣旨でした。

 そこへ
> 「誰かに実力で負けたとき、相手には二度と逆らわないと誓い、奴隷の様に意思を支配されて働かされる。」
> そういうシーンを想像してみましょう。もし自分の恐怖が強ければ、それが何もかもの原因でしょう。

 という突拍子もない回答が投稿されたので、少し興味が沸きまして、その言葉の真義をお尋ねしてみたんですが、言葉のインパクトの割にはその内容は割と無難だったのが今回の回答の印象です。
 かてて加えて参考にさせていただきたいと思います。

お礼日時:2016/10/03 21:59

No.12のものです。


10行は難しいですね。嫌であれば読まないで良いですよ。

私たちが学校や社会で習うことは、歴史上の偉人が一生をかけて解いたものです。
これを独力で攻略できる人は世界で一人もいないでしょう。
ですので、自分を本気勝負で負かす”才能があるように見える人”は、
誰かにノウハウを教えてもらっているだけです。
しかし、そうした人を探すためには、自分が本気で勝負を挑み、負けることで確認しないといけません。
自分が勝てる相手に何を教えてもらうのか、そちらの方が難しいですよ。

このときに、「まだ負けていない」とか、「悔しい」とか、「今に見ていろ」と顔に出る人がいます。
これでは相手に警戒されますし、相手がノウハウを教えるなんて事はありませんよ。
しかし、悔しいながら、勝った相手を尊敬し、教えてくださいという人が稀にいるんです。

この方が、次の自分を負かす相手になると思いませんか?
では、この人は、どうしてそれ(恭順を示して敵意を捨てられるか?)ができるかと言うと、

「この人には勝てなくてもいいかも。他のやつは悔しくて教えてくれと言えないだろう。
 だって自分も相当キツイ。やりたくない。だとしたらそれが出来たら、他のやつらには勝てるぞ。」

と発想を変えたからです。

そして、どんなに自分は嫌がっても、他の人は子供の頃に、
この戦法に気がついて、実践します。これを阻止することができないでしょう。

しかし、子供が自然にこの戦法に気がつくはずが無いんです。
そこで、幼少の頃に親が教える。正しい負け方を体で覚えさせるんです。

悔しさを晒して、見栄を張らず、泣きそうな顔を見せ、教えてくださいと言わせるんです。
なれちゃえば、楽ですよ。

子供が負けた相手を恨むのは防衛本能です。相手が信用できないから生じます。
また、怖いと思うと消したいと思います。ですので、否定をして消し去ろうとします。
ところが、一人では怖いので、絶対勝てるような力を担保してから襲い掛かろうとします。

こういう事は普通の大人はしません。効率が悪いからです。

それはそれで良いのですが、あまり拘らずに、頭を下げて教えてもらっていたら、数秒ですみます。
しかし自分の不安や名誉を守るように画策していたら、どれだけの時間が掛かるでしょうか?
しかも自分が常にそうなっていたら?
そして、最後は頭を下げたとしても、相手の人は警戒してしまいますから、相手にしないでしょう。

数秒で敵意を抑えて、恭順する(練習をしたってことです)人が沢山いるのに、
自分の方は、相手にやり返してからじゃないと、教えてくれと言えない。
どれだけ不自由なんでしょう。

下手をすると半年恨んだり、もしかすると一生トラウマになりますよね。

他の人が数秒なのにです。
これでは晩年になると中身が空っぽのままの自分に成ります。
また、教える側も、やはり、教えてくれと言い出すまで、時間が掛かる人を待ちませんよ。
数秒で気持ちを調整できる人を選びます。短いほど良いでしょう。
教える側も、自分の寿命を無駄に使いたくないからです。

私がこうして色々と書くのは、以前、教えてくださいといわれたことがあり、
その方に向けて「もしかすると、読んでくれているかもしれない。」と思うからです。
そうでなければ、ここまで書きません。

そして、どうでしょうか?
貴方の質問に答えると、貴方がどのように振舞うのか、わかりました。
正直驚いています。
もっと気楽にやりとりをしないと、相手も驚きますよ。
確かにそれでは時間が掛かりすぎて、大変でしょう。

実は、回答に出した例の方も同じでした。
割と多いのでしょうね。

他の方も生きており、今に満足しておらず、寿命の無駄遣いをしたくないと思っています。
まずは、そうした方の機嫌を取ることも覚えないといけませんよ。
このときに、自分が恭順することを嫌がらないことです。

奴隷になるぞと、仮に思い込んで、心を調整するといいですよ。
すると、意外と相手の心を打ちます。そういう私のノウハウです。
嫌ならば使わないでも結構です。

少しでも、自分の名誉を守ろうという部分を残しますと、
すぐに警戒されます。
相手の方は社交辞令に相当する、”適当な元気付け”をし、
「悪いけど、こちらを恨まないでね。」
と言う趣旨の対応をされます。

これでは、ノウハウを授けて貰えるまで到達しません。
負け損ですし、頼み損です。

さて、正直なところ、回答の文章について10行指定をされるとは思いもしませんでした。
頑張ってみましたが、辞めました。

ですので、今後はご遠慮すると思います。

しかし、ご安心ください。
他の方のほうが真剣でしょうし、優れた回答を出すと思います。

また、私の様なものも多数いるでしょうから、
気が向いたときに似たような人を相手にすれば宜しいでしょう。

きっとそのままで大丈夫ですよ。
お元気で頑張ってください。

ここまでで参考になっていれば幸いです。
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この回答へのお礼

.回答ありがとうございます。
 よくわからないのですが、例えば西内まりやに「作曲のセンスを教えてください、私の完敗です。あなたの奴隷になります」と言っても、そもそも会うことも叶いませんね。だいたいセンスは習うことができるでしょうか。
 それではと、一般的なピアノレッスンに通おうかと思っても、その費用も工面できないような生活状況の場合、あなたのメソッドではどのような対処方法になるのでしょう。

お礼日時:2016/10/03 01:15

No.10のものです。

これは失礼しました。

良く似た悩みを持つ人に出会いましたが、今は改善しています。
その人は、自己愛性人格障害ではないかと悩んでいました。年齢も同じくらいです。
原因として子供時代に才能と言うものがあると強く信じていたことです。
他の人の成長度合いも参考にしますと、才能があると信じた度合いにより、重さが違うようです。

逆に健全であったり、人よりも仕事が出来たり、スキルが高い、才能があるように見える人は、
「実力勝負で他の人に負けたとき、二度と逆らわないと誓い、相手の奴隷になるつもりで人生を諦めた。」
と言う経験を、幼少の頃から何度もしている様です。

誰でも、自分が無くなってしまう様で怖いと思いますが、実施した後には格段に自分が成長するのがわかります。
人の人生に差がつくのは、この回数が多いか少ないかでしょう。
幼少の頃には、親がこれを知っており、慣れさせようと頑張ります。それが昔から普通でした。

そこで、
「誰かに実力で負けたとき、相手には二度と逆らわないと誓い、奴隷の様に意思を支配されて働かされる。」
そういうシーンを想像してみましょう。もし自分の恐怖が強ければ、それが何もかもの原因でしょう。
怖くなくなるまで、自分を言い聞かせることが出来れば、改善するようです。

以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

.回答ありがとうございます。
「奴隷になる…」「奴隷の様に…」という表現が極論過ぎて話が入ってきません。
 以下の質問でそのような経験があるか、ほかの人に聞いてみました。

「実力勝負で他の人に負けたとき、二度と逆らわないと誓い、相手の奴隷になるつもりで人生を諦めた。」 - アンケート | 教えて!goo
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9443850.html

「~奴隷になるつもりで人生を諦めた」経験を幼少の頃から何度もすることで才能やスキルが高くなり、また、そのイメージを恐怖心なきまでに想像することができれば人をひがむことがなくなるとあなたは仰っているのだと思いますが、そのメカニズムの解説を10行程度でまとめていただけますか?
 また、問題としては「奴隷になる…」を想像したとき、恐怖はないものの胸が苦しくなるということです。私にはプライドがないので「奴隷」という言葉に対し恐怖こそ感じないものの「奴隷」としての苦しみをイメージしてしまいます。したがってそれと対峙することは私としてはとても苦痛であり、持病の双極性感情障害に影響がないか気がかりなのですが、見解をお聞かせください。

お礼日時:2016/10/02 23:30

テレビに出ているタレントはほんの一握りだと思います。



一般的には才能なんて無い人のが多いのではないですかね。
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年を取って一般に言う、才能が開花することもありますよ。



カラオケブームなどもその一つでした。

また、1960年くらいから天才の研究が各国でされまして、

遺伝などによる”才能”と言うものが無いと言う事がわかりました。

体が大きいとか、個体差による差異はあるでしょう。

しかし、頭を使う分野ではその差が無いと言うのが結論です。


確かにそれ以前の時代は、才能という言葉が本当にあるように

思われていましたから、それを使った会話もされますし、

もし親御さんが信じていたら、子供にも教えてしまいます。


実際は、太陽が地球の周りを回っている、と言うくらいに

ロマンティックな話なんです。

つまり、サンタさんがいると信じているくらいのものです。


ではどうして結果や能力に差が出るのでしょう?

例えば、太陽が地球の周りを回っていると考えると、

そこから神話が誕生し、神殿を建てて、神に祈るという努力が生じます。

ところが、地球が太陽の周りを回っていると考えると、

他の天体(星など)を観察し、自分達も同じなのではないか?

と発想を変えて参考にしようとし始めます。

同じモノを作れないかと考えて努力をし、最後は人口の衛星が作れると

言う発想に至ります。

これも努力ですね。


才能があると思う人は、自分の中に才能が無いかと探そうとします。

色んなものに密かにチャレンジし、

「少しやったら、いきなり手応えを感じるはず。

 他の人よりも突然凄いことができるはず。

 ちょっと試してみよう。

 ああだめだ、練習すれば何とかなるかもしれないけど、

 これは才能じゃないし、

 もたもたしていると、才能が見つけられないまま終わっちゃう。」

と、探し続けます。

これも努力なんですが、実際には才能と言うものが無いので、

サンタさんを探して世界中旅をするようなものです。

そういう人が歩む人生になるでしょう。


これが問題なのは、この人が子供に向けて、

「私なんか何の才能も無い。だからこんな風になったんだよ。

 神様は不公平だ。なんて哀しいんだ。」

と愚痴をこぼしてしまいます。

無垢な子供にとっては、大変なショックでしょう。

印象として強すぎます。

すると、この子供は才能と言うものがあると信じてしまい、

才能を探す旅に出てしまいます。



実はこうした連鎖が、

大昔から続いており、その犠牲者は未だに沢山いるんです。



同じものに取り組んでいても、

「すぐに手応えがあれば、才能があるんだ。今回はどうだろう?」

と思って試している人と、

「最初はこんな感じ(簡単なこともできず絶望する)になる。

 少しして劣等感からプライドがなくなる。

 今まで下に見ていたヤツに教えてくれと言うはず。

 そして、コツを掴む。」

と始めから思っている人がいるんですよ。

将来に可能性がある人は、後者の方ではないでしょうか。

しかし、劣等感のなかで相手に負けを認められるか?

が大きな運命の転換点です。

知識として知ってはいても出来ないものです。

そのため社会では、子供の頃にこの転換点を体験させ、教育をします。

つまり、

「二度と逆らいません。

 自分は劣っているのに、あなたを馬鹿にしていました。」

と言わせるわけです。

自分がする場合は辛いですよね。

しかし、(無理にでも)これをした瞬間、気分がスッと楽になります。

カタルシスですね。

すると、相手の人が優しくなって色々と教えてくれます。

これはこれで嬉しいのですが、

自分は、二度と逆らわないと誓い、奴隷のように従属することを選んだんです。

何もかもを失った様な喪失感が残りますよ。


しかし、実際は次の日も生きております。


そこからは、次々に知らなかったことを教えてもらい、

何時の間にか負けた相手と同等になっていきます。

自分だけが気付くノウハウもありますから、

段々とスキルで相手を脅かすようになります。

まあ、当たり前ですよね。

神殿に行って祈るのを辞めて、

自分を負かした相手と同じ努力をし、工夫もしているのですから。

取り組んだ時間が長いほうに効果が出ます。

すると、相手が脅威を感じます。

自分への支配を継続しようとし、戦いを挑んできます。

(二度と逆らわないと誓ったのにw)

このときは、

「相手が勝負を望むというものに、逆らわず従うしかない。」

となります。

結果は、前と逆になります。



今度は相手の方が、自分と同じ事をするかどうかです。

二度と逆らいませんと言うだろうか?

大体において、出来ません。

その人は、親や先生に習ったわけでして、

負けた相手に習ったことは一度も無かったんですから。

心が耐え切れない確率は非常に高いんです。



とはいえ、一定確率でけっこう多くの子供が何とか頑張って、

「二度と逆らいません。」

と誓う行為が出来ます。

一定数の僅かなそういう人が、小学校に入学します。

当然ながら、一回もやったことがない子供が大量に入学します。

この二種類の子供が競争をしてしまえば、大変な差になります。


「相手を認めて、自分の全ての自由や尊厳を放棄できるか?」


これは大変重要な選択でして、とても重要な力なんです。

私は3歳頃に、5歳頃に父に強制されて、やらされました。

今でも、この二回は覚えています。

同時に、負けを認めた相手を守って助けないといけないと、教えられます。

これらは人類全体に共通した大きな能力なんです。



昔から戦争の中でも無条件降伏と言う概念があります。

支配を受けいれるかわりに、負けた理由を知るという意味です。

日本は、近代になって始めて無条件降伏を体験しました。

そのあと、米国が負けた理由を教えてくれまして、今の日本はノウハウを得て繁栄したんです。

それまでは、敵国に負けたら、国民全体は殺されると大人達は言っていました。

これを見て、日本の精神年齢は14歳くらいだとコメントされたそうです。


しかし、当時の天皇陛下は、国民に向けて謝罪をし、無条件降伏を宣言しました。

ヨーロッパの王は、国外に脱出するのが普通でしたから、

この潔さに驚いたと言います。


人間性の本質の一つに、無条件降伏を自由に選ぶ力と、

勝った相手が負けた相手を守るという強い意思にあります。

これを絆と言います。そこには愛が生じます。

日本と米国は強すぎる絆で結ばれてしまい、

国の距離が遠くても、体格や外見が違っていても、歴史的な付き合いが短くても、

生い立ちや立場が違っていても、その関係が続いています。

友人とは、こうした通過儀礼がないと出来ないんですね。

負けを嫌がる人には、友達が出来ないでしょう。


良いか悪いかは何とも言えませんが、

そうした現象が生じるということです。


子供の頃に体験し、慣れてしまった人は、

自分の能力向上には、自分の無条件降伏が必要であると知っています。

そこで、自分を負かしそうな相手を求め、負けを覚悟で挑みます。

出来レースで降伏をしようとしているわけです。

勿論、自分を負かす強い相手も、

同じことをしてスキルアップをしたのですから、

「ああ、こいつスキルアップの出汁に俺を使うのか。」

とわかります。


負けて降伏しようと(さっさとスキルアップをしようと)ガッツイテイル若者は、

とても怖いです。

誰にでもそうするはずですし、

積極的である以上は、負けることの意味を確信しており、怖がっていません。

いずれ自分を抜き去るでしょう。



この逆に、

「二度と逆らいません。」

と言ってみろと、試しますと非常に怯える人がいます。

つまり、一度もその経験が無い。

これだけで誰に投資(教育や指導)すべきかチェックできてしまうんですよ。


父が何故頑張って私に教育したのか?

こういう社会に私が出て行くことを知っていたからですね。

ですので、とても在り来たりの教育の一つだったわけです。

今の大人は子供のために、そうした教育をしているんでしょうか?

やらなければ、親子の間にも絆が出来ず、愛が生じません。


40を過ぎて分ったんですが、これを施されなかった人が確かに少数おります。

ある方は、TVでジョンレノンの報道があったとき、

「コンチキショウ」と唱えている自分にきがついたそうです。

自分で自分が可笑しいとおもい、告白してくれました。


当人がどんなに悩んでいても、

誰かに負けることが怖いという性質では、

友人もスキルも愛も、(名誉も生活費や富も)得られません。

それはとても当たり前のことなんです。



例えば、

ご自身が憎らしい相手に囲まれて、

逃げられない状況で本気で戦いを強いられ、

予想通り負けるシーンを想像してください。

このときに、

「どうか許してください。二度と逆らいません。

 自分の将来は諦めます。あなたの奴隷に成ります。」

と言う行為をする自分を想像してください。


条件反射の様に幸福感を感じ、

「実際はそうならないけどね。」と思えれば、そういう教育がされています。

条件反射の様に、恐怖感が生じ、

「それが最悪の事態だ」と感じたら、そういう教育がされておりません。



チェックしてみると良いですよ。

こんな簡単なことで、自分の問題がわかります。



以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
長くてよく読めませんでした。できれば、行間をなくして10行程度で要点をまとめてください。

お礼日時:2016/10/01 14:09

西内まりやは死なないほうがいいけど柴田理恵とか和田アキ子とかにはそうおもいます


あなたの感覚は特におかしくないとおもいます
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>才能ない私にとってテレビは貴重な暇潰しのひとつです。

ある意味では精神安定の役割を担っているかもしれません。

「死んでしまえばいいのに!」と思うことは精神安定に繋がるとは思えませんが。
でも他の感情を持つよりもまだマシ、というのなら現状維持でいいのでは?
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