お茶が入りました。コーヒーブレイクにようこそ。


われら日本人は 外国語に熟達する事例(人数またその深さ)が少ないと言われる。
いわゆる教養ある話し手が自分の母語として通じているのと同じくらいにその外国
語を習得したという事例(人数)が少ないと思われるのは われわれの母語たる日
本語についてよく知らないことから来るのではないか?

これが 問いです。


知っていれば外国語を覚えるのにも役に立つような文法を知らない。

動詞の活用がどのようにして成り立っているのか。これが あいまいである。また
は ほとんど知らない。

 
終止形とは どういう法( mood )なのか。つまり 話し手のどういう気分や心つ
もりで言い出されている活用形なのか。これを知らない。文がその形で終わるから 
終止形だというのみ。

ならば 命令形だって 文を終止させているのではないか。
そしてこの場合は はっきりと《主観の要望〔としての命令〕》の気分(= mood :
つまり命令法)で言っている〔から 命令法に活用したと言う〕。

未然形が 不定詞に当てはまる不定法( infinitive mood )だと知れば ただちに
世界標準に立てる。《未だ然らざるかたち(状態)にその動詞を置く気分》という
のは まだその活用を決めていない(定まらず)のだから 不定法なのである。

そのあと 

 行か(不定法)-ない(否定法)( do not go ) だとか 
 行か-む(意志法( will go);推量法) あるいは 
 行か-ば(仮定条件法)( if he go, ) 

だとかに活用するのだ。




文法だけに限らないであろうが たぶんこのような視点(それが おそらく哲学)と
してのグローバル化が必要なのではないか。

そうすれば われら日本人は ふつうにまじめでそれなりに優秀なのだから うんと
ほかの言葉の習得は早いはずだ。

と ふと思ったので問うてみます。どんなもんでしょう。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    ★ 句点「、」
    ☆ これは いわゆる《点》として 読点( 、)ですね。
    《丸》が 句点( 。)。

    《学問・教育》分野の《哲学》カテですので 誰にしても気のついたときに
    互いに指摘しあっておくのがよいと考えますので。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/10/03 10:30
  • HAPPY

    どなたか 日本語についての疑問・質問を出してみてくださいませんか。

    おもには 哲学にかかわるような問題がよいですが さまざまに考えて行きたい
    とも思っています。

    分からないところは そう言います。

      補足日時:2016/10/05 16:27
  • HAPPY

    こういうときは お粗末でした。とお返ししなくちゃいけないんですね。
    しくじった。とほほ。


    でも HAPPY。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/10/05 18:56

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A 回答 (12件中1~10件)

一服頂戴。


外国語の習得が出来なかった身としては、耳の痛い話です。小中高と国語が低空飛行だった理由と、外国語の赤点の理由とが繋がっていたのですね。せめて高校生の頃に聞かされていたらよかったのに。古典の授業の文法を右から左と流す、英語の文法も耳に残らない、それらはそういうことだったのですね。現に自分が使っている言葉を、文法的に捉え直すという作業をしない所為だったのですね。
怠け者だったとかの個人的素質は措いて、文法の方に問題はないでしょうか。そう言うと大それた話ですが。文法だとして登場する言葉、「未然形」など、分からない言葉でてくる。加えて仰るように、「文がその形で終わるから 終止形だというのみ。」国語の授業で登場する文法は、分かりきったことか、暗記事項の羅列しか出てこなかった、という記憶しかない。教師の資質ではなく、文法の教授体系に「分かっているはずのこと」が多く繰り込まれすぎている。どこがどうだとは言い得ませんが、そんな気がします。遡れば、現の日本語文法体系そのもの(どんな研究が幾種類あるかも知りません)が、日本語の構造にマッチしたモノとして構成されていない、と怠けていた言い訳が思い浮かぶ。

「われわれの母語たる日本語についてよく知らない」、私個人はそうだろうと思います。私個人は分かっていない。が、日本人は、と言うならば、自分の言葉を自分で知らないはずはない、と円環のような反発が還ってくるでしょう。そこには課題意識が要ります。外国語の習得というのは、当たり障りのないところです。別なところにも課題は沢山転がっています。たとえば、言葉の意味はそれが発された「場」に規定されます。西田幾多郎が、場所の論理だとして論じているその言葉は、大先生の言葉を必死に聞き取ろうとする弟子たちには通じるのでしょうが、門外漢には意味不明だ。独り言としか見えない。つまり、言葉が「場」に規定されるということを論じるのでさえ、仲良しクラブで通じる言葉でしか論じられない。それで西洋式ではない日本語の論理を作った?それって、その輪に入らない者は日本人じゃないってことか。そういえば、排外的空気が広がっていますね、近頃。
怠け者のボヤキも、お茶も、この辺で。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

★ せめて高校生の頃に聞かされていたらよかったのに。古典の授業の
文法を右から左と流す、英語の文法も耳に残らない、それらはそういう
ことだったのですね。現に自分が使っている言葉を、文法的に捉え直す
という作業をしない所為だったのですね。
☆ おお! もういっぺん おおおおおお!

手前味噌になりますが いやしくも日英どちらも(あるいは ほかのも
含めていづれも)人間の言語であるというからには 互いに共通の要素
要因があると思って理解しようとしても おかしくありません。

従来ややもすると 日本語は世界の中でもきわめて特殊な成り立ちの言
語であって 国語学とほかの言語の言語学とは違っていてよいのだとい
った見解が 定説のごとくに見なされていました。

国語を日本語と言いかえる少数派が出たときから 相対性原理が稼働し
始めました。

ただし 例の《生成文法》なる一派では まだ埒があきませんでした。

おおむね大野晋がやったのです。ほんの少し視点を変えれば・あるいは
補えば 世界における普遍的な言語学が――しかもその形成に むしろ
確かに特殊性を持つ日本語(&朝鮮語)の分析をつうじて―― かたち
を現わそうとしています。

万が一私見に間違いがあるとしても この新路線に大筋ではまづあやま
ちはありません。

そういう見方を共有できたのが なつかしいおーるど_しょうさんでし
たのも 何かの縁ではないかとは思いました。

ご回答を たいへんありがとうございます。


残ったスペースで突拍子もない新説(珍説?)をご披露してみます。

・ na な(名):もの・こと一般のしるし 
 > na-ru なる(名-る=成る):ものごとがそのようにあたらしく現
  われる。
 > na-su なす(名-す=成す):ものごとを一般に人がそのようにお
               こなう

・ na な(音) / 〔 na-i > nä >〕 ne ね(音):聴覚対象一般のしるし
 > na-ru なる(音-る=鳴る):その音が立つ・現われる・聞こえる
 > na-ku なく(音-く=鳴く・泣く):その音・声を出す( / k / は
                移動・過程の相をおびる)
 
・・・

お礼日時:2016/10/05 16:22

日本語を知らなすぎるから外国語を習得できないのではないかという問いであってますかね?



後半は難しくてよく分からなかったのですが、とりあえずコメントします

外国語を習得しにくいのは単純に必要性が低いと言うのが一つ

資産的にも優位な日本人はほぼいつもお客の位置に立つことになるので日本語が通じるケースが多いため、そもそも覚える気がない

その為、専門的、スラングなどの言葉の情報事態に触れる機会が少なすぎる気がします

二つ目に接続詞等を重視しすぎるために文法のならびの違いから分からなくなって挫折するケースが多い気がします

会話なんて極端に言えば名詞、動詞、修飾さえあれば会話は出来る

だけど、考えて接続詞を入れないと行けないと思うから最初の一歩が踏み出せない

出来ないと思い込んでしまう

何となく話をしていれば徐々にまともな文法は身に付くと思いますがそこまでに至らないのはそういう文法を重視しすぎるために生まれることなのではないかと思います

あとは、音数に違和感があるのが原因かと

日本語は接続を含めて5、7音前後になるリズムが多い気がします

俳句など、音数を重視する文化もあることからこの辺の基盤も影響あるのかもと思います
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 日本語を知らなすぎるから外国語を習得できないのではないか
という問いであってますかね?
☆ えっとですね。正直に申せば その中で習得を《一流の使い手
に成る》場合にしぼってはいます。
☆☆(趣旨説明欄) いわゆる教養ある話し手が自分の母語として
通じているのと同じくらいにその外国語を習得したという事例
☆ ではあります。

★ 二つ目に接続詞等を重視しすぎるために文法のならびの違いか
ら分からなくなって挫折するケースが多い気がします
☆ この点は よく指摘なさったと思います。ただし わたしの見
たところでは: 
★ だけど、考えて接続詞を入れないと行けないと思うから最初の
一歩が踏み出せない / 出来ないと思い込んでしまう
☆ という場合 たぶんその接続詞は 入れないでよいことが多い
のではないかと思ったりします。文例につまりますが。

★ 何となく話をしていれば徐々にまともな文法は身に付くと思い
ますがそこまでに至らないのはそういう文法を重視しすぎるために
生まれることなのではないかと思います
☆ これは 実際においてそうだろうとわたしも思います。

という意味は 日本語のほうの文法を知らなすぎるのではないかと
いう反対側の問題があるかも知れないと言おうとしていますが。

★ あとは、音数に違和感があるのが原因かと
☆ 音節ないし拍(モーラ)の問題ですね。あるいは 長母音と短
母音の区別など。

つまり:
★ 日本語は接続を含めて5、7音前後になるリズムが多い気がしま

☆ といったことは あまり気がつかないで済ましているかも知れ
ず しかもなかなか馴染めないのかも分かりません。

もっとも 二十歳ちょっとまでの若い時に習えば まあまあ柔軟性
を発揮できるかとは思いますが。

じゅうぶんにたのしいお話をなさってもらったと思います。
これまでのみなさんとの会話でなお心残りなのは やはり日本語の
文法観ですね。

動態用言(動詞)の法活用でたとえば 《終止形》などというのは
いただけません。国語学者にがんばっていただかないとと思ってい
ます。

お礼日時:2016/10/04 03:55

文章術などを紹介するサイトなどをのぞけばすぐわかりますが、日本には、「思ったように書くべし」という信仰があります。

レトリックが軽んじられている傾向があると言ったほうがいいでしょう。
ゆえに、文法の文法化が遅れている。
――いや、これはすこし言いすぎかもしれません。あるいは、こう言うべきでしょうか。
日本語文法が周知されずに上の信仰が重要視されている、と。(素読教育はやっぱり正しかった!)

ただ考えてもらいたいのは、日本語という言語が外国語との交流がまだ盛んではない、ということなのです。まだ始まったばかりといったところでしょう。ゲルマン語を親として持つ英語とラテン語を源流とするヨーロッパ圏の言語は、かなり早い段階で大規模な混淆が開始されています。文法などが似通ってくる可能性も十二分にありえますし、実際のところ、それはおおかた事実なのでしょう
ところが日本の場合、源流となった言語は、中国のものともちがうし、ラテン語のものともちがう。聞くところによると、インドのある地域で話されていたものとよく似通っているとありますが、その言語も、世界言語とひたしく交流した経歴はないようです。ゆえに、ラテン語などの影響を受けたとは言えないでしょう。
このことから、日本語というものは、文法以前に、ほかの言語との折り合いがそもそも悪い、ということが言えます。フランシスコ・ザビエルなどが有名ですね、日本語はじつに難解で、覚えるのはタイヘンだ、と言ったのは。
しかしこれはけっして、日本語そのものが難しいのではなく、日本語という文の運び方、理路の立て方が、じつに独特というだけのはなしであります。であるからして、文法が周知徹底されたところで、相手に伝えたい意味内容があったとしても、まず浮かんでくるのは日本語。――それを頭のなかで、外国語へ変換するという作業が当然生まれてきますが、その途中で、日本語の理論と外国語の理論とのあいだに大きな齟齬が生まれるのです。いくら日本語に習熟したところで、日本語が底にある以上は、世界に通用するものとはならないでしょう。
 そうして、グローバル化といちがいに言いますが、どの国にも、その国における民族性やお国柄というものがあります。もし英語をぺらぺら話したければ、日本の中ばかりにいないで、英語(をつかう方)のものの見方や考え方をまず学んだ方がいいでしょう。かわいい子に旅をさせよ、ではないですが、英語を使うたくば渡米しろ、ということです。言語を学ぶには海を超える必要があります。
 むろん、日本語に習熟した人は言語そのものに興味がありますから、英語やその他の言語にも当然興味はあるでしょう。そういう意味では、習熟者の上達は、すこぶる早いでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ いくら日本語に習熟したところで、日本語が底にある以上
は、世界に通用するものとはならないでしょう。
☆ のっけから反発するようなコメントになりますが ここは
考えてみれば どの言語であっても同じ条件なのだと思うので
す。

あぁ。そしてそのことは 次の評言に明らかでしたね。
★  むろん、日本語に習熟した人は言語そのものに興味があ
りますから、英語やその他の言語にも当然興味はあるでしょう。
そういう意味では、習熟者の上達は、すこぶる早いでしょうね。
☆ おそらく あらゆる言語に共通の――あるいは 言葉その
ものの生成をめぐる――普遍理論が見つかればよいわけです。

そうすれば どの言語も互いに対等に相手を認識し得て その
ぶん 互いに変な遠慮やぎゃくに図々しさ(いや 開放性)の
問題を超えて やはり対等に意志疎通をおこなうための素地が
つくられる。


つまり
★ 日本語という文の運び方、理路の立て方が、じつに独特と
いうだけのはなしであります。
☆ と説明されて来ましたし いまでもおよそ定説であると思
われるのですが もし・ひょっとして あらゆる言語に通用す
る言語類型が 理論的に見出されたならば 言葉に対するわれ
われの態度や感覚は かなり変わったものに・つまり自由で柔
軟性に富んだものに成っていくでしょう。

とは 考えています。さて いかにの内容は 乞うご期待にな
るのかも分かりません。

この質問に何かそういったお話が飛び込んで来るかも分からな
いですし。

お礼日時:2016/10/02 22:53

No.7です。


「☆ そうなのかも知れませんが こう考えてみられてはどうでしょう。 つまり その《思考の形式が固定してしまっている / 柔軟性がない》こと
は 何か別の理由や事情があるのではないか? と」
→そうでしょうね。

「すなわち 例のクウキ教です。知らず知らず何かと あたらしいことをやろうとしたり 違ったことを考えてみようとしたりするとそれを妨げるような――しかも クウキとしての――圧力を感じるということ」
→そうでしょうね。

「日本人にも 独創性は潜在しているはずですよ。社会に目に見えない網が張られている・・・んでしょうか。その網に手や足がすぐさま引っかかってしまう。だけの問題であるかも分かりませんから」
→それでは結局、独創性がないのと同じなのです。
思っても云わない、思っていても行動しない。それでは結局何にもならないのです。
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この回答へのお礼

★ ~~~~~~~~~~
→それでは結局、独創性がないのと同じなのです。
思っても云わない、思っていても行動しない。それでは結局何にも
ならないのです。
~~~~~~
☆ そのとおりです。そのとおりですが 未来志向で行きましょう。

なかなかむつかしいですよ。
わたしも いまでこそ ここかしこで言いたい放題というまでに言
いたいことを言っていますが それも クウキ論や日本教の理論を
得てからの話でした。

ただ 反発することとしての自由な発言を試みても なかなかあと
が続かない。《日本および日本人》の理論を――しかも 世界のほ
かの社会にも通用する内容において――持った上ででないと 輪が
広がらない。

ともかく一筋縄では行かない大きな問題でしょう。

わたしも OKWave とこことで十年ほどやって来ましたが いまだ
に インタスサノヲイズム(アマテラス公民たるお二階さんたちよ
一階の市民社会に大政奉還せよ運動)は根付きません。

気長にまいりましょう。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/10/02 22:35

ふと思った程度の質問ですね。

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この回答へのお礼

中身で勝負です。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/10/02 21:49

「われら日本人は ふつうにまじめでそれなりに優秀なのだから うんとほかの言葉の習得は早いはずだ」


→私は日本人を”ふつうにまじめでそれなりに優秀なのだから”とは思わないです。
といいますのは、一般に日本人はまじめですが思考が固定的過ぎます。
つまり、柔軟な発想ができないのです。
ですから、ご質問にあることをあまり重要だとは思えないのです。
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この回答へのお礼

ふむふむ。まづは ご回答をありがとうございます。

★ といいますのは、一般に日本人はまじめですが思考が固定的過ぎます。
つまり、柔軟な発想ができないのです。
☆ そうなのかも知れませんが こう考えてみられてはどうでしょう。

つまり その《思考の形式が固定してしまっている / 柔軟性がない》こと
は 何か別の理由や事情があるのではないか? と。



すなわち 例のクウキ教です。

知らず知らず何かと あたらしいことをやろうとしたり 違ったことを考
えてみようとしたりするとそれを妨げるような――しかも クウキとして
の――圧力を感じるということ。

日本人にも 独創性は潜在しているはずですよ。

社会に目に見えない網が張られている・・・んでしょうか。その網に手や
足がすぐさま引っかかってしまう。だけの問題であるかも分かりませんか
ら。

お礼日時:2016/10/02 21:16

私も日本人は言葉を知らないと言おう。


そこら辺のきちがいはしゃべっているけれど、字句の意味を使わないので
何をしゃべっているのかがわからない。
きちがいは得意になっているけれど、字句のとおりにしゃべらないので、
何を言っているのかがわからない。
あるきちがいは日本の言葉は美しいと述べているが、きちがいに日本の言葉が美しいとはわからない。
きちがいはわからない。
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この回答へのお礼

ちょっと言葉が過ぎるのでは? 

どんな言葉を使ってもかまいませんが その議論についての根拠や理由
あるいは具体的な例証を示すということ。

これがないと ただただ何を言っているか分からないような街頭演説に
過ぎなくなります。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/10/02 21:09

文法など知らなくても、拾得できますよ。


母語がその典型です。

外国語が不得意、といわれるのは、欧米に
比較しての話でしょう。

英語、ドイツ語、フランス語などは、同じ
語系に属しますので、習得が容易です。

日本語とは語系が異なるので、日本人には
拾得が苦手なだけです。

中国語なら、日本人の方が欧米人より
習得が容易です。
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この回答へのお礼

さほど取り立てて論じるほどの問題ではない。でしょうか。


まぁ 反証は持ち合わせていますが 取りあえずは カフェ
での会話をたのしみましょう。


と思いましたが 一点触れます。


外国の人たちに 日本語をおしえるとき まだまだその言葉
の成り立ちだとか言語の構造として 外国の人たちにも通用
する説明――広い意味での文法――が決してじゅうぶん出来
ているとは言えない。

ハ格とガ格の問題がいちばんの課題だと思われます。
趣旨説明では 動詞の活用の仕組みの場合を示しました。こ
れなどは ただただ鵜呑みしてまなぶことしか ほとんどや
っていない。などなど。


★ 日本語とは語系が異なるので、日本人には
拾得が苦手なだけです。
☆ つまり 言語家族(語族)の違いにもかかわらず じん
るいのすべての言語にわたって普遍的な広義の文法を知るこ
とが出来れば かなりおもしろいことになるはずです。

そういった方向を思っています。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/10/02 21:06

あさはかな自己満足。

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この回答へのお礼

そうですか。それは 残念でした。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/10/02 20:55

長々と質問文を書いてますが、句点「、」を1つも使っていない。


日本語として失格です。
この回答への補足あり
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    • 2
この回答へのお礼

それは 失礼しました。



ご回答をありがとうございます。



見直そうとは いまのところ していませんが。

お礼日時:2016/10/02 20:54

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Q日本人の常識レベルって?英語について

中学、高校と、最低でも6年は英語を勉強してきたはずですよね。大学の一般教養を入れたら8年。その間に入試などで一通り記憶し、おさらいしているはずです。もちろん卒業後、「まったく」英語と切り離された環境にあったらすべて忘れてしまうことも想像できるんですが、最近はみんな海外旅行にも行くし、パソコンやインターネットなど英語に絡んだメディアも多い。それで、中学英語程度は一般常識で誰でも出来るものと思いこんでいたんですが・・・

he gave me a pen. を、I を主語にして受動体に書き換えよ。

という問題を、現役会社員達がさっぱり解けないという驚くべき自体に直面しました。皆そこそこの大学(文系)を出て、それなりの仕事をしてきた30代の人たちです。

本当にびっくりしました。日本人の英語のレベルというのはこんなものなのでしょうか?

皆さんは答えが分かりますか?
普通分からなくて当然のレベルの問題だと思いますか?

Aベストアンサー

わかりません(笑)

というより、学生時代の知識は大部分が失われました。
所詮、大学受験という暗号と解くだけの中身の無い勉強
をしてきたということでしょうかねぇ・・。

分からなくても、生きていく上で直接関係のない知識は
次第に失われていくと思います。

Qわれらが祖先 古代の日本人は 《無い神》をいだいていたか。

1. いにしえの日本人は むしろ無神論という信仰をいだいていたのではないかと
いう命題を試みに立ててみます。

2. 大野晋によると 日本語の《かみ(神)》は文献や民俗学等々で分かる限りで
は 次のような意味を持ったと言います。

○ かみの原義 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (あ) カミは唯一の存在ではなく 多数存在している。
 (い) カミは何か具体的な姿・形を持っているものではない。

 (う) カミは漂動・彷徨し ときに来臨して カミガカリ(神憑り)する。
 (え) カミは それぞれの場所や物・事柄を領有し 支配する働きを持っていた。
    〔産土(うぶすな)神・山つ霊(み)・海(わた)つ霊〕

 (お) カミは――雷神・猛獣・妖怪・山などのように――超人的な威力を持つ恐
     ろしい存在である。
 (か) カミはいろいろと人格化して現われる。
    〔明(あき)つ神・現人(あらひと)神〕

(大野晋:古語辞典 1990 補訂版)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

3. この(か)の《神の顕現 ないし 人格神》は (う)の《神憑り》を一段高い
ところに立って再び採り入れたものと考えられます。

4. 神がかりとは いわゆるアニミズムであり すなわちものごとに寄り憑く原始心
性のことでしょう。それに従えば ほんとうは《見えない》〔つまり(い)〕けれど 
仮りに姿を見せたという捉え方および表わし方をおこなった。

5. つまりすでにこのように問い求めた定義からすれば われらがおや(祖先)たち
は 《超自然・非経験》の領域を 何も表わさなかった。つまり強いて言えば《無い神》
を立てていた。

6. 古事記の初めには アメノミナカヌシ以下三神が登場しますが これらは《独り
神となりまして 身を隠したまひき》とあります。一般に思われているアマテラスオホ
ミカミは もっともっとのちの神です。

7. どうもこのように――わざと 無神論を見ようとしても――考えて来ると 日本
人には《表わさない》=《言挙げせず》という基本線があるのかも知れません。

8. 朝 日向かしの空より昇る真っ赤なおてんとさまを見て あるいは西の山の端に
沈みゆく夕焼けをながめて

 ――あはっ。(ああ! Ah ! Oh ! )

と口をついて出た。そこに 絶対の神を見たのかも知れません。見なかったかも知れま
せん。

9. これが言われている《ものの〈あは〉れ》であり 《随神(かんながら)の道》
なのだとも思われます。《隠れたる神 Deus absconditus 》。

10. ▲ (柿本人麻呂 万葉集 巻三・235番) ~~~

 おほきみは 神にしませば
 天雲の いかづちの上に 廬(いほ)らせるかも

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という歌には 思想もしくは信仰が現われていると考えます。つまり 《世の中の通念
は 大君が神であると言う。なるほどそれゆえ 雲の上・雷の丘の上にお住まいである
のか。そうかもね》と。

11. 人麻呂は神について 絶対の概念をとおして 思っていたからではないですか。
《通念は・人びとは 絶対の神とそして相対の神々とを混同している》と述べていませ
んか。

12. 人麻呂にとっては 神が《目に見えない。しかも心の目にさえ見えない》こと
は 当然のことだったのでは? 精神論でもないと。

13. ただし 外(と)つ国へ出かける友に向けては 別れのあいさつとして言挙げ
ぞわれすると言っているようです。

14. 表題について問います。《無い神》という神。つまり 普遍神です。

1. いにしえの日本人は むしろ無神論という信仰をいだいていたのではないかと
いう命題を試みに立ててみます。

2. 大野晋によると 日本語の《かみ(神)》は文献や民俗学等々で分かる限りで
は 次のような意味を持ったと言います。

○ かみの原義 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (あ) カミは唯一の存在ではなく 多数存在している。
 (い) カミは何か具体的な姿・形を持っているものではない。

 (う) カミは漂動・彷徨し ときに来臨して カ...続きを読む

Aベストアンサー

面白い質問で、楽しく読ませていただきました。調べ物をしないと読みこなせませんでしたが、それもまた楽しかったです。

6に、独り神となりまして 身を隠したまひき と引用されておりますが、これが無い神を立てていたということを言い表している箇所ということですね?

この無い神は、いわゆる無神論とは趣が異なるように思います。無神論は今の科学の世界観に則って唯物論的な見方をする人が、神はいない、存在しないと主張するもので、無い神というのが隠れたる神を意味するのであるならば区別されるのが良いと思いました。

むしろ普遍神というのは隠れていると言ってもいいし、見えないと言ってもいいし、隠り世という言葉に表されているようなあり方をしているものではないでしょうか。

Q[]内の英語を訳してみました。添削をお願いします。 この用語の常識的な意味は知識、新聞と知力、また受

[]内の英語を訳してみました。添削をお願いします。
この用語の常識的な意味は知識、新聞と知力、また受信と送信に関わっており、ある人が情報に通じるようになった。一方、この数年間にこの用語についてたくさんの異なる意味を持つようになった。この用語と慣用法はfull oxford English dictionary 2010に収録され、10000ぐらいの単語と関連して使われた。

Aベストアンサー

この用語の「常識的」な意味は、知識やニュースや諜報を受取ったり与えたりして、誰かを「情報に通じさせる」ことに関連している。しかし、何年もの間に、この用語はたくさんの異なる意味を持つようになった。2010年の完全版Oxford English Dictionary の定義は、様々な年代の用法を説明しているが、10000語近くに及んでいる。

Q大澤真幸のキリスト論です――コーヒーブレイクです。

お茶が入りました。批判しづらいと思っていまして みなさんとやいやい
言っているうちに分かりやすくなるかも知れないという魂胆です。

▼ (大澤真幸:神とキリストと聖霊) ~~~~~
(あ) 肝心な点は [・・・]超越的他者を直接に見ることができるとい
うことにあるのではなく われわれの認識や経験がすべてを踏破しきれて
はいないということを自覚することの内に つまり認識や経験の自己否定
性の方にこそある[・・・]。

(い) だから キリストは 積極的な存在者としての自己を否定しなく
てはならなかったのだ。要するに キリストは死ななくてはならなかった
のである。神は ここでは 「無」そのものの したがって「無能力」の
直接の具現化でなくてはならなかったのである。

(う) キリストは 死ぬことで神になるのではない[・・・]。反対に
ヘーゲルが強調したように すでに神であるものが――否定神学や偶像崇
拝禁止の原理のもとで神であるものが――死ぬのが キリストである。

(え) 「聖霊」の意味も この文脈において 初めて理解可能なものと
なる。聖霊とは 超越性の極と内在性の極の すなわち神と人間の両極の
融合を示す印である。

(お) 聖霊という形態で 神が信者たちに直接に降臨し 信者と直接に
交わるのだとすれば なぜキリストという媒介が必要だったのだろうか? 
聖霊において神と人間が合致するのであれば 神がキリストとして地上に
現われなくてもよかったのではないだろうか? [・・・]

(お) だが 聖霊が機能するためにも キリストがどうしても必要なの
だ。もう少し厳密に言い換えれば キリストが 一種の「捨石」として
否定的に介入しなければ 聖霊はその作用を発揮することができないのだ。

(か) 本来 神と人間は 無限の距離を隔てている。キリストが現われ
ただけでは この距離は埋められない。というより キリスト自身が 神
と人間の直接的な融合を阻む障壁となってしまう。

(き) だが神=キリストが死ぬことによって 超越性は その性格を根
柢から変容させてしまう。要するに それは 端的に無化するのである。

(く) そうなれば 人間は 向こう側に 彼方に 何らかのかたちで交
流すべき超越的な神をもつわけではない。今や 神(超越性)が人間と直
接に合致してしまうのである。これこそ 聖霊が作用している状態である。

(け) この聖霊による融合状態は 結局 ――人間に外在する超越性は
もはや完全に還元されてしまっているのだから―― 人間=信者たちの共
同性(キリストの死んだ身体としての教会)以外のなにものでもない。

( 『現代宗教意識論』2010  pp.54-56)
~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ やいのやいのとなじったり あるいは擁護の発言などなどを語ったり
してください。

お茶が入りました。批判しづらいと思っていまして みなさんとやいやい
言っているうちに分かりやすくなるかも知れないという魂胆です。

▼ (大澤真幸:神とキリストと聖霊) ~~~~~
(あ) 肝心な点は [・・・]超越的他者を直接に見ることができるとい
うことにあるのではなく われわれの認識や経験がすべてを踏破しきれて
はいないということを自覚することの内に つまり認識や経験の自己否定
性の方にこそある[・・・]。

(い) だから キリストは 積極的な存在者としての自己を否定し...続きを読む

Aベストアンサー

絶対性には「否定」性があり、その否定を肯定に転化させる、、、キリスト「教」の捉え方としては、極めて(たぶんプロテスタント的に)オーソドックスと感じます。

Q英語に直してください! 日本ではゴミを分別した方がECOだという常識が一般的です。 アメリカでは細

英語に直してください!

日本ではゴミを分別した方がECOだという常識が一般的です。
アメリカでは細かく分別する事による経費の方が効率が悪いと考えられています。
ゴミを分ければ、収集車の種類、設備、場所、人も分けなければいけなくなります。
分別せずにいっきに集め、ゴミ処理業の効率化を図ったのがアメリカのゴミ処理のやり方なのです。

Aベストアンサー

It is usually a common knowledge in Japan that separating trash is ECO. However it's thought in the U.S. that the cost of separating trash small is inefficient because if you separate trash small, the government must have some types of dirt wagons, equipments, places, and persons.
They gather trash which isn't separated to improve efficiency in solid waste management. It is the way of solid waste disposal in the U.S.

Q「真理はわれらを自由にする」では社会は真理か?

真理とは ありのまま誤りなく認識されたことのあり方
と Wikipedia にはあった。しかし我々の目には ありのまま
に認識する能力は はたして有るのだろうか。この世界には
可視光以外にも 色々な光が明滅を繰り返しているのだ。
この視覚に於いて既に 我々が ありのままを認識できない事
を物語っているではないか。ああ 何という能力の至らなさ。

では我々の社会は 偽の上に造られた事になる。
そこで問いたいのです。偽の上に造られた社会に於いて
偽の上に造られた真理が 何を以て我々を自由にする事が
できるのか? さっぱりです (。・ω・)

Aベストアンサー

お気持ちお察しします。

私自身は、人の心の中もわからないし、その人の過去や状況もわからない、
「私は本当の事を知らない」と思うと、
人の理不尽な対応にも私の見えないその人なりの理由があるのだろう、
と思ったりしています。

つらいとき、自由になりたいときは、

「わたしは真理を知らないゆえに苦しんでいる。けれど、真実を信頼している。
もしわたしに、すべての真実を見通すことができたら、苦しむ事もないだろう。
けれど、真実は今も存在するのだから、見通すことができるまで、苦しみの中で待つ必要はない。
今みる事のできない真実を信頼し、今すぐ苦しみから自由にもなれる。」

と思うようにしています。

Q英語クイズの謎 常識ですか? その2

同じ系列の質問で恐縮ですが、長くなりそうなので、分割しました。
---------------------
英語を長いこと学習している者ですが、最近アメリカのクイズ番組(Jeopardy!)のスクリプトを自主教材にしています。その中で意味(背景)の理解できないものがいくつか出てきまして、米国の文化にお詳しい方がいらしたらご教授いただけないでしょうか。

2-A
Category: ON THE "WAR"PATH
Q: Pop art poster boy who was famous much longer than 15 minutes 
A: Andy Warhol
なぜ "much longer than 15 minutes"なのでしょうか。米国の方には当たり前のWarholにまつわる逸話が何かがあるのでしょうか。

2-B
Category: ON THE COVER OF SGT. PEPPER
Q: He's an African explorer, "I presume" 
A: Dr. Livingstone 
"Dr. Livingstone, I presume."の逸話はしっていますが、ON THE COVER OF SGT. PEPPERとの関連が分かりません。写真がThe Beatlesのこのアルバムに使われている、とか常識的に事実があるのでしょうか。

同じ系列の質問で恐縮ですが、長くなりそうなので、分割しました。
---------------------
英語を長いこと学習している者ですが、最近アメリカのクイズ番組(Jeopardy!)のスクリプトを自主教材にしています。その中で意味(背景)の理解できないものがいくつか出てきまして、米国の文化にお詳しい方がいらしたらご教授いただけないでしょうか。

2-A
Category: ON THE "WAR"PATH
Q: Pop art poster boy who was famous much longer than 15 minutes 
A: Andy Warhol
なぜ "much longer than 15 minutes"なの...続きを読む

Aベストアンサー

ウォーホールの名言「将来、誰でも15分は世界的に有名になれる」をもじったもの
https://en.wikipedia.org/wiki/15_minutes_of_fame


http://math.mercyhurst.edu/~griff/sgtpepper/people.html
44番です。

Qわれらが日本社会は 対話型か? なら話し合いを!

1. 社会形態は いやしくも国家と称するようになるならば 市民たちの
第一階とそして公民圏としての第二階とから成ると考えられ この一階と二
階との社会力学的な関係のあり方によって 市民一般の生活のありさまや生
活態度としての思想がかなりの程度において規定される。こう考えます。

 市民圏= 第一階: S 圏: 市民 S(スサノヲ)
 公民圏= 第二階: A 圏: 公民 A(アマテラス)

 これら互いの社会力学的な関係: A ‐ S 連関制・・・(α)

こういう用語で話をすすめます。

2. 日本における国家は 《国ゆづり》型であるゆえ 市民 S らは おと
なしい。もともとおとなしく けんかをするほどに仲良しであった。その中
から出た公民 A らは 特に優秀であったゆえ 人びとは社会というヤシロに
も特別な神棚をこしらえてやりもっぱらその空中庭園に住まわせた。この第
二階となる神棚にアマテラス族をまつりあげたことになる。

3. A なる人びとは 優秀であるうえに品行方正で申し分のないほど人間
的な人間たちであったが ただひとつ玉にきずなのは つねに人びとから注
目を浴びていなければ落ち着かない。お山の大将型であったことだ。
 
4. 市民らは かれらに根負けして それならと言うので神棚をわざわざ
こしらえて そこを棲み処とさせた。檻に住まわせたとも言えるのだけれど 
これが のちのち或る意味でわざわいともなった。

5. 市民 S らの中には この第二階への出世志向が流行り病いのごとく起
こり ひとつには とうとう A 者公民たちにこびへつらうようになり ひと
つには ゆすり・たかりをはたらき甘い汁を吸おうとするようになる者が出
た。
 
6. このお二階さん志向――そして 別様に言えば お上意識 そしてそ
のクウキ化――が絡んでくると 仲間どうしのあいだでも いざこざが絶え
なくなる。
 
7. こういうわけで 市民 S 者らのあいだには まっすぐな心持ちにもと
づく行動と どこか歪んだところのある振る舞いと 両面が見られることに
なる。



8. ちなみに西欧の市民は そして公民も 誰もがおのれの中にお二階さ
ん志向(つまり アマアガリ症候群)を持つ。すなわち A = S としての
市民 S であり この市民がおそらく誰もが同じく A = S としての公民 A
となる傾向を有する。と推し測られる。

 (ω) 欧米型(または遊牧民型): A ( A=S ) ∽ S ( A=S ) 連関制

9. 相似形の記号( ∽ )の意味は つねに転覆(回転=レヲ゛リューシ
ョン)が起こり得るということを表わす。
 
10. 言いかえるとその社会では 第一階においてすでに 《人は人に対
して狼なり。Homo homini lupus. 》あるいは《万人の万人に対するたたか
い  bellum omnium contra omnes. 》という市民( A = S なる市民 S )
どうしの意識の流れが関係し合っている。

11. 意識の対立とそのテーゼ アンチテーゼを互いに高いところにみち
びく弁証法的展開が ふつうに見通されているのではないか?


12. 日本市民スサノヲが このアマアガリ志向に対して《くにゆづり》
をしたと言う時 それは非戦論であり そうだとすれば それに対して欧米
市民は 主戦論に立つものと考えられる。

13. 土地に縄を張って ここはおれのものだと宣言したとき 言葉たく
みににしろ力づくでにしろ その土地を獲ってしまえば 自分のものになる
と考える傾向なのだろうか。(お隣りの東洋人もやっているけれど)。

14. われらが市民スサノヲは これこれはおれのものだと主張するとき
に どういうかたちにしろ 争うことは人間の弱さから来ると考え それな
らと言って争わない弱さでいいぢゃないかと 非戦論を採った。

15. いちどゆづったら 社会というヤシロの神棚に挙げてしまったのだ
から おいそれとは降りて来いとは言えない。言わない。おとなしい。ただ 
それだけのことだと考えられる。
 
16. ただしそのアマアガリ・シンドローム(末は博士か大臣かの出世症
候群 または それに絡む支配欲に支配された人間性)の感染具合いに応じ
て 波風が立つこともある。



17. ちなみに 社会のかたちとして別様の A - S 連関制がありうる。
《アフリカ的段階》と呼ばれるもので 市民らに絶対(?)主権があるよう
なかたちである。

 (κ) アフリカ型:S (=じつは A ) ∽ A 連関制

18. 資料です。
◆ (『アフリカ的段階について』ヘーゲルを解剖学した世界観?)~~~
http://y-bat.txt-nifty.com/doyo/2009/01/post-8de9.html

マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉
本〔隆明〕はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。

( a ) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王(* A )がいる。

( b ) しかし、民衆(* ――《〈じつは A 〉なる S 》――)は豊穣と生
活の保障と引き換えに王(* A 権力)を認知しているのであって、不作や疫
病があれば王は民に殺されてしまう。

( c ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた
頃の世界がそこにはある。

( d ) 民衆(個人 S とその共同性)と王( A 権力と象徴= amaterasity
アマテラシテ)は等価なのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

19. このアフリカ型(κ)は 民衆暴君型である。現代においても 例の
《ファビョン型》とよばれる《 S (=じつは A ) ∽ A 連関制》が見られ
る。日本は対話型(α) 西欧は競争型(ω)であろうか。


   *     *     *


20. あなた方よ 対話型なら もっと話し合いをすすめることが出来るは
ずではないか? 

21. あなた方よ 口を開けば 相手への悪口が飛び出し 権力者へののの
しりに到る。ぼろくそに言うのもよいが 中身がどうなのか? 

22. それともわれわれは 例のアマアガリ・シンドロームからのとばっち
りが それほど酷く醜くわれらがこころを腐らせていようか。

23. あなた方よ 仲間どうし・同等の相手どうしとして 対等に自由に話
し合える間柄であったはずが 何かと顔を合わせば 互いのあらさがしである。

24. 足の引っ張り合いが絶えないというのは やはり お上意識なるアマ
テラス予備軍症候群にひどく手足を縛られてしまっていようか。気がついてい
るのか いないのか。

25. あなた方よ スサノヲ市民の心意気は いったいどこへ行ったのか。
欧米型の革命志向はそのかけらも――たぶんさいわいなことに――見られない
とすれば ひょっとしてアフリカ型の破れかぶれ症候群が 隠然と深く静かに
潜行しているのか。お隣りに感化されたか。

26. まさか そんなことはないと信じるけれど とにもかくにも ひとび
とは もはや互いに話し合いが出来なくなっているのか?

27. それとも あなたは もとから――《対話型》は 理念の上だけであ
って――隠微なけんかと互いを不幸のどん底へ落としやるという生活日常が消
えることはなかったと考えるのか?

28. あるいは このような歴史と社会についての分析が おかしいか。

1. 社会形態は いやしくも国家と称するようになるならば 市民たちの
第一階とそして公民圏としての第二階とから成ると考えられ この一階と二
階との社会力学的な関係のあり方によって 市民一般の生活のありさまや生
活態度としての思想がかなりの程度において規定される。こう考えます。

 市民圏= 第一階: S 圏: 市民 S(スサノヲ)
 公民圏= 第二階: A 圏: 公民 A(アマテラス)

 これら互いの社会力学的な関係: A ‐ S 連関制・・・(α)

こういう用語で話をすすめます。

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Aベストアンサー

「そうではなく 《いえ いえ。それは陛下のご意向に反することですよ》
と:
★ 同じ立ち位置でフェアに対話することができる
☆ でしょうか?」

普通の市民には政治の話などはほとんどできません。ですが、政治家を一職業人として見ることは可能です。どの職業の人もその道においては専門家であり、ある意味で二階の人ですから、総理大臣に物申すときは、彼が一職業人としての大臣であることを念頭に置けば、不自然にへりくだる必要はなくなると思います。大臣の職能だけは残し、威光だけを削ぐこともできると思います。むしろそのほうが大臣も仕事はやりやすくなるはずです。地位によって権限というものがありますが、あくまでそれは職務を遂行するためだけに必要なものであるという認識を、市井が持つべきだと思うのです。

ヒエラルキーが崩れることはなかなか難しいでしょうが、市井の認識が変わることで、意識上での転換が起こることは十分に有り得る話ですね。権力者や金持ちにあぐらをかかすことがなくなれば、よりよい社会になると思います。

Q自己紹介文(英語)でこれって常識?

先日、海外のペンパルを募集して何人かの方々からメールをいただきました。

ペンパルを募集する時は充分に注意した方がいいというアドバイスも目にした為、
お返事の文面で少し気になるところを伺いたくて質問させていただきました。

例えば自分のことを相手に伝えようとして

「I am very kind, faithful, honest, intelligent and humorous person.」

といった類の記述を国や性別、人種に関係なく、しばしば見かけます。(形容詞は様々ですが。)

私はこれを初対面の日本人に日本語で返されたら、
自分でそこまで書けるのか・・・A^-^;)って思ってしまいます。
個人的に、自分の性格をどう評価するかはあくまで他人であるという考えなので、
こういう文が入っていると奇妙に映るのかもしれません。

常識、非常識の感覚は国の文化によっても大きく違うという認識はあるのですが、
欧米の英語圏文化ではごく普通の表現なのでしょうか?

それとも私の周りに、こういう自己紹介をする日本人がいないだけなのでしょうか?

Aベストアンサー

「intelligent」というのは「私って頭いいし」ではなく「それなりの知性もあるつもりです」という程度のニュアンスでいいと思います。

面と向かってこんなことを言う人は、アメリカ東部の湘南、ジャージー・ショアのナンパ族にしかいなそうな気がするけど、自己紹介文やオーディションでは、よく使う表現でしょう。例えば日本でも入試や就職活動の面接では「知性をもって誠実に務める所存ですが、意外とユーモアもあると自負しております」とか言ったりします。

ただ、本当に一字一句このように書いているのだとしたら、人格としてあまりに当たり前で、何のために書いてんの??って気もしますが(笑)。

Qわれらが祖先なる古代の日本人は 《無い神》をいだいていたか。

1. 日本古代人は むしろ無神論という信仰をいだいていたのではないかという暴論を
試みます。

2. 大野晋によると 日本語の《かみ(神)》は文献や民俗学等々で分かる限りでは 
次のような意味を持ったと言います。

 ○ かみの原義 ~~~~~~~~~~~~~~
  (あ) カミは唯一の存在ではなく 多数存在している。

  (い) カミは何か具体的な姿・形を持っているものではない。

  (う) カミは漂動・彷徨し ときに来臨して カミガカリ(神憑り)する。

  (え) カミは それぞれの場所や物・事柄を領有し 支配する働きを持っていた。
    〔産土(うぶすな)神・山つ霊(み)・海(わた)つ霊〕

  (お) カミは――雷神・猛獣・妖怪・山などのように――超人的な威力を持つ恐ろ
    しい存在である。

  (か) カミはいろいろと人格化して現われる。
    〔明(あき)つ神・現人(あらひと)神〕
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

3. この(か)の《神の顕現 ないし 人格神》は (う)の《神憑り》を一段高いと
ころに立って再び採り入れたものと考えられます。

4. 神がかりとは いわゆるアニミズムであり すなわちものごとに寄り憑く原始心性
のことでしょう。それに従えば ほんとうは《見えない》〔つまり(い)〕けれど 仮り
に姿を見せたという捉え方および表わし方をおこなった。

5. つまりすでにこのように問い求めた定義からすれば われらがおや(祖先)たちは 
《超自然・非経験》の領域を 何も表わさなかった。つまり強いて言えば《無い神》を立
てていた。

6. 古事記の初めには アメノミナカヌシ以下三神が登場しますが これらは《独り神
となりまして 身を隠したまひき》とあります。一般に思われているアマテラスオホミカ
ミは もっともっとのちの神です。

7. どうもこのように――わざと 無神論を見ようと――して来ると 日本人には《表
わさない》=《言挙げせず》という基本線があるのかも知れません。

8. 朝 日向かしの空より昇る真っ赤なおてんとさまを見て あるいは西の山の端に沈
みゆく夕焼けをながめて

  ――あはっ。(ああ! Ah ! Oh ! )

と口をついて出た。そこに 絶対の神を見たのかも知れません。見なかったかも知れませ
ん。

9. これが言われている《ものの〈あは〉れ》であり《随神(かんながら)の道》なの
だとも思われます。《隠れたる神 Deus absconditus 》。

10. ▲ (柿本人麻呂 万葉集 巻三・235番) ~~~
 おほきみは 神にしませば
 天雲の いかづちの上に 廬(いほ)らせるかも
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という歌には 思想もしくは信仰が現われていると考えます。つまり 《世の中の通念は 
大君が神であると言う。なるほどそれゆえ 雲の上・雷の丘の上にお住まいである。そう
かもね》と。

11. 人麻呂は神について絶対の概念をとおして思っていたからではないですか。《通
念は・人びとは 絶対の神とそして相対の神々とを混同している》と述べていませんか。

12. 人麻呂にとっては 神が《目に見えない。しかも心の目にさえ見えない》ことは
当然のことだったのでは? 精神論でもないと。

13. ただし 外(と)つ国へ出かける友に向けては 別れのあいさつとして言挙げぞ
すると言っているようです。

14. 表題について問います。

1. 日本古代人は むしろ無神論という信仰をいだいていたのではないかという暴論を
試みます。

2. 大野晋によると 日本語の《かみ(神)》は文献や民俗学等々で分かる限りでは 
次のような意味を持ったと言います。

 ○ かみの原義 ~~~~~~~~~~~~~~
  (あ) カミは唯一の存在ではなく 多数存在している。

  (い) カミは何か具体的な姿・形を持っているものではない。

  (う) カミは漂動・彷徨し ときに来臨して カミガカリ(神憑り)する。

  (え)...続きを読む

Aベストアンサー

あはっ、という感嘆が、「あはれ」の語源だ、というのは興味深いです。言語の起源をさかのぼれば、行き着く所、「ノストラティック仮説」にたどり着くのだと思います。実際、「水」に関する言葉には、世界の言語で様ざまな類似性がみられています。                                                     ご質問の、われらが祖先の神は、おそらくは、アイヌ民族やその他の少数民族、乃至は、ネアンデルタール人にみられる様な、極めてアニミズム、シャーマニズム的な要素が濃厚だったもの、だと思います。アイヌ語で、「神」を「カムイ」と発するのは、決して偶然では無い、と思います。
                その様に思います。


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