偏差値の高い大学に入った方が、就職のチャンスは高くなる、というのが、おそらく一般に一番認識されている偏差値のメリットでしょう。あとは肩書き。

それ以外に偏差値の高い大学に行くメリットというのは、何があるでしょう?
偏差値によって何が違うのでしょう?

偏差値の高い大学の方が、「研究者としての」教授の質が良いのでしょうか?研究で業績のある教授が多いのでしょうか?質の高い授業がうけられるのでしょうか?

偏差値の高い大学の方が、「教育者としての」教授の質が良いのでしょうか?生徒の面倒見がよかったり、モチベーションを上げてくれたり、心の支えになってくれる教授が多いのでしょうか?

偏差値の高い大学の方が、教授の給料がよくて、金持ちが多いのでしょうか?

偏差値の高い大学の方が、図書館などの施設が充実してたりするんでしょうか?良い資料がたくさんあるんでしょうか?スポーツジムなどの設備も充実してるでしょうか?

偏差値の高い大学の方が、学食が安くておいしかったりするでしょうか?

偏差値の高い大学の方が、サークル活動も充実してるでしょうか?

偏差値の高い大学を出た方が、まともな社会人になれる可能性が高いでしょうか?それとも大学は基本的に、社会人としての教育は重視しないでしょうか?

偏差値の高い大学を出た生徒の方が、研究者や教授などのアカデミックな道に進む可能性が高いでしょうか?それともそうとは限らないでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    基本的な質問ですが、そもそも偏差値って何で決まるんですか?

      補足日時:2016/10/10 16:37
  • どう思う?

    あ、「偏差値」の意味ではなく、「大学の偏差値をどうやって決めるのか」という意味です。

      補足日時:2016/10/10 17:34
  • うーん・・・

    みなさんありがとうございます!
    つまり大学の偏差値は、大学の授業の質ではなく、受験生の学力の目安というわけですね。
    それがブランドとしての人気度と関係がある。

    そして、偏差値の高い大学に行く目的は、特に文系の場合、たいていは質の高いレッスンを受けるため(例えば偏差値50の経営学部より、偏差値60の経営学部の方が、質の高いビジネスを学べるから)ということではなく、
    1に就職、2に生徒同士の人脈
    という感じですね。

    そう考えると、大学の授業とか教授の存在価値って、いったいなんなんでしょうね??

    僕自身既に社会人ですが、大学時代重視したのはやはり就職のためのブランドと、生徒同士の人脈でした。あとサークル活動とバイトで色々学ぶ。友達と授業の内容に関する会話をしたことはほとんどないですね。

    ちなみに学食の質は、偏差値ではなく、地域の名産品の質がポイントですかね?笑

      補足日時:2016/10/11 05:57
  • つまり、難関大学を狙うメリットは、文系と理系では状況が結構ちがい、

    文系の生徒は、主に大学名のブランドを得て、質の良い生徒と出会える。
    理系の生徒は、質の良い研究指導を受けられる。

    文系は、一番メインっぽく見える授業や教授の存在は、生徒にとってはおまけみたいなもので、
    理系は、授業や教授の存在価値が大きい、という感じでしょうかね。

      補足日時:2016/10/16 09:46

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A 回答 (14件中1~10件)

#8です。

なんか、話がどうどうめぐりしてませんか?

>文系の生徒は、主に大学名のブランドを得て、質の良い生徒と出会える。
理系の生徒は、質の良い研究指導を受けられる。
とういう、補足を拝見したので別の視点からちょっと書きます。

まず、世界的に見て日本のような大学のシステムをもつ国は、ほかに韓国と中国ぐらいしかありません。ほかの国では大学進学率がもっと低い途上国か、大学といっても日本では各種専門学校クラスになる「カレッジ」に入る学生も多いのが特徴です。

なぜ、そうかというと「外国では、ブルーワーカーとホワイトカラーの階級差があり、どちらの階級でも経験者を優先的に就職させるから」です。

カレッジは職業訓練校的な、日本で言えば専門学校的なところも多いですし、ユニバーシティーなら積極的にインターンなどで就職訓練をさせます。
外国の大学では一部の超有名大学を除いて、偏差値の高い大学からそのまま一流企業への就職、というルートはないのです。ですから「入りやすく出るのが難しい」というやり方が成り立ち、数ある大学のなかで「超名門」以外はそれほど入学が難しくない、ということになります。(卒業が難しいのは、経験者に太刀打ちできるような能力を身に着けないと卒業できない、させられない、大学の評判が落ちる、からです)

日本の会社就職は、昔よりも学歴ではなくなったとはいえ、相変わらず「新卒を取って社内で訓練する」と言う方法が一般的です。そのため「より能力の高い人材」=「偏差値の高い大学に行った者」になりやすい現状があるのです。

つまり能力というなんとも計りにくいものを見極めるために、大学のブランドを利用し、大学側もそれをわかっているからブランド力を高め偏差値を高める、という流れになっていくわけです。

ここを押さえないと本質が見えません。

これを鑑みれば、文系と理系で質が違うのも当たり前になってきます。
なぜなら、理系は大学でやっていたこと、研究していたこと、教授の資質や研究の方向性などがそのまま就職した会社の仕事の判断材料になるからです。
 小保方氏の事例が出ていますが、彼女の研究が最先端だったからこそ理研に入れたわけです。理研がやっている研究とはまったく関係ない研究であれば、どれほど優秀でも理研には入れない、ということです。
(早稲田でやっていた研究ノートの取り方が雑かどうかは別の次元の話です)

対して文系は、ほとんどの学科が会社の仕事内容とは関係ない、わけです。英文学部でシェークスピアを極めたとして、それを生かせる会社なんて殆どないし、経済学部を出たからバリバリに企画開発が出来る、というものでもありません。

日本は職業訓練校的な大学はあまりありません。職業訓練なら専門学校に行くべきである、ということです。大学は知識を詰め込むだけでなく、一応「自分で考える」という訓練をさせますので、まったく未知の仕事、新しい企画の仕事をさせるには「何も無いところから断片を集めて形にする能力」が必要になります。

じつはこの違いは、ブルーワーカー(与えられた作業をこなす人々)とホワイトカラー(管理から新しい課題を見つけ、それを解決する仕事)の違いでもあります。

大学卒と高校・専門学校卒の違いは唯一「自分で考え、それを形にする能力」を訓練しているかどうか、なのです。

たったこれだけ、の違い(ある意味大きな違いですが)を見極め、会社にとって有能な人材を発掘する会社の人事はとても大変です。だからこそ「よい偏差値の大学」には良い人材がたくさん居るのではないか、という方向性になり、よい大学はそのイメージのために高い偏差値になることを求めるのです。

>そう考えると、大学の授業とか教授の存在価値って、いったいなんなんでしょうね??
外国、たとえばハーバードのような大学を基準に考えると、日本の大学の授業や教授の質はあまり価値がないように感じますが、そうでもありません。

なぜかというと「方向性を与える師匠と、それを受け止めるだけのチャンス」があるからです。

たとえば、とても頭のよい学生がいたとします。彼(彼女でもいいです)は頭はいいけど、将来の夢はありませんでした。なんとなく、慶応に受かってしまった、としましょう。学部もなんとなく「偏差値が高いけど卒論がないから(ゼミ論はあります)」法学部を選んだとします。
で大学に入って彼女ができて、彼女と同じゼミを取ったとしましょう。そこで有能な教授と出合って国際弁護士を目指すことになり、結局国連職員になってバリバリ働くことになった、というようなことも起こり得るのです。

このようなレベルだとMARCH未満の大学では、学生にそういう能力も気力もないし、教授もそこまで求めない、かもしれません。しかし、黙っていても慶応に受かってしまうレベル、またはなんとしても良い大学に入ろうとがんばれるレベルの人材なら「もっと難しいことにチャレンジする」という方向性を与えることだってできるわけです。

これが、#8で書いた「様々なチャンス」の本質的な部分です。

日本はというかどこの国でも「優秀な人材がたくさん居る」ことがその国の強みになります。「優秀な人材」というのはものすごく難しい課題で単に頭が良い、だけではダメであることは質問者様も同意されるでしょう。でも、基本的に頭が良い人、でなければ困難な局面を乗り切るのもまた難しいわけです。

でも頭が良くても20歳そこそこの人間では、この先「なにをすればよいか」はなかなか見極められません。そこで大切になるのが「師事した師匠のひと言」になるわけです。

ですからよい大学には「真剣に日本や世界の将来のことを考えた教授たちがたくさんいる」のです。彼らが学生を導き、各種の日本に必要な世界に必要な人材を供給しているともいえます。その評判や卒業生の活躍は、また大学のブランドに跳ね返ります。

そういう循環からすれば、よい大学にはよい教授がいる、と言っていいでしょう。逆をいえば、偏差値を上げようと考える大学があれば、やはり「よい教授を招聘すること」は重要である、ということです。

そういう循環の中で、大学の偏差値を見つめないと本質的なことは分らないと思います。

最後に、大学全入時代だから、そういうのをやめよう、という機運がありますが、私は反対です。大学全入をやめてしまう、ということは職業訓練校が増える、ということです。それはブルーワーカーとホワイトカラーの固定化につながります。

日本は会社の従業員食堂に幹部と一般従業員の区別がない珍しい国です。大学の偏差値区分け、というのは階級的な区分けとは違う別の価値観を日本にもたらしているのです。だからそれが崩れるような教育改革はしないほうがいいと思うわけです。
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この回答へのお礼

実は、僕は2カ国ほど日本以外の国に住んでいたことがあって、外国の大学の状況を見て日本の状況に疑問を持ったので、それを婉曲的に質問してみたのが、そもそものこのトピの意図でした。

確かに中国や韓国では、受験が日本以上に厳しいらしいですね(日本は複数の大学を受けられるが、中韓は1度のテストのみ)。
日本を含む大学受験の厳しいシステムだと、学生は受験で燃え尽きてしまい、大学では勉強したくなくなるのでしょう。

一方アメリカやカナダのように入学がそこまで大変じゃない国では、大学で将来のスキルを伸ばすために勉強してる感じです。
カレッジはもちろん、univerisityも日本に比べたらずっと職業訓練所に近いイメージがありました。

日本人は、受験にしろ大学の期末試験にしろ、点数のためだけに勉強し、試験が終わったら全て忘れる感じですよね。
だから、北米の大学生を見て、日本人は「勉強」の意味を取り違えてるのではないのではないか?と思ったのです。

発展途上国の状況は知りませんが、途上国からの留学生の話によるとやはり、日本の大学生に比べて断然授業の内容に興味を持ってる感じでした。

日本の大学も、職業訓練校までいかなくても、それに準ずるような将来のスキルのための場所だと良いなあと思うのです。

教授達は、大学では「自分で考える訓練をさせる」というつもりかもしれませんが、残念ながら学生はそれをわかってないでしょう。
僕はMARCHの大学に行きましたが、僕も含め学生にそういう能力も気力も有りませんでした。笑
その上のレベルに行ってた友達も、そんな感じでした。笑(僕の周りだけかな?)
しかも、良い先生も確かにいましたが、全然指導する気がなく高圧的で嫌な先生もいました。

でも北米の大学の先生は、指導経験の違いはあっても、みんな指導熱心で生徒との距離が近いです。
いや、受験が厳しいアジアの大学の先生も、もっと生徒との距離が近い気がしましたね。

もし日本の大学側が「自分で考える訓練をさせる場所」という意図なら、
まず第一に大学生がそのことを理解しないといけませんよね。
そして、「勉強」=「点数を取るためもので、テストが終わったら全部忘れる」
という認識を大学ではやめさせ、「大学の勉強」=「自分のスキルアップ」
という認識にしないと、大学の授業の意味が無いんじゃないかと思ったのです。

お礼日時:2016/10/16 12:41

理系の場合、難関大学の講義があまり丁寧では無いのは、教科書を読めばわかるような事は、学生が勝手に勉強すれば良いと教員も学生も思っているからです。



難関大学理系教員の本職は研究であって、こちらの指導は一流研究者ほど丁寧、というか厳しいです。実験や考察、論証にいい加減な所があれば、容赦無い指摘が降り注ぎます。厳しいんですが、こうやって鍛えられて研究者として育ててもらうんです。何とか細胞の人が恥を晒していましたが、厳しい指導を受けていれば、悲劇は避けられたのではと思います。
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この回答へのお礼

なるほど、私は文系なので理系の事情はわからないんですが、
理系の場合は、難関大学だと一流の研究者がいて、授業はともかく、研究の指導は質が高いというわけですね!
(でも何とか細胞の人は、厳しい指導を受けなかったんですかね?)

お礼日時:2016/10/16 09:39

これは説が分かれています。



第一は、能力の高低が違う、という説です。
偏差値が高いから、頭が良いのだろう、
頭が良いから仕事を初めとするあらゆる面に
おいて能力が高いのだろう。

第二は、偏差値が高い学校を出た人間は
努力が出来る人間だ。
そういう人間はどんな場面においても頑張る
だろう。

第三は、社会の評価です。
偏差値の高い学校を出た人間は、成功している
のが多い。
彼も偏差値の高い学校を出ているから成功する
だろう。

(ソースは、放送大学 教育社会学 です)




偏差値の高い大学と低い大学の差はなんでしょうか?

つまり、人や社会の評価が違うのです。

就職に有利、というのもその一環です。
中身はどうあれ、
結婚にも有利だし、尊敬される可能性も
高くなります。

人間なんて中身は判りません。
だから判りやすいモノを探して評価するのです。

偏差値は、その判りやすいモノでしか
ありません。
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この回答へのお礼

これは面白いですね!
第一と第三は、「大学の教育がよかったから」能力が高くなった、成功しやすい人になった、という解釈も可能ですが、
第二に関しては、「大学の教育がいいから努力できる人になった」というニュアンスは低そうですね。

私自身、第二のイメージが一番強くて、しかもそれは、大学に入る前の段階で「つまらない受験勉強で努力ができた人」というイメージですね。
(まあ東大クラスの人達は、努力だけじゃなくて、頭のできが違うのかな、という気はしますが。)

お礼日時:2016/10/15 10:35

偏差値がなぜ決まるかということが全てでしょう。


入学したい学生が多ければ、結果的に競争が激しくなり、入るのが難しくなるわけで、その難しさを数値化したのが偏差値です。
つまり、偏差値は学生の人気の尺度であり、それ以上でも、それ以下でもありません。
じゃあ、学生の人気は何であるかといえば、就職もそうでしょうし、ブランドイメージもあるでしょう。教員の質にしても、偏差値の高い大学の方が優れていることが多いです。教員とて受験生と同じで、偏差値の高い、いわゆる一流大学の教員になることを望みますので、そういうところの教員になるのは競争が激しくなり、優秀な教員しか採用されないからです。
結局、偏差値は学生の人気や、世間の評価を総合的に反映しています。ある人は就職を重視し、ある人は研究面を重視し、ある人は地理的なことを重視するかもしれません。そういった諸々の事柄を総合的に反映しているのが偏差値です。
したがって、同じ偏差値でも評価ポイントは様々です。同じ偏差値であっても、地理的なポイントは低く、研究面や就職面で評価される大学もあるでしょうし、内容が乏しくとも、単に大都会にあるというだけで偏差値が高くなるような大学もあるでしょう。

まあ、そんなこんなで、何がポイントかということは大学によって違います。人によって見方が違うこともあるでしょう。もちろん、受験生や世間の評価が妥当であるという問題もあります。誤解に満ちた評価である可能性もあるでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど!偏差値は世間の総合評価と取れるわけですね!

お礼日時:2016/10/12 04:25

>それ以外に偏差値の高い大学に行くメリットというのは、何があるでしょう?



偏差値の高い大学に行きました。
僕の場合は「仲間」ですね。もう卒業してますが良い影響を受けたと思います。これは大きいです。

>偏差値によって何が違うのでしょう?

こういったら酷い言い方ですが「浪人してでも入りたい」人が多い、で入ってくる人は思いが強い、要するに人間力が高いと思います。おおむね有名大が多く偏差値が高いことが多いようです。

>偏差値の高い大学の方が、「研究者としての」教授の質が良いのでしょうか?研究で業績のある教授が多いのでしょうか?質の高い授業がうけられるのでしょうか?

そうとも言えないでしょう。特に文系はそう思いました。

>偏差値の高い大学の方が、「教育者としての」教授の質が良いのでしょうか?生徒の面倒見がよかったり、モチベーションを上げてくれたり、心の支えになってくれる教授が多いのでしょうか?

同様です。むしろ就職指導などは偏差値の低いところの方がきめ細かい気がします。

>偏差値の高い大学の方が、教授の給料がよくて、金持ちが多いのでしょうか?

良い気はします。が教授ならどこ言ってようが似ているし勝ち組じゃないかな、と。

>偏差値の高い大学の方が、図書館などの施設が充実してたりするんでしょうか?良い資料がたくさんあるんでしょうか?スポーツジムなどの設備も充実してるでしょうか?

一般に総合大は充実してますね。偏差値は関係ない気はします。例えば上位女子大や近大や日大はお金があるので施設は豪華だと思います。
国立は施設はボロボロで「研究に全部つぎ込むからだ」とか言われてたりしますね。

>偏差値の高い大学の方が、学食が安くておいしかったりするでしょうか?

関係ないと思います。

>偏差値の高い大学の方が、サークル活動も充実してるでしょうか?

調べたわけじゃないですがそうです。日本で1番サークルが多いのは早稲田のはず。他にも東大などの有名国立や私立にサークルやサークル加入者が多いです。
この要因ですが、きつい言い方ですが上記の人間力に繋がります。
あまり有名じゃない大学は学問もでしょうが、サークルや留学などの学外活動も盛んじゃないです。

>偏差値の高い大学を出た方が、まともな社会人になれる可能性が高いでしょうか?それとも大学は基本的に、社会人としての教育は重視しないでしょうか?

高いと思います。大学が何かしてくれはしないですが、先輩など見て学ぶことは多くあります。

>偏差値の高い大学を出た生徒の方が、研究者や教授などのアカデミックな道に進む可能性が高いでしょうか?それともそうとは限らないでしょうか。

いわゆる民間就職する人の比率が最も低いのは東大でしょう。
早慶でも結構います。
遊学もあるし、起業もいる。多いのは資格と公務員ですね。
アカデミックに進む人の比率は高学歴者に多いでしょうね。
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この回答へのお礼

やはり、偏差値は教授の質ではなく、生徒の質というわけですね。
生徒も、良い授業を受けるために偏差値の高い大学を狙うわけではないということですね。

お礼日時:2016/10/11 06:23

就職だけとっても、超一流や一流大企業は、偏差値が低い大学には求人ありません!株式上場企業のほとんどがそうです!

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この回答へのお礼

やはり就職ですね。

お礼日時:2016/10/11 06:20

偏差値の高い大学に行くメリットは以下の通りです。


・就職のチャンスが広がる
・就職以外の様々なチャンスが広がる
・教授陣に一流の人が居る
・予算があり、高度で専門的な分野がある(大学によります)

私は都内のMARCHのすぐ下のランクの大学に行きましたが、強く感じたのは「就職以外の様々なチャンスが広がる」ということです。

たとえば、最近話題になったミス慶應コンテスト、このコンテストで優勝すると女子アナウンサーになりやすい、といううわさがあります。実績としてもその通りですが、ミス東大でもミス青山でもなく、ミス慶應が女子アナになりやすい、というはいろいろな状況があるからでしょう。
 
 都内にはたくさんの大学がありますが、偏差値の高い大学ほど「様々なチャンス」があります。それは、OBやOGなどが在校生に「こういうものがあるんだけどどう?」という持ちかけをしてくるからです。もちろんその持ちかけはどのような大学でもありえますが、偏差値の高い大学ならそれだけよい企業に入社して地位も高くなりやすいため、大企業などから研究のタイアップや、宣伝広告の手伝い、社会的な実験のサポートなどの経験のチャンスが広がる、という部分が大きいです。

これは実際に、ほかの大学にいった友人たちと話していて、感じたことです。

ですから、教授なども一流の人が居る場合、または一流まではいかなくても外部とのつながりが多い指導者なら、よい研究というかフィードバック事例の大きい研究や、社会を変革するようなテーマに取り組んだりできるのです。

ちなみに、工業とか物理などの最先端研究については「国立大学のほうがよい」と言われています。東北大学や金沢大学などはかなり有名です。

そう言う事例をみるにつけ「偏差値の高い大学のほうがよい」と思うようになりました。

大学の偏差値は単純に「志望者の数と学力」です。

うちの大学は元々法学部の偏差値が一番高かったのですが、最近は文学部の人気がそれを上回っています。なぜかというと、テレビに出まくっている人気の教授がいて、その前にも同じ学部の人気教授がテレビに出まくって、学部の人気を上げて行ったからです。

私が卒業してから20年ほどで、志望者が多数になり、志望者が多数なら良い成績の学生を取ることができ、そうなると翌年の偏差値は前年よりも上がるので志望者が減らなければさらによい成績の学生が志望して受かり、また来年は偏差値が上がる、ということを繰り返します。

そのうえで、大学のトータルな環境や魅力・ブランド力などを踏まえて(どうやってもそれだけでは早慶などのブランド力にはかなわないでしょうから)志望者が減るところがどこかに来るわけです。そこがその大学の上限になります。家の大学の文学部はこの20年で8ポイント以上偏差値を上げてしまいました。
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この回答へのお礼

なるほど。
となると、教授が大学の偏差値に貢献するには、質の良い研究とか質の良い授業をするとかよりも、その学部の注目を集めて人気を上げるということになるのですかね?

お礼日時:2016/10/11 06:20

必ずしも入学難易度の高低とは一致しませんが、大学によって、研究設備、研究予算、蔵書数、教員の質、指導の丁寧さ、研究の質、福利厚生設備は全然違いますよ。

理系の場合、ノーベル賞をとられた先生に指導を受けていたとか、カミオカンデで実験していたという例も実際に多々あるわけで。アカデミックな道に進む場合、指導教官に弟子入りして修行するので、一流研究者がいて一流の研究をしている所の方が有利です。

面倒見や講義の丁寧さは、一般に難関大はあまり良く有りません。
学食は、国立大学の学生が普段使う生協食堂だと、どこも同じような感じ。北大にはイクラ丼があるなどの差は有りますが。サークル活動は学生数に依る部分が大きいでしょう。スポーツジムは、東大には温水プールやボルダリングウォールが有りますね。
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この回答へのお礼

>大学によって、研究設備、研究予算、蔵書数、教員の質、指導の丁寧さ、研究の質、福利厚生設備は全然違いますよ。

これが入学難易度とは一致しないんですね。。。
頑張って難易度の高い大学に入っても、アカデミックな質はよくないかもしれない。それでも大学名のブランドさえ手に入れれば学生は気にしない。こんなとこでしょうか?

>面倒見や講義の丁寧さは、一般に難関大はあまり良く有りません。

これは逆に言えば、質の良い生徒は面倒をあまり見る必要がないとも言えますかね?
殺せんせーも一番悪いクラスを担当するように。笑
まあでもそれもどうなんでしょうね。

お礼日時:2016/10/11 06:15

ほとんどの人にとって偏差値の高い大学に入るメリットは、就職に有利になる、あるいは入社後も昇進・昇格に有利になる(たとえば国家公務員一種の試験を通って警察に入ればいきなり高い階級からスタートする)、よい大学出身者であることを世間に自慢できる…ことくらいでしょう。

なので、就職やその後の昇進のことを除外すれば、偏差値の高い大学と低い大学の(メリットの)違いはないと思いますが。

狭い意味での偏差値とは、学力をノルマライズしたものです。つまり標準的な指標で(標準化して)学力を表わしたものです。生徒の学力に偏差値はありますが、大学に偏差値はありません。ですが、どの程度の学力ならその大学に入れるか(合格率60%)を大学(の学部)ごとに出した偏差値(これが俗に言う大学の偏差値)というのはあります。
つまり大学の偏差値は、60%の確率で合格できる生徒の学力(偏差値)を指しています。
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この回答へのお礼

60%の確率で合格できる学力だったのですね!知らずに受験してました!
やはりメリットは、大学時代ではなく、その後の話なのですね。

お礼日時:2016/10/11 06:06

俗に言われる偏差値というのは、各予備校が実施する模試の成績から推定した、各大学の合格難易度の事です。

予備校は、過去の模試でどれぐらいの成績だったら、どこの大学に合格したか、落ちたかというデータを蓄積しています。そのため、各大学にある基準となる合格可能性を得る為に必要な模試の成績というものを推定できます。これがいわゆる偏差値です。

偏差値は、合格難易度の指標なので、中身が酷いものであっても、学生の人気が高ければ上がります。東京にある大学は、中身の割合に高めです。逆に良い大学でも、地方にあるなどの理由で学生の人気が低くければ、偏差値は下がります。例えば東北大学や筑波大学の理系は、教員の質、設備ともにかなり良いのですが、立地の関係で偏差値は低めです。

また、私立大学の場合、推薦入試での入学者を増やし、一般入試の定員を減らす事で偏差値が高くなっています。
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この回答へのお礼

そうだったのですね!僕は受験生時代、大学の偏差値がなんだかもわからずに受験してました。(笑)

お礼日時:2016/10/11 06:05

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