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【宗教】親鸞は修行の末に人生はありのままで良いという悟りに行き着いたという。

親鸞は悟り後はありのままに自分のしたいように生きて亡くなった。

これって本当ですか?

親鸞は若い時は厳しい修行をして己を苛め上げていたが悟りを開いたあとの後世はのんびりきままに自分のやりたいことをやって宗教の呪縛から解放されて伸び伸びした生活をして死んだ。

A 回答 (4件)

親鸞が悟りについて語ったとは思えませんが、ありのままの人生が悟りへの道だと言うのは、それが阿弥陀如来のはからいであれば、そのように考えていたとは思いますね。


親鸞の人生自体が阿弥陀如来のはからいでしょうから、何かから解放されたとか言う事は無いと思いますよ。(最初から阿弥陀如来のはからいがあったと言う事です)
親鸞は悟ったとは言わなかったんじゃないですか?(浄土教自体が、悟りを求めていないですからね)
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

悟りを求めていましたよ

お礼日時:2016/10/15 21:38

▼(親鸞:義なきを義とす) ~~~~~~~~~


(あ)(親鸞の書簡:末燈抄・十) 他力と申し候ふは とかくのはからひなき
を申し候ふなり。

(い)(同上) 仏智不思議と信ぜさせ給ひ候ひなば 別にわづらはしく とか
くの御はからひあるべからず候ふ。ただ ひとびとのとかく申し候はんことをば 
御不審あるべからず候ふ。とかくの御はからひあるべからず候ふなり。

(う)(同上:九) 他力には 義なきを義とするとは申し候ふなり。

(え)(歎異抄・十) 《念仏には 無義をもつて義とす。不可称・不可説・不
可思議のゆゑに》と仰せ候ひき。
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「ありのまま生きた」といっても、短絡的な欲望のままに、


性欲や権力欲に流されて放埓に生きた訳ではないですよね。
その悟りに至るまでに築き上げた地平に、平穏に生きたと
いうのと、そうした地平を見出さずに欲望にまみれて
「ありのままに生きる」のとは、自ずと異なります。
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おじゃまします。



>親鸞は悟り後は...!!なんか言って居ますが、本当だとすれば
無駄な時間だった。

後悔、失敗、恥かきが修行の末、悟り...?ようやく解かった。
人生が修行であり結果である。
高等な考えなんかしなくて良い。
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