プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは。大学生です。
わけのわからない質問だと思いますが、聞いて下さい。

私は学校で文学を習っています。
実際に文学を創作する授業も受講しています。
特に文学が好き、というわけではなく、単に興味があって面白そうだったから……という理由で始めたのですが、非常にレベルが高く、純文学系統なのでとても鬱傾向です。
生きるのが嫌になる小説ばかり。
しかし、「こういうものが高尚なんだな」と思い、必死に勉強してきました。

私は人が救われたり、なんらかの救済がある作品が好きです。また救済はなくとも、人が幸せになる、なんらかの勇気を与える作品が書きたいと思っています。

しかし、やはり徹底的に暗かったり、救いの無いものが評価されたりする傾向にあると思います。
私も一度、昔のもやもやした気持ちをぶつけた救いのない作品を書いたら非常に評価されました。
先生から「見える世界がガラッと変わった」とまで言われました。しかし今はそんなもやもやはもう無く、作品を書いたことで昇華され、普通に穏やかに暮らしています。誰かを憎んだりもしていません。
ただ、そういうエネルギーが無くなると、よい創作ができなくなります。今、課題のためにそういった作品を作ろうとすると胸がぎゅうっと苦しくなり、とても書くことができなくなりました。
でも、認められるには書かなくちゃいけない。そうしないと、認めてくれた先生や先輩方を裏切ることになるかも知れない。
追い込まれて、鬱病になってしまいました。2ヶ月近く家にこもっています。
もう学校はやめようかとすら考えています。

その間、ネット等でいろんな創作者の話を聞きました。
とある純文学作家は、生き生きと生き始めたら作品が書けなくなった……とか、創作者は反社会的であるべきだ……とか、好きで小説を書くような人間にはなりたくない……とか、厳しく恐ろしい言葉ばかりです。
たしかに、授業にいる同僚や先輩たちは、精神病だったり、どこか頭のネジが抜けていたり、家庭環境に問題があったり…世間に迎合できず、憎しみや哀しみを抱えている……そんな人ばかり。
穏やかに幸せに生きてきた私とは縁遠い人ばかりです。

とある精神状態で書いた作品が評価されたら、ずっとその状態を保たなくてはいけない……
幸せになってはいけない。そう考えたら、ぞっとしました。
でもやめたら、自分のアイデンティティが無くなってしまう。
特に取り柄のなかった私は、ほめられたことが嬉しくて、ずっとそれを拠り所に生きてきたくらいですので。
でも、一生自分の足りない部分を見つめ、世間に波紋を投げかけながら生きていくなんて私にはできません。やはり普通に幸せになりたいという気持ちが湧いてきてしまいました。
創作は趣味にとどめて、自分の好きな作品を楽しんで作りたいという気持ちが強くなってきたのです。
でも、世の中には真剣に命を削りながら作っている人も大勢います。そういう人からしたら、「魂を売った」「裏切り者」と言われているような気がして何も出来ません。

あまりにも特殊な悩みゆえに、周りに理解者もおらず、親にも理解してもらえず苦しんでいます。
でも苦しいです。ろくに生活もできないくらい思い悩んでおります。

創作に携わる方など、もし少しでも共感できる部分がある、という方はアドバイス等お願いしたいです。もう創作はやめるべきでしょうか……?

A 回答 (9件)

ハルキストです。

今、村上春樹の「職業としての小説家」という本を読んでいます。もうお読みになりましたか。そうでなければ是非購読されることをお勧めします。
ご存知かもしれませんが、村上春樹は30歳で小説家になり、それから30年以上も小説家を続けて、なおかつエネルギーを切らしていません。その理由がこの本に書かれています。

この本の中にこう書かれています。
「自堕落な生活を送り、家庭なんか顧みず、奥さんの着物を質に入れてお金を作り、あるときはお酒に溺れ、女に溺れ、とにかく好き放題のことをして、そのような破たんと混沌の中から文学を生みだす反社会的文士―そんなクラッシックな小説家像を、ひょっとして世間はいまだに心の中で期待しているのではないだろうか。」

もちろん彼はそのようなクラッシックな小説家ではありません。毎日朝4時に起きて5時間か6時間かけて小説を書き、そのあとジムに行って汗をながし、ジョギングをします。健康に気を配り、節制をし、体力を作り、健全な生活をしています。そうでなければ30年以上の長きにわたって小説を書くことはできないというのが彼の考え方です。

貴方は「人が救われたり、なんらかの救済がある作品が好きです。また救済はなくとも、人が幸せになる、なんらかの勇気を与える作品が書きたいと思っています。」と書かれています。私もそのような作品が好きです。あなたがそう思うのなら、そのような作品を書けばいいと思います。そんな作品は純文学ではないというのなら、純文学とはなんとつまらないものなのかと私は思います。

ところで、小説を書き始めると、最初に意図した方向とは違った方向にどんどん進んでいってしまうことがあります。あなたが小説を書いているのではなく、小説があなたを誘導している感じ?あなたが先生に褒められた小説は、そうやって書かれたものではありませんか。(違っていたら、この文は無視してください)もしそうなら、先生に褒められた作品を再現しようとするのではなく、また、自分の命を削りながらなどと無理なことを目指すのではなく、自分の筆を信じて書いてけばいいのじゃないでしょうか。ちなみに、村上春樹も「小説家は小説を創作しているのと同時に、小説によって自らをある部分、創作されている」と書いています。(「職業としての小説家」より)
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分かります。



純文学はとにかく死の匂いがしたり、
哀しくなる作品が評されます。読んでいて吐き気を催したことがあります。

が、質問者さまの仰る、
救いになる・勇気が出る小説というのは単純なぶん、
あまり心に残らないものです。スカッとし過ぎて灰汁がないです。



モチベーションは個人個人で違うのでしょうが、
小説は『文字でしか表現できない、
人の心の奥底にある欠片を掘り下げて書くもの』だと思います。


暗さからの希望などはどうでしょうか?
這い上がっていくような。



人の闇の部分が書けないならば、
趣味に留めておくべきかと思います。

書ける人は闇を客観視して、
決して『自分の中の闇』を書いているのではないと思います。プロなら尚更かと。

そして、単純な普通の幸せのみを〔幸せ〕だとは感じない人だけが書けるのでしょう。

どっか見方が変わってる人間が書いてますから。
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あなたの人生が面白ければ周りの人間があなたの存在を喰らって消費します。


あなたが成功すれば、今度はあなたが周りの人間を喰らって消費します。
おいしくいただいた、ということです。
創作を続けるには人間以外のところからエネルギーをもらうのがいいのではないでしょうか。
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人生における人間の価値観ってイロイロです。


例えば、イスラム教の信者たちは、「殉教すれば、天国行きだ。天国では酒池肉林で歓迎され、処女が抱ける」と信じている(騙されている)人たちも多いようです。
(女性のイスラム教テロリストはどう考えているのか?は、昔からの疑問です)

「この世はお金!」という価値観もあるし、「この世は不可解」と思って自殺しちゃう人もいますね。

私は理系ですが、いくらか質問者さんと同じようなこと考えていた時期がありました。
でも、幸福の科学で、大川総裁から文学のことを学んでからは、見方が変わりましたね。
一言でいえば、日本の文学で著名な人、あるいは作品中の登場人物は「人生の失敗者」が多いということです。
だから、多くの小説がバカバカしくなり、読めなくなってしまいました。

とはいえ、すばらしい文学作品もあることは事実でしょう。

TVドラマを見ても、暗いストーリもあれば、明るいストーリもあります。
「暗いストーリのほうが価値が高い」といった変な尺度で考えずに、創作にはげめばいいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

同じことを考えた経験がある、ということで非常に親近感を覚えました。
「人生の失敗者が多い」その通りですね。
そういう作品はあってよいと思いますが、そればっかりでは……ですね。

暗いストーリーが良いと思ってしまうのも、日本文学の呪縛だと思います。
もっと広い尺度でものを見られるよう、頑張りたいです。

お礼日時:2016/10/18 07:57

創作をしているだけあって、まとまりのある、読みやすい文章構成ですね。



質問とはいえ、ふむふむと読みふけりました。

評価されなくても自分が考える創作を続けてみたらどうですか?

私には文学のことはよくわかりませんが、小説というのはドラマチックなほうが読者を引きつけるというのは感覚的に腑に落ちます。

なぜなら、生まれた時から大金持ちが確約されていて、一生遊んで暮らしましたという物語では、小説として成り立ちにくいと思うからです。
波乱万丈の方が小説として成り立ちやすいですよね。

だから暗い部分もあるものが多いんじゃないかと。

私は文字を書くのが好きですが、書く時には、話の内容はわざと、ドラマチックに、あと、わざと比喩表現をねじ込んでみたり、あの部分とつなげるために、ここでこのキーワードを入れてみようとか、この言葉って奥行きあっていいなとか、そんなことを考えながら、読者がここで食いつくだろうなとか、結構戦略的に書いてます。
そうすると、書いていてワクワクするからです。

なんだか回答になってないですが、ご参考まで。

あ、文学の道諦めるべきではありませんよ。応援してます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お褒めいただきありがとうございました。嬉しいです。

回答者様は本当に楽しく創作をされているようで、まぶしく思えました。
どうかそのまま創作を続けていただきたいと切に思いました。
応援有り難うございます。どうか回答者さまも頑張ってください。

お礼日時:2016/10/18 07:54

乾坤一擲生活を投げ捨て、命を削って書くなんてものこそ趣味でしかないと思いません?疲弊して終わり。


書き続けてこそのライフワークであり、文筆家という職業でありプロフェッショナルです。継続は力なり。

そもそもその作風は「高尚」なのかな?社会から外れ身を窶すのは「外道」「低俗」であるのだけれど。
「高尚」ってのは、世俗から一段高見に昇華していなければならない。
純文学ってのがイマドキ流行らないのも、小説発生時のテーマの呪縛で後追いでしか書けていない古典だから。他の小説はもっとずっと革新している。

相談者さんの悩みって、ヒエラルキーの迷子になっている。どこに身を置くかが定まらないから作風が安定しない。
どこにいてもどんなときでもなんでもいくらでも書けるのが文豪なんじゃないかな?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
書き続けてこそ職業……よくわかります。でも、先生に再三「小説家は職業じゃない!生き方だ!」とのようなことを言われつづけてきたので、それがトラウマになっているのだと思います。先生だってそのお金で贅沢して生活しているはずなのに、おかしいですよね。

そうですね。苦悩を描けば高尚というのは安直ですよね。授業でそういうものばかりがもてはやされるので、考えが偏ってしまったのだと思います。
純文学は古典……なるほど。私も本当はエンタメ系志望だったのですが、先生がエンタメ系をバカにする人だったもので。でもやはり「純文学は高尚だ」という風潮は根強いですよね。どうしたものか。

ヒエラルキーの迷子、まさにその通りです。
認められないのが怖いから、批判が怖いから、とりあえず言うことを聞いておこう、高尚(と思う)場所に身を置こうという考えなんでしょうね……。こんな考えでは革新的なものなど生み出せないのに。

非常にわかりやすいご回答ありがとうございました。
文学関係の方でしょうか?

お礼日時:2016/10/18 07:51

充分貴方の文章は暗く感じます。

今の貴方でも書くことは出来るのではないでしょうか?
人生山あり谷ありです。明るい話を書きたければかけばいい。プレッシャーで今出来ないだけじゃないんですか?
鬱病ならば綺麗なものはより一層綺麗に見えるのか見えないのか。見えるものすらも変わるのではないですか?
視点を変えてみたら良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
プレッシャー、その通りです。失望されるのが非常に怖いんだと思います。

たしかに、失意に沈んでいる今は、好きなことをやっている人たちがことさらまぶしく思えます。
私もああいった頃に戻りたいと思いました。
明るい話を書けるようになりたいですね。

お礼日時:2016/10/18 07:42

小説ならフィクションでもイイ・・



だけど 人生はノンフィクション・・・

共感出来る筈が無い・・

あまり 小説に捉われない生き方をして下さい・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
中々共感しづらい悩みですよね。

お礼日時:2016/10/18 07:38

わ、

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