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1. イエスは ナザレの人たるヨセフとマリアとのコイトスによって
生まれた子であり ふつうの人間であると同時に 神の子でありみづか
らも神である。

2. 言いかえると マリアは 許婚のヨセフとの性交によってイエス
を身ごもり生んだと同時に 神なる聖霊によっても身ごもったと言われ
る。

3. イエスは 神の子でありみづからも神であるゆえに イエス・キ
リストと呼ばれるわけであるが その《人間であるイエスが キリスト
なる神である》というのは 大嘘でありひとつの物語である。

4. ただし この虚構によって 神は――世界のどんな名の神も 神
という神は そしてまたそこに《無い神》をもふくめて―― すでに要
らないと見なされるかたちで 揚棄された。

5. 《かみ》という言葉はまだ残っているので言うとすれば 世界の
神という神は いわゆる《普遍神》という高いところに揚げられ 個別
の神はその独自性や排他性がすべて棄てられた。

6. それぞれの神の名前は残っていてもかまわない。それぞれシルシ
である。

7. だから もう神を知れ・うやまえとか神を信じなさいとか・ある
いはまた神などはいないとか いや いるんだとか いちいちあらそう
こともなくなった。

8. 普遍神という理論上 そうであり それはユダヤの神を揚棄し外
に開いたイエスの指し示したことである。


いかに?

A 回答 (3件)

失礼します。

この問題は、ほぼたった一つの事に論点があるのだと思います。端的に言えば、要はマリアとヨセフとの間に、性行為があったか、という一点です。ここに、この問題の論点があります。しかしながら、もしも、当時、本当に神、ヤーヴェが存在していたならば、神は全能なのですから、マリアを精霊により身ごもらせる事も可能だった、ということではないでしょうか。全能なる神はいかなる業も可能なのですから。ここを、信じるかどうかは、哲学というよりむしろ宗教だと思います。                                                  ( bragelloneさんには、いつか、自殺の問題で、お褒めの言葉をいただきましたが、私は実に未熟な人間です。)
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この回答へのお礼

★ 神は全能なのですから、マリアを精霊により身ごもらせる事も
可能だった、ということではないでしょうか。
☆ ええ。物語としてですけれど そのように聖霊によってみもご
ったという一方の事態も むろん ふくめて言っています。

つまり それと同時に――まったく同時にです―― 人間どうしの
行為による妊娠もあった。

こういう見方になっています。

これが もっとも合理的で妥当な解釈ではないかと思っています。



自殺の問題でしたか。お名前は存じていましたが どの主題だった
かと思ってしまいました。すみません。



あぁ あとは そこから普遍神の理論へどうつなぐか? だと思っ
ています。


ご回答 たいへんありがとうございます。

お礼日時:2016/11/01 19:17

違います


突っ込みどころ多すぎて突っ込むのも面倒です
キリスト=普遍神なんて聞いたことが有りません
自分の解釈を前提にして論じても無意味です

とりあえず三位一体を理解して下さい
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この回答へのお礼

違っていません。

《十年一日》組ですか?

三位一体を言う前に訊きますが

キリストという言葉を あなたは聞いたことがあったんですか?

人びとの解釈を前提にして議論をしても それでは半人前でしょう。

真偽を問うということ。中身で回答するようにしましょう。

お礼日時:2016/11/01 14:25

たこに?

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この回答へのお礼

糸が切れていますか?

お礼日時:2016/11/01 14:21

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