江戸時代は、金貨・銀貨・銭貨の3種類が併用して流通していたのですね。円・ドル・ユーロが、国内で使われていたようなものです。短期間には、相互の勘算レ―トが決められたようですが。
質問は、なぜ、幕府は3者を一本化しなかったのですか?
(私は、次のように思っています。1.江戸では主に金貨が、大阪では主に銀貨が流通しており、統合が容易でなかった。2.上級の武士は金貨を、庶民は銭貨を使うように、階級・職種・物により、使う貨幣が異なっていたので、一本化する必要が薄かった、などを考えていますが、なぜ統合しなかったのでしょうか?)

A 回答 (2件)

「江戸時代 どうして三貨を統一しなかったのか」で



検索すると回答が出てきますよ。

数年前も、同じ質問が出されています。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
紹介して頂きました資料によると、統一は簡単にできるものではないのですね。それなら、自然に任せておこう、となったのですね。

お礼日時:2016/11/05 08:42

No.1です。



私も読んでみたのですが、なかなか「統一」となると

難しかったたみたいですね。

慶長8年、徳川家康は、お金の基準を基準通貨として定めました。

が、それでも両(10万円)、分(2万5千円)、朱(250文=6250円)

まででした。

それに反して大阪では重さを重視した銀を秀吉の頃から発行し

発展させる。

江戸幕府は「基準通貨の小判一両につき、銀は60匁で相当する」と

定めました。

また、家康は、もう一つ銭という単位も流通させました。

八百枚が束になった「八文差し」、二百枚が束になった「二文差し」

などがあります。

1両=4分=16朱=6匁
6匁=400疋(ぴき)=4000文
1文は、現在の価格で25円。
1匁=1666円
疋=250円


だいたい、こんな感じでしょうか?

parkさんは、既にご存知のことですね。

余計なことを失礼しました。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
いつの世でも、為政者の常として、貨幣ばかりでなく、統一を図りたかったと、と思います。しかし、笛吹けど踊らず、がありますから、難しいことに躊躇したのかな、同情もします。
説明して頂きましたように、簡明でない両~文の勘算を、(今の我々は、単純な10進法ですが)ものともせず、江戸時代の人は生活していたのでしょうね。

お礼日時:2016/11/05 16:26

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