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私は、「神 “に” 祈る」場合が、時々あります。たとえ、神 ”に” 彼の無事を祈ります。
ところで、「神 ”を” 祈る」ことはありません。
質問は、どういう場合に、「神 ”を” 祈る」ことがありますか?

A 回答 (10件)

おじさんです。


「どういう場合に、「神 ”を” 祈る」ことがありますか?」
→ご質問に書かれているように、神”を”祈るはありませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
現代では
<ありませんね。>
ですね。私だけが、聞いたことがないのかな、とも思っていました。

お礼日時:2016/11/21 21:24

No.9です。



「とはいえ、神社も、意に反して<営業活動>を考えねばならないのですね」
→そういうことでしょうね。
明治神宮や伊勢神宮などの大手を覗けば、小さな神社の経営は苦しいですからね。
神主が少しでも収入を得たいと考えることも理解してあげたいですね。
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この回答へのお礼

再三再四のご回答ありがとうございます。
地方では、氏子が減り、かつ関心が薄くなり、神主の後続者が不足し、神主はいくつかの神社を掛け持ちせざるを得ない、とか聞いたことがあります。世知辛い世の中になったものですね。

お礼日時:2016/11/25 20:32

No.8です。



「ところで、気になることが出てきました。神主は祝詞をあげます」
→そうですね。
「その祝詞には、神を称えたり感謝をするだけでなく、加護や利益を得ようと、神に依頼することが含まれています」
→本来は”加護や利益を得ようと、神に依頼することが含まれて”はいませんね。
もし仮に、そのような祝詞を述べていたとすれば、それは神主が地鎮祭などの営業活動の中でサービス精神で組み入れているのだと思います。
また、”神は、一般の参詣人の願いには耳をかさないが、神主の願いは聞き届ける、と思われますが、どうでしょうか?”ということはありませんね。
何故ならば、神社にはそもそもそのような教えはないからです。
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございます。
<本来は”加護や利益を得ようと、神に依頼することが含まれて”はいません>
なのですね。とはいえ、神社も、意に反して
<営業活動>
を考えねばならないのですね。

お礼日時:2016/11/24 09:04

No.7です。



私は地元神社の総代をしているのですが、神社に”願いごと”をする参拝者がとても多いように感じています。
もちろん、”願いごと”をすることが悪いわけではないのですが、実は”願いごと”をしても神様は叶えてはくれません。
といいますのは、神社は願いごとを叶えてあげるところではないからです。
例えば、勉強もしていないのに受験合格を毎日祈願しても合格するはずはありません。

では、神社は何のためにあるのか、それは”自然に対する畏敬の念”を祈るためなのです。
山や土の実り、海や川からの獲物で人間は生きています。
自然界から、その栄養源を与えていただいたことに感謝することが原点です。

その後、人間の様々な試練を乗り越えるために参拝するようになりました。
その場合でも、願いごとをするのではなく、自らが試練を乗り越える勇気を生み出すためです。
決して、神様から与えてもらうためではありません。
全て自分を奮起するためなのです。
そのために、心が落ち着くように鎮守の森にしているのです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<実は”願いごと”をしても神様は叶えてはくれません。>
なのですね。
ところで、気になることが出てきました。
神主は祝詞をあげます。その祝詞には、神を称えたり感謝をするだけでなく、加護や利益を得ようと、神に依頼することが含まれています。したがって、神は、一般の参詣人の願いには耳をかさないが、神主の願いは聞き届ける、と思われますが、どうでしょうか?

お礼日時:2016/11/22 17:34

と言うわけで、天災を恐れたり逆に収穫を喜んだりする感情を向ける先が、超人間的なものだったろうということは想像できます。


仏教やキリスト教の渡来以前、その理屈・教義に晒される以前、人格的な神仏に恩恵を依頼する以前には、こうした自然の力の前にただ畏怖、ただ感謝だったのでしょう。

ご提起の「神に祈る」「神を祈る」どちらにしても「神」と言う用語を使ったトタンに、日本原初の感情はインドヨーロッパ語族のチマチマと理性的に積み上げられた教義にまみれざるを得ませんね。
上述の通り「祈る」もピッタリきません。

「に」も「を」もどちらも不純で好きにはなれません。また、そういう形で、つまり「に」や「を」などに拘って、結局無意味な区別をして何になるのか、結局それは冒涜することであって、そんな嘘っぽい刃で日本の精神に切り込まないでほしい、と言う気持だけが残ります。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
原初の日本人は、仏教の渡来以前
<自然の力の前にただ畏怖、ただ感謝だったのでしょう。>
のですね。
<日本原初の感情はインドヨーロッパ語族のチマチマと理性的に積み上げられた教義にまみれざるを得ませんね。>
のですね。

お礼日時:2016/11/19 09:16
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
紹介して頂いた資料によると、昔は、“神に祈る”でなく、“神を祈る”が使われていたのですね。“神を祈る”とは、神を感謝する、という意味なのですね。感謝することにより、神の加護を頂く、となるのですね。今の世では、神を感謝することはなく、困った時に神に何々をして下さい、と唱えるばかりなのでしょうね。

お礼日時:2016/11/18 16:40

自分の知識を生かす場所がないから、「goo」にはまってるんだろう。



ヒマでいいな。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2016/11/16 08:26

あんた、社会人として通用してないでしょう。



だから『教えてgoo』に熱入れているんでしょう。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2016/11/16 08:26

全く、コミュニュケーション力が欠如しているな。



くだらない。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2016/11/15 20:57

なーに言ってんだか。




あほ。
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この回答へのお礼

分りずらいかな。

お礼日時:2016/11/15 19:46

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