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犯罪者以外にも、社会に不要な人間は沢山存在します。
その中には、自らの死を望む人すらいます。

そういった人を殺害して、遺体を処分する事に関して批判や否定的な意見があるのは何故でしょうか?

大阪の泉州で自殺サイトに応募した人を殺害して、死刑判決を受けた事件がありました。
私は殺人を行った人を批判したり、否定したり、等の考えが理解できません。

教えてください。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    「死刑の判決を受けていない人間を殺害するのは悪」だとしたら、どうして強姦や性犯罪の犯罪者、子供を虐待死させた人間、自殺に追い込むまで虐めた加害者に対して、殺意を向けたり、危害を加えることを賞賛するのでしょうか?

    特に、強姦などは喧嘩で人を殴ってしまった程度の軽い犯罪なのに、殺意を向けたり、危害を加えることを仄めかす人は沢山います。被害者が自殺しようが、男性恐怖症で外に出られなくなろうが、それと加害者は関係ありません。

    彼らも社会に必要な存在であり、幸福な人生を生きる権利があると考えますか?

      補足日時:2016/11/21 03:30
  • 私は否定的な意見が多い事柄に対して、なぜ否定されるのかが理解できないから質問しているだけなのに。

    どうして、私に殺人願望があると思われるのでしょうか?

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/21 04:07
  • うーん・・・

    しかし、ネット空間と言え、他人を道徳観のない人間と罵ることは如何なものでしょうか。
    私は非常に寛大な心を持っていますが、狭い人もいますから、今後は改められたほうが良いですよ。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/24 23:17
  • どう思う?

    歴史上で悪人と知られる人物を殺害して、悲劇を止めることが肯定されるなら。
    彼らが出現する前に、彼らを待望する状況を生み出さなくすることは、肯定されますか?

    というのも、ヒトラーを殺害しようが、スターリンや毛沢東を殺害しても、当時の人々や社会が同じような人間を欲し、悲劇は行われると私は考えているからです。

    例えば、近衛文麿を生まれなくするために、維新の英雄や無血開城に尽力した幕閣を暗殺すれば、日本は内戦状態となり、結果として欧米列強の侵略を受け、大日本帝国は存在しなくなります。
    ヒトラーやスターリンを生まれなくするために、ペストが流行中のヨーロッパに更にHIVやエボラ出血熱といった感染症を流行らせば、欧米列強による帝国主義の時代はなくなるでしょう。

    仮に可能だったら、これらの行為は肯定されるでしょうか?

    No.41の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/29 21:40

A 回答 (53件中1~10件)

>悪の定義は何でも構いません。

その時の社会情勢によって悪は変わります。今はオタクが悪となっています。
>私の排斥理由は、悪と決め付けられた存在が排斥される理由を、自分が納得する形で理由付けからです。他者が受け入れなくても、私が納得するための理由です。
>その理由が、情けないでも、子供染みているでも、不快でも、何でも良いです。自分が納得する形であれば。

幾つかの点であなたを誤解していました。まずはその点を謝らなければなりません。社会通念云々を私は論点としていましたが、そこにずれがあった訳です。

あなたの価値観は、世間一般で言うところの社会通念とは著しくずれがあることは、まず理解して下さい。そして、あなたの社会通念は自身の価値観が最大かつ最優先で、これはともすれば社会性の無さの現われではありますが、社会通念との接点を「法」に置いていることは、ある反面素晴らしいことです。これが分かったとき、確かにあなたは法をわざわざ犯すことはないだろうと納得しました。

一般的な自然人は、法のあるところ、つまり罪刑法定主義を意識しません。「人を殺すと死刑になるよ」というぐらいの漠然さが精々でしょう。あなたには信じられないことかもしれませんが、一般人は法の一番下層にある「常識を集めて記述している」ということを感じ取っています。それを逸脱したときの罰が法に規定されているのですが、普通は意識はしません。あなたと似た、でも全く違うタイプに「法なんて知ったことか」という者もいます。罰のレベルに興味がなく、モラルにも興味の無い者達です。あなたの場合は、モラルや通念には興味がないのかもしれません。それよりも自身の価値観が優先される、だけど法には罰が規定されている通り、それを以って社会的に悪が決められていることを知っている、と私は感じました。

では、法にないレベルの社会規範の逸脱はありうるか、というところが興味のあるところです。直接手を出さないハラスメントに含まれる行動です。これについては、あなたの行動パターンが判断しかねるところですが、そこまでのリスクは犯さないだろうと想像します。ただし、善きサマリア人の法は全く期待できないでしょう。一種の自閉症的傾向はあるように思えます。

>なぜ、このよう考えを行うか?。それは社会から悪を一掃すれば、人々は健全になるからです。

独善的ではありますが、行動に起こさなければ問題ありません。口にしなければ、人格を攻撃されることもないでしょう。

>思いに応えるというのは、私が行えることではありません。
>本文に明記された行動は、相手なしで行うことはできません。

カウンターを打ってみたのですが、理想的な反応です。自他や空間、時間感覚は普通以上に明晰と感じます。

>そうです。私の脳内の常識です。
>前述した通り、悪を悪行によって排斥したとしても、それを見過ごすためには納得する理由が必要です。

答えは出たのではないでしょうか。社会的道徳価値観とは乖離はあるものの、それを自覚している。その溝は埋める気はないが、溝は存在するし、その幅も少しは見えた、そんなところかと思います。

個人的感想としては、「通念の乖離があったとしても、馬鹿だったらそれをそのせいにできるから、もっと楽だったのに」と思えてなりません。
勘違いしないで欲しいのですが、あなたを馬鹿だとは思いません。恐らく平均を超える反応がある、少しか、かなり頭の良い部類だと思います。「考えすぎだ」と諭されたこともあるでしょう。でも、馬鹿であれば後先考えない行動に移すはずです。ただし、社会一般通念とはずれたところも多々あるのですから、それは自覚し、改めなくとも良いですから誤解を受ける言動、行動は隠しておいた方が得だろうと思います。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

「善きサマリア人の法」の「無償の善意に対して見返りを求めてはいけない」という考え方は理解できますが、それを肯定することはありません。

お礼日時:2016/12/04 12:08

>>回答、ありがとうございます。


そうですね。

とぼけた方だ。嫌いではないがね 笑
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この回答へのお礼

回答、ありがとうござます。

お礼日時:2017/01/05 09:42

#50 のつづき


>>尊重します。
しかし、それは私が尊重するだけであり、他者が尊重する、しないかは別です。

他の者はともかく、あなたは法を尊重し、法に基づかない処罰をすべきでない、というお考えなのだとしたら、「社会に不要な人間は沢山存在します。その中には、自らの死を望む人すらいます。[...] そういった人を殺害して、遺体を処分する事に関して批判や否定的な意見があるのは何故でしょうか?」という問にに対してあなたはすでに答えをお持ちのはずだ。 君は回答を用意している問題について質問をしているのかね?
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

そうですね。

お礼日時:2016/12/05 23:27

人を殺す事は最悪の行いだと思うよ。


それはダメだ。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうござます。

お礼日時:2017/01/05 09:42

>>私は「法が間違っていたとしても、法に従う必要がある」という考えです。


人が作る法ですから、誤っていることは多々あります。しかし、それでも法が社会を作っているのですから、それを守らなければなりません。

ふむ。では、「法」は尊重されるべき、との考えですね。少なくとも、「俺/私は、この法律は犯しいと思う。だから守らなくていい」という考えではないようす。

 ところで、日本国憲法31条は「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命もしくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」としています。これは簡単にいうと、①法を犯さない限り処罰されることはないし、②処罰の内容も法で定めたものに限定される、というものです(いわゆる罪刑法定主義)。あなたは「法」を尊重するはずだから、当前この①②の原則を尊重するはずです。したがって、「法は犯していないが、社会から不要、又はキモい・不愉快、と思われる者を処罰することは許されない」、そう考えるはずですね?
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

尊重します。
しかし、それは私が尊重するだけであり、他者が尊重する、しないかは別です。

お礼日時:2016/12/04 18:19

社会より自分が大事でしょう…。


人間も生物なんだから…。

好きな事をすればいい。

そのために世界は存在するんじゃないの?

お互いを邪魔しないようにするための「法」。私は そう考えます。

「法」や「常識」なんて流行でしょ?
違うかな…。

自分が要らないなら死んだらいい。
死ねばゼロになるし なやまなくてもいい…。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうござます。

お礼日時:2017/01/05 09:42

>>その通りです。


法を破ることは社会を壊す行為です。そして、不要な存在が跋扈すれば、社会は衰退します。

でもあなたの本心は、 本当は「法」が間違っていて、「法には従う必要がない」、そうお考えではありませんか?
それとも本当に「法は尊重されるべき」、と考えているのですか?
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

私は「法が間違っていたとしても、法に従う必要がある」という考えです。
人が作る法ですから、誤っていることは多々あります。しかし、それでも法が社会を作っているのですから、それを守らなければなりません。

お礼日時:2016/12/04 16:40

回答に対していろいろと疑問を頂きました。



先ず回答41に対する補足について。

わたしの回答は単純に「社会に害をなすと見做されるものを殺すことは批判されるべきことなのか?」という問いについて、「例外がある」という答えでした。つまり「殺害」という一点について、「殺すより他に方法がない」という存在がいるのではないか?という考えです。無論厳密にいえば、総統ヒトラー一人を殺しても、その一味全体を排除しない限り新たなヒトラーは現れます。また仰るように、「時代がヒトラー的存在(精神)を生んだ」ということも言えるでしょう。でもそれをいうなら、どこまで時間・歴史を遡って修正すればいいのか?という迷路に迷い込むことになります。極論すればそもそも人類の誕生自体を否定しなければならなくなります。無論それはそれでもいいのですけれど。

回答41に対するお礼欄について

>「排除は許されない」という考えなのですか。

単に犯罪者を自分の、或いは世間の「目の前から」消してしまうだけでは、それこそ、その土壌は温存されたままです。
言い古されたことですが、ひとつの犯罪の影に隠された要因・動機、その犯罪が生起した根元を掘り起こす作業を地道に続けていかない限り、犯罪は減ることはないと考えています。排除=「臭いものには蓋」で、目の前からいなくなればいい、「やった奴が消えればいい」それが正に「次にやる奴」を生む土壌になるのです。

>死刑は反対なのに、虐殺の指導者や戦争犯罪者を殺すことは賛成だという理由は何でしょうか?

為政者は彼(彼ら)自身が「法」に成り得ます。彼らが「ルール」に成り得ます。つまり彼らはある意味で「法」の外側に身を置いている存在と見做されます。そして彼らは時代と社会を作り出します。それに対し、人は自らの生存権を守る権利を有すると考えるからです。「法の外側」に身を置くものは時に命を落とすことも覚悟しなければなりません。

一方でテロリストであろうと殺人者であろうと、彼らはいわば「時代と社会が生みだした鬼子」だと考えます。
社会性と時代性が犯罪を生むのであれば、ある社会性や時代精神を生み出している為政者たちとは対極にいる存在と見做され得るからです。

回答42に対するお礼欄について

>人類という種の存続にとって、脅威となる存在であっても、存在は許すべきなのでしょうか。

それは上記で否定しています。

>オタクやロリコンはヘイトスピーチに含まれません。これは日本だけでなく、国際的な定義です。

>日本ではLGBTに対して「少し足りない可愛そうな人」、「国家の敵」、などと称しても、ヘイトスピーチではなく、罵倒になります。これは、与党のヘイトスピーチ対策の責任者が保障しています。

仮に「罵倒」は「ヘイトスピーチ」ではないといったとろでどう違うのでしょうか。

社会的弱者、LGBTなど社会的マイノリティーを差別し排除=Hateする表現はどのように呼称を違えてみたところで「嫌悪と憎悪」に満ちた言説が許されていいはずはありません。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

>犯罪が生起した根元を掘り起こす作業を地道に続けていかない限り、犯罪は減ることはないと考えています。
そうなると、小児性愛や強姦願望は人間の遺伝子に起因するモノだと言われていますから、それらを減らせるために遺伝子の保有者を半永久的な拘束、もしくは殺害以外に犯罪を減らせる方法はなくなります。

>社会的弱者、LGBTなど社会的マイノリティーを差別し排除=Hateする表現はどのように呼称を違えてみたところで「嫌悪と憎悪」に満ちた言説が許されていいはずはありません。
それは、個人の価値観で変わりますから。

お礼日時:2016/12/04 12:27

>>意思に反しても、社会は壊れません。


また、社会から不要と判断された者が消え去っても、社会は壊れません。

酔っ払っているという点を否定して欲しかったのですが(笑) 
まあ、その点はさて置き、社会の意思に反する行為であっても「法」を犯さなければ社会は壊れない、だからあなたの自殺の試みは、社会の意思には反するが「法」は犯していないため許される。そうお考えなのですね?
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

酔っている事を否定すれば、「不要な存在である私が生きることを望む」ことになります。

その通りです。
法を破ることは社会を壊す行為です。そして、不要な存在が跋扈すれば、社会は衰退します。

お礼日時:2016/12/04 12:12

>>自己の命よりも社会を大切に考えているのに、自らの手で社会は壊せません。



 だとしたらなおさらよくわからない。失礼ですが酔っ払っているのでしょうか?
というのも、あなたが自分の命より大切だという社会は少なくとも自殺を賞賛すべきことと考えていないし、むしろ積極的に「防止」すべきことと考えている。ところがその「社会」の意思に反してあなたは何度も自殺を試みている。つまり、一方で社会は自分の命より大切だと言っておきながら、他方でその社会の意思と反することを何度もする、一体どういうことですか?
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

意思に反しても、社会は壊れません。
また、社会から不要と判断された者が消え去っても、社会は壊れません。

しかし、法を破る行為は社会を怖します。

お礼日時:2016/11/30 00:20
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