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人間が死んだらどうなるのですか。
科学的
学問
心理学
宗教 仏教、キリスト教、イスラム教
など
どの立場でもよいです。教えてください。

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A 回答 (13件中1~10件)

仏教の立場から回答します。



不死の法門
釈尊が悟りを開かれた後、すぐには説法を始められませんでした。なぜなら、釈尊が悟られたことは世間一般の常識とはあまりにもかけ離れていて、誰も信じないだろうと思われたからです。しかし、生老病死に苦しむ人々を救済するには仏法を布教する以外に方法はないと判断され、布教を始められました。そして「不死の法門は開かれた」と宣言されました。

輪廻転生の否定
不死というと魂が死後の世界を生きたり、輪廻転生することを思い浮かべるかもしれませんが、そうではないのです。釈尊は悟りを開き真理を知ると輪廻の輪から解脱(げだつ)すると説かれました。解りやすく言うと死後の世界も輪廻転生もありませんということです。

諸法無我
では不死とはどういうことか?
答えは諸法無我、解りやすく言うと「私はいない」ということです。私がいないのだから死もあるはずが無いのです。
諸法無我について、あらゆるものは相互に依存し合って存在しているから独立して存在する「我」は無いといった説明をよく見かけます。確かに相互に依存はしています。しかし、仏教の真理はそのような頭で考えたことではないのです。むしろ、頭で考えた「思いの世界」から抜け出して「ありのままの世界」を実際に体験した中にしか真理は無いのです。
瞬間瞬間の体験をよく観察すると私に関しては手の感覚があっただけだとか、足の感覚があっただけといったように断片的な体験しか無いはずです。この断片的な感覚を寄せ集めて、頭の中で私がいると妄想しているのです。つまり、真理は私は「思いの世界」にいるだけで実際にはいなくて、ただ体の断片的な感覚があるだけなのです。禅で無我の境地を目指して修行するのも私はいないからです。

空(くう)
私はいないと言われても、ではこの体は何だ? といった疑問が生じると思います。
その答えは般若心経に「色即是空 空即是色」と書いてあります。これは「肉体は実体ではなく、実体のないものを肉体であるかのように見ているのです」という意味です。空というのは実体ではないという意味です。
あらゆるものは実体ではないのに、なぜ私達の目には人や動物やいろいろな物が見えるのか?
これは、私達が人間特有の認識パターンでものを見ているからなんです。生まれたばかりの赤ん坊は一切の偏見的認識パターンを持っていませんが、大人達があなたは人であり、○○ちゃんという名前だよとか、生き物と生き物でないものがあるとか教えるわけです。これが人間特有の認識パターンです。つまり、生き物と生き物でないものを分別する心があたかも生き物がいるかのような妄想を生み、空間と物を分別する心が物が存在するかのような妄想を生むのです。般若心経の説く空の世界では私はいないし、生き物もいないし、物もありません。あるのは今この瞬間の全体だけです。
なぜ今この瞬間なのか?
答えは、過去は人の記憶という「思いの世界」の中にしか無いからです。未来もこうなるだろうという人の想像した「思いの世界」にしかないからです。
真理の世界である「ありのままの世界」には過去も未来もありません。

唯識
私はいないし、物も無く、今この瞬間の全体だけの世界とは何か?
仏教ではただ識だけがあると説きます。識とは眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識(まなしき)・阿頼耶識(あらやしき)の八つです。眼識から意識までの六つが私達が普通に意識と思っているものです。末那識と阿頼耶識が潜在意識です。末那識とは我執(我があると思い込み、その我にこだわること)のことです。阿頼耶識とは行為の影響(種子)が溜まる識であり、認識は溜まった種子の影響を受けます。
要するに、この世とは実体があるわけではなく、ただ心があるだけということです。
映画館で映画を見ているようなものです。そこにドラマが展開しているように見えますが、実体は何も無くあるのはスクリーンだけです。このスクリーンが識にあたります。ただ識だけがあるという意味で唯識と言います。
道元禅師は悟りとは月が池に映っているようなものだとおっしゃいました。

悟りに至る道
悟りに至るには正念と正定が特に重要で、必ず両方を実践する必要があります。

正念
正念とは八正道の正念です。
正念の原語はsamma-sati と言って、サティ とは気づくという意味です。何に気がつくのかというと今この瞬間の自分に気づくということです。そして、思慮分別や価値判断を交えずにただ気づくことが大事です。
今はやりのマインドフルネスも正念の瞑想です。
禅では動中に正念の工夫をせよと教えられ、最終的には正念の相続一貫といって朝起きてから夜寝るまでずっと正念の状態でいることを求められます。
やり方は簡単です。まず呼吸に意識を向けます。呼吸はコントロールする必要はありません。普通の呼吸を意識して下さい。後は、雑念を払って今やっていることに集中するだけです。
これを最初は1時間とか短時間でもいいですが、最終的には1日中マインドフルな状態を維持します。

正定
正定とは八正道の正定です。
坐禅をして集中力を高め、三昧の境地に達することである。三昧境に入ると人間特有の偏見的認識パターンから抜け出すことができ、真理の世界を体験することができます。これを見性体験といい、この体験によってのみ悟りは開けます。
坐禅は絶対に1日も欠かさずに毎日必ず最低でも45分以上することが要求されます。
臨済禅では効率よく三昧に入るために公案という問題をもちいます。

更に詳しく学びたい方は、悟りについてと悟りに至る方法についてを小説にしましたのでご参照下さい。
http://ncode.syosetu.com/n8482cu/
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ブッダ伝「なんともいえない」


┓(゚~゚)┏
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仏教→輪廻。

あるいは地獄イキか極楽イキか。嘘つくと閻魔様に舌を抜かれる。
キリスト、イスラム→最後の裁きの日に死んだ人も召喚されて裁きを受ける。死んでからそれまでどうなってるかは不明。
神道→パラレルワールド。死後の世界も現世と同じで、死んだ人はそこで暮らしている。あるいはご先祖様になって子孫を見守っている。
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世の中はフラクタルな存在である。


フラクタルとは何か。
簡単に説明するならブロッコリーのことだ。
ブロッコリーは、その一部分を切り取ると、切り取る前と同じ形の縮小サイズとなる。さらにそこから一部分を切り取っても同じである。
もう少し科学的な分野に足を踏み出そう。中性子や陽子で出来た原子核の周りには電子がまわっていて、原子を構成している。地球の周りには月が回っている。太陽の周りには地球やその他の惑星が回っている。太陽系はまた何かを中心として回っていて銀河を構成している。
このように、何かの形が小さい領域から大きい領域まで連続している様子をフラクタルといい、宇宙を見てみるとこの世はフラクタルな存在であることが想像できる。

さて、次は次元を理解しなくてはならない。
0次元とは点のことである。
1次元はベクトルが一つできて線になる。
2次元とは二つのベクトルで表されるので、縦と横の概念ができ、平面となる。
3次元はもう一つの方向にベクトルができ、縦、横、高さという立体になる。
4次元は時間軸というベクトルができ、我々が生きている世界である時空となる。
これも、自然科学的に考えるなら5次元、6次元と続いていくだろうことは想像できる。
恐らく、5次元とは時空が複数存在する世界であろう。あなたが今、右手を上げた時空と右手を上げなかった時空というように、この世界の物体の動きの選択肢分だけ、別の時空が存在しているのだ。
6次元に至っては、複数の時空が更にどのように多様化するのか、もはや人間には認知できないだろう。

我々人間は立体の存在で時間の中を生きている。つまり、4次元の存在なのだ。
4次元の存在は3次元以下をコントロールできる。
つまり、立体の形を変えることができるのだ。子供が砂場で山を作って崩すことができるように。
しかし、4次元の存在は同一次元である時間をコントロールすることはできない。時間を巻き戻したり、未来に行ったりはできないということだ。相対性理論でいうと、光の速さを越えれば時間は巻き戻されるとのことだが、光は相対的な速度で存在する可能性があるあると共に、巻き戻された時点で今の自分はいなくなる。やはり、コントロール外ということだ。
また、4次元の存在である我々は5次元の世界を、つまり時空が複数存在するということで想像はできても、自分が存在している時空以外の時空を認知することはできない。時空間を移動できないということだ。
そこには、死んでしまったあなたの大切なひとが生きている世界がある。
全ての可能性が無限に続くのだから。
でも、この世界とは別物なわけで、我々とは関係ない。
願わくば、そちらの世界ではあなたの大切なひとが幸せに生きていてほしいと願うばかりであるが、恐らく、無数に時空が存在するわけだから、幸せに過ごしている時空も存在するだろう。

思考を研ぎ澄ませよう。自らの次元より下位の次元を動かせるという法則を適用すると、6次元の存在は5次元を動かせる。つまり、複数の時空間で何かを動かすことができるのだ。霊が現れるのは科学的にある意味正しい。6次元の存在が別の時空からこの世界にないものを連れてくることは理論上十分に可能なのだ。
少し戻るが、5次元の存在は現在過去未来を行き来する。つまり、様々な選択肢を作り出すことによって、新たな時空を作り出すことができるのだが、今我々がいる時空は変わらない。そういう意味で神ではないが、未来に行くことで、予言はできる。神の子にはなれるわけだ。
しかし、6次元の存在は我々の生きているこの世に別の時空から何かを動かしてくることができる。これは、我々からすると神以外の何者でもない。
そして、6次元を構成する新しいベクトルは、人智を超えた概念である。
縦、横、高さ、時間、時空の枝分かれ、その次にある概念とはなんだろう。
恐らく、あの世や天国という世界は、このベクトルによって構成されており、人間には認知することができない。

あなたは神を信じますか?
科学的に合理性を持って答えるなら、当然にイエスである。
そして、6次元以上の存在である神は5次元の存在である神の子を我々の世界に遣わせた。
イエスキリストその人に他ならない。
イエスキリストは予言をあて、生き返った。
未来に移動できるからであり、神の子として神という存在を知覚できるのは我々より上の次元である5次元の存在であったからであろう。
他にも、神の子として遣わされた存在はいるかもしれない。一人である理由がないからだ。
様々な宗教が預言者の出現によって成立しているのはこのためかもしれない。
教えや教訓が違うのも当然である。
我々は、自らが信じる神の教えを守り、死後の世界の準備をしなければならない。
恐らく、6次元を構成するベクトルは、物体という実在を超えた精神世界の連続性で構成されているのだろう。我々のような非力な存在にとって、実在以外の存在は、そう表現することしかできない。
子供を愛する親の想い、大切な人を愛する気持ち、困っている人を慈しむ感情。
こういった精神世界が実在から離れて行き来する世界。
これを天国と呼ぶならば、私たちは人を愛し、慈しむ気持ちを常に持ち続けることで、死後の世界に精神的に愛を持って存在し続け、大切な人達と関わり続けることができるだろう。
これが天国と呼ばれる世界なのだ。
反対に、人を憎み、妬む精神の世界は地獄である。

そう、汝の隣人を愛せよ。
常に良き心の状態を保ち、その気持ちを周囲に表現し続けること。
これこそが、我々が天国に行くために、生きている間に大切にすべき唯一の事柄なのである。
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仏教は古代インドのバラモン教から発展したものです。

したがってその経典はサンスクリット語で書かれており、中国にわたってその音を漢字に当てたものが日本に伝わっているのです。そのため南無阿弥陀仏と唱える文語にその漢字の意味はまったく関係していません。古代インドには、人間(生物)はその生涯の終わりに「死ぬ」のではなく、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六つの世界)を永遠に巡る(輪廻する)ものだと考えられていました。「永遠の生」を古代インド人は「苦しみ」と捉え、その苦しみから脱する(解脱する)方法を求めたのです。
釈迦は初め苦行によって、それを求めようとしたが、その考え方が間違っていることに気付き、とある木の下で悟りを開きました。その木は「菩提樹」と呼ばれています。菩提は古代サンスクリット語(梵語)で悟りの意味で、それに漢字の音を当てはめたものです。
仏教にいう人間の苦しみとは「生(生きること)」「老(老いること)」「病」「死」という人間の四大苦痛を指しており、これに「愛別離苦(愛するものと分かれる苦しみ)」「怨憎会苦(敵と遭遇する苦しみ)」「求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)」「五陰盛苦(あらゆる感覚〈五陰〉から受ける苦しみ)」の四つをプラスして四苦八苦と称しています。この苦しみからどうやって脱するか。釈迦によれば、そういう苦が生じるのは、もともと万物は無常であるのに、これを永遠・絶対のものと錯覚するからなのだとしました。無常とはこの世に常なる(永遠に不変)なものは何も無いという意味です。そういうものがあると思うから人は苦しむのだというのが釈迦の教えなのです。そういう「誤解」への執着を捨てた状態、欲望の燃え盛る炎が消えた状態を「涅槃」と呼びました。それだけでなく釈迦は、そういうことを考えている自身も「無」だとしたのです。つまり「無我」、「我(個性の根源)」の存在自体をも疑ったのです。
要するにこの世の全ての事物・現象は「空(実体がない)」だとしたのです。『般若心経』にいうところの「色即是空、空即是色」(この世の一切の物質的存在は空〈実体がない〉であり、実体がないものこそ物質的存在〈色〉なのだ)なのです。
こうして釈迦はその心理を悟り仏陀となったのです。仏陀と言うのは古代サンスクリット語の漢字音訳(当て字)で意味は覚者〈悟りを開いた者)の意を表しています。
こうして釈迦は悟りを開き、仏陀となって解脱に成功したのですが、では我々はいったいどうすれば解脱できるのかは、実は釈迦はその具体的方法をほとんど教えてくれてはいないのです。
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男性器と女性器は蛇です


その証拠に
人には爬虫類脳が有ります
色がある世界を見ているのも
記憶やイメージができるのも
爬虫類脳のおかげです
目はコブラを横にした
デザインと一致します

男性器は蛇
女性器は蛇の口の中

脳味噌は雄の蛇と雌の蛇が
絡み合う交尾の形
背骨から骨盤にかけての
骨は蛇の骨と同じ
肋骨もコブラと同じ
人の手足も蛇になる
歯茎と歯は蛇の鱗になります

宇宙にあるもの全ては
黄金比で出来てます
卵です守られているんです
銀河という蛇に
偽りの世界を見せられてると
言っても過言ではない

蛇はどのように子供を
産みますか?
卵を産みますよね

人の身体は魂が
宿っているんですよ

身体は殻なのだ
へー、びっくり

蛇のように賢く
ハトのように素直であれ

我々、人間の足の隙間は
景色と思い込んで
しまいがちだが
実を言うと自分達の
体の一部なのさ
それを忘れて
生きてる者達がいる

これしか答えはないんだよ
これを馬鹿げてると
言ってる者達は
善悪の知識の木の実を
食べて(偽りの洗脳教育)
育っているから本来の自分を忘れてしまっている
認めないのは疑いからくる
疑いは蛇の観察力が
足りないから
爬虫類脳で馬鹿げている
もしくは己自身が
蛇であるから正体を
知られる事を恐れて
陰に隠れる蛇的衝動だね

命の木の実に
真実の答えがある

十字架に人と書き木となる
脳を逆さにした
シルエットは
何に見えるかな?
トリックアートの様なものさ

これだけは言ってあげる
死んだら終わり
なんてないのさ

人は蛇なんだよ
だから蛇のように
人に手をあげたり
人の生き方を
爬虫類脳蛇の都合で縛り付け
人を困らせる事は
いけない事なんだと
己の哀れさを知り
お許しくださいと
生きる事ができたら
受け入れてもらえるだろうね

天と地があり
その中間に生きる
すべての生き物たちは
平和に暮らす答えがある
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死んだ経験がないので実際のところは分かりませんが、亡くなった身内の中で過去の記憶を携えたまま生まれ変わった人が居ないところをみると、一生は一度きりだということでしょう。

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輪廻の否定をします。


地球上の人間とアリの重さが同じ。
では命の数は?
クジラの命。ノミの命。
おおきさは?
前世がアリで人に生まれ変わるなんてないのです。
命を構成しているものを素粒子と考えます。
一旦その構成が解けてまた別の素粒子同士が組み合わされ
また別の命となるのでしょう。
永遠に偶然重なった素粒子達の組み合わせ。
命は全てが一度きりだから素晴らしいのですね?
命は消えてなくなり、また違う命を違う組み合わせで生まれて来る。
これが現実です。
はじまりあって、終わりがある 死とは、皆に同じに訪れます。なのでそんなに恐ろしいものではありません。
心をやんでいたりしていられません。
大事に生きましょう。
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人間死んだら、灰になり骨になる、土になり骨になる。

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死んだら、死体になる。


周囲が何もしなければ、腐乱してバクテリアに食われ
やがては白骨化するだけです。

人間が持っている情報と言う観点では、どうですかね。
思考する部分(脳)を生かし続けられなければ
当人の意識は消滅し「死んだらどうなるのか?」という疑問も同時に消える。
何もなくなるので、当人にとって解はありません。
存在が消えるのみ。

死んだ後ならそれでもいいけど、死ぬ前から「消えるのみ」ではやるせない。
それで社会に名を残したいとか、死後の世界はどうなのかとか、の思想になる。

思想という分野に基づく宗教観は、宗教の数だけありますから割愛しますが
それらのすべてが、
死後の為にあるのではなく、
死後を想って悩む今の為にある、という事をお忘れなく。
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