アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

(前置き)
もう早いもので、あと数日もしないうちに2016年の年末を迎えることとなりました。年末の風物詩といえば、クリスマス、酉の市、デパートの大売出し、大掃除がありますが、なんと言ってもはずせないのが年越し蕎麦でしょう。
年越し蕎麦がはずせないのは「長い」ので「縁起」がいいからです

「細くて長い」蕎麦は「細く長く達者に暮らせることを願う」に通じ、縁起がよろしいという話があります。


そんなことをつぶやいてみると、「なんでい、それなら横浜中華街の東新飯店のチャーシューメンなら、太いし具もいっぱいでチャーハンと漬物もついてくるから、よっぽど縁起がいいやい」とか「俺は太くて短いのが好きなのでうどんのほうがいいや」なんて言い出す若い者も出てくる始末です。

どうも、長いことイコールいいことと言うのは全世代共通ではないようです。もしかしたら同じ世代の中でも意見は違うかもしれません。


(第1章)
私なんぞは、「長寿」「長生」「長命」など「長い」はという言葉は、縁起がいいと思っております。
が、この間、通りすがりにひょいと本屋をのぞきましたところ、なんと文章でも長いものは敬遠されてしまうのかな、そして短いものが重宝されているのかもなという気になってまいりました。

さて、ビジネス書や学術書のベストセラーコーナーをちらと見てみれば、「『A4一枚』できる人のビジネス文書テクニック」、「仕事の文章は3行でまとめなさい」「短く書く仕事文の技術―削り方・磨き方・仕上げ方」「『たった一行』で思いどおりに仕事を動かすメールの書き方・返し方」などなど。
伝えるべきことをどのようにして短い文章でまとめるかというノウハウ本ばかりが目に付いてしまいます。

短文作成のノウハウ本ではありませんが同じくベストセラーコーナーに平積みされている中谷彰宏の「なぜあの人は人前で話すのがうまいのか」などをパラパラとめくってみると、短文を上手に積み重ねて文章を作っています。
著者のもともとの文才もあるのでしょうが、訴えたいことのエッセンスを凝縮させ短文にまとめあげていることは、この本の読みやすさとは無関係ではないでしょう。

同じく書店の文芸のコーナーに行っても、1冊で完結する短編集か中篇で何冊にもわたって物語が続くような作品は多くありません。ここ2~3年でベストセラーに長編はBOOK3まで出た村上春樹の「1Q84」とあと数作品くらいではないかと思います

さて、短文を書くためのノウハウ本があるのならば、長文を構成するためのノウハウ本の立場やいかに?と思ってみると「原稿用紙10枚を書く力」、「1時間の公演・スピーチが上手にできる本」など数冊が一般書の中に見える程度で、寂しいものです。

文芸書のコーナーでもトルストイの「戦争と平和」が全巻そろっていればいいほうで、スタンダールの「赤と黒」、ドストエフスキーの「罪と罰」など、世界史の時代に学んだ名作長編小説が棚に一部ずつ置いてある程度です。
どうやら文芸書でも長文はあまり人気がないようです。

昭和の時代に「スカートとスピーチは短いほどいい」という言葉がありましたが、平成の御世となった今、長文の影もっともっと薄くなったということを実感せずにはいられませんでした。


(第2章)
そういえば、若い人やITに強い人に今人気のツイッターというサイトがあります。
そこでの1ツイート(つぶやき、発言:大本の意味はさえずり)でできる投稿の文字制限数は、わずか140文字です。
もちろん、連続投稿をして長文を作成することも可能ですが、最新投稿順に表示されるので、ほとんどの投稿が140文字以内で完結しています。

比較のために、手元の文庫本「1973年のピンボール」(村上春樹著)を手にとって見ました。
改行などを除いて1ページ当たり41文字×15行で615文字です。
つまり、ツイートする人たちは、文学の文庫本の4分の1未満の文字数で言いたいことをタイムリーに伝えなくてはならないのですな。
さらに独特の略語があり文書は更に短くなる傾向にあるようです。

雄大な風景や感動を5・7・5の12文字に凝縮する俳句や、時事問題を同じく5・7・5に収める川柳に比べれば制限は少ないですし、単なる「おはよう」や「○○○なう(今、○○しています)」などの、情報発信や発言とはいえないツイートも多々存在しますが、それでも言いたいことを的確に短く伝える能力、言うなれば「短文力」が発揮されています。
 
ツイッターはもちろん、文字制限の比較的緩やかなブログでも長い文章は敬遠される傾向になるようです。


(第3章)
ここ数年の情報技術の進化は2つのパラドキシカル(逆説的)な現象を生み出しました。
ひとつは、ツイッターやブログの様な長文が敬遠される情報伝達手段を出現せしめたということ。
そしてもうひとつは「同時に」、20億文字以上の情報が小指の爪以下の大きさのマイクロSDカードに収納できる技術の出現やハードディスクをはじめとする記録媒体の容量あたり単価の劇的な下落です。

2000年ころには小売価格1万円くらいで10GBのハードディスクが入手できました。現在(2011年11月)では記録的な高騰といわれつつも同じ1万円で2TBのハードディスクが手に入ります。
容量辺りの単価は10年強で200分の1になっています。
(さらに遡って1980年ころ40MBのハードディスクが10万円程度したことと比較すれば、容量あたり単価は約30年で50万分の1になったことになります。)

情報技術の進化により長文を格納できる場所は、安価に大容量が実現できた。
それなのにその進化はその長文をつくってもそれを好んで読む人が出てこないという状況もつくりだしてしまったみたいですね。


(第4章)
 実は2000年ころでもインターネットでも長文は敬遠されていました。
さて、そのころのインターネットは、接続速度も遅く、接続時間に合わせて課金されるのが普通でした。
一般的だったISDNインターネット接続の速度は64.4KBps(低速ADSLの24MBpsに比較して400分の1)、しかも1分あたり10円くらいの接続料金がかかりました。
 つまり、長文を読むということはそれだけ、インターネット接続料金がかかるということであり、掲示板の書き込みやメールもなるべく短文で済ませるというのがマナーは、今以上に厳しかったかもしれません。

では、なぜ「コンピューターに長文が収納可能になった」ことと「長文が敬遠されるようになった」ことが同時に起こったのか、しかも「通信速度は速くなっているのに」と言うと、これは情報の発信者が今世紀初頭に比べ飛躍的に増加したと言うことにあります。


(第5章)
一昔前、といってもたった10年前ですがブロードバンドが家庭に普及していなかった時代は、一番情報の発信頻度の高い文字メディアは1日2回の新聞だったと思います。
今では数分に1回ニュースサイトが更新されています。
これだけ更新の頻度と速報性が劇的に変化したのですね。

不特定多数の人が、即時に、(また多くの場合は匿名で)、頻繁に、文章を発信できることによって、一人当たりの情報の発信回数は増えた。

これだけ情報の発信頻度が高ければ、一人ひとりの発言の内容まで細かく読んでいられない、大事なところだけ、興味のあるところだけ拾い読みしなければ、日々いや「秒々」発信される情報に接することは不可能でしょう。

ゆえに、いかに記憶媒体の単価が安くなろうと、通信速度が速くなろうと、長文は歓迎されないといったところでしょう。
さらにスマートフォン以外の一般の携帯電話から閲覧する人にとっては、何度もスクロールをする長文はわずらわしいことでしょう。


(第6章)
と、以上のことを考えてみると、この質問サイトの4000文字と言う質問の文字制限は非常にゆるいです。

ツイッターの130文字と比べては質問サイトとして成り立たないでしょうから、一般的な文書と比べて見ましょう。

4000文字の文書は、マイクロソフトワードのデフォルトの書式設定を使えば、A4サイズで4ページを超えます。手書きで書けば、原稿用紙10枚分です。
縦表示900ドットのパソコンのディスプレイに表示させようとすれば5分の1くらいしか表示できません。
文学作品に置き換えてみるとSF作家の故星新一先生のショートショートなら2編書ける、文庫本なら4ページ弱が埋まる文量です。

このサイトができたのがナローバンド(一言で言うと「速度の遅い通信」)全盛の時代の2001年ころですから、わざわざ制限を設けなくても4000文字もの長文の質問はなかったのでしょう。
まあ、今になっても改定していないのは、どうせ4000文字もの長文の質問を書くアホなんているまいとタカをくくっているに違いありません。

実際、「(長文です)」とタイトルにある質問をいくつかクリックしてみてもそれだけ長文の質問は見たことがありません。

しかし、ここの質問欄の文字数制限いっぱいに書かなければならないような質問が果たして実際に存在するのか、そんな長文の疑問を持っている人はこのサイトに利用して質問をするのか、そんな長い質問が投稿されることを果たしてOKウェーブは想定しているのかと疑問はつきませんが、これは質問(アンケート)の本題ではありません。

(第7章(本題))
さて、本題です。

この質問読みましたか?
(1) 一部だけ読んだ
(2) 全文読んだ
(3) 全文を読んだけど流し読み
(4) 結論だけ読んだ
(5) その他

*これで4000文字ちょうど。

「長文の質問読みますか?(長文です) 20」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    2013年の質問の再掲だけど、今はスマホ全盛だから質問の本題まで読んでいない人が多いと予測。

      補足日時:2016/12/29 00:39
  • 読み応えのある回答が多かったので、またまたお礼が遅れます。

      補足日時:2016/12/29 09:09

A 回答 (7件)

(2)全文読んだ


です。

パソコンとやらを全く使えない身です。私の愛機iPhone5sで、全文を読ませていただきました。

私は、昭和40年代前半の生まれです。
ちょうど各家庭にテレビが普及し始め、子供の活字離れが懸念され、社会問題として取り上げられるようになった時代と添うように、幼少期から青春期を送りました。

私個人の話になりますが、21歳で実家から離れるまで「テレビ・ラジオの自由視聴禁止」と云うやや特殊な環境で育ちましたので、ここから先の文章は「一般論」としては、成り立たないかも知れません。

ですが「文章を読むこと」ほぼこの行為のみで世界観を獲得していった人間の意見も、極論としては面白いのではないか、そう思い回答させていただきます。

「長文を読み長文を書く行為は人間として必須である」
この立場に、私は立ちます。

幼少期から、長文の挿絵のほぼ入らない本(100冊以上刊行されていた『世界文学全集・日本文学全集など』)を読む習慣を身に付けたことで私が得た「よいこと」は、精神面への影響を含め、正に数え切れないほどのモノがあります。
想像力や忍耐力や集中力などは「数」としては、数えられませんが。モノでもありませんし。
文字通り「全人格形成への影響」です。

しかし、振り返って考えてみても、以降の私の人生にとって悪影響になったモノは、一つもありません。

「長文の文章を読みこなす」
この体験を積み重ねないと、
「長文の文章を書く」
この行為は難しいのではないか、と考えます。

そして、
「長文の文章を読みこなし理解し要約することができる」
この行為が出来てこそ初めて、
「意味のある短文が書ける」
これに繋がるのではないでしょうか。

私が小学生の時に一番驚いたのは、
「読書が先生によって強制されるようになったこと」
このことです。

時間割の中に「読書」と云う項目が付け加えられ、無理やり図書室に連れていかれ、嫌々本を選ばされ、読むことを強制される…同級生の膨れっ面を、今でも覚えています。

「読書」の原体験を「嫌々強制」されてしまった人は、不幸だと思います。

文字…これは人間が発明した素晴らしい財産です。

その文字の連なりが織りなす文章は、宝物です。

その宝物が、良質な素晴らしいモノであるか、役に立たないクズであるか…。

これを判別する能力を付けるためにも、
「長文を読む」
この行為が必要なのではないか。
私は、そう考えます。

私自身は、30代半ばまで、
「自分の意見を自由に発言することが許されない」
このような環境に、身を置いていました。

しかし、自分の意思、思考、想像力、希望、これらを失わなかったのは、常に本が傍らにあったからです。

LINE等の電脳関係(?)事情を、私は知りません。

ただ、最近主流といわれる短文コミュニケーションが、私のような生い立ちを持つものの「命」を救うような形であることを祈るばかりです。

最後に、私の嫌いな本の分野を一つ挙げたいと思います。

自己啓発関係本
です。

・あなたを変える100の方法
・これを読めば悩みは消える

1000円ちょっとで人生が変わるなら、苦労はいらねーよ。

このように、考えます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。

私は逆でパソコンは使えますがスマホは使えない身です。
年齢も同じくらいです。

この年代は、「生まれたころからテレビを見続けていた子供が、どんな大人になるのか初めて実験される世代だ」と言われていたのを覚えています。
(私の例ですが、ロクな大人になりませんでした。テレビのせいかどうかは分かりませんけど)

長文、必要ですよね。(私のような、結論をつけずに駄質問で幕を閉じる長文は必ずしもそうとも言えませんが)

長文を読み続けている人、長文でも読むのに躊躇しない人には何か特別な事を感じます。

なるほど、短文というのは長文の骨格を表す方法でもあるんですね。
それには賛同します。

逆のパターンですが村上春樹の「1Q84」(単行本で3巻)は「四月のある晴れた日に100%の女の子に出会うこと」という短編小説を膨らませて書いたものだと言われています。

長文の大切さと、長文と短文の両立性を書いていただいたこと、大変興味深く拝読しました。

ありがとうございました。

追伸
自己啓発本、確かにいりませんよね。
人生を変えられるようなことを1,000円ちょっとで安売りできる(しかも量産できる)人は、あまり信用できません。
(古本屋の100円均一の本で人生が変わることもありますが、そういう本は「自己啓発文」以外の分野ですね。(私見))

お礼日時:2017/01/05 20:20

5


最初は 第1章前迄、まず読んで、次に7章を読み、最後に 1章〜 6章を読みました。

それにしても長かった(^_^;)
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。

そうです。長いんです。
この質問、最後はネタになっていますが、これでも読んでもらうために書き出しとか最後のほうとか割と工夫しました。
実際に1文字当たりの容量とか単価とかに矛盾が出ないように工夫したんですよ、これでも。

長文をお読みいただきましてありがとうございました。

お礼日時:2017/01/02 22:27

②全部読みました。


私は毎日、隅まで新聞を読んでいるし、読む速度も比較的速いので、全く問題ないです。

最近驚いたのは、会社の人がみんな新聞をとっていないということ。
情報はどこで仕入れるかといえば、テレビか携帯のニュースで見出しだけ読むそうです。
活字離れが進んでいる今、こんな人は増えているのかもしれないですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
4000文字全文を読んでくれる方がたくさんいらっしゃるので、すこし驚いています。

最初にこの質問を投稿していた時に想定していた答えは「こんな長い文章読む奴なんていないよ」でした。

私もかなり活字離れをしています。新聞も2日に一回程度しか読んでいません。
そのうち自分の投稿した文章も読めなくなってしまうのでは?と危惧しております。

お礼日時:2017/01/02 21:53

⑵全文読みましたよ。

素晴らしい論文の域ですね〜。
内容も面白かったので、苦もなく読めました。
この前、ここで質問した時に、もらった回答の一つが、やたら長くて、ドン引きしました。あちこちで聞きかじったような知識を、ひけらかすかのように、何の脈絡もなくダラダラ大量に羅列していて、そこには何の論理的筋立てもなく、説得力のある帰結もなくかったくせに、やたら偉そうで、一日中早くお礼くれとか言って来た、変な自称?会社経営者でした(-"-;) もう、質より量で勝負みたいな感じでしたね。長さは、比べたら、この質問文と同じくらいでしたよ。
その時思いましたね。。本当に頭のいい人なら、要点を端的にまとめられるはず。。って。だから、Ensenada さんの仰る事もよくわかりますし、そういうハウツー本が多いのも納得です。
私は翻訳の仕事をしていますが、お客さんから頂いている、ガイドラインにも、文章はなるべく、適度に短く切るように、と指示されています。一つのセンテンスがやたら長過ぎるのは、読みづらいし、理解しにくいですものね。Wordの、文書チェックツールをかけても、長過ぎる文章は、長過ぎる、と指摘されて引っかかります。
やはり、どんどん文章は短文化している傾向があるのは事実でしょうね。
仰る通り、インターネットの発展などにより、世の中どんどんスピード化してハイペースになっているので、悠長に長文を読んでられない背景もあるのでしょう。
その一方で、平均寿命はどんどん長くなっているんですよね。。人生長いのに、こんなに急いで、変ですよね(^-^)
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
全文を読んでいただきまして、ありがとうございました。

数年前にはこのような意味ありげなことを並べ立てて、急に斜めの角度から質問する「ネタ」を乱発していました。

他の方の回答にも書きましたが、質問文には”意見の表明”や”提言”が欠けているので、読み足りなかったのではないのではかと思います。
(ぐいぐいとロープで引っ張っておいて、力試しをしているように見せかけ、最後に膝カックンをされた感じですかね?)

英語から日本語への翻訳で文章を短く的確に切るというのも難しいですよね。英語だとwhich、who、thatなどの関係代名詞でいくらでも長く文章を続けられても分の内容の意味は理解しやすいです。
これは英語では、(特に述語が関係代名詞で意味補足されているときに)A was (did) B. とか最初に主語、動詞、述語が明示され、センテンスの構図が見えた上で文頭から少しずつ意味を理解できるのに、日本語では「これは修飾節か主語か?」などと考えながら読み進めるという文章の構造に違いがあるからだと思います。
と、↑の文も「長すぎる」とチェックが入るのでは?^^;
(私は経済学部出身なので、英文法に関する間違いがありましたらご容赦ください。)

短い文を書くって難しいですね^^;。

全文読んでいただきありがとうございました。

お礼日時:2017/01/02 16:23

>長文の質問読みますか?



読まない
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
弓を放ったら鉄製の盾でカーンと跳ね返された。

それもいいものです。

お礼日時:2017/01/02 12:42

時代の波、、。



ユーザーに合わせいかに売れるものを発掘するか?


時代の波とは現在の多数の人柄。

現代に生きる人は結果を求めるために努力するのではなく、結果を聞いて選んで努力する。


工程が変わっちゃいましたね。


すぐに情報が手に入りますからね。


情報かじり虫が多い世の中です。


本題は(5)
上から読んで、下から読み直し、上からまた読む。


こんな感じでした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
詩のような回答ありがとうございました。

「工程」の変化については、おっしゃる通りだと思います。

どちらにしても私の質問文には”意見の表明”や”提言”が欠けています。

並べ立てた事象に関してどう思われるかは、読まれた方次第でして...。

全文読んでいただきありがとうございました。

お礼日時:2017/01/02 12:40

読みました。


日本語がどんどん短くなっている。略して言うようになっていることは、果たして進化なのか退化なのかという議論を番組でしていましたが、それを思い出しました。
例えばの話、「仕事の文章は3行でまとめなさい」という本がありますが、それによって伝わるならば決して退化ではないと思います。
即ち、全体の文章を組み立てられる能力があって、そこからいかに簡潔かつ分かりやすくまとめるかという技量を発揮した結果として短くなったならば、それは塊から余計な部分をそぎ落として意味を見出す彫刻に似た部分があると理解します。

一方でそういう能力がなくて、単に知っている語彙を繫げただけとか、フィーリングとか「ウケ狙い」で短くなっているならば、それは脳的な退化であると思います。
もっともその背景として、LINEも含めてネットによる発信回数が飛躍的に増えて、その機会も増大したことで、いちいち長文で返していては成り立たない雰囲気が大きいような気がしますが、そこに安住するあまり、無意識に教育・感化されて、それが当たり前という意識が根付いてしまったこととも無縁でないような気がします。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
3年(4年?)前に、この質問のオリジナルを投稿した際にもlocaltombi様には全文読破をしていただきました。
(覚えていらっしゃったら光栄です。覚えていなく新しい回答を頂けたのなら、それも光栄です。)

なるほど、短文化は必ずしも退化とは限らないのでのね?
確かに余分な部分を削り落とすには、長文でまとめるよりエネルギーが必要でしょうね。

無駄に長文を書くというのが退化であるという志向にも賛同できます。
社会的背景にまで踏み込んで頂いてありがとうございます。

読み応えのある回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/02 12:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!