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期待効用理論についてわからないことがあります。

消費者は基本的にリスク回避的であると説明されることが多いと思うのですが、現実には宝くじの高額賞金獲得を夢見て、多くの消費者が宝くじを購入します。

このような宝くじを購入するという行動は消費者がリスク回避的であったとしても説明可能なのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

NO2です。

訂正。

また、ある個人―あるいは多くの個人といってもいい―は保険に加入する個人が同時に宝くじを購入したり、ギャンブルに興じることがあるが、これをどのように説明するのか、という問題もあります。

また、ある個人―あるいは多くの個人といってもいい―は保険に加入すると同時に、宝くじを購入したり、ギャンブルに興じることがあるが、これをどのように説明するのか、という問題もあります。

と直してください。

なお、Friedman-Savageの議論については以下(↓)のwiki(英語版)が参考になるので、読んでみてください。

https://en.wikipedia.org/wiki/Friedman%E2%80%93S …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。紹介してくださった参考文献ですが、ぜひ読んでみたいと思います。

お礼日時:2017/01/17 21:28

リスク回避的個人、つまり所得に対して凹の効用関数を持つ個人を仮定することで、たとえば保険が存在する理由など多くの問題を解くことができますが、これですべての経済問題が解けるわけではありません。

なぜ富籤を買い、ギャンブルする人々がいるのかといった問題を解くためには、リスク愛好的個人の存在―つまり、所得に対して凸の効用関数を持つ個人を仮定する必要があります。また、ある個人―あるいは多くの個人といってもいい―は保険に加入する個人が同時に宝くじを購入したり、ギャンブルに興じることがあるが、これをどのように説明するのか、という問題もあります。後者については、Milton Friedman and L.J.Savageの”The Utility Analysis of Choices Involving Risk"(Journal of Political Economy 1948)という古典的論文があります。彼らは、効用関数が所得が低いときは所得に対して凹(つまり、リスク回避的)であり、高い所得に対しては凸(つまりリスク愛好的)である、全体としてS字型の効用関数(所得を横軸に効用を縦軸にとったとき)をもつ個人を考えると、保険と富籤についてのいくつかの重要な事実(stylized facts)を説明できることを示しました。こうした問題に興味がおありなら、この論文は英文ですが難しい数学は使われているわけではないので、読んでみられたらいかがですか?
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よれよれの脳ではわからないのですが、「リスク回避的」の「的」とはなんでしょうか、「リスク回避」ではないのですね。

また「リスク」とは誰がどのように測定あるいは量決定するのでしょう。発生確率についてはどう考えるのでしょう。
個人で自分の意思で任意自動車保険に加入したり、火災保険、傷害保険、疾病保険、生命保険に加入して、多くの加入者は支払保険料の大半を失うことを知らないのでしょうか。支払保険料の大半を失うことを知っていても、数パーセントの確率で支払保険料を上回るリターンがあることを期待しているのでしょうか。 それとも、親や家族、保険代理店の宣伝に惑わされ乗せられてしまっただけでしょうか。 年末ジャンボ、ロトセブンのコマーシャルに惑わされ乗せられてリスクを誤解したのでしょうか。 神社のおみくじを買う?のはエンターテインメントであって金銭を支払うのはリスクでも損失でもない、おみくじをひく行為や読むなどの料金として妥当な価格と考えているからでしょうか。 当人は不調も感じてないのに強制されてないのに自費で定期検診に時間と金と苦痛や恥をかきにいくのはマゾの心を満足させるのがネライでしょうか。
ロクに運転しないし運転が下手で事故を起こす危険があるのに義務でも仕事でもないのにロングドライブするのは「リスク回避的」視点からはどうなのでしょう。
有利な投資と誘引されてその人にとっては大事な金を預けて大損する人がいたというニュースが多いですが、その人は「リスク」や「リターン」をどう量っていたのでしょう。
登山、観光、ジョギング、フィットネス、健康体操にも客観的にみればリスクはあります。歩道を引率されてあるく児童にも交通事故のリスクはあります。乾燥状態で強風で大火による類焼のリスクも、食品からの感染リスクもあります。 
たぶん、当人がびびっていなければ、それは当人にとってはリスクはたいしたものではないのです。 保険料でも、クジの購入費でも、大学の入学金や授業料でも、友人づきあいのための交際費や時間調整でも、当人が耐えがたい損失となるのではないかと恐れなければ、当人にとっては回避すべきリスクにはならないのです。
当人が、回避すべきリスクと恐れていると解釈する立場を採用する理論(仮説)を使う場合に、ネガティブなフレーミングをしている⇔リスク回避的であると表現しているだけなのでしょう。
企業の募集広告やwebサイトなどを見て(あるいは良く見ないで)就職し、きついきついといいながら働くのも、止めるのも、そのどちらでも《リスク回避的》と解釈は出来ます。
就職できない失業するリスクをビビるか、心配してばかりいてポジティブにフレーミングできないリスクをビビるか、辛抱し頑張り一段と強くなれるのを自ら避けてしまうリスクをビビるか、社会から非就業者と見られてしまうリスクをビビるか、親からダメなやつと評価されるのをビビっているいると評価するのかと同じで、《リスク回避的》は説明の仕方の問題でしかないと思います。
《消費者はリスク回避的である》というのではなくて、《消費者の行動を、当人の意識/非意識でリスク回避的で妥当な選択をしているものとして見よう!》というだけのことと考えたらどうでしょう。

『宝くじの高額賞金獲得を夢見て、多くの消費者が宝くじを購入する』のは、《購入しその宝クジを大事に保持せず、当籤発表も見ず、当籤しても交換にいかないようなリスクは絶対に回避したい》からであると解釈すればいいだけのことでしょう。
妻や夫や所ジョージから、『ジャンボ買わなかったのか』といわれるリスクを避けたかったのかもしれません。それらのリスクと、3000円、9000円を失うリスクと比較して、リスク回避の視点でリスクを少なくする行動が、宝クジ購入者を増やしているとも理解できるし、3000円を失うリスクを敬遠して宝クジを買わないひとがもっと多数いるとも考えてもいいし、そもそも宝クジを購入するかどうかに頭を使い時間を使うよりもゲームや仕事、家事をする時間は減る方がリスクになると考えているため、宝クジを買わない消費者が多いという解釈もあります。

文化習慣というか癖、習性、家訓、金銭事情(懐具合)、ヒューリスティックな処理の結果で、宝クジの購入/非購入は決まると考えても、なんら構わないと思います。 
リスクなんて普通は考えたりしないから、
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