カロマゾフの兄弟を読んで見ましたが奇妙な印象を受けるばかりで、何がいいたかっかのか理解できません。

まず、教会側がいった人間の救いとはなんでしょうか?
次に序文で父親が偉大と書かれてますが、どこらへんがとあたまを捻るばかり

大審問は何をいいたかっかのかのか

アリシャが最後我々いい人間でいたことがあったのだと締めくくりますが、えーと置いていかれたかんがあってわからず

一応謎解きカラマゾフ買おうかなやんでるんですが
昔謎解き罪と罰読んで、ロシア転覆革命と書いてあり
うーむ之読んだら、また、記号論では。とあたまををひねり

何から解説お願い致します

A 回答 (1件)

他の方の回答を期待していましたが、なかなか、回答がつかないようなので。

二十年以上も前に読んだ本ですので、細かいところは覚えておりませんが。

父親は社会的に尊敬されている男性であり、長男は確か、伊達男、次男は、都会に出ている無神論者、そして、三男は、聖職者、と、その当時のロシアの世相を反映するような三兄弟です。

長男と父親は、長男の恋人に振り回されていて、三男、アリョーシャの心を悩ませます。そこへもってきて、都会(モスクワだったか?)から次男が帰宅して、無神論の持論を披瀝する、それが、大審問のたとえでした。

”もしも、キリストが、現在のロシアに再来したら、彼は、大審問にかけられて、有罪になるだろう”と、彼は言います。素直な心を持つアリョーシャには理解できない、心の屈折が、都会に住む次男をとらえています。”現在のロシアの状況を、キリスト教が救えるものではない、逆に、キリストを殺してしまうだろう”

しかし、そういうアリョーシャの、最大の関心事は、大司教の死体から腐敗臭が漂ってくるかどうか。。。死体が腐ってしまったら、聖人にはなれない、という、きわめて、世俗的な悩みです。

一般的に、教会の言う、神の救い、とは、人間とは罪深いものだが、神に祈りをささげることにより、その罪を許される、というものです。

私は、”罪と罰”もそうですが、ドストエフスキーの作品は、喜劇としてとらえています。世間的に偉大な父親が、長男の恋人に好かれようと、右往左往するところや、聖職者であり、作中、”素晴らしい人間”である、と何度も念を押されているアリョーシャが、次男に翻弄されたり、父子の恋のさや当てに悩んでいるところを、ドタバタ喜劇、として読みました。最後の彼の一言は示唆的であります。

罪と罰も、金貸しのおばあさんを殺しに行く青年の、綿密な殺人計画が、馬鹿みたいにバラバラと崩れてゆくところが、実に、ばかばかしく、面白かったのを覚えています。

以上、読書感想文でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

罪と罰を読んで、推理小説みたいで、このチミな神経の動きが最高だと、記憶しています

ただ、ドストエフスキーは細か過ぎて読んだあと、体力を多量に持って行かれるので、
何度も再読するには、大変な根拠が必要ですよね

神がいなければ全てが許されるとう発言や、
確か2.3年間前全部読んでうろおぼえなのですが、人間はなんで貧乏なんだ
この飢えた子供たち打たれた子どもたちの存在は、神はなにをしてるのか

といった、難問にドストエフスキーは、どのような解答をしていますか

確か、この問いは、悪戯ぽくいわれて、放置されたきがして、今も気になりまして

兎に角カラマゾフは1人で、読破するには、大変です

お礼日時:2017/01/24 09:03

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