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まず、私自身は早死にしたいとは決して思いません。されど長生きしたいとも言い切れず、ぼんやりと「心身がある程度ダメになったらぽっくり逝きたいな」などと考えている人間です。

さて、現代日本は大きな戦争もなければ医学の発達や社会保障の運用などにより飛躍的に平均寿命を延ばしてきました。
昨今においても少しでも長生きするための研究が行われたり、長寿の秘訣を取り上げた報道・コーナーが人気を博したりしています。
その一方で少子高齢化をはじめとした年金や医療費や介護やクレーム処理などの若者への負担の増加、痴呆や身体能力の衰えなどに起因する事故や事件の増加、世界規模では人口増加による資源の枯渇や環境汚染などの問題もあります。

もちろん長生きを否定することやお年寄りの生存を疑問視したりすることは倫理や人権に反すると言われることはわかっています。
実際になんらかの案があるわけでもなく、「○歳以上の人間は”間引く”べきだ」のような主張があるわけでもありません。
ただ漠然と「200年後、平均寿命が110歳まで伸びたとすればその時代の人は今の人より幸福なのだろうか?」とか、「自分の家族のことも忘れた人や植物人間と言われる人たちは、そしてその家族は今幸せなのだろうか?」とか、そのような疑問が浮かんでくるのです。

人はこのまま長寿を目指して良いのでしょうか?
その先に幸福はあるのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

おっしゃるとおり、私も長寿がすなわち幸せに繋がるとは思いません。



現代においては死が忌み嫌われるものとなり、
死イコール不幸、というような価値観になっているからこそ、
医療は延命を目指すのですが、私はそれ自体が少し不安です。

もし「死イコール不幸」であるなら、
人間はいくらそれまで幸せな人生を送っても、
最期は必ず不幸のうちに生を終えることが確定している存在になってしまいます。

死は即座に不幸ではない、という考えに立たないと、
生きていて不安になるばかりですし、
死を恐れる高齢者が異常に増え、どんどん悪循環に陥ります。

じゃあ死を恐れずにいられる価値観があるのかと言えば、
それはもちろん簡単ではないのですが、
少なくとも「死イコール不幸」「長寿イコール幸せ」という
単純な二項対立からは抜け出したいなと個人的には思っています。

パスカルは「人は生まれながらにして死刑囚である」と言っています。
私たちは生活の自由はありますが、
いつ死ぬかわからない、今日死ぬかもしれない、
それは死ぬまでわからないという意味では、まさに死刑囚と同じですね。

だからこそ、死を簡単に忌み嫌ってはいけないと思います。
死して尚幸福、とまでいくのは難しいですが、
少なくとも長寿イコール幸せとは限らないということは言えるはずです。
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長寿が人類の幸せにつながる保証はどこにもありません。


むしろ、不幸になる可能性の方が大きいかも。
いま日本は高齢化社会を迎えています。
高齢化=長寿。
今の日本、幸せだと思うかな?。
そもそも、高齢化した人をだれが養うのか。
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恋人出来たら確実に、そんな思いはきえますよ

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あなたは、独身ですか?結婚してないからそう思うんですか?

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この回答へのお礼

はい、私は独身です。
結婚していないからそう思うかについては分かりません。
しかし、少なくとも現状では例えば痴呆で妻に暴力を振るうようになったり、病気や障害などで辛い世話や金銭的不自由などを強要させたりするぐらいならば死んだ方がマシなのではないかと思います。

お礼日時:2017/01/25 22:38

長寿を目指すことは人類の幸福につながりますか?


   ↑
ハイ、つながります。

寝たきり老人など目にすると、さぞ辛いだろう、
可哀想だな、ああはなりたくない、その前にぽっくり
といきたい、
などと思う人がおりますが、これは間違いです。

最近、老人心理の実証研究が進み、寝たきり老人
などは実に豊かな精神活動を行っていることが
判ってきました。

これには調査した専門家、学者も驚いております。
これを、老年的超越理論、といいます。

90歳を過ぎると、恐怖も苦痛もなくなり、
百歳を過ぎると、感謝の念に包まれた生活を
送ることができる。

こうしたことが世界的に判明してきています。

やはりね、長寿は幸せなのです。
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生命倫理の話であって、「これが正解」もなければ、「それは間違い」もない話です。


すなわち「私はこう思う」のみかと。

たとえば自分自身は、質問者さんに近い様な気もします。
あるいは薄情ながら、親が植物人間にでもなれば、「死ね!」と思うかも知れません。
しかし、親自身は「長寿≒幸福」と考えている節もあり。

一方、もし「我が子の命」であれば、「たとえ植物人間でも」となるかも知れず・・。
さりとて、我が子自身は、もし意識があれば、「死にたい」と希望するかも?

一つだけ言えることは、過酷に生きることは、楽に死ぬより大変で。
だからと言って、安易に死を選ぶことは正しくない。
そんな中で、人間に出来ることは、死を迎える一瞬まで、精一杯生きること。
そんなトコじゃないですかね?
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生きるか死ぬかって


今自分で選べないんですよ

なので遺言を書くか
意思表示カードを持つかです

体がだめになったら生きていても楽しみは半減ですよね

実際何人もの自分の意思で生きていない人を見ていますが
かわいそうですよ
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凄い問題を提起されました


幸福と長寿はイコールではありません

死の問題と真の幸福の問題はイコール同じなのです
生の問題と真の幸福の問題はイコール同じなのです

もちろん長寿を目指すのは 太古の昔からの希望であり夢だったのです
孔子の三楽の一つに「90まで生きる」と記されています
医学等の発展により現在 その夢が ある程度実現しました
が それだけで良いとは思いません
長寿は幸福の小さな条件の一つに過ぎないからです
もしかしたら 長寿と幸福は 全く別次元の問題で無関係になる場合もあります

「何のために」が分からないと ただの生きている物体に過ぎません
暇を持て余しているご年配の方々の中に いるかもしれません  いや多いです
 たしかに 長い年月 社会で活躍してきたのですから「ご苦労様でした 
後はゆっくりしてください」と言う考えからかもしれませんが

しかし 歴史に出てくる 哲学者 文学者 詩人 芸術家 聖人 等など
どんなに年をとっても 病気でも 暇を持て余している人な等いません
この人たちは 200歳まで生きても 足らないのです

「その人間を見るに 晩年を見よ」中国の菜根譚 にあります
草木がみごとに紅葉するように生きてこそ長寿の意味があると思います

そのために絶対必要な事が 若い内から「何のために」を学ぶ事です 
「自分は一生かけて これだけは残していくんだ」と言う
ライフワークとでも言いましょか  それを早く決める事だと思います

 私達は この世と言う舞台に上がってしまったのです
役者は演ずべき役柄があるのです
自分の役柄は何か 
分からなければ 舞台の上で右往左往する 大根役者で終わるのです
 自分の役柄が分かれば 喜んで 大胆に振舞う事ができるのです 
そして 堂々と演じきり 観客を喜ばせ 大満足でこの世と言う舞台から去るのです
これが幸福と言うのであれば 幸福と長寿は 関係なくなるのです
 
人間(自分)は(何処から来て)(何処へ行くのか)(何のために)
この大問題の解決なくして 長寿も幸福も語れないと思います

 死は必ず訪れる自分の大問題でもあるのです
関係の無い人等いません 例外なく 必ず訪れるのです
 いかに財産を残そうが どんなに名声を高めようが 
どれ程多くの知識も体験も 死を目前にした時 
何の意味も無くなるのです 
 すべてを捨てて この世の舞台から去るのです
この最も大事な問題を抜きにして 
この世の幸せなどあるはずがありません

ビクリルユゴーは
(人間は 生まれながらにして 
すでに死刑の宣告を受けた存在なのである)
と言っています
ハイデッガー(実存主義者)
(人間は死への存在である) 等など

 演繹的に申し上げますと
「生きると死ぬ」→「求める」→「幸せの法則」→「演ずる」→「歓喜」と結論します
    

更に ご説明したいのですが 長くなるので
  もし 更に 興味がありましたら こちらへ

     http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
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長寿より 『生きてる間に、いかに健康であることが出来るか』という健康寿命の方に興味がありますね。



病気から思うように動けなくなった身内がおり、元気な時はハツラツといろいろこなすタイプでしたが 動けなくなってからは『生きていても何も楽しいことがない』と口にするようになり 一気に萎むように老け込み あっという間になくなりました。
身体が健康でないと生きる気力まで奪うものだと思いました。

ですので、単に長生きだけが幸せとは自分には思えないです。
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>「心身がある程度ダメになったらぽっくり逝きたいな」などと考えている人間です。



私もそうです。
今の気力と体力、健康状態を維持したまま過ごせるというならば100歳でも500歳でも生きたいですけど、そうじゃないですものね。

足腰が弱れば、誰かの手助けを受けなければトイレも入浴も叶わない。
好きなものを食べることも、好きな場所に出かけることもできず、その意欲すら薄れていく。
そんなのは生きているとはいえません。
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