こんにちは、よろしくお願いします。

私は、自分が小学校3年生から中学校3年生まで、虐められていました。
人生に絶望して、毎日死にたいと考えていたことを覚えています。

40代になった今、当時を思い返してみると、これらについて、両親と話した記憶が一切ありません。
親は、自分の子どもが死にたいと思い詰めていても、気づかないものでしょうか?

体や持ち物に跡の残る方法の虐めではありません。
両親に、自分が虐めで悩んでいることを話そうとしたこともありませんが、隠そうと考えていたわけでもありません…『誰か気づいて』『誰か助けて』と思っていました。
両親は、比較的高学歴で、私からみて極めて常識的な人間だと思います。

何故そのことが気になるかというと、今の私が
『当時の両親は、私を愛していなかったので、様子がおかしいことに気づかなかった』
または
『気づいていても、どうでも良かった』
のではと、疑っているからです。

今、私と両親の関係は上手くいっているし、蒸し返すつもりもありませんが…
当時の自分が余りに可哀そうで、真実を知りたいのです。

どうか、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

全く気付いていないということは無いと思いますよ?。



ただ「子供の思考」と「大人の思考」というのには、案外と大きな隔たりがあるのです。
>両親に、自分が虐めで悩んでいることを話そうとしたこともありませんが、隠そうと考えていたわけでもありません…『誰か気づいて』『誰か助けて』と思っていました。

子どもと大人の大きな違いは「現実と夢想との壁が明確じゃない」ことです。
大人は、何らかの事態が発生した時、それを「どう解決するか」に腐心します。
怪我をしたならば、骨が折れていないかとか、この先の未来はどうなるんだ?とか、そういった具体的なビジョンをすぐに求めようとしますね?。
しかし子供は「血が出て痛いな、どうなるのかな?」と感じ、放置することしかできません。
逆に言えば、事を重大化することを「自動的に避ける」本能があるんです。

それゆえに「いじめ」についても、大人よりもはるかに耐性があるんです。
大人が同じことをされたら、多くの自殺者が出ているでしょう。
大人は未来への絶望に対して脆弱なんですね。

今、あなたは大人になっています。
だから「大人の思考」でしか、当時を振り返ることが出来ないのです。
それで出た答えや疑問が「あの時は愛されていなかったのでは?」になる。

あなたの中の記憶は、子供時代のあなたの記憶です。
しかしそれを完全にフィードバックすることはもうできません。
記憶に刻まれている悲しみや苦痛は、あなたという人間「のみ」が再生可能な記憶ですが、しかしそれも「全く当時と同じもの」としての再生はもうできないんですね。
だから、違うフォーマットで再生を試みる。
アナログをデジタルに変換したようなものです。
ゆえに「ミス」も起きます。
その「ミス」が「愛されていないんじゃないか?」というものですよ。

結局のところは、親に聞くしかないんでしょうね。
今はそれが必要な時期なのかもしれませんね。
真実こそは、それを知る人にこそ聞かねば意味がない。
勇気をもって、聞かれたらいかがですか?。
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この回答へのお礼

遅くなって申し訳ありません。
ありがとうございました。

お礼日時:2017/02/02 10:42

なかなか気付かないものです。


親子でも、表情を誤解します。
ぼーっとテレビを見ているだけなのに、不機嫌だと思われたりします。
何かを気付いて欲しい時など、誰か見て!気付いて!何か聞いて!話し掛けて!という表情は、訴える相手があなたを問題無く楽しく過ごしているものと信じていると、ただ構って欲しいだけみたいに感じるものです。
片思いもそうです。
ドキドキして見つめているのに、相手からは睨まれていると思われたり。

表情を作る側も読む側も、相当に訓練を受けていないと思考を表情に出せないものです。
ご両親は、問題無く楽しく過ごしているものと信じていたので、イジメられているなど微塵も考えていなかったのでしょう。
人間は動物としての感覚を幾つか退化させてしまいました。そのせいで気配を読む能力がかなり劣ったと思います。
私も色々あって、三十代で抑鬱になりました。
色々あった当時の小さな自分に話し掛けて、今の自分が抱き締めてやって、何とか持ちこたえていました。
ある日、スーパーで父親に殴られる女の子を見ました。咄嗟に駆け寄って「この子が悪いんじゃありません!」と言いました。見ていた状況も説明しました。「お子さんを殴らないでください。」と言いました。
その家族が去った後、激しい吐き気がしました。体中が震えました。
ですが、色々あった当時の自分を救った気になりました。
親なんかどうでも良いんです。
あのね、今日ね、と親に言えなかった自分がいたんです。言わなかったんです。
でも、言わなかったし言えなかった自分が嫌で許せなかった事が苦しかったのですが、子供を殴るなと言えた事で、昔の自分を救えた気がしました。
もう小さくて弱い子供じゃない、と思いました。

どこかで誰かに理不尽な扱いをされている子供に出会う機会があるでしょう。
その時は、やめてください、と言える人間になってください。強くなってください。
今からでも、イジメられていた事をご両親に言ってください。
そうして、ご自身を許してください。

ご両親に言うのは、勇気が要ります。
当時のご自身と同じような子供を助ける事はもっと勇気が要ります。
ご自身を許して開放するには、もっともっと勇気が要ります。

もうイジメは終わりました。
当時の自分を抱き締めて、当時の自分の代わりに、現在の自分がご両親に話してあげてください。
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子どもは子どもなりに、親に心配かけないようにする、とも言います。


子どもの頃のあなた自身は隠そうと考えてはいなくても、無意識に心配かけたくないという気持ちが働いていたとは考えられませんか?
実際に話そうとしたことがなかったわけだし、行動にも出ないようにしていたのかもしれません。
時に元気の無いと感じさせるような日もあったかもしれませんが、そこから我が子がイジメられているとの発想自体が浮かばなかったのかも。
怪我をして返ってくる、持ち物にイタズラをされるなど視覚的に気づけるものが無いとね。
当時のあなた自身の心は、今の自分が思ってる以上に逞しかったんじゃないかな、と思います。
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この回答へのお礼

遅くなって申し訳ありません、ありがとうございました。

お礼日時:2017/02/02 10:43

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