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夢を諦めるのが辛い

はじめまして。都内の大学2年生女です。
私は幼い頃からダンスをしてきて、ずっと踊りを仕事にしたいと思い、頑張っていました。
高校、大学の間には、学業と並行していくつかの舞台も踏みました。
去年の冬に、ある舞台に出演していた頃、足首の靭帯を切りました。その舞台には死ぬ気で出ましたが、後遺症で足首が固まってしまいました。
さらに、その足を庇うように踊り続けていたせいで、反対の足の親指の付け根を何度も捻挫し、靭帯が伸びきってしまい、ターンの時などに親指がついてきません。
私は、しばらくダンスを辞め、学業に励みましたが、
足は一向に治らず、医者にも、完治は難しいと言われました。

約一年経った今でも足首と親指の付け根に癖がついてしまい、思うように踊れないのが、辛くて辛くてしかたなく、身体が資本である踊りの仕事は自分にはとてもできないと判断し、諦めることに決めました。
私は都内で割と高学歴と言われる大学に通っているので、やりたいことさえ見つかれば、どうにかなるだろうと思っていました。

そのやりたいことが見つからないのです。
今年、専門学校を卒業した友達等が、5人ほど、私のなりたかった夢を実現させました。
彼女たちの最高は心から嬉しく思います。しかし、彼女たちから話を聞いたり、SNSを通して見たりするたびに劣等感に襲われるのです。

こんな自分が嫌で嫌でしかたありません。
夢を諦める選択をしたのは自分だけど、
今まで常に目標を持って生きてきたのに、何を糧にすれば良いのかわかりません。
辛くて辛くてしかたないです。

誰かわたしが立ち直るアドバイスをください。

A 回答 (4件)

>夢を諦める選択をしたのは自分だけど、


今まで常に目標を持って生きてきたのに、何を糧にすれば良いのかわかりません。
辛くて辛くてしかたないです。

…というか、そういうのが「夢を見る」ことじゃないの?。

ある意味、その本質に今辿り着いたんだと思う。
夢は時に努力しても届かない目標で、運というものも作用するような、とても残酷な一面も持っているものだ、と。
その事実に、君は足を踏み入れたんじゃないのかな?。

いや、だからもう「次の夢は始まってる」んだよ、絶対に。
今は真っ暗かもしれないけど、ずっと真っ暗というわけじゃない。
じきに明るくもなるだろうし、その時に「こんな風景だったんだね?」ということもあるよ。
闇の中の嵐は誰だって怖いさ。
嵐が続いていたとしても、明るくなって来れば希望も自然と出てくるし、どうすればいいかってことも考えるようになるよ。
そしてその内には嵐も止むはずだしね。

人が見る夢って、私はそんなにチッポケなものじゃないと信じてるんだ。
単に知能が優れているというだけで、種がここまで地上に拡がったのではなくて…人間は「飽くなき追及」を忘れない存在だからこそ、滅ぶことなくここまで来たんだと思う。
人が見る夢は、何か一つが消えたとしても、それは「そう見えているだけ」で、実は消えてはいない。
薪の埋火のように、どこかに必ず熱を持ち続けるという「遺伝子」が、誰にだって備わっているんだよ。
一つの夢はもう無くなったかも知れないけど、すべてが無になったのではない。
それはまたどこかで火種になって燃え広がっていくはずだ。

人が人である以上、人が見ていく「夢」は消えない。
君も、私も、誰もが、だ。
今はただ、燃え広がっていくための時期じゃないだけ。
運悪く一つの夢を諦めたというならば、その逆だってある。

時を待つことだ。
兆しは必ずどこかであるから。
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それを「夢」と言った時点で、あなたはそのことの実現への努力を放棄しているのです。


夢とは、実現可能性の無い事柄や、実現可能性の非常に低い事柄を指して使うべき言葉でしょう。
現実の問題としてそれを捉えている人は、それを「夢」などとは言わないものです。
「目標」です。
そしてそれを「目標」においた場合、当然ながらそれは実現が前提ですから、自分の能力がそれを実現するに不足している場合、目標達成のための努力が必須となります。
夢はこれとは違います。
ただぼんやりと思い描いているだけで「夢」は成立します。
「なれたら良いなあ」で良いのです。
「そうなるために何をやるか」と具体的なスケジュールを立てる「目標」とは、似て非なるものだろうと思います。
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今 踊ったりして痛みなどはないのでしょうか?


痛みはないが 今までできたことができないという状況であれば
考え方として
たとえば 親指がついていない体できれいにターンをする練習をし
そのために必要な筋力をつける という方法
正しい状態では踊れないのですから 今の状態でターンを習得するしかないのです
足首がかたく きれいに足先が伸びないなら どうすればきれいに伸びているように
見えるか 角度などを鏡で研究しそれを体に叩き込む
などという状態です

私の知っているJAZZの先生も足首が上向きには行くけど つま先を伸ばすことが
怪我のせいでできませんでしたので
他の人より膝を外に向けて伸びてるように見せるなどと 鏡で研究したり
はだしで踊るときは 土踏まずに暗めのファンデぬって 伸びてるように見えるように
していましたよ。また足が思うように動かないので 腕の使い方などを
すごく練習して手に見ている人の目線をもっていかせるようにしたとも
言っていました。確かにものすごく腕の使い方や指使いがきれいでうっとりするような先生した。
ただやはり 無理が出るため
整体なども含めて メンテナンスはかなり気をつかっているようです。

その先生も怪我で2年ほどダンスができない時期があり
あなたのような悩みを乗り越え 自分自身ダンサーとして舞台に上がるため
そのように努力し インストラクターになる道を選びました
ダンスにかかわることだでき ダンスを教えて
自分のスタジオの発表会は 自分が踊る部分は 足に負荷がかからず
しっかり踊りきれる振付を自分でするので 問題ないそうです
インストラクターもしっかりとした プロです

どんなダンススタジオでも うまい人 うまくない人 体の固い人
年配の人 それぞれいると思いますが 舞台に立ち楽しみ
ダンスを続けることはできます。

あなたが思い描く夢を 今はいったん小さくして そこから徐々に
大きくしていけばよいのではないでしょうか?

あくまでも痛みがなく お医者様が踊ることは問題ないというならですが
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幼い頃からダンスをしてきて、学業と並行して頑張りながら舞台を踏んだ。


足首の靭帯を切り、怪我を抱えているにもかかわらず、死ぬ気で演じきった。
それによって後遺症を負ってしまい、諦めざるを得なくて……

これほどまでに長く続けて、怪我をしながらも頑張ったダンスから離れる決断をされたことは、いままでにないほど辛い、大きな選択だったと、お察しします。
そしてまた、そこまで大事なダンスの替わりになるものとは、なかなか見つからないことも無理のないことでしょう。

これまでは考えるまでもなく、ダンスがやりたいことの1番だったと思います。
けれどもそれを離れたいま、これから先どうしていいかわからないのですね。


あなたにとって、ダンスの魅力、喜びとは、どんなものでしょうか?
もちろん「ダンスそのもの全て」という答えもあることでしょうが、細かく見ていくとそれぞれに違うと思うのです。

流れる汗が、生きていると感じられる
本番の張りつめた緊張感が好き
仲間と作り上げる一体感
見ている人の喜ぶ姿、驚き、歓声
表現しきれた、と感じたときの達成感


……



「それだ」というものがあるかもしれないし、全く違うあなたなりの感覚があるかもしれませんね。

このようなあなたにとって「大切だった感覚」がハッキリとわかるならば、それが手に入るダンス以外の方法は?と考えてみることも1つです。

表現することが大事だとしたら、表現する方法はたくさんあります。
歌うこと、演奏すること、作詞作曲、エッセイ、小説……
仲間と作り上げる一体感ならば、イベントや企画をつくり上げるとか、ボランティアグループをつくる……などに参加したり、立ち上げたり。

このようにして、その魅力や喜びを得られそうな新しいものを探していきます。

ただ闇雲に探すよりも、「ダンスをそれほど苦労してまで頑張ってこれた理由って、何だったのだろう?」と自分に問いかけることから、はじめてみてはいかがでしょうか。


普通の人だったら「家でのんびり休んでいたい」と思うような大けがを負ってさえ、死ぬ気で頑張り続けられるあなたのことですから、あなたが思うように「やりたいことさえ見つかれば」スゴイところまで行ってしまうのではないかと思ってしまいます。

ただ、あっという間にダンスの替わりが見つかるほど、あなたにとってこれまでのダンスは軽いものではなかったと思います。
すぐに「これだ」というものが見つかれば、もちろんそれが理想です。
そして1つトライしてダメでもあきらめず、また次を探してみるといいと思います。

参考になれば幸いです。
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