サミュエル ベケット(Samuuel Becket)の「ゴドーを待ちながら」(Waiting for Godot)のおける サルトルの実存主義 (Exsistentialism) のあり方について教えてください。

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A 回答 (2件)

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 ベケットに関して自信がないので、アドバイス程度に聞いておいてください。

サルトルが「嘔吐」で唾棄すべきもの、と表現したのは、おおざっぱに言えば、無という意識に対して、即物的に存在する「もの」に対するぬぐいがたい違和感であった、と思われます。サルトルは、この即時的存在に対抗するかのように「無としての意識」をより先鋭化させ、行動すべき指針は、自ら決断する「主体的な参加意識」(アンガージュマンとでも)である、とし、様々な政治活動に取り組んでいきました。それに反し、ベケットは、この即物的な「存在」についてじっと待ち望むかのように、考えを深めていきます。これが、「ゴドーを待ちながら」という戯曲のテーマのようでもあり、ただただ何かを待ち望む舞台が展開されるのです。確かその後、ベケットは卵のようにつるつるした「存在」をイメージとしてとらえていったような記憶があるのですが、そのあたりは、確とした自信を持てません。
 「嘔吐」や「存在と無」の後、行動する過ちの中で、サルトルは、「主知主義的性向」を反省し、後の時代の「構造主義」的な考えも自己流に取り入れながら思想的転向を計っていくのですが、両者ともに、「存在」に対する求道の現れを、文学化したものが、「嘔吐」であり、「ゴドーを待ちながら」ではなかったのか、と想像します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました,これから、がんばって、
ペーパーをかきます。

お礼日時:2001/07/11 11:30

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