サミュエル ベケット(Samuuel Becket)の「ゴドーを待ちながら」(Waiting for Godot)のおける サルトルの実存主義 (Exsistentialism) のあり方について教えてください。

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A 回答 (2件)

現時点ではどういう風に纏まっていますか?

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 ベケットに関して自信がないので、アドバイス程度に聞いておいてください。

サルトルが「嘔吐」で唾棄すべきもの、と表現したのは、おおざっぱに言えば、無という意識に対して、即物的に存在する「もの」に対するぬぐいがたい違和感であった、と思われます。サルトルは、この即時的存在に対抗するかのように「無としての意識」をより先鋭化させ、行動すべき指針は、自ら決断する「主体的な参加意識」(アンガージュマンとでも)である、とし、様々な政治活動に取り組んでいきました。それに反し、ベケットは、この即物的な「存在」についてじっと待ち望むかのように、考えを深めていきます。これが、「ゴドーを待ちながら」という戯曲のテーマのようでもあり、ただただ何かを待ち望む舞台が展開されるのです。確かその後、ベケットは卵のようにつるつるした「存在」をイメージとしてとらえていったような記憶があるのですが、そのあたりは、確とした自信を持てません。
 「嘔吐」や「存在と無」の後、行動する過ちの中で、サルトルは、「主知主義的性向」を反省し、後の時代の「構造主義」的な考えも自己流に取り入れながら思想的転向を計っていくのですが、両者ともに、「存在」に対する求道の現れを、文学化したものが、「嘔吐」であり、「ゴドーを待ちながら」ではなかったのか、と想像します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました,これから、がんばって、
ペーパーをかきます。

お礼日時:2001/07/11 11:30

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Q「ゴドーを待ちながら」はなぜ名作なのでしょうか

ベケットの「ゴドーを待ちながら」はなぜ名作なのでしょうか。

2度ほどこの芝居を観ましたが正直理解に苦しみました。
これといって大した筋もないし、「ただ待っているだけ」の芝居が名作といわれるのは本当に不思議です。

名作といわれる理由を、どなたか教えていただけますでしょうか。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

舞台は観たことがありませんので、あくまで小説(戯曲)を読んだだけの
感想となります。参考になるかどうか分かりませんが。

「ゴドーを待ちながら」は1952年に発表された戯曲で、前衛的な戯曲としては、
あとはイヨネスコぐらいではなかったでしょうか。なぜこのような戯曲が
誕生してきたかといえば、やはり第二次大戦の影響がおおきく、すべてが
崩壊してしまった後に新たな価値観を見出していこうとすれば、既存の価値観を
検証しようとする動きは当然で、文学の世界にもその波が押し寄せてきたと
考えてもおかしくはないです。

事実、以降60年ぐらいまで、ヌーヴォーロマン(アンチロマン、新しい小説)と
いわれるものが、数多く書かれてきます。ロブ=グリエとかビュトールとか
ナタリー・サロートとか。

「ヌーヴォー・ロマン」は物語の解体とか、小説のための小説とか
言われていますが、最大の功績は、小説から倫理性を排除していったことだと
思うんですね。
「ゴドーを待ちながら」はそのなかのひとつと考えてもいいのではないか。

じゃあ、ベケットはこの戯曲のなかで何を表現したかったのだろうか。
たとえばほんの身近な例ですが、質問者様はこの質問を投稿されて、
回答を待つわけです。それはあくまで回答という漠然としたもので、
中身はどんなものか予想がつかないわけです。(たとえばこの回答のように)
それでもやはり質問した以上、いつやってくるかもわからない回答を待っている
わけですね。内容すらわからないし、来るべき日も不明。
これは考えようによってはきわめて理不尽なことです。

そうしたものの究極の例が「人の死」ではないでしょうか。
われわれは肉親や知人の死に遭遇するごとによって、
死の認識を深めていくのでしょうが、自らの死は経験、
知覚することか出来ませんね。そしていつかかならずやってくる、
「概念としての死」を待っているのではないでしょうか。これは不条理の
最もたるものだとおもいます。
ゴドーはかならずいつかやってくるのでしょう。しかしそれがいつの日かは、
だれにもわからない。
もしこうした待つという行為からのがれようとするならば、待つという
行為を終わらせるしか方法がないのでしょう。先の例でいえば、質問を終わらせる
ことでしょうし、劇のなかであれば、ゴドーが来なかったら、死のうと言っているように。

こうした不条理なものをうまく劇化していることが、この戯曲が
評価をうけた理由ではないかと思います。
「ゴドーを待ちながら」の場合は物語の贅肉をそりおとし、思い切って
単純化することによって、象徴性というか寓話性かが生まれてきている。
こうした舞台劇が今までに無かったことと、後の舞台劇に影響を
与えたこと、この点が、いわゆる名作と言われてる所以かな、と思いますが、
劇を観ていないだけに、観ればまた違った印象を持つかも知れません。

纏まりの無い文で失礼しました。

舞台は観たことがありませんので、あくまで小説(戯曲)を読んだだけの
感想となります。参考になるかどうか分かりませんが。

「ゴドーを待ちながら」は1952年に発表された戯曲で、前衛的な戯曲としては、
あとはイヨネスコぐらいではなかったでしょうか。なぜこのような戯曲が
誕生してきたかといえば、やはり第二次大戦の影響がおおきく、すべてが
崩壊してしまった後に新たな価値観を見出していこうとすれば、既存の価値観を
検証しようとする動きは当然で、文学の世界にもその波が押し寄せてきたと
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