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宗教の自由

実家は両親やその周りは、宗教に染まってます。
何を話ししても「神様が」っと言います。
私は、そんな両親を正直「親」として人生の悩みだったり、たわいもない話しをした事がありません。っというか、できないでいます。
結婚前提に、お付き合いをしている方がいますが、うちの両親に会ってもらう勇気といいますか…また宗教の話しを相手に押し付けるのではないかと、恐怖を感じてなりません。
私も、そんな両親と一緒に住むのに抵抗を感じ、高校から親元を離れました。
嫌な事から逃げたらダメだと思うのですが、やはり宗教と人間がバランスよく共存するには難があると思うんです。
宗教の自由って何ですか?
両親がそうだから、私もそうでないといけないのでしょうか?
私は、宗教の世界から一切身を引いて生きていきたいんです。

A 回答 (12件中1~10件)

宗教事態が悪いわけではなく、其れを伝える側に問題が有るのでしょう。

利害関係で活動している団体(どの宗教でも)に入って活動すれば、おのずと其が当たり前のように認識してしまうでしょう。教えの解釈にしても、曲がった捉え方をしている者に教わり信じてしまえば曲がった認識のままなのです。なので貴方が疑問に思えるので有れば、身を引くべきです。憲法で定められている宗教の自由は 個人が選ぶ自由でもあるのです。(宗教活動しないのも自由です)貴方の「一切身を引きたい」そう思うのであれば、今はそれが良いように思えます。
宗教と自我の距離感、分別。例えどの宗教の信者に成っても、程よい距離と言うものが有りますから。宗教と自分との関係性がどの様な形態かが重要で、これは自分が判断、選別するものですし、そうでなければ危険なものです。他人と共有するものでもありません。一人一人向き合い方も違いますから。そこで初めて自分にとっての有意義な教えを選別できるのです。私はそう思っています。周りに納得できる信心者が居ないのであれば、例え家族でも従う義務は全く有りません。こう言うものが宗教の自由だと思います。今は避けましょう…。
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宗教の自由・・・・今,テレビで盛んに放送されている女優のこともあり,私も昔から宗教活動に疑問を感じています。


40年前,ある宗教家は「10人に1人は我々の学会員だ」と自慢しました。
私は「そんなにいい人がいればもっと良い世界になるはずだね」と言ったら,「悩んだ人間が多いので余裕がない」と答えました。
仏教,キリスト教,イスラム教,新興宗教の人たちが協力すれば,もっと良い世界になると思うのですが,仲が良くないのですね。
昔から国と国の戦争のきっかけにもなっています。
宗教の自由と言っても,当事者は強要します。入信しなければ人ではない!救われないと言います。
世界で最も安心安全な国と言われている日本が無宗教の人が多いというのは何故でしょう。
お互いを尊重する気持ちが大事なので,宗教が違うから仲良くなれないのはおかしいですね。

両親が宗教に染まっていると誰の説得も聞かないでしょう。洗脳された状態ですから・・・
あなたの文章からはあなたの人生に宗教の必要性は無いと思います。
親は子供の幸せを望む・・・宗教に入らないで幸せになれるなら,親とは違う人生を選んで幸せな人生を送るのも親孝行だと思います。
あなたの生き方で良いんです。
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>宗教の自由って何ですか?


他人の思想信条に介入しないことです。

>両親がそうだから、私もそうでないといけないのでしょうか?
いいえ。
ご両親の方々個人と質問者さんは別人格ですから、宗教の自由を保障しなくてはいけません。

>私は、宗教の世界から一切身を引いて生きていきたいんです。
頑張ってください。日本国憲法下であなたの自由は保障されています。
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クリスマスが宗教行事でない?



今ではアメリカでは他宗教に配慮して
「メリークリスマス!」とは言わないように
しているのだそうで、「ハッピーホリデー!」と
言っているそうです。
単なる行事ではないことは言葉からして明白ですね。
他宗教に配慮して言葉を変えるなんて宗教そのものでしょう。
その時期に教会に行くと、ミサが行なわれています。
季節行事にも宗教が関係している事例は沢山あります。
その場に行くという事は「参加している」事になるのです。

私は思うのです。
宗教を受け入れるかどうかは「縁」なのだと思っています。
どんなに拒絶しても「縁」があるのなら結ばれます。
拒絶せずとも「縁」が無ければ結ばれません。

以前、街角のあちこちで宗教勧誘が派手に行なわれていました。
私は交差点での信号待ち時間に必ずといってほど勧誘をされました。
当時は知識も無く反論出来ず、ただただ「はあ、そうですか。。」
といった感じです。

しかし、余りにも引っかかるのでちゃんと勉強しようと思い、
宗教本を買い込み、宗教家に話しを聴きに行って学び始めました。

暫くしてやはり交差点での待ち時間に勧誘されたので、私が学んだ事
での知識で洗脳された彼らと対決を始めたのです。

交差点で5時間立ったまま宗教問答を繰り広げました。
最後に20代前半の若い女性が一人残り、
「あなたに付いて行きたいです」と言われて、これはまずいと思い、
その場を走って逃げました。
不思議な事にそれ以来、信号待ち時間には勧誘を受けなくなりました。

世の中には様々な宗教が存在します。
ある人にとっては求める宗教であったとしても、他人からは邪教と
捉えられる場合もあります。
なので、「縁」という言葉を使わせて頂きました。

この「縁」を積極的に結ぼうとしたのが街角での辻説法です。
その代表が日蓮さんですが、同じ仏教でも禅宗や浄土宗、浄土真宗、
密教系の空海、最澄と考え方が随分と異なります。

面白いのは奈良の東大寺ですが、あんなに大きな仏様に対して、信徒さん
の数は下から数えた方が早いというくらい少ないんですよ。
そもそも奈良仏教は「葬式」という概念が無いのだそうです。
なので、京都の清水寺は奈良仏教なので葬儀が無いのですが、一度だけ
葬式を出した事があります。
著名な高僧で大変人気のある有名人だったので、市民からの嘆願があり、
亡くなったお坊様と仲が良かったお友達の永平寺の和尚様が禅宗スタイルで
執り行った事がありました。
30年程前のお話です。
私も現場に居りましたのでよく覚えています。

日本には数多くの宗教が存在しています。
古来から八百万(やおよろず)の神が居る事になっていますが、
日本人は様々な所に神が宿る信仰が有るので、キリストもイスラムも
新興宗教も受け入れる器が備わった世界的に見ても珍しい民族だと
思います。
私はそんな日本人として生まれて良かったな〜と思っているのですが、
satsuma3さんが宗教に係わりたくないのは宗教ではなく、何かにつけて
宗教人の言葉を使うご両親なのではないかと文章を読ませて頂いて思った次第です。

長々と失礼致しました。
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この回答へのお礼

大変為になるお話しをして頂き、光栄です。

貴方様がおっしゃる通り、縁なのかもしれません。
今の両親の子どもとして、生まれ育ってきたのだから…。
ただ、物心つく頃から、ある出来事をきっかけに、スイッチがONからOFFになったかのように、考えや思いが全く切り替わってしまいました。

それから親が発する「神用語」が全く、心に響かなくなり、うっとおしさを感じるようになりました。

私の長年に渡り、答えが見つからずにいる事なんですが、両親が親として見れないんです。「ん〜…私は誰と話しをしてるんだ?」っと常、両親と対話している時思うんです。
そう…まるで宗教について、洗脳されている気持ちになるんです。
だから、いつも右から聞いて、左から流し出す感じになりますし、私自身、自分の考えを主張しても、返ってくる答えは…何となくわかるので、私からアドバイスを求めたりはしません。

一番頼りたい人物に頼れないって…自らが寄り添えばいいのにって、みんなは思うかもしれませんが、それが出来ないから苦しいんです。

親が嫌いとかじゃない。
宗教を中心に考える両親が、私は大嫌いなんです。

簡単に解決する事ではないと思ってます。
下手をすれば、絶縁になるかもしれません。
でも、その覚悟でいます。

こんなの言う事は、親不孝と言われるかもしれませんが、どうか世間の皆様、そして両親には…ごめんなさい。

お礼日時:2017/02/16 09:02

私は、宗教洗脳の恐ろしさを伝えている創価学会員です。



宗教洗脳されし者とは、話になりません。
彼らの前で、マイナスの言葉を発したら最後です。
とことん、宗教の話が延々と果てしなく続きます。

彼には、そういう親であることを告げて、
ご両親に挨拶に行きましょう。
極めて形式的なもので良いと思います。

彼と二人で、幸せな家庭を築いてください。

無宗教なのに、初詣やクリスマス行くのかっていう人もいますが、
そんな声には耳を貸さないことです。
あれは、ただの季節行事です。
大事なのは、特定の宗教に洗脳されない強い心を持つことですから。

お二人が、強い心で幸せになられますように。
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この回答へのお礼

あなた様は、過去に辛い体験をされたのですか?

宗教の教えを信じることは、悪い事ではないとは思っています。

ただ、現実はその考えだけをもって生きていっては、最後はひとりになると思うんです。

私が、何を信じ、誰と生涯共に生きるかは、親が決める事でなく、私の意思を尊重していきたいです。って事を親に言っても「あんたは情けない」って言われるだけでしょうけど…気にしません。

彼と、些細な事でも、幸せと感じれる、暖かい家庭をつくりたいです。

ありがとうございます!

お礼日時:2017/02/15 23:07

宗教の自由とは信じるか信じないかは、貴方しだいです。

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この回答へのお礼

シンプルに考えてそうなりますね。ありがとうございます。

お礼日時:2017/02/15 15:49

相手が信教の自由を論ずるならば、自らも不信の自由を論じて絶縁すれば良いんじゃないの?


別に親に世話してやる義理もなければ、世話になる義理もないんだろ? 成人してるならば、血縁関係を切っても何ら問題ではないし、自らの責任で絶縁するのも一つの解決策なんじゃないのかな?
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この回答へのお礼

親と子の縁は切れないと言いますが、宗教ありきの親と、これからどう対話をしていけばいいのか、分かりません。
まるで、英語と日本語で会話をしているように、全く会話が成り立ちません。
おそらく互いに理解するのも、これから先も難しいでしょう。
理解して欲しい訳じゃなく、そっと見守ってて欲しいだけなんです。
それができない親子関係なら、断ち切りたいと切実に感じます。
私も、親の生き方には否定も肯定もしません。好きな様に生きてさえすれば…。
こんな娘…世間は許してくれないでしょうが、もうそれが最善の道だと思ってます。
ありがとうございます。

お礼日時:2017/02/15 15:55

宗教の自由とは、、、あなたには、(他人に迷惑をかけない限り)自分の信じたいことを信じる自由があるということです。

 同じように、あなたのご両親にも同じようにその権利はあります。

「他人に迷惑」というのは、何が良くて何がダメだと表現するのは、困難なので一律で表現するなら、他の法律に違反しない限りということになります。 しかし、法律だけでは社会はうまく回りませんのである程度のマナーや節度が必要になります。 この、マナーとか節度というのは、個人によって基準が異なりますので、スレ違いが起きるわけです。

ほとんどの場合の宗教は、他人を勧誘することが正しいことであるという教義があります。 これが、他人の(宗教の自由の)権利を侵害するようなレベルになる場合は問題があります。

宗教と人間がバランスよく共存するのに難があるという表現を使われておられますが、どちらかというと異なる宗教、もしくは無宗教の人間との共存に難が発生することがあるという話だと思います。 そもそも、宗教というものは真実を伝えるものであるという観点から、自分より正しいものがあるのは困ってしまうわけでそれが、他の宗教に対して排他的な考え方を持つ原因になることが往々にしてあります。

あなたが、無宗教であって自分の信じていることが正しいと思われるのは良いことですが、他人が信じていることを拒絶して、相手が間違っていると伝えようとするなら、それはある意味、排他的な宗教と似た考え方なのかもしれません。

まあ、一線を画す必要がある宗教(主にカルトとされる宗教)ってのは、世の中にいくつもありますけどね。 そのような人と何らかの関係を持たなくてはいけない場合は、たとえ自分の家族で会ったとしても、自分と自分の知り合いにたいして、一切宗教活動を行わないということを前提にしていただけないなら、人間関係を遮断するしかないよと伝えておくのが良いかもしれません。
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この回答へのお礼

私自身、究極な困難に陥る手前になると、誰にお願いをしているか分かりませんが、心の中で自然と「助けて下さい」っと念じている事があります。

誰しも誰かに助けを求めたり、誰かを必要として生きていると思います。
そこに自由があるんだと思います。

宗教は、その宗教の思想に心から添えてこそ、信仰できるんだと思ってます。

親は私に「あなたは、神様から心が離れてるから、心が痩せている」っと言われます。
傷つきました、正直。
私は私を信じ、幸せを求めて私らしく生きていたいと常に、仕事や恋愛…真面目に向き合い、真っ当しているのにって…。
遠方にいる両親だからこそ、私がどんな生活をしているか分からないから、そう見えるのかもしれませんが、もっと世間一般的に通用するような言い方はないの…って思いました。

私の中の宗教活動とは、冠婚葬祭ぐ、いで、立派な信仰になると思うんです。
両親と私の「宗教を信仰する」っという点での考えが全く違うんだと思いますが、それはそれで悪くはないと思ってます。
お互いを否定も肯定もせず、生きていけたらいいのにって…。

宗教って何なんでしょうね…こんなにも人と人の関わりを難しくするもんなんでしょうか…。

ご意見ありがとうございます。

お礼日時:2017/02/16 09:34

宗教の自由って何ですか?


  ↑
宗教を信じようが信じまいが、それは
個人の勝手であり、公権力が干渉しては
いけない、ということです。

個人が干渉するのは、犯罪や不法行為に
ならない限り、自由です。



両親がそうだから、私もそうでないといけないのでしょうか?
    ↑
そんなことはありません。
それこそ、宗教の自由です。

ワタシの祖母も、宗教にはまりましてね。
金金金の世界で、親戚一同、えらい迷惑しました。
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無宗教の人がこの世にいるのでしょうか?


だって、産まれたときは神社にお世話になり、
やがて七五三でしょ?

そしてキリスト教で結婚式。
死ぬときは仏教。

お正月には初詣ですが、行きませんか?
お盆には墓参り。

身の回りを見渡せば、宗教行事に参加している
事が沢山ありますよね。
これら全てを参加しないで生きて行くのですか?

問題は宗教ではなく、ご両親が問題なのではないですか?

どこの宗教団体かは分りませんが、本当にご両親が
話している内容が正しいのかをご自分で検証しないと
納得出来ないと思います。

なので、一度その宗教団体の本部を訪ねてみると
良いのではないでしょうか。
意外と宗教団体の教義を自分勝手に解釈している人が
多い様に思います。
チョッと良い話しを聞いたら好き勝手に話しの内容を
変えて、自分の都合のいいように話してしまうのです。

私の回りにも嘘ばっかりついて会員を募っている人が
いましたが、余りにもやり方がえげつなかったらしく、
宗教団体の本部に知られてしまう事になり、大騒ぎに
なったと知人の宗教団体職員が話してくれた事が
以前にありました。

話しは変わりますが、
前東京都知事の石原慎太郎さんは若い頃、ヨットに
息子さん3人を乗せて船出したのだそうですが、
船を降りて子供さん達とダイビングを楽しんで
いたそうです。

あまりにも夢中になりすぎて、ヨットに戻ろうとしたところ、
ヨットは遠く流されてしまいとても泳いでたどり着けないと
思ったそうで、その時はこれで自分も息子達も溺れて死ぬのか
と思ったそうです。

その時、石原さんはどうする事も出来ないが祈る事だけは
出来ると神仏に必死に祈ったそうですが、不思議な事に、
一隻の船が現れて助けて頂いたとご自分の著書の中で
その時の話しが書かれたあったのを覚えています。

そういう事があって以来、特定の宗教宗派に属するのではなく、
自分自身でお経を唱えていらっしゃるのだそうです。

人間、最後に頼るのはそこしか無いというのが究極の答え
なのだとその著書を読んだ時に私は思いました。

ご参考までに。
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