アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

日紡貝塚女子バレーボールチームは、「鬼の大松」監督に率いられ、
1962年の世界選手権で優勝し、東京オリンピックでは同チームの選
手が主力となった全日本チームで金メダルを獲得していることは、あ
まりにも有名な話です。

歴史が浅く、体力に劣る日本人がこの偉業を成し遂げたのは、大松監
督の「常軌を逸した」猛練習にありました。その模様は映画「挑戦」
で見ることができます(you tubeで視聴できます)。
回転レシーブの練習では時に肉が裂け骨が見えたと言います。

このチームのありかたは、後に「スポコン文化」を呼び、日本のスポ
ーツ界の文化に(形式化しながら)なっていったと思います。

現在の日本ではほぼ完全に否定されているようですが、私は大変に日
本人らしい精神性の高い文化であると思います。

さて、彼女たちは何故「俺についてこい」と言われて、ついていった
のでしょうか?
また、これはどういう文化と言えるのでしょうか?

A 回答 (3件)

No.2です


訂正します、三行目-本当は根性論でした→「本当は精神論でした」に

>最近のバレーボールチームは、科学的な合理的な練習をしているはずなのに
何であんなに弱いのでしょうか?

一つは東京とモントリオールで金を取ったので選手に昔程の意欲が無いこと
(マラソンの高橋尚子が初金みたく)あとは日本人が恵まれ過ぎたのかも
ハングリー精神と根性論は多少違いますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

スポーツにしても商売にしても何にしても意欲、ハングリーな気持ちは
大きくものを言いますよね。

精神が大事だとした日本の古くからの文化は正しかったと思います。
軍国主義が悪かったし、戦後の肚の決まっていない威圧的な指導者が歪
めてしまったのだと思います。

お礼日時:2017/02/17 00:37

「東洋の魔女」は根性論であって精神論(道徳)ではないですよ


これを受け継いだ梶原劇画もスポ根と言われましたが
本当は根性論でした、梶原劇画は聖書から来てましたから・・・
根性論と精神論は別物なので注意が必要ですし
人間は何処でも根性論では通じません
日本人の悪いクセです
昔、プロ野球の関本(元巨人)がこう言ってました
「僕は根性という言葉が大嫌いです、大松さんですか
あれでどれだけの女性がカラダを使い潰したか」と
当時のバレーボールは根性論で通じましたが
現在では無理ですし格闘技や野球等も根性論
だけでは勝てませんね、スポーツでも根性論で
通じない種目でたくさん有ると思いますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

根性論のそもそもの意味は、何事にも屈しない強い精神(根性)があれば
どんな目的でも達成させることができる、というものです。

それがいつの間にか、とにかくド根性で頑張っていればなんとかなる、
という風に一般的には変わっていったようです。
おそらく、「インパール作戦」とか「神風特攻隊」なんていうものの存
在の影響でそうなったんじゃないかと思います。
尤も、これらは何とかなると思ってやったものではないとは思いますが。

それから、「根性」は日本人の専売特許ではないと思います。

エジソンは電球の発明のために1000回失敗したということです。
また、ヘンリーフォードは自動車会社を成功させるために、七度の失敗と
五度の破産をしたといいます。
それでもあきらめなかった彼らは、「ド根性」の持ち主ですよね。

大松監督のやり方は、今ではありえないけれども、大変に合理的であったと
思います。事実、世界一になっています。

最近のバレーボールチームは、科学的な合理的な練習をしているはずなのに
何であんなに弱いのでしょうか?

お礼日時:2017/02/16 22:53

努力・忍耐・根性、もっと言うなら組織、に元々日本人らしさなんて無いですよ。


それは戦時中、軍国主義の時代のプロパガンダとして都合が良かっただけで、日本の長い歴史からすると「スポ根」「組織崇拝」みたいな精神の歴史は浅いです。逆に、大戦前の日本の話でそういうの聞いたことあります?

日本には歴史と、特有の精神性があります。ただ、日本のいいものの殆どは江戸時代より前(そして平和になった現代以降)に生まれています。
多くの戦後の日本人が、戦中戦後の限られた期間の軍国主義の精神や、悲劇的で惨めだった時代を、まるで日本の歴史・伝統・精神の全てかのように言うことは、日本人にとっての最大の悲劇だと思います。

>これはどういう文化と言えるのでしょうか?
日本人であるなら、こういった精神が「軍国主義」の副産物でしかないことくらいは自覚すべきかもしれません。
NHKアーカイブスで、昭和の異常(というか滑稽)な企業の根性論セミナーみたいなの見たことありません? あれを見て、戦争で国の為に命を落とすことが美徳とされ組織化された若者達を思い起こさなかった日本人はだいぶ鈍いと思います。
「肉が裂け骨が見える」ことを美化するのも、それらと根ざすところは同じですよ。「今まさに戦争中である」イスラム国のジハードと同じです。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

あなたのようなご意見が多いと思っておりました。
まずは、「模範回答」をいただいたというところでしょうか。

日本には古くから「お国のため」「殿様のため」にご奉公する、という文化が強くあって、
この時の監督は大正生まれ、選手たちは昭和のはじめの生まれで、おそらくかなり残ってい
ただろうと思います。だからこそ、成し遂げられたとも言えると思います。

また、江戸時代の剣術の修行は凄まじく、若くして命を落とす人が少なくなかったと言いま
す。
また、相撲の稽古についても、昭和と平成とでは稽古の時間自体からまるで違うと、亡くな
った大鵬さんが嘆いていたことを思い出します。
双葉山の時代の映像を見ると、力士の筋肉のつき方が違います。その稽古の伝統は江戸時代
に遡ることになるでしょう。

つまり、こうした精神性は「軍国主義」とは関係ないということです。「利用された」とい
うことであって、「軍国主義」が連想されるから悪いものだと、短絡的に考え切り捨てるな
どという愚をおかしているのが現代で「もったいない」と思います。

仰るように、戦後の企業内あるいはスポーツの場において、組織的威圧に晒されたケースは
あったでしょう。これこそが「軍国主義」の弊害だと思います。

私としましては、監督の精神性と彼女たちとの関係性に興味を持っています。

お礼日時:2017/02/16 14:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す