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賢さの定義、機知と英知の違いについて。
賢さには幾つも類型はありますね。

論旨の一つに「知的な人に限って、頭の回転が鈍く、要領が悪く生き方上手にはなれない。」がありますが。

人には得意不得意があり、全ての面で賢くなるのは無理だと(絶対的な無理ではなく、経験したり努力するのには時間が足りないのですね。)最初から解っているつもりではありましたが。

学生の場合でもですが、以下はやはり、機知と英知の違いでしょうか?

1は英知に長けた人で、2は機知に富んだ人でしょうか?

1 内向的な優等生の場合。

・勉学優秀で、人と話さない分、いつも図書館で難しそうな本ばかりをよく読んでいる。思慮深い性格。
なのでよく端から見ている人からは「知的な人だ。」と囁かれたりしている。
実際、勤勉で勉強と読書は誰にも劣らず、思慮深く猜疑心も強く、物事を深く考察する事にも裏読みにも長けており、博学才穎で洞察力、分析力は抜群である。いつも落ち着いている。特に文学、哲学、人間科学、倫理等の分野には造詣が深い。
しかし、遊びやレジャーや雑用とかで、単純な細かい事を行う時には、ボンヤリして簡単な工夫も思い付かず、咄嗟に「もう少し頭使えよ。」とか「それぐらい考えりゃ解るだろう。」と、普通の人から言われて諭される事が少なくない。
特に、大勢の前に出るとボンヤリして頭が回らなくなったりもするし、勿論話術も無く口下手。
気苦労も多く、肝心な時にエネルギーが無かったりもする。
人と触れ合う機会も少なく、折角の豊富な知識を活かすのもそんなに上手とは言えない。
でも疑り深いから軽率な振る舞いもしないので2と比べれば、誰からも「単純」とか「子供っぽい」、「軽い」、「能天気」等とは言われたりはしない。
でもノイローゼとかになる危険性は、後者より圧倒的に高い為、天か地かになりがち。

2 いつも明朗快活な反面、軟派で浅薄でチャランポランで、勉強嫌いの読書嫌い。
しかし、よく周囲からは「アホだなあ。」とか「単純」、「幼稚(子供っぽい)」等と謗られるのはしょっちゅう。
そんな人に限り、何かする時に色々な事でチョイチョイと頭が働く。話術も巧み。
「明るさ」と「頭の回転」だけが取り柄ってところ。
だけれど、前者に比べて、ノイローゼや犯罪者になる危険性は低く、普通に働いて普通に稼い行ける無難な人間で、標準偏差を保てやすいと思う。

以上ですが如何でしょうか?

「勉強出来ない人に限って、勉強以外の事ではやたら頭が働く。柔軟なので世間のどんな荒波にも打ち勝てる。」とは皮肉なものですが。

「賢い人は存在しない。」と言う訳ではなく、
「全知万能な人は存在しない。そこまで成長は出来ない。」が正しいとは思いますが。


因みに私の友人S氏は、どちらかと言えば前者タイプになるそうです。
本を読んで知識を吸収し、得たものをこう言う場所に書き込んだりする文字媒体では力を発揮しますが、人から聞いてすぐ仕事を覚えたり、咄嗟の機転を効かせたりすることは苦手との事なので。
本人が言うには、ですから社会人としては、下の部類に入るでしょうと。リアルでは寧ろ、要領の悪い人間だと思われている節があります。

でも、知識のある人間が知恵を見につけるのは困難ですが、知恵のある人間が知識を身につけるのは、前者よりも難しくないような気がするのです。
努力して成功するタイプというのは、恐らく知恵のある人間のことなのでしょう。

現に、勉強が出来て知恵も回り、おまけにスポーツまでこなし、人格も良い、完璧に近い超人が、存在していないわけではありません。現にそう言う人間を自分は知っています。そしてそう言う人間は、おしなべて社会的に高い地位へと就いています。
世の中に業界は数多くあれど、どこでもトップに君臨しているのは、そう言うタイプの人間が多いのではないでしょうか。

出だしの言葉を変えると、
「世渡り上手な頭の悪い人」と
「世渡り下手な頭の良い人」の比較と言う事でしょうか。

まず、学業で使う「頭」と、生活の中で使う「頭」は違うような気がするのですが、
専門家では無いので、よく分かりません。

素人ながら思ったことは、
思慮深く猜疑心も強く、物事を深く考察する人は人間関係の中で、話題以外のことを深く考え過ぎて(自分がこう答えると変に思われないだろうか、、など)
明朗活発な人に比べると
余分なところで色々と頭を使い過ぎるために


大勢の前に出るとボンヤリして頭が回らなくなったりもするし、勿論話術も無く口下手

になってしまうのではないでしょうか。
なので、頭の回転の問題では無いかもしれないと思いました。
しかし明朗活発で知的な人も、勿論います。
ただ、確かに、あまりにも熟考が過ぎるために
思慮深く猜疑心も強く、となってしまう人も中には居ます。

これは、知的かどうか、と言うよりもやはり、
その人の性格、経験値が関係するのではないでしょうかと。

「回転が速過ぎて人には止まったように見える」と言う事もあるかも知れません。

例えば、素人将棋では数分でも考え込めば「遅い」と言われるでしょう。でも、プロの対局では数時間の長考もあり得ます。

脳が思考してる時は、人の心と自然の情緒との交流を、脳が遮断するので、心がストレスになります。脳が休むと、人の心と自然の情緒が交流するので、心が癒されます。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。人は、脳が万能だと思っていますが、人を育てるのは情緒です。脳の科学は、かつて自然を破壊しました。脳の論理思考は、情緒を排除します。だから脳は不調和な存在です。
だから天才は、脳の思考が自我が休んで、脳が無我になっているそうです。

A 回答 (3件)

情報量の評価基準に、質と量があります。



1.量
暗記テストで良い点を取るための知識量。
百科事典的な詰込み知識。(単線的な丸暗記)

2.質を伴う量
論理的な展開を伴うテストで良い点を取るための
公式や手法の応用性のある知識。(具体的な思考力)

3.質
多様で階層的な環境を一体のものとして認識する
ための有機的に相関した知識。(環境認識の深まり)

おっしゃられている「環境との交流を断つ思考」は
前者寄りのものであり、後者は、山の中を一人歩いて
いても、その環境認識において常に活性化するものだ。
環境の実体とは、脳内の思考である。
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このことは。

私もよく考えました。

脳の機能というものは、人間基本的に差はないと思います。
大きな違いは「何に興味を持つか」だと思います。
これは、先天的要素が大きいと感じます。

大きく分けると人間は二つのタイプになるでしょう。

1 各論に興味がある人

2 総論に興味がある人

1の人は役割が細分化された現代社会に適応しやすいので、割と元気でいられるのでしょう。
どこかに入り込めばいいわけですから。

2の人は社会が複雑であるので、全体を理解するのに時間がかかるのだと思います。現実の
一つ一つのものを見て、「これは全体から見るとどういうものなのか」がすぐにわからない
ので、賢い人でも馬鹿に見えるのでしょう。

1、2ともに社会には必要な人です。ただ、2の人は育ちにくいので大切にすべきだと思って
います。

尚、「賢い人」というのは、自分の英知を発揮できる環境に恵まれた人、あるいは自分でそ
れを作り出した人、と言えると思います。
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勉強しすぎるのは頭が固くなっちゃって良くないよね。


気楽にやってる人がいいんだと思う。
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