【書籍の不思議】著者が本の作成にあたって協力しtrくれた方々に感謝を最初に述べるのが恒例になっていますが、編集者が付録のDVDに映像作成会社に対して「多大な協力を頂きにましたことに御礼申し上げます」と記載されていました。

書籍の付録のDVDは映像会社に発注してお金を払ってるんですよね?

お金を払って御礼申し上げるって大袈裟なと思いました。

そして多大なご協力という表現もちょっと不思議です。

もしかして映像会社はタダで作って上げたってことですか?

あり得ないですよね?

作成映像会社の社名を出してくれたらタダで作成。

だったらこの表現もありえるけどタダで作らないですよね?

しかもDVDを付けなかったら2000以下で売れたのにDVDを付けたので2000円を越えてしまいました。読者の方々には申し訳ないと思っています。って書いてるので制作費払っていると思います。

なぜ映像会社にまで御礼するのでしょう?

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A 回答 (1件)

書籍にかぎらず


こちらからお金を出して
何かを依頼する場合でも

たとえば
こちらから提示した金額以上の手間をかけてしまったなど
相手側が
好意で参加してくれたということがあります

つまり「安い(かどうかはわかりませんが)予算でいろいろ注文をつけてしまったのに
ここまでやっていただいたのですか」ということですね

もらった分しかやらないよ
それ以上やって欲しいのならもうすこしお金を出しなさいという会社もあります

今回はそういうことでしょう
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2017/02/18 14:37

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Aベストアンサー

原文なら近代デジタルライブラリーに。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/756224

抜粋の読み下しなら「南洲手抄言志録」として青空文庫に。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001331/card48284.html

公刊されている現代語訳は著作権があるので図書館へ。部分的な訳なら、個人のサイトに少しだけあります。
http://www.ac.auone-net.jp/~touri/genshi_shiroku/index.html

Q「詩」や「小説」に詳しい方、ご協力おねがいします(>_<)

学校で20世紀に活躍した詩人、文学者について勉強してまして、ある人たちを調べています。
名前を挙げますと、
-----------
□Wilfred Owen(ウィルフレッド・オーウェン)
■Siegfried Sassoon(ジークフリード・サスーン)
□Edward Thomas(エドワード・トマス)
■Dylan Thomas(ディラン・トマス)
□James Joyce(ジェームス・ジョイス)
-----------
などなどです。

もしも彼らの中で、1人でも知ってる方がいたら情報いただけると嬉しいです!代表作だけでも結構です。
エドワード・トマスについては、自分で調べてもみたのですが良い情報が見つかりませんでした。
なので、彼については何でもイイので情報下さい!!
心より お返事お待ちしてますm(_ _)m

Aベストアンサー

非常に失礼なのですが、#3の方の回答の訂正をさせてください。

ディラン・トマスはウィスキーの飲み過ぎで死んだわけではありません。
確かに酒飲みで、亡くなったころは大変太っていたのだけれど、ニューヨーク滞在中に、講演や朗読、オペラを上演するために作曲家と打ち合わせなど、過密日程で体調を崩し、肝臓と心臓を痛め、ニューヨークの病院で亡くなっています。享年39歳。

ディラン・トマスは1914年、イギリスのウェールズに生まれます。
#3さんのおっしゃっておられる
>下層中産階級出身
というのが、どういった層を指すのかいまひとつわからないのですが、お父さんはグラマー・スクールの教師でした。
たとえばジョイスがアイルランド・ダブリンの地と切っても切り離せないように、トマスの作品はウェールズと切り離すことはできません。

1930年代のイギリスの詩壇は、マックニース、スペンダー、オーデン、デイ・ルイス(俳優のダニエル・デイ・ルイスのお父さん)らが中心の、非常に知的で左翼的で社会心理学の影響を色濃く受けた「ニュー・カントリー」派の詩人が支配していたんです。

そこへ19歳、全く無名の新人ディラン・トマスが、個人の魂を謳った「緑の導火線を通して花を駆り立てる力」という、詩壇そのものを揺るがすような詩をひっさげて華麗に登場した。若き天才児だったんです。

その後の十数年の間に三冊の詩集を出し、その傍ら小説を書き、短編集として『若き犬としての芸術家の肖像』(これはジョイスの『若き日の芸術家の肖像』のもじり)、中編として『皮商売の冒険』(晶文社からこのタイトルで翻訳も出ています)を出し(生前は短編集のみ)、戯曲もいくつか残しています。

トマスの詩は、とくに初期のものは難解で知られています。
とりわけ、言葉に象徴性と多義性を持たせようとして、多くの言葉を創り出し、複雑な構文で書いた初期の作品は、一つの言葉が動詞と受け取られたり、名詞と受け取られたり、批評家の見解も一致していません。
彼にとって「言葉」は大変に重要で、言葉にキリスト教、ドルイド教、ウェールズの伝説、神秘主義など多数のイメージを持たせる一方、感覚的にも言葉をとらえ、非常にいきいきとした、美しい英語で書かれた、とされています。

彼の詩の中で一番有名な「ファーン・ヒル」を参考URLとしてあげておきます(これはそれほどむずかしくありません)。

http://www.bigeye.com/fernhill.htm

参考URL:http://www.bigeye.com/fernhill.htm

非常に失礼なのですが、#3の方の回答の訂正をさせてください。

ディラン・トマスはウィスキーの飲み過ぎで死んだわけではありません。
確かに酒飲みで、亡くなったころは大変太っていたのだけれど、ニューヨーク滞在中に、講演や朗読、オペラを上演するために作曲家と打ち合わせなど、過密日程で体調を崩し、肝臓と心臓を痛め、ニューヨークの病院で亡くなっています。享年39歳。

ディラン・トマスは1914年、イギリスのウェールズに生まれます。
#3さんのおっしゃっておられる
>下層中産階級出身
という...続きを読む

Q「や」で終る俳句を広く知りたいので、ご協力ください。お教えください!

「や」のエンディングの俳句:

種蒔いて明日さへ知らず遠きをや 水原秋桜子 俳句検索エンジン
限りなく降る雪何をもたらすや  西東三鬼 俳句検索エンジン
梨食うぶ雨後の港のあきらかや  中村汀女 俳句検索エンジン
妻がなければ甚平はじだらくや 森 澄雄 俳句総合月刊誌『俳句』
なくなりし炬燵団欒なつかしや  森 澄雄 俳句総合月刊誌『俳句』
雁渡るいくたび職をかへてもや  石塚友二 俳句総合月刊誌『俳句』
亀の子われに問へ春近きや 太宰治『断章』
みちのくの菊のひかりにつまづくや 黒田杏子 俳句検索エンジン
いざよひとなりて消えゆく水泡や  八田木枯『夜さり』

※できる限り<出典>を添えてください。削除されてしまうかもしれませんので。

Aベストアンサー

若い世代・・・といってもあんまり若くないのですが例にいれていらっしゃるから、汀女でも良いのでしょうか?
咳の子のなぞなぞあそびきりもなや 汀女
が思い浮かびました。出典を忘れてしまったので一応検索してみつけたURLを入れておきます。

参考URL:http://www5c.biglobe.ne.jp/~n32e131/haiku/teijo.html

Q言語と映像について

言語表現と映像表現にはどのような違いがあると思いますか?
文学作品が映像化されるにあたってストーリーに大きな改訂を加えられることがあります。
文字が映像で表現される場合、どういったところが大きく変わってしまうのか、双方の長所と短所を踏まえた上で意見をお聞かせ下さい。

Aベストアンサー

 質問者さんの「映像」という言葉は映画の「映像」という意味なのだろうと私は解釈しましたので、以下映画にします。
 さて、質問者さんは二つの質問をしていますよね。一つは「文学作品の映画化について」二つめは「言語表現の映像化」。これは答えが違います。でも質問を読んだ印象では一つめが気になっているようなのでそちらを答えたいと思います。
(1)描写
 映像には豊饒な描写があるといったのは、シーモア・チャットマンです。例えば「少年は赤い椅子に腰を下ろした」という一文があるとします。文学ではこれだけで十分です、必要のない描写は書く必要がありません。しかし映像にする場合、少年は何歳くらいなのか、もっというと実際に誰なのか、服装は、人種は。また赤い椅子はどんな赤色なのか、朱か、紅か。椅子の形はどんなか、ソファか、パイプ椅子か、木製か。また少年がいる場所はどこなのか、室内か、草原か。映画でこの一文をあらわすにしても無限の情報を決めなくてはいけません。
(2)視点
 前の方も仰っていました。視点は文学と映画では違います。何故なら映画はキャメラと通じてしかストーリーを物語ることができないからです。キャメラがある以上語る視点は限られてきます。キャメラに一人称の語りは出来ません。1946年に制作された『湖中の女』を見ればわかります。キャメラは人の視点の代わりは出来ないのです。
(3)解釈
 多分、ここが一番重要なことだと思います。「ストーリーに大きな改訂を加えられることがあります。」と質問者さんはいいます。つまり、原作に手を加えるなと言いたいのでしょう。そこで考えて欲しいのは映画とは誰が製作するものなのでしょうかということです。映画の製作責任者は監督です。つまり原作を書いた作者はではないので、「原作と違う」という文句はそもそも的外れな意見なんですね。作る人が違うのだから作品ももちろん違います。ダ・ヴィンチの作品『岩窟の聖母』を見れば一目瞭然です。あれはどちらかが弟子が描いたものだといわれています。同じ構図でこれだけ違う絵画が出来てしまうのだから、映画だって違って当たり前です。
 原作がある映画とは監督が原作をどのように解釈したかということだと私は思っています。限りなく原作通りに映画化したいと思う監督もいれば(私はそのような監督を個性も主張もない監督と呼びますが)原作を読んだ時に自分がした解釈で映画化する監督もいます。付け加えられたストーリーは監督の原作を読んだ時の解釈。そこを観て「この監督はそんな風に原作を解釈したのか」と思えば、原作付き映画をもっと楽しく観られると思います。

 質問者さんの「映像」という言葉は映画の「映像」という意味なのだろうと私は解釈しましたので、以下映画にします。
 さて、質問者さんは二つの質問をしていますよね。一つは「文学作品の映画化について」二つめは「言語表現の映像化」。これは答えが違います。でも質問を読んだ印象では一つめが気になっているようなのでそちらを答えたいと思います。
(1)描写
 映像には豊饒な描写があるといったのは、シーモア・チャットマンです。例えば「少年は赤い椅子に腰を下ろした」という一文があるとします。文学...続きを読む

Q文章が上手く書けないって恥ずかしいことですよね?

もういい歳して、上手く文章書けないとヤバいですよね?
なんか、本のなかから要点だけ抜き出して書くのとか苦手で・・・・・
恥ずかしくて申し訳ないです。

やっぱり、文章上手く書ける人って日頃から、新聞とか読んでますよね


似たような言葉繰り返してたり、語彙の不足でしょうか・・・・・

Aベストアンサー

(自分の事は棚に上げて書きますが^^;)何はなくとも書く訓練ですね。
下地無しの状態で漠然と文章を読んでいるだけでは、ボキャブラリーだけは増えるでしょうが表現するスキルにはなかなか結びつきません。

レポートでも企画書でもマニュアルでも、まずは「人に何かを教える為の文章」を書く練習をするのが手っ取り早いです。教える相手として、全くの部外者・初心者を想定して下さい。
最初のうちは伝えよう伝えようとしてどうしても冗長になりますが、数をこなすうちに次第にシンプルになってきます。

なんとなく行き詰まりを感じたら、そこで初めて他人の文章を読んでみて下さい。自分がどうすれば良いのかが、かなり具体的に分かるようになっているはずです。


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