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罪悪感について

私はたまに自身が幼い頃から今に至るまでいろいろな出来事をフッと思い出します。
幼い頃はまだ物事の分別もしっかりついていなかったとしても今思い出すととんでもないことであったり人を傷つけたりしてきました。

ときどき…
でも最近は特にそういうことを思い出してはいなくなりたい気持ちにかられます。
そういうので周りに当たってしまったりしてまたそれが理不尽だと自身でも自覚しているため罪悪感になっていく。

そういう自身が誰かを好きになったり結婚したりとかしていいのかな?などとよく考えます。

みなさんはこんな気持ちになったりしますか?
そうなったときにどう思い直すようにしてますか?

なんか気持ちの収集がつかずにずっと頭をぐるぐる回ってます。

よかったら教えて下さい。

A 回答 (4件)

今、反省が出来るということは、そういった過去の経験から学んでいるわけで。


そして、記憶の中にあるものは皆すべて「過去」でしかないわけです。

時間は元に戻せないから、人はどんなときでも未来に向かって生きていかないといけないわけですよね?。
生きていくことで、同時に自らの命の火も消えていくわけです。
…生きていくことは、つまり儚いことだということです。

過去の出来事をどう思えるか?ということで、過去は決まるといっても過言ではないでしょう。
それが自分にとって「許されるべきことなのか」を決めるのは、自分の存在を許せるのかどうかであり、自分が未来に向かって生きていることへの「自覚」だと言って良いでしょう。

わかりますか?。
「過去は未来をどう生きていくか」で、決定されてしまうんですよ。
限りある命があって、そしてそれは減り続けていくものでもある。
止めることが出来ないものであるからこそ、未来を明るく生きたいと思うのだし、結果はどうあれ「それでよかった」と思い続けたい。

結婚も、子供も、自分の未来を託すための「手段」のひとつです。
子供は親を選べませんけど、子供は親と同じようにまた「自分の未来を託す」ため、子供を産み育てます。
生きていくことは儚い、と言いました。
儚いからこそ、何らかの形で何かを求めて、何かを成したいのです。
人とはそういう生き物なのです。

人生という流れに、竿さして流れを確かめようとしてはいけません。
流れの中で、行き先を決めていくためにこそ、手元に竿はあるのです。
竿を深く差しすぎてしまえば、水底に竿が刺さってしまい、結果失うことになってしまいます。

過去について考えすぎることは「毒」でしかありません。
時に毒が薬を生む(過去の記憶が未来を進める)こともありますが、考えすぎるならば毒でしかないのです。
自分を許し、過去を許す。
許していくという行為無くして、平穏などあり得ないのですよ。
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だから謝罪❗しなさい


ミニクーパーそれしかない
口にはだまされません
態度やな
一生払いなさい ひとの車を乗り
それをまたはんたいに
あなたのを乗るとなぜあんないいかたされる
私のはタクシーですか
そのまえは
どの車をつかいましたか
今さら過去にされても
ゆるせません
お気楽な事でしょう
思い通りもとのさやにもどれ
以前いじょうに 屈辱を
持つ❗
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罪悪感はひとをおだてまくり


いつまでもそばにいて応するとか
同じ手の形している
何人いてもすぐ背中やうなじをみたらすぐわかる
このまま腹上死しても
いつしぬてもよい
とか言ったら懲りない
何回もいわれた
あれは全て騙すためにいわれたの
人をしんようさすため
そばにいる
すべて
人が変われば同じやん
よけい打撃❗
最後は二人でうえから
目線
こんなにかわるものか
悪口 あまりにもひどい
ことされ
怒るの当たり前
私がそんな人間でしたか
二人でこうげき
2対1で
ゆるせますか
以前の私以上にしたのは誰ですか
我慢にも限度ある
偽善者ぶり
弱い者いじめとおなじ
人をしんじれなくしたのは
誰ですか
もとのさやにおさまり お宅はサイトで
夫婦で記載して
人の事をなんと
凄いきた
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罪悪感で悪循環になるなら罪悪感など持たない方がマシ。


とそう思う。

自分がよいと思うことをどんどんやるしかない。
とそう思う。

自分がなにもよいことをしない言い訳として罪悪感を使うべきではない。
とそう思う。
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