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1.意識のある状態で、指を曲げると決意しました。
2.その後、指が曲がりました。
この場合は、自由意志が働いていますね、

質問したいことは、次の場会です。

1.無意識の状態で、指を曲げる、と決まりました。
2.その後、意識のある状態で、指を曲げると決意しました。(結果的には、前項に追従したことになりました。)
3.その後、指が曲がりました。
この場合、自由意志が働いた、といえるのでしょうか?
(自由意志の定義に、関係している、ともいえますが)

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A 回答 (5件)

お礼ありがとうございます。


リベットの実験に関しては、その後にも追試した実験者がいるので、実験自体に問題は無いと思います。
ただし、「意識」、「無意識」の定義が、多くの哲学者とは違うと思います。
リベットの実験の場合は、実験対象が意識を発動したと考えられる時間と、準備電位の時間差があるので、準備電位をあたかも「無意識」の発動と考えています。
これは、脳生理学的には、そのような解釈になるのかもしれませんが、哲学ではそのようには考えません。
準備電位が、「意識」の発動で無いと実証できないからです。
「意識」が脳にあるかどうかは、哲学的議論になるとは思いますが、脳の特定の部位にあると考えるのもおかしいでしょう。
例えば、「意識」が脳に無いと考えたら、あくまで脳の活動を測定しているだけで、それが「意識」とは特定できないわけです。
哲学的な「無意識」とは、「意識主体」とは、別に存在するものと考えているので、この実験の準備電位とは、意味合いが違います。
多くの哲学者は、あまり「無意識」という概念は使いません。(精神分析学で使われる用語です)
使ったとしても、人間が「意識」しない、別の上位行動原理として使用される例が多いようです。
あくまで、リベットの実験は、脳生理学と言う科学の実験ですから、哲学的に考えているわけでは無いです。
ですから、「意識」とは、実験対象が「意識」と認識している事であり、それ以外は「無意識」と考えているわけです。
ただし、準備電位が「意識」と無関係だとは、科学的に証明できているわけでは無いです。
「意識」が時間的広がりを持っていて、一定の時間範囲の神経電位の励起が、一つの意識決定として捉えられる可能性はまぬがれません。
ただし、リベットの実験を改良して、準備電位が発生した後に行動の中止の反応が出来るかの実験が、ベルリン大学附属シャリテ病院で行われています。
結果としては、0.2秒以内ならば、行動の中止が可能だと言う結果が出たそうです。
0.2秒を過ぎると行動の中止は出来なかったようです。
この実験も解釈は難しいですが、一つの可能性としては、「意識」の時間的広がりが0.2秒である可能性があります。(つまり、0.2秒が「意識」の時間的広がりの最小単位と推定できる可能性はあります。
哲学として、「意識」、「無意識」などを取り扱う事は、現在ではあまり無いでしょう。
これらは、科学的に解明される事項と判断されている可能性はあります。(純粋に、思考だけでは、結論が得られない可能性が高いからです)
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この回答へのお礼

今回は、哲学と科学に大きな溝がある、ことを教えて頂きました。

<意識」が脳にあるかどうかは、哲学的議論になるとは思います>
両者に言葉の差があることも絡んでいるのでしょうが、意識の場所が、科学では脳に、哲学では必ずしも脳とは限らない、のですね。私は科学に首まで浸かっておりますので、脳に意識の源がある、つゆ疑っておりませんでした。
<哲学的な「無意識」とは、「意識主体」とは、別に存在するものと考えている>
これも、しかり。  
また、
<0.2秒以内ならば、行動の中止が可能>
については、すべての行為ががっちりと決定される、という解釈に対して、脳は拒否権を持っている、と言うことですね。僅かですが、人生に救いを感じています。この可能性は、錯覚と同じく、人の進化の過程で有効で、育ったのでしょう、と考えています。

今回のご回答も、私にとって考えさせる事が多く、豊かな気持ちになりました。

お礼日時:2017/02/27 20:37

まず、哲学的な自由意志の一般的な定義は、質問文にあるような操作選択の順序とは無関係だと思います。


自由意志:複数の選択がある場合に、任意に一つを選択する場合の決定主体
操作選択において、その順序は、因果性から選択がなされれば、自動的になされるので、無意識とか意識とかは問題になりません。
知らないうちに、勝手に手が痙攣したなど、決定主体に無関係に身体が動けば、これは自由選択によらないと言う事になります。(因果性が決定できない)
質問文の中で、「無意識」が自由選択を行っています。
つまり、それは他の選択がある場合は、自由意志と言えるでしょう。
次に「意識」が操作を決定しました。(これも、他の選択があるならば、「自由意志」ですね)
結果、操作が行われます。(この因果性において、それが「意識」か、「無意識」によるかは、「意識」を保持している人にも、外部の人にもわからないですよね?)
実を言えば、質問文の内容は、現実には誰も、そのような順序で行われたかどうかはわからないんです。
あくまで、思考実験でしかありません。
哲学的には、「意識」なるものが、どこにあり、どのように機能するかは解明されていません。
実を言えば、「意識」の主体すら、存在は確定できていません。
ですから、そういう根源的な問題を扱わないのであれば、それは科学的な解明しか出来ないと言う事です。(現象の観察から推測し、思考のみでは、解答を得られないと言う事です)
これも思考実験ですが、質問内容の実験装置が作れるとすれば、以下の機能を持つ装置が必要になります。
・「意識」の動きを測定もしくは、記録できる装置
・「無意識」の動きを測定もしくは、記録できる装置
・「意識」もしくは、「無意識」の選択で機能する部分の動きを測定、記録できる装置
上記のうち、「無意識」は、だれも測定できないでしょう。(脳を測定して、「無意識」なるものの活動部位が特定できなければ、そのような装置はつくれませんが、「無意識」は「意識」されないので、特定は不可能です)
実は、そのような実験を行ったという報告はなされていますが、上記の実験装置は存在していません。
筋肉の活動電位と、実験される人の自己申告により、実験がなされています。(もちろん、哲学的「意識」と言うものは問題にしていません)
実験結果は、筋肉の活動電位が、実験対象が筋肉を動かそうとした時間より早く変化していました。
一見すると、これは「自由意志」の因果性の順序に乱れがあるように見えますが、実験対象がその時間を自己申告しています。
これは、実験対象の反応速度や、脳の情報処理時間のタイムラグなどを考えれば、そのようになっても、おかしくはありません。
実験対象が動かそうと思った時間を自分で時計を見て特定しています。(これが厳密な同時性を維持できない事は自明でしょう)
動かす→時計を見る→時刻を覚える(少なくとも、動かす→時計を見るまでの神経の反応時間分は遅れます)
もちろん、それらのバイアスは考慮しているとは思いますが、それでも、脳の処理時間のタイムチャートは完全には解明されていません。
ここで、2つの考えが出てきます。
1.脳の「自由意志」の決定は、連続的な一連の決定しかなしえない。
2.脳の「自由意志」の決定は、複数の処理の統合としてなされ、それは結果的に統合後に「自由意志」が発動したと「認識」している。
実際の実験では、実験対象の自己申告ですから、「自由意志」決定プロセスは、実験対象のバイアスにより、1とされてしまい、2かどうかは判定不可能です。(実際は、1でも、2でも説明は可能です)
したがって、質問文の場合は、「意識」であろうと、「無意識」であろうと、実験対象が、複数の選択から、一つを選択したのならば、それは「自由意志」だとは言えます。
哲学的な「自由意志」とは、複数の選択から、他の要因によらず、自由に一つを選ぶ事です。
これが、存在するかどうかの質問であれば、人間が状況その他、制約条件によらず行動する事が可能かどうかが問題点になります。
一般的には、人間はそのとりまく「世界」に対して、なんらかの制約条件があるわけですから、哲学的には、完全な「自由意志」が存在するとは判断できない事になります。(頭の中で考えるだけならば、存在するとも言えなくは無いです)
これは、運命的に行動が決定されていると意味ではなく、なんらかの制約条件がある場合は、その行動が制限されるので、完全な「自由意志」はありえないと言う事です。(あくまで、行動に関しての「自由意志」は、保証されないと言う事です)
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。

1.<質問文の中で、「無意識」が自由選択を行っています。
つまり、それは<他の選択がある場合は、自由意志と言えるでしょう。>
ですね。(不肖私は、無意識の際は、自由意志はない、と今まで思っていました)
2. <思考実験でしかありません。>
について、私は、リベットの実験を一応信頼しています。(もっとも、○○○○細胞の騒動がありましたから、気をつけてはいますが) 他の研究者は、疑問点を挙げましたが、追試をして明確に結果を示した、ということを聞いておりません。ただし、リビットの実施した試験は、将来にわたって追試ができないかもしれませんね。まるっきり別の手法を考えつくまでは。
3.<脳の「自由意志」の決定は、複数の処理の統合としてなされ、それは結果的に統合後に「自由意志」が発動したと「認識」している。>
については、興味深い話ですが、私はまだ理解ができておりませんので、今後勉強を進めたいと思います。
4. <「自由意志」の因果性の順序に乱れ>
や、その他についての批判については、リベットは弁明しています。ただし、私は理解しているわけではありませんが。

なお、従来、哲学の内部において、机上の思弁に留まっていた自由意志について、リベットが実験を通して、大きく影響を及ぼしたこと対して、高く評価します。

最後に、初学者の私の拙い質問にも係らず、 lupan344様から、前回と同様、懇切丁寧な説明を頂き、身に余る光栄です。

お礼日時:2017/02/26 21:48

その考えには、意識の外に存在があるという、


素朴唯物論が前提となっています。
量子論的世界像において、存在は認識される事で
有限な性質(存在性)を生じています。
つまり、世界そのものが意識の中にしかないの
です(ある種の錯覚)。

「存在を認識する」とは、感覚器官表面での相互
作用に対して自己の意志(自分にとっての意味)を
反映した結果であり、存在において自己の意志が
先入していれば、「意志が従属的」ではあり得ません。
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無意識の状態で、指を曲げるという


ことが決まるのなら、
それは脳以外の部分で決めているか、
脳の意識以外の部分で決めている
ということになりますね。

脳以外であろうが、意識外であろうが
それを決めるのに、何らかの意識は存在
しないのでしょうか。

何らかの別の意識が存在し、それが脳の意識以外の
部分に、あるいは脳以外の部分に作用して決めてしまう、
ということになれば、
それはやはり自由意志が働いた、という
ことになると思われます。

その別の意識が、さらにさかのぼってどうなのか
という問題があり、それが無限に続いたりして。

そこらあたりの解明が必要でしょうが、こうなると
何が何だか分からなくなります。


人間の行動の大部分は意識ではなく、無意識部分
によって決まる、とするフロイトのような説もあります。
この無意識部分によって行動が決まっている。

同じことかもしれませんが、
こっちのほうが理解しやすいです。

無意識部分は、その人の過去の人生の歴史に
よって醸成されたものですから、
どういう人生を歩むかは、ある程度自由意志
によるものでしょうから、その意味で自由意志が
働いた、といえるのですかね。

そもそもですが、人格は遺伝を基に、環境と
自由意志の相互作用によって形成される
そうですから、意識面だけに限定して自由意志を
論じるのは間違いかもしれません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。

質問の経緯を書きます。実は、1年以上前に、このカテに自由意志について
投稿し、沢山の先達様から貴重な回答がありました。

リビットが実験をした研究があります。指を曲げよう、と決意した数百ミリ秒前に、脳波に波が現れる、という結果がわかりました。したがって、素朴に考えれば、意志によって、指を曲げるのではなく、逆に、波が現れてから、意志がそれに追従する、ということになります。

ただし、不思議なことは、意志が働かないにもかかわらず、本人は、指を曲げると決意した、ことです。意志で曲げる、というふりをしていることです。

お礼日時:2017/02/26 12:42

>この場合、自由意志が働いた、といえるのでしょうか?



この場合、自由意志が働いたと言えません。

それ以外の場合でも、果たして自由意志が働いたと言えるのか、言えないのかは、哲学的には難しいです。

たとえば、男と女がであって、ホテルにしけこんでセックスした、などという場合、それが自由意志だったのか、それともニーチェが言うWilleだったのか、など見解が分かれます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<この場合、自由意志が働いたと言えません。>
ですね。
ただし、不思議なことは、働いてないにもかかわらず、本人は、指を曲げると決意した、ことです。意志で曲げる、というふりをしていることです。

お礼日時:2017/02/26 12:18

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