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昨今、特定の表現を許さないとする人々だけでなく、なんらかの活動をする団体やNPO法人もあるようです。

対象としては例えば
・「少年が(兵士・ロボットの操縦者)戦うアニメ」に対し、「少年兵の肯定であり徴兵制につながる洗脳教育だ」「暴力的な行動を正義として描くことはいじめにつながる」などの批判 
・「女子生徒が料理をする場面があるアニメ」に対し、「女性は料理ができるべきという呪いを視聴者にかけている」「男子生徒も同様に料理しないのはジェンダーフリーに反する」などの批判
・「いじめ加害者と被害者が恋仲に発展する映画」に対し、「いじめ問題を矮小化している」「いじめ被害者の人権を踏みにじる行為だ」などの批判
・「女性が描かれたイラスト(R-15ですらない)」に対し、「女性を性的に搾取することは許されない」「女性差別であり人権侵害である」などの批判
・「プレイヤーと登場人物が結婚できるゲーム」に対し、「同性婚ができないことは差別だ」などの批判
・「登場人物たちが怪物と戦う漫画」に対し、「A国人もB国人もC国人もいるのにX国人(らしい名前を持つキャラクター)がいないのは人種差別だ」「日本人のような名前をしていても白人のような顔だちをし、しかもメインキャラクターに黒人がいないのは許されない白人至上主義だ」などの批判
・「いわゆる”オカマ”キャラクターが出る作品」に対し、「LGBT問題に取り組む気がないのならそういうキャラを出すべきでない」などの批判
などがあります。

もちろん、すべての人があらゆる作品を好きになる自由も嫌いになる自由もあります。
称賛する自由も批判する自由もあります。クレームを入れる権利やBPOに通報する権利もあります。
ネットワークを築いたり法人を作ったりし、テレビ局や出版社や政治家などに圧力をかけることも違法でない限りにおいては認められる権利です。

しかし、「ごく少数のクレームによって表現が規制された」といういくつかの事例を、現実を見ると少なからず恐怖を覚えます。
「自分が見たくない作品は作らせないし発表させない」ではなく、「自分が見たくない作品は見ないように、あるいは見て見ぬふりをする」という”自衛”で妥協できないだろうかと思うことが多くなっています。
組織力を持つ人、声の大きな人たちがあたかも世論や常識を代表するかのように表現を糾弾し、そのような人たちの望まない表現が次々と消滅していった先に残る、あるいは生まれる作品に、社会に今以上の魅力があるようにも思えません。


娯楽作品においても社会的/政治的な”正しさ”は守られるべきだと思いますか?
それとも、現状のままでもよいと思いますか?

A 回答 (2件)

私も質問者さんに同意します。



そもそも論として、質問者さんが挙げたような作品は、うん十年前から放送されていた内容ですよね?

その作品によって多くの問題が発生したならともかく、
それらを「起こるかもしれない」という可能性だけで規制していたら、何も作れないし、見る方もつまらないでしょうしね、(^^;)
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すごく共感するし、そのせいで規制されると貯まったもんじゃないって思う。


その批判にも常識的限度を見出すべきだし理解してくれってね。
社会的/政治的な”正しさ”という枠組みがないと受け取れないって思われてる悲しい状況なんだって感じる。
今はまだ曖昧な感じで平行してるから、このまま規制が進まずにいてくれたらなぁって切実に思う。
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