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高校生です。長文、失礼します。散文な上に、突然な自分語りから始まることを許してください。

ぼくは子供の頃に両親が離婚し、それから二年とたたないうちに親は再婚しました。ぼくは母親についていって、新しい父親とくらしはじめました。
ぼくの母親は昔からヒステリーもちで、小学生のころ、怒ったぼくが「クソババア」とつぶやいたらぶん殴られました。母親はキレると口が悪くなり、言葉より先に蹴るか殴ってきます。それもあってか、母親が怖くて中学に上がり反抗期がきても、悪態を口に出したり、不満を態度で示すことはできませんでした。
それまで優しかった父親も、新しい家族に慣れ始めた途端に潔癖性な一面をのぞかせるようになりました。ぼくと母親はルーズな人間で、片付けとか時間通りに行動するのが苦手なのですが、その度に父親は大声を出してぼくを怒鳴りつけました。
再婚した義父の両親もいい人たちなのですが、いまいち馴染めず、敬語が今になっても抜けません。おまけに祖父は少し古い考えを持っているようで、「(再婚相手の家)を継ぐ長男坊なんだ」とことあるごとにぼくを諭してきます。
ぼくはそれも苦手で、やっぱりますます馴染めなくなっていきました。
しかもぼくは長男坊としては出来が悪く、ことあるごとに失敗を重ねます。生活態度も良いとは言えませんから、「お前はこのままではろくな社会人になれない」と耳にタコができるくらい聞かされました。母親も、自分の生活態度は棚に上げてぼくを叱り飛ばしました。そうなると不思議なもので、ぼくは自分をダメ人間だと(実際そうなのかもしれません)思い続けて育ちました。
学校でもできの悪いことや、再婚して変わった名字のことをイジられ続け、辛い毎日が続きました。
だけれど、開き直ってイジられキャラとして振る舞えば友達は増え、社交性はクラスでもトップになりました(何を言われてもされてもぼくが怒りを飲み込めばという条件付きではありましたが)。
最初は悔しさから涙ぐむこともありましたが、それにも慣れてくるもので、中学二年生になるころにはどんな状況でも笑ってすませるクラスのお調子者ポジにつけました。もちろんイジりは続き、イジってくる人数も増えました。

ここからが本題なのですが、そのころからぼくは少しおかしくなりました。
そうすると今度は他人に怒られても、嘲笑されても、何の現実味もわかなくなったんです。何をするにしても、自分という人間を通してまるで本を読んでいて、自分はその読者になった気分でした。もっと突っ込んだ言い方をすれば、「自分」という人間をロールプレイしているような感じです。そのせいか痛みにも鈍くなり、殴られても平気になりました。
先生からは「お前は全部、自分ごとじゃなくて他人事のようにしか感じてないな」とも言われました。

高校に入ってもこのロールプレイ感覚は抜けず、しかも段々と深刻になっていきました。普通に笑っていても、ある時突然カチリとスイッチが入ると、自分も含めて全部がくだらなく思えてしまうんです。それでも表層上はお調子者キャラを装うんですが、仲の良かった友人を見ても、くだらないなと思ってしまいました。逆にスイッチが入っていないと、まったく関係のない箇所から起こっている笑いが、全部自分に向けての嘲笑に聞こえるようになったりもしました。
このままではいけないと思い、先生に相談もしました。親身に成って相談や、ぼくの過去話も聞いてくれました。少し涙声で、全部話すのはなかなか苦しかったのですが、先生たちのおかげで全部を言えました。
しかし、またカチリと突然スイッチが入り、自分に笑顔で話してくれる先生たちが突然どうでもよくなりました。涙もぴたりと止まって、逆に先生たちに嫌悪感すら抱くようになってしまったんです。「一緒に問題を解決していこう」と笑いかけてくれた先生たちを適当なことを言って煙にまいて、さっさと帰ってぼくは寝てしまいました。
当然、今は嫌悪感でいっぱいでこの文を書いています。

これは僕がおかしいのでしょうか。
それとも、これは誰にでも起こりうることなのでしょうか。僕はただの妄想が過ぎるルサンチマンもどきなのでしょうか。
それともそういう精神病があるのでしょうか?

A 回答 (3件)

コントロールする術についての返信です





現在進行形でイジメられているのでなければ、それについては安心しました。
危険があるならまず、身の安全を考えるべきですからね。


たとえばテストの前で、「勉強しなければ……」「ヤバいなぁ」と焦っているときほど、部屋の掃除をはじめてしまったり、片付けようとして漫画や小説を読みはじめてしまったり……
「明日絶対に必要な荷物や書類を用意しなければならない」と、帰り道にブツブツと繰り返していても、家に着いて着替えたりしているうちに、忘れてしまう。

あなたほどかどうかはともかく、「切り替わってしまう」ということはあるものではないかと思います。
そしてそれが、別人のように感じるかどうか?とは、自分の気づいている自分かどうか?( 自分が受け入れられる自分かどうか? )ということにあるようにも思います。

「思ってもいないことや自分の考えていないこと」がどのようなことかは、場面によって異なるのでしょうが、心のどこかで「言いたいこと」「したいこと」だったりする可能性とはないのでしょうか?
この「言いたいこと」「したいこと」が、必ずしも *相手の期待する自分像* ではなかったりすると、人前でそうしたことを言ったりやったりすることには、ひどく抵抗があることはずです。

*相手の期待する自分像*
おそらくですが……
・反抗せず悪態や不満を感じない
・潔癖である( 怒られない程度に )
・長男坊で古い考えに共感する、受け継ぐ
・イジられキャラとして振る舞う( 怒りを感じても飲み込む )

「相手の期待する自分像と異なる自分を出してはいけない」と、強く抑え込んで見えないようにつぶしていたとしたら、それはとても苦しいことです。
お母さんに不満なんて怖くて、決して言えないし、お父さんが来るかもと思ったら、綺麗かどうか?ビクビクと気になって仕方がありません。
本当は上京したいとか、こんな仕事がしたい、こんな趣味を持ってみたいという思いがあっても、祖父の期待と違うことであったら裏切りのように思えて表明することはできません。
再婚ですから、お母さんの立場を思いやったら、なおさらでしょう。




いづれにしてもコントロールを考えるには、まずその場面をよく知る必要があると思います。
どんな場面で、どんなことを感じているときに、誰といるとき……スイッチが入ったのか?
そのときの自分は、どんなことを言い、何をしたのだろうか?
そしてあなたが、スイッチが入っていなければ何を言って、どう行動したかったのか?
その場面でどうすることが理想的なことだったのか?

こうしたことを記録してみたら、共通点やきっかけになることなど、何か知ることもできる可能性があるのではないかと思います。




また、あなた自身で「スイッチを入れたいときに入れられるのか?」ということもあるでしょう。

自分でスイッチを「カチッ」とコントロールして、コントロールできない自分になりたいときになり、そこからコントロールして「カチッ」と自分に戻る。
外から俯瞰して、コントロールできない自分に1つの場面を任せて、その役割が終わったら自分が戻るのです。

こうすることも、1つのコントロールのカタチでもあるのではないかと思います。
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はじめに、とても大事なことを申し上げます。



イジられるのと、いじめられるのはまったく別のことです。

殴られたのが過去の1度や2度なら、すでに終わったことなのかもしれません。
親か、先生か、同級生なのか、そのあたりのことが詳しくわかりません。
それがどういうシチュエーションかもここでは分かりません。

「殴られることを受け入れなければならない」なんてことは、決してあってはいけないのです。
けれども現実にそういうことがあるならば、殴られる自分を受け入れるとは、つらくしんどいことです。
ですから先生も言ったようですが、自分の痛みを他人事のようにやり過ごさなければ、とても耐えられないことだったのではないでしょうか?


今回、勇気を出して先生に相談されたとのことです。
楽しい話ではありませんから、とても苦しかったことでしょう。
「一緒に問題を解決していこう」と親身になってくれた先生方……

そうしたとき、どうしてあなたのスイッチが入ったのでしょうか?
それは、自分のつらさ、みじめさ、理想と違ういまの状況、相談しなければならない自分の弱さ……こうしたことからの逃避、認めたくないことから目をそらすためだったのではないかと思います。
もしかすると、親身になってくれた人、笑顔で話しかける人に慣れていない恥ずかしさ……そういうことなのかもしれません。
( トップクラスの社交性とは矛盾することかもしれませんが )

たとえば学校へ行くとき、どんな道を、どんな手段を使って通われますか?
おそらくそのとき、真っ直ぐに一直線に突っ切って学校へ行けることはまずないでしょう。
右に曲がったり、左に曲がったりします。
電車やバスなどだと、一回通り過ぎて戻るようなことだってあります。
混雑や坂道など、回り道をしたほうが早いことだってあります。

解決に向けて進もうとしても、ちょっと戻ってしまうこと、寄り道してしまうこともあるのです。
あなたが相談したのにもかかわらず、「煙に巻いて、さっさと帰ってしま」ったように、1度進んでも「本当にこれでいいのだろうか?」と迷ったり、考えなおしたりということは、よくあることなのです。
そうして時々確認しなかったら、簡単にダマされてしまうことだってあるでしょう。
先生だって、言いますよね。
「答えを書いたら、もう一度確認しろ」
それとおなじことです。

当初の質問に答えるならば、精神病ということよりも、受け入れたくない嫌なことをやむを得ずに受け入れるための、自分を守る手段としての「他人事のようにやり過ごすという知恵」なのだと思います。


・こんなことを話してしまっていいのだろうか?
・先生に迷惑を掛けることになる
・明日から、どうなってしまうのだろう
・みんなにバレてしまうのではないか

 ……

 …

いろんな不安もあることでしょう。
しんどい話、つらい話をスラスラと話せる人はいません。
話した後で、今回のように自己嫌悪を感じることもあるのです。
そうしたことも、もう一度親身になって聞いてくれた先生方と、ぜひ話し合ってみてください。


参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
今ではそういうことこそなくなりましたが、怪我とかをしてもスイッチが入れば途端に楽になります。
しかし恐ろしいのが、最近はこのスイッチと、冷めている自分の部分が独り歩きを始めてしまっていることです。
具体的には、喋っている自分が自分じゃなくなり、思ってもいないことや自分が考えていないことをぺらぺらとまるで「自分のように」ふるまって、そいつは喋るのです。
いつもは自分の思考の裏側で、「やめとけ」と甘言を囁いていた自分が、勝手に自分の口を借りて喋りだしてしまうんです。
今ぼくが自分と認識している自分は、その喋っている自分を外から眺めるように全体を俯瞰しているんです。
変なことを言っている自覚はありますが、もう一人の自分をコントロールする術はないんでしょうか?

お礼日時:2017/03/02 21:32

前半の文章、家庭環境や学校での振る舞いなどについては、アダルトチルドレン(ピエロタイプ)の印象を受けました。


また、本題の高校生になってからのロールプレイ感覚についてですが、これも素人判断ですが、解離性障害っぽい感じはします。ただ、精神疾患というのは診断が難しく、簡単に病名はつきません。病気ではなくストレスなどによる一時的な症状であることも多いからです。
ただ今の状況から察するに、とてもストレスが多く、そのストレスを間に受けていては身がもたないため、身を守るために自分が「ロールプレイ上のキャラクター」のように他人事に感じ、現実感がない現象(=解離状態)が起きているんだと思います。
人格が変わったり、ある記憶がすっぽりなくなったり、ということはありませんか?
専門医やスクールカウンセラーなどに相談されることをオススメします。
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