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質問:哲学用語で、「主張」は「信念」の部分集合になりますか?

主張が信念の部分集合にならないかもしれないケースとして虚偽の発言を考えました。

例えば、「事実」と「主張」と「信念」の関係が以下の様に
1.事実:エマニエルは今日タバコを吸った
2.主張:我は一日中禁煙しとった。
3A.信念:今日はタバコを吸っていない
ならば、依然として主張は信念の部分集合と言えますが、

一方、上記で、3.だけが、、、
3B.信念:実は、タバコ吸っちゃったんだよねぇ~
だった場合には、主張が信念の外側に(つまり部分集合ではない)になります。

哲学用語でいうところの信念とは、上記のケースでは3Aですか、それとも3Bでしょうか?

哲学の学生、教員、市井の哲学愛好家など、哲学用語に知見のある方よりアドバイスいただけば幸いです。

A 回答 (2件)

A・Bどちらも信念であり得るでしょうし、


Bでも矛盾を生まず、信念に基づいた主張であり得ます。
B…「僕は僕がタバコを吸ったと信じている」とするならば、
エマニエルはタバコを吸うことが禁煙に反するという知識を持たない。というケースなど。
また今日という言葉もないので、その日は吸っていないとも言えます。

矛盾を生む信念を一人の人間が持つ場合もあります。が、偽である信念とは、本人の虚偽如何の話ではありません。
主張(述べること)が信念(信じていること)の部分集合であると定義しないと、以降の議論が進まないと思います。
もちろんその命題を突き詰めて研究するなら話は別です^^

このような場所なので簡単に書いたのでしょうが、主語等がなかったり文体が異なったりして不明瞭だと、
言葉を大切に扱う哲学ではまともに論じられなくなるのでご注意を。

哲学科専攻でしたが、ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

参考になりました。
有難うございました。

お礼日時:2017/03/08 23:09

哲学用語としての「主張」「信念」ということについてはよくわかりません。


従ってこのご質問に答えることはできないのですが、大変興味深い点がありますので
私の意見を述べたくなりました。

「信念」という言葉を辞書で引きますと
《固く信じて疑わない心。行動の基礎となる態度》
などとなり、一本筋の通った不動の心、という概念になります。

しかし、現実にはなかなかそのようにはなり得なくて、様々な概念が「信念」の材料
として「相対的」に人の心の中に存在しているのではないでしょうか?

「価値観」に左右されることが多いだろうし「感情」につながることもあるでしょう。

例文にある「タバコを吸ったのに、吸っていない」という信念を持とうとする場合は、
タバコを吸った、吸わないという真実よりも、好きな彼女に「ステキ」と思われたい
という感情が勝った、と、まあこんな具合。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

(「我は一日中禁煙しとった」と)主張しているということは、事実と異なっていても、「その内容が信念となってる」と考えるのかなぁ。

お礼日時:2017/03/07 10:58

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