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ユダヤ人が迫害され続けた期間はどのくらいでしょうか。

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A 回答 (5件)

いちおー1945年

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今に至る迫害は、おおよそ12世紀ころから、キリスト教の普及と共に、イエスを殺した民として見られたり(イエスもユダヤ人は棚に上げ)キリスト教社会において非キリスト教徒という立場が下地にあると思います。

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紀元前18世紀にユダヤ人の始祖アブラハアムがメソポタミアのウル(現在のイラク南部)から部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住した時から現在まで。

 よって、ざっと4千年近く迫害され続けている。
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う〜ん。


中世からでしょう。
1940年代、ナチスドイツによるホロコーストが有りましたが、ユダヤ人に対する迫害は、以前から有った様です。
シェクスピアの(ユダヤの商人)などは、ユダヤ人を蔑視し、様を作品の中でも良く表しています。
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続行中。

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Qサーサーン朝ペルシアの「ペルシア」の意味するところを教えてほしいです。

サーサーン朝ペルシアの「ペルシア」の意味するところを教えてほしいです。

Aベストアンサー

もともとの「地域名(ササン朝に限らず現イランを中心とした土地)」です。
ペルシアと言う名の土地と言うだけでそれ以上もそれ以下も無いです、語源をお調べなら騎馬者を意味するパールス(Pârs)からです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/xn--cckyb3fwc

Q太平洋戦争に関して質問です。

アメリカ軍は、当初日本軍相手に苦戦しても、ガダルカナル島奪回後1943年以降は圧倒的な物量を投入して日本軍を圧倒していき、サイパン島陥落以降の1944年後半からは本土に対する空襲が激しくなっていきましたが、もしこの時にアメリカ軍がサリンを入手し日本の都市に使用していた場合、のちの広島や長崎の原子爆弾投下並み或いはそれ以上の被害というのは生じていたのでしょうか?日本では防火訓練が行われていても、ほとんど役にたたかなかったと言われていますが、もし日本の空襲でサリンが使用されていた場合、その都市の人口というのは壊滅だったのでしょうか?

Aベストアンサー

>原子爆弾投下並み或いはそれ以上の被害は生じたか?

規模にもよりますが、死者で原子爆弾を上回るのは困難です。
ただし、ガスによる負傷者を考慮すると、被害は上回るかもしれません。



>サリンが使用さた場合、その都市の人口というのは壊滅だったか?

前述のように、死者はそれなりに出ますが、問題はガスによる負傷者。
人数では壊滅しませんが、都市機能としては壊滅的被害になります。



化学兵器は「貧者の核兵器」と言われるくらい殺傷能力の強いものです。
第一次世界大戦で実戦に使用された時には多くの犠牲者がでました。
しかし、ガスはその特性上すぐに拡散します。
第一次世界大戦では、塹壕戦という溝にこもっての戦いだったので、
空気より重いガスがたまって非常に効果的でした。
市街戦での使用であれば、風向きを考慮して効果的な地点に
逃げ道を塞ぐように計画的に散布すれば、小さな町なら壊滅できます。
また、サリンは被害者への後遺症は非常に深刻です。
致死は少なくても、被害は大きなものになります。

日本への使用の場合、空襲による場合はガス弾の使用になります。
このため、少しずれると効果は限定的です。
サリンやマスタードガスの場合、液体で散布して揮発させます。
うまくいけば、車のタイヤや靴について拡散できますが、
基本的に空気より重くて停滞する性質にしていますので、
離れると被害は少なくできます。
もし、米軍がどこかで化学兵器を使用すると、以後は警戒され
ある程度の被害は出ますが、壊滅するほどの被害は困難です。



現実問題として、毒ガスの使用はジュネーブ議定書違反です。
よく勘違いされますが、毒ガスの製造・開発・所持は
この議定書を含め禁止されていません。
また、アメリカや日本などは署名していますが批准していません。
しかし、実戦で使用された場合、日本が使用する口実になります。
日本は、今はウサギの島で知られる大久野島などで毒ガスを
製造していました。もし、米軍が市街地に無差別攻撃をすれば、
日本が米軍への反撃で使用する口実になります。
小さな基地なら奇襲で攻撃されると防ぎきれません。
ちなみに、アメリカはイタリアで毒ガスを持ち込もうとして
貨物船が攻撃され、拡散されて大きな被害を出しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AA%E7%A9%BA%E8%A5%B2#.E3.82.B8.E3.83.A7.E3.83.B3.E3.83.BB.E3.83.8F.E3.83.BC.E3.83.B4.E3.82.A7.E3.82.A4.E5.8F.B7.E4.BA.8B.E4.BB.B6
Wikiにもありますが、この時ドイツの攻撃を憂慮したアメリカは
「毒ガス使用は報復限定」と声明を出しています。
日本にも用意していたとされますが、規模は分かりません。
アメリカは毒ガスの使用は可能でも使用しませんでした。
サリンを入手しても、あくまでも報復のため限定的な地域が対象で、
都市に使用することはありません。

>原子爆弾投下並み或いはそれ以上の被害は生じたか?

規模にもよりますが、死者で原子爆弾を上回るのは困難です。
ただし、ガスによる負傷者を考慮すると、被害は上回るかもしれません。



>サリンが使用さた場合、その都市の人口というのは壊滅だったか?

前述のように、死者はそれなりに出ますが、問題はガスによる負傷者。
人数では壊滅しませんが、都市機能としては壊滅的被害になります。



化学兵器は「貧者の核兵器」と言われるくらい殺傷能力の強いものです。
第一次世界大戦で実戦に使用された時に...続きを読む

Q旧日本軍が満州地方を短期間で占領できた理由

戦前の日本軍は柳条湖事件をきっかけに満州地方を短期間で占領してしまいます(満州事変)。
日本の3倍近い面積をもつこの地域を、日本はどうして短期間に奪い取ることができたのか不思議でならないのですが、その理由は何だと考えられるでしょうか。

ナチスドイツが征服したフランスよりも広大な地域を、わずか半年程度で勢力下においてしまうというのは恐るべきものだと思うのですが。
また、満州事変においては南京大虐殺のような事件(この事件が本当だったかどうかは置いておいて)がほとんど起きなかったのも不思議です。レジスタンスのような運動もあまり起きなかったのではないでしょうか。
あれだけ反日的な中国政府でさえ、満州事変の際の日本軍の暴虐についてはほとんど言ってこないのですから。

Aベストアンサー

もともと満州は清国を建国した女真族の聖地で、清国全盛時代には漢族が入り込むことは禁じられていました。 当時の満州は今の日本と同じように安全で、家に鍵をかけて外出する必要がなかったと言われています。 ところが清国が衰退し始めると満州に漢族たちが次々と入植を始めました。  漢族が入植した土地は、強盗団が跋扈して、安心して暮らせず、満州の治安も酷い状態になりました。 そのため、日本が女真族をバックアップして女真族の国である満州国を建国したのです。その結果、満州国は以前のように安全な国になりました。 満州国は日本軍が中国人(漢族)を追い払って女真族の皇帝を担いで作った傀儡国では決してありません。 日本が満州を中国から奪い取って、日本の傀儡である満州国を作ったと言うのは、戦勝国のでっち上げでしかありません。 この事実を知れば、質問者さんの疑問も自ずと氷解するでしょう。

Q三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦

三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。
そこで気になったのですが、当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??
また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所と考えてよろしいのでしょうか?
どなたか詳しい方に教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それすら両陣営ともやや盛った数なので十万に届いていたかどうか。

>何十〜100万の兵
この数は当時の人にとってはSFファンタジー設定でした。
近代の戦争でやっと兵数「数十万」規模の戦闘が記録に登場します。古代と現代の人間の数がこれだけ違うことを考えれば、十万~100万の兵数がいかに思い切った架空設定であったか理解できるはずです。
あり得ない数で架空のお話を創って当時の観客を驚かせたのでしょう。なんでも派手なほうがエンターテイメントとして客を呼べますからね。

なお小説やコミックの『三国志』は三国時代以降に民間で演じられた舞台劇をもとにしたフィクションです。
小説家やマンガ作家の中にも現実を全く学ばずに書いている人が多いですから、あまり本気に受け取らないことです。


>また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所

他の方が回答されている通りです。
日本的に言えば「都市」「街」です。
城を攻略することはすなわち街を攻略することになります。
「●●城が陥落した」という表現があれば、日本では「江戸が陥落した(江戸城ではなく)」というイメージになります。

>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それす...続きを読む

Q江戸時代の農民は貧しかった?

昔から疑問でした。
学校では農民は苦しい生活とか習いましたが、感覚と一致しないです。

貧乏で生活するだけで必死なら文化なんて生まれないんじゃないですかね?

各地の郷土料理。祭りもあるし?
死ぬ前に一度は伊勢参り?
茶屋だってあるし?

巡業だってあったでしょう?

村の寄り合い?に遅れたら駆けつけ3杯?お酒のんでるじゃないですか?

江戸で白米ばっか食べてた町民よりはよっぽどいい食事をしてたのでは?

そこそこ普通に生活してたんじゃないですか?

Aベストアンサー

救いようがない程の貧乏村はゼロではなかったでしょうが平均的な言い方をすれば普通に生活をしていたというのが小生の考えです。
きっかけは小生の生まれたところ。村高250石、殿様への年貢が200石、免(年貢率)は何と8割。ですが酷税に泣かされたといった悲惨な伝説はありません。寺も神社もあるし酒も飲んでいました。伊勢参りの記録は確認していませんが四国遍路の記録はあります。

なぜ免が異常に高いか
村高は豊臣秀吉が各地の領主に命じて調べさせたのが最初。しかし領主が役人を派遣して調査したのはごく少ないようで一般的にはやり方を説明して各村々にやらせ報告書を提出させた。これを「差出検地」といいます。村高が決まると年貢が決まる。村人は年貢は少なくしたい。ならば貧乏村にしてしまえ、というわけで過少申告した村があった。でもすぐにばれる。ばれると正しい年貢に増量されますが村高は訂正されなかったので免だけが異常に高くなった。
その後領主が変わるなどして再検地があると村高は訂正されることもあったようです。しかし小生の故郷は江戸時代を通じて領主の交代はなかったので再検地もなかったようです。

小生が知る範囲で最も重税なのは備中羽山村。村高58.5石、年貢が93.8石、免は160.3%(万治3年、1660年)。年貢の量が村高の1.6倍。年貢の常識論では有り得ない値。
この村、2年後には村高は128石余に増えている。農民の負担が増えた、村は苦しんだなどと言った史家先生がいたのではないかと思うが年貢の量は94.1石とほぼ変化なし。免が73.5%と何とか常識的な値に下がっているのだ。
史家の多くは村高基準で年貢制度を語っているようですがまちがい。年貢の絶対量を基準にしないと農民の負担はわからない。余計なことですが史家は算数ができないのかと疑いたくなることがよくある。

領主に納めた年貢の量を村の人口で割って1人あたりの年貢の量を調べたことがある。備中の20数か村でやったのですがどこの村も3斗5升から4斗とほぼ一定になった。小生の故郷も 年貢200石÷人口500人=0.4石 となる。村高や免の値とはほぼ無関係にこうなる。ただし宿場町や漁村は例外。さらに5才程度以下の子供は人口として数えられていないことがあるので要注意。上の羽山村は人口のデータが見つからないので計算できず。
1人あたり食糧が米1石、年貢0.4石、衣料費など雑費が最低1石必要と考えれば2.5石程度が1年間生活するために最低限必要な経費ということになる。村の数字の記録がどうであろうと1人あたり2.5石(米換算で)の生産があったということになる。当然冬の生産も含まれる。村高は夏の生産だけしか考えていないのでこのことも注意が必要。
逆に言えば人口がわかれば村の生産量が推定できるということになる。

農民はアワやヒエばかり食べていたか
年貢は土地(一般に田、畑、屋敷)に対してかかります。何を栽培しようと、逆に何も作らなくても年貢の額は変わりません(変えた領主もいたようですが)。米を作ろうとヒエを作ろうと年貢は変わりませんから誰でも最も高価な米を作ろうとしたはず。何故アワやヒエだったか、その理由は気候風土の問題で米が作れなかったのです。
関東地方などでは丘陵が多く水が乏しかったため水田は少なく、多くが畑。少ない水で育つ作物でないとダメだったのです。しかし畑の年貢も米で納めるのが基本。僅かに取れた米は全部年貢に。それでも足りないと他所から買ってきて年貢に充てました。それを見た、恐らく西日本出身の人が「米が食えない貧乏村」と言ったのでしょう。

救いようがない程の貧乏村はゼロではなかったでしょうが平均的な言い方をすれば普通に生活をしていたというのが小生の考えです。
きっかけは小生の生まれたところ。村高250石、殿様への年貢が200石、免(年貢率)は何と8割。ですが酷税に泣かされたといった悲惨な伝説はありません。寺も神社もあるし酒も飲んでいました。伊勢参りの記録は確認していませんが四国遍路の記録はあります。

なぜ免が異常に高いか
村高は豊臣秀吉が各地の領主に命じて調べさせたのが最初。しかし領主が役人を派遣して調査したのはごく少...続きを読む

Q世界史で大学より上の知識をつけようと思ったら、どんな事をすればいいのでしょうか?興味はかなりあって、

世界史で大学より上の知識をつけようと思ったら、どんな事をすればいいのでしょうか?興味はかなりあって、授業も楽しいのでもっと知りたいと思うようになりました。答えにくければ、古代ローマについて回答いただきたいです。

Aベストアンサー

いくつかの方向性があります。

たとえば一般知識として身に着けたいなら、ほかの方もいうように本をたくさん読めばよいでしょう。またラテン語を身に着ければ原文を読むことができるようになりますし、イタリア語ができれば現地で意義深い交流ができるでしょう。

ローマ古代史をそのものを研究したいのであれば、大学から大学院に行き、研究者になればよいでしょう。身に着けるスキルは上記と同じですが、それでお金をもらって食べていくことになります。

少し違う方向性としては、現代とローマを結びつける社会学的なテーマを追求することでしょう。
たとえば、アメリカ大統領や国連常任理事国がもつVETO:拒否権はそもそもローマ護民官が持っていた権利であり、それが皇帝制においてどのように生かされたか、それが現代社会にどのように反映されているか、というテーマなども面白いと思います。

私も個人的に古代ローマがスキで、皇帝時代よりは共和政のほうがワクワクします。スキピオやクラックス兄弟の活躍は胸が躍ります。
 幅広く知識を得て利用したいなら「趣味」でとどめておくほうがよいでしょう。研究者になれば深く追及することが余儀なくされますし、間違った答えや妄想レベルの仮説を立てることもできなくなってしまいます。

逆にそれで一生食べ行く覚悟があるなら、研究者になるのもいいと思います。

いくつかの方向性があります。

たとえば一般知識として身に着けたいなら、ほかの方もいうように本をたくさん読めばよいでしょう。またラテン語を身に着ければ原文を読むことができるようになりますし、イタリア語ができれば現地で意義深い交流ができるでしょう。

ローマ古代史をそのものを研究したいのであれば、大学から大学院に行き、研究者になればよいでしょう。身に着けるスキルは上記と同じですが、それでお金をもらって食べていくことになります。

少し違う方向性としては、現代とローマを結びつける社...続きを読む

Q(歴史は過去のことだ!)さあなんと答えましょうか

僕は歴史が大好きなのですが、ある日友達に歴史は過去のことで現在には関係がないから、勉強する価値もないと言われました。
こんな時あなたならなんと答えますか?

Aベストアンサー

現在を理解するために、歴史の勉強が必要なのです。

具体例を挙げましょう。

戦争はなんで起こるのか、は歴史を勉強しないと
判りません。

領土と資源が戦争の原因です。
これは、カトリックとプロテスタントが争った
30年戦争を境に顕著になりました。

EUは、鉄鋼と石炭を巡る戦争を防止するための
組織が基になって出来たものです。

イラク戦争は石油を巡る戦争でした。
中国がフイリピン、ベトナム、日本などと揉めているのは
領土問題があるからです。



社会主義国が何で存在するかも、歴史を勉強しないと
理解できません。

英国で産業革命が興りましたが、その結果、格差が
極端になり、それを修正しようとして社会主義が誕生
したのです。

これに慌てた資本主義国は、労働者保護などの
福祉に力を入れるようになりました。
社会主義は、この修正資本主義に敗れたわけです。

今現在の我々がどうして国から各種保護を受けるのか、
歴史を勉強しないと理解できません。



米国植民地時代、フランスと英国が米国で戦争し
英国が勝利しました。
これをフレンチインデアン戦争といいます。

勝利した英国ですが、戦争経費のため財政が赤字に
なり、植民地米国に課税しようとしたところ、
米国が怒って独立戦争になりました。

この米国を援助して独立を手助けしたのがフランスです。
だから、自由の女神像をフランスがプレゼントしたのです。

米国を援助し過ぎたフランスは、やはり財政赤字になり
増税しようとしたところ、これに反発した貴族、人民が
革命を起こしました。
1789年のフランス大革命です。

かようにして、増税というのは大変なことなのです。
それを忘れた日本は、デフレ中に安易に消費税を8%に
増税してしまい、成功しかけたデフレ脱却に失敗して
しまいました。
歴史に学ばなかった訳です。



現代は歴史の延長にあるのです。
だから現代を理解するためには、歴史は必須なのです。

現在を理解するために、歴史の勉強が必要なのです。

具体例を挙げましょう。

戦争はなんで起こるのか、は歴史を勉強しないと
判りません。

領土と資源が戦争の原因です。
これは、カトリックとプロテスタントが争った
30年戦争を境に顕著になりました。

EUは、鉄鋼と石炭を巡る戦争を防止するための
組織が基になって出来たものです。

イラク戦争は石油を巡る戦争でした。
中国がフイリピン、ベトナム、日本などと揉めているのは
領土問題があるからです。



社会主義国が何で存在するかも、歴史を勉強...続きを読む

Q「ハカーマニシュ朝ペルシア」などに使われる「朝」ってどういう意味ですか?

「ハカーマニシュ朝ペルシア」などに使われる「朝」ってどういう意味ですか?

Aベストアンサー

王朝のことですね。
君主の家名・家系や国号を付けて呼んだりします。

朝には君主に関わる、「朝廷」や「朝見」のような語にも使われてます。

Qオスマン帝国は列強なのでしょうか?

世界史で列強というと、大体、イギリス、フランス、ロシア、オーストリア、イタリア、ドイツ、アメリカ、そして日清戦争あたりから日本だと思うのですがこの当時オスマン帝国列強なのでしょうか?英語版のWikipediaにオスマン帝国が入っているのですが、当時オスマン帝国は、クリミア戦争や露土戦争などを経験しているので列強に入るのですか?それとも、日本人の感覚からするとオスマン帝国は列強には入らないですか?

https://en.wikipedia.org/wiki/Great_power

Aベストアンサー

日本人の感覚は知りませんが、歴史的にみると、かつてのトルコはヨーロッパをすべて相手にしても優位になるほどの大国でしたが、その当時のトルコは列強には入りません。



>クリミア戦争や露土戦争などを経験しているので列強に入るのですか?

列強ではありません。

なんか、あなたはクリミア戦争でトルコがロシアに勝利したと思っているようですが、クリミア戦争は、実質的にはイギリス対ロシアの戦争です。


当時、イギリスにはパーマストンと言う優秀な政治家がいましたが、あまりにも攻撃的な外交を懸念して、一時期外交の職から外されていました。ロシアはそれをチャンスと見込んで、「パーマストンがいないから、トルコに手をつけてもイギリスは介入してこないだろう」と高を括ります。そして、1853年にクリミア戦争が勃発します。トルコはロシアに太刀打ちする術はありませんので、この時点ではロシアが勝利するのは約束されていました。


しかし、パーマストンは優秀なため外交から外されているにも拘らず、ある時ヴィクトリア女王から労働問題で呼ばれていた時「そんな事より、女王陛下。トルコとロシアが大変な事になっています。」と参戦を促し、イギリスはフランスとサルディニア王国(北イタリアとサルディーニャ島。)をつれて1854年にクリミア戦争にトルコ側につく形で参戦をしました。

ロシアはオーストリアに参戦協力を模索しますが、オーストリアはこの戦争の参戦は行いませんでした。


1854年のセヴァストーポリ(クリミア半島の港)では、イギリス軍2万、フランス軍3万、トルコ軍が6千に対しロシア軍は5万でした。この当時のトルコは、ヨーロッパの列強の狩場でしかありません。


クリミア戦争では、イギリスの介入によって難を逃れますが、その後のトルコはケマルパシャによって現在のトルコ領土を確立するまでは、良いようにイギリス、ロシア、フランスに国家を解体されていきます。

日本人の感覚は知りませんが、歴史的にみると、かつてのトルコはヨーロッパをすべて相手にしても優位になるほどの大国でしたが、その当時のトルコは列強には入りません。



>クリミア戦争や露土戦争などを経験しているので列強に入るのですか?

列強ではありません。

なんか、あなたはクリミア戦争でトルコがロシアに勝利したと思っているようですが、クリミア戦争は、実質的にはイギリス対ロシアの戦争です。


当時、イギリスにはパーマストンと言う優秀な政治家がいましたが、あまりにも攻撃的な外交を懸念...続きを読む

Q年金未納問題とマイナンバー制度の関連性

中三男子です。学校の授業で消えた年金問題、年未納問題、年金記録問題というものを習いました。
国民から激しい批判があり、これがマイナンバー制度の導入のきっかけとなったとプリントには書いていますが、まったく意味が分かりません。教えてください!

Aベストアンサー

同姓同名で、生年月日も同じ人がいるとして、どのように区別しますか?
ある女性が結婚して姓が変わった時に、旧姓と現在の関連をどのように付けますか?

また、ある会社から給与をもらった人と、商売でもうけた人、税金を払った人、「年金」を積み立てている人が「同じ人である」ことをどうやって確認しますか?

あるものは「国」が管理し、あるものは「県庁」、あるものは「市区町村役場」が管理しています。基本的な「戸籍」や「住民登録」は「市区町村」が管理していますが、国税や年金といった「国」の行うものとの連携は面倒なのです。

昔はこれらを「手書きの台帳」で管理していました。この中で、「年金」のデータを計算機管理に移行する段階で多数のミスが出ました。データが消えたり、行方不明になったり、誰のものか分からないデータが大量に発生し、年金を積み立てていたはずなのに支給されない「消えた年金」が大量に発生して問題になりました。

こういったものを「1つの識別番号」を使って、行政機関の間で統一的に管理しようというのが「マイナンバー制度」です。昔は「国民総背番号制」と呼ばれました。
行政の管理が楽な面、人に知られたくない「個人情報」である「収入」「職歴」「離婚歴」(将来的には「病歴」なども)などが集中管理されますので、厳重に管理されているといっても、悪意を持った人(行政機関の職員や、コンピュータを扱う下請け、ハッカーなど)が情報を漏洩すれば、すべて表に出てしまいます。(一度公表されたら、もう消せません)

そういった「利便さ」と「危険さ」を持った制度なので、「税金逃れ」や年金・補助金・交付金の「不正受給」が行われないようにする本来の目的で適正に運用されるとともに、その個人情報の厳格な管理や悪用の防止を、国民としてもしっかりチェック・監視していく必要があります。

同姓同名で、生年月日も同じ人がいるとして、どのように区別しますか?
ある女性が結婚して姓が変わった時に、旧姓と現在の関連をどのように付けますか?

また、ある会社から給与をもらった人と、商売でもうけた人、税金を払った人、「年金」を積み立てている人が「同じ人である」ことをどうやって確認しますか?

あるものは「国」が管理し、あるものは「県庁」、あるものは「市区町村役場」が管理しています。基本的な「戸籍」や「住民登録」は「市区町村」が管理していますが、国税や年金といった「国」の行う...続きを読む


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