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クラシック音楽は今でこそ厳かな音楽という感じで、ポップミュージックとは対極的な存在とし扱われることが多いですが、作曲された当時は今でいうポップミュージックのように広く人気のある音楽だったのではないでしょうか。

まあ、宗教音楽は違うとしても、それ以外のクラシックは全て当時のポピュラー音楽だったはずです。

バッハは宗教音楽を多く作曲しているから違うとしても、ベートーベンやショパンなんかは完全なポピュラー音楽だったのではないでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 演奏会には一般庶民も行けたのではないでしょうか。
    音楽家は当時もピンキリで、駆け出しの音楽家は庶民向けにリサイタルを開いて食いつないでいたはずです。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/03/11 16:30
  • 現代のポップ音楽は正装で行く必要はないですよね(チケットを買う必要はありますが)。クラシックも昔はそのようなものだったはずです。
    なぜなら、正装するということはその音楽に「権威」を認めているからそうするわけで、作曲した当初はその曲にもその作曲家にも「権威」がなかったからです。
    例えば、今のロックやヒップホップにはちゃんとした「権威」が生まれておらず、そのために正装して聴く人はほとんどいません。
    加えて、どのような未開部族でもその構成員の殆どが音楽を楽しむ習慣を持っているのに、近世ヨーロッパで一般大衆が音楽を楽しむ習慣がなかったとは考えられません。
    ヨーロッパの街中では今も音楽隊が楽曲を奏でているように、クラシックも昔は街中で誰もが聞けるものだったのではなかったでしょうか。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/03/12 14:13
  • >クラシック音楽を愛好した「富裕市民」は、かつての「王侯貴族」の趣味を味わうことに優越感を抱いていましたから、「権威」を大事にしていました。
    → 権威というのはある程度の時間とその分野における支配的地位が必要です。確かにベートーベンの生存時はバッハは権威だったでしょう。でも、その曲が生まれた当時はその作曲家も若く、権威が持てたはずはありません。

    例えば、お笑い芸人であるビートたけしは今でこそお笑い界の権威として振る舞っていますが、「コマネチ!」やっていた頃は権威でも全くありませんでした。クラシックは「古典音楽」という意味で、今はその通りですが、その曲が生まれた当時は「現代音楽」だったはずです。

    若い頃のベートーベンも数多い作曲家の1人に過ぎず、その後人気を博して後世までその曲が生き残ったからこそ、クラシックとして権威を得るようになったのだと思いますよ。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/03/12 20:58
  • 私もここまでにしますが、夏目漱石や森鴎外といった小説家も、小説を書いていた当時は今でいう村上春樹や山崎豊子のような人気小説家であった。能や歌舞伎も今のような敷居の高いものではなく、現代でいう舞台劇のようなものであった。このように今では古典とされる文学や芸能は全て、発生した当時は時代最先端であるが批判を受ける対象でした。

    ロックやジャズ、漫画などは「〇〇を聴くやつ(読むやつ)はろくでもない」などとさんざん言われていましたが、今では古典として権威を持ち始めています。ヒップホップもいずれそうなるでしょう。

    芸能や娯楽は全て例外なくそのようなルートをたどるか消えるかのどちらかであり、そのように考えるとクラシックも例外ではないはずです。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/03/13 07:34

A 回答 (10件)

No.9です。

きりがないので最後にします。

>権威というのはある程度の時間とその分野における支配的地位が必要です。確かにベートーベンの生存時はバッハは権威だったでしょう。でも、その曲が生まれた当時はその作曲家も若く、権威が持てたはずはありません。

時間のことを言っているのではありません。「権威」になるのは「大衆」に認められることによってではなく、その時点における「権威」に認められることによってそうなるということです。

バッハは、約100年「忘れ去られ」ていました。それを復活させ、「音楽の父」としてドイツ音楽の権威づけの基礎にしたのは、メンデルスゾーンやその時代の「批評家」たちです。その辺のからくりは、No.6に挙げた 岡田 暁生著「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」(中公新書)に詳しいです。

クラシック音楽(特にドイツ音楽)がどのように成立したかは、こんな本も読んでみるとよいかもしれません。
ご紹介したような本もお読みなった上で、あとはご自分で考えていただければよいと思います。私の説明を押し付けるつもりはありませんので。

ハンスリック著「音楽美論」(原著は1854年)
https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%B …

シューマン著「音楽と音楽家」(作曲家シューマン(1810~1856)の書いた音楽批評集)
https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%8 …
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No.6です。

「補足」に書かれたことについて。

>現代のポップ音楽は正装で行く必要はないですよね(チケットを買う必要はありますが)。クラシックも昔はそのようなものだったはずです。
>なぜなら、正装するということはその音楽に「権威」を認めているからそうするわけで、作曲した当初はその曲にもその作曲家にも「権威」がなかったからです。

いいえ。クラシック音楽を愛好した「富裕市民」は、かつての「王侯貴族」の趣味を味わうことに優越感を抱いていましたから、「権威」を大事にしていました。
自分たちは「王侯貴族」のような「よい音楽を聞き分ける耳」を持っていなかったので、「批評家」「音楽評論家」という職業も生まれました。クラシック音楽は「権威そのもの」だったのです。だから「音楽の父バッハ」「楽聖ベートーヴェン」という権威を作り上げ、自分こそは「ベートーヴェンの後継者」と自認していました(ブラームス対ワーグナー、フランスにおける「ドイツに追いつき追い越せ」の「国民音楽協会」など)。

大衆の音楽は「民謡」でした。
クラシック音楽をこういった「大衆音楽」と結び付けようと、19世紀末には「国民学派」と呼ばれる動きが盛んになり、ロシア5人組やチェコ音楽のドヴォルザーク、北欧のグリーグやシベリウスなどが生まれましたが、これらも「アカデミックな権威」の中に「民謡などの大衆音楽の素材」を取り込む動きであって、大衆音楽そのものではありません。
20世紀になってから、バルトークやコダーイなどが民謡を採取したのもの、そういった動きの一つです。

大衆に近いものとして、もう一つ「軍楽隊」というものもありました。19世紀にトルコ軍などの影響で作られましたが、こちらはクラシックというよりは「ブラスバンド」です。
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「クラシック音楽の社会的立場」という意味では、およそその様な事だと思います。


しかし、真剣に「芸術」を鑑賞する、という意味合いでは、違うと思います。
現代よりも、昔の方が、真剣に「芸術」を鑑賞出来る機会に恵まれていた部分があるように思われます。
それは、ヨーロッパだけではなく、日本の「古典芸能」についても同様な事が言えると思います。
「歌舞伎」や「能」は、今日は非常に敷居が高いですが、江戸時代の人々には、鑑賞出来る機会がより多かった、と思います。
そう考えますと、「芸術」の鑑賞がより限定されているのは、むしろ今日の様な気がします。
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これは「大衆を対象とした音楽」として捉えるのか、「不特定多数(パトロン以外を含めたかという意味で)を対象とした音楽」として捉えるかで違ってきます。



ベートーベンのころには「不特定多数(パトロン以外を含めたかという意味で)を対象とした音楽」となっていたでしょう。
一方で大衆が成立し、皆が皆、広く音楽を聴くようになるのは近代音楽以降でしょうか。

近代音楽になってからは、映画音楽もありますし、ラグタイムのように人によってはジャズとの違いがわかりにくいクラシックもできています。
古くからのクラッシク音楽と別に大衆音楽との間にあるようなものもできてきました。
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No.4です。

「補足」に書かれたことについて。

>演奏会には一般庶民も行けたのではないでしょうか。

 「一般庶民」とは、せいぜい「小ブルジョア(プチ・ブル)」のことでしょうか? 現代社会の感覚でいう「一般庶民」というものは、19世紀には存在しなかったのです。

 今でも、オーケストラ演奏会にせよリサイタルにせよ、演奏者は「燕尾服」や「ドレス」といった、いわゆる「正装」です。
 当然、当時の観客も「正装」で出席しました。コンサート、リサイタル、オペラは、上流階級の社交場だったのです。
「正装」を持たない一般庶民が出るような場ではなかったのです。
 現代でも、コンサートにジーンズやTシャツだと白い目で見る観客は多いです。サンダル履きなど御法度です。
 正月にテレビ中継される「ニューイヤーコンサート」の観客の服装にも注目してみてください。

 ついでに、No.4に書いたように、20世紀前半に大衆音楽が登場した後は、いわゆるクラシック音楽は「現代音楽」「流行音楽」であることをやめ、「古典芸能保存」に徹するようになりました。同時代の「前衛音楽」が大衆に支持されなくなったことも要因ですが。
 それ以降のクラシック音楽は、映画音楽やテレビ・ラジオ番組の音楽として生き残っているという見方もあるようです。それが「大衆化した現代のクラシック音楽」でしょうか。

 こんな本が面白いので、興味があれば読んでみることをお勧めします。質問者さんの知りたいことが書かれていると思います。

↓ 岡田 暁生「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」(中公新書)
https://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%9 …

ついでに、同じ著者のこんな本も、興味があれば。20世紀になって、オペラは「映画」にとってかわられた、ということも書かれています。

↓ 岡田 暁生「オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」」(中公新書)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%8 …
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ベートーベンやショパンの時代には、ラジオもテレビもレコードもなかったので、彼らが作り演奏した曲は「広く人気のある音楽」とはなり得ませんでした。

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「当時の流行音楽」という意味では、ほぼ「その通り」だと思います。



 ただし、#2さんが書かれているように、ヨーロッパは19世紀まで(あるいは20世紀初頭まで)は「階級社会」でしたから、「流行音楽」=「大衆音楽」ではありませんでした。「流行音楽」の主体は「中産階級」(いわゆる「ブルジョア」)であって、人口の多数を占める「農民」や「労働者」(いわゆる「プロレタリアート」)ではありませんでした。
 バッハも、「宗教音楽」ばかりでなく、いわゆる「世俗音楽」もたくさん作曲していますが、主な注文主は王侯貴族や富裕市民でした。
 ベートーヴェン以降、フランス革命の影響もあり、作曲家は「王侯貴族のお抱え下僕」の地位から「独立自営業」になったものの、主な注文主はやはり「貴族」「富裕市民」でした。ベートーヴェンやショパン、リストなどは、富裕市民の「サロン」で曲や演奏を披露していました。そこに「一般大衆」はいませんでした。
 ロンドンなどの大都市では、ザロモンなどの興業主が「フィルハーモニー協会」といった「音楽愛好家」の会員制コンサートを開くようになりましたが、この会員も富裕市民層でした。

 「プロレタリアート」中心の「大衆音楽=ポピュラー音楽」が発生・普及したのは、20世紀前半(第一次大戦後)のアメリカで、それがヨーロッパにも普及しました。いわゆる「ダンス音楽」「ジャズ」「大衆歌謡」「ミュージカル」といったものです。第一次大戦でドイツ帝国やオーストリア帝国などが、そして革命でロシア帝国が崩壊して、ヨーロッパが一斉に「共和国」になったこととも大きく影響しています。

 そういった社会的背景も考慮する必要があります。
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私もそう思います。


極端な言い方をすれば、現在、クラシック音楽といわれているものが昔から人気のある
ポピュラーミュージックといってもいいのではないでしょうか?

まあ、私の言葉ではなく、尊敬する高校時代の恩師の言葉なんですけどね。
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ベートーベンやショパンが生きた時代は、現代のように庶民が音楽を買うことができず、皇帝や上流階級が演奏家を雇うことができるだけでした。


したがって、シンフォニーなどの大編成の楽団が演奏する楽曲はすべからく上流階級のもです。

また庶民に家にはピアノはありませんし、庶民はピアノを弾くことなどできませんので、ピアノソナタといえどもやはり上流階級のサロンでプロの楽士が演奏しただけす。
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不健全な音楽だと言われていた時代もあります

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