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世界史で列強というと、大体、イギリス、フランス、ロシア、オーストリア、イタリア、ドイツ、アメリカ、そして日清戦争あたりから日本だと思うのですがこの当時オスマン帝国列強なのでしょうか?英語版のWikipediaにオスマン帝国が入っているのですが、当時オスマン帝国は、クリミア戦争や露土戦争などを経験しているので列強に入るのですか?それとも、日本人の感覚からするとオスマン帝国は列強には入らないですか?

https://en.wikipedia.org/wiki/Great_power

「オスマン帝国は列強なのでしょうか?」の質問画像

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A 回答 (5件)

日本人の感覚は知りませんが、歴史的にみると、かつてのトルコはヨーロッパをすべて相手にしても優位になるほどの大国でしたが、その当時のトルコは列強には入りません。





>クリミア戦争や露土戦争などを経験しているので列強に入るのですか?

列強ではありません。

なんか、あなたはクリミア戦争でトルコがロシアに勝利したと思っているようですが、クリミア戦争は、実質的にはイギリス対ロシアの戦争です。


当時、イギリスにはパーマストンと言う優秀な政治家がいましたが、あまりにも攻撃的な外交を懸念して、一時期外交の職から外されていました。ロシアはそれをチャンスと見込んで、「パーマストンがいないから、トルコに手をつけてもイギリスは介入してこないだろう」と高を括ります。そして、1853年にクリミア戦争が勃発します。トルコはロシアに太刀打ちする術はありませんので、この時点ではロシアが勝利するのは約束されていました。


しかし、パーマストンは優秀なため外交から外されているにも拘らず、ある時ヴィクトリア女王から労働問題で呼ばれていた時「そんな事より、女王陛下。トルコとロシアが大変な事になっています。」と参戦を促し、イギリスはフランスとサルディニア王国(北イタリアとサルディーニャ島。)をつれて1854年にクリミア戦争にトルコ側につく形で参戦をしました。

ロシアはオーストリアに参戦協力を模索しますが、オーストリアはこの戦争の参戦は行いませんでした。


1854年のセヴァストーポリ(クリミア半島の港)では、イギリス軍2万、フランス軍3万、トルコ軍が6千に対しロシア軍は5万でした。この当時のトルコは、ヨーロッパの列強の狩場でしかありません。


クリミア戦争では、イギリスの介入によって難を逃れますが、その後のトルコはケマルパシャによって現在のトルコ領土を確立するまでは、良いようにイギリス、ロシア、フランスに国家を解体されていきます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/03/16 17:11

以下は、YAHOO!知恵袋の同様の質問に対し、ベスト・アンサーになった回答です。




世界史的に列強と呼ばれる国
ということで、時代の変遷とともに、列強は入れ替わっています。

★まず、ウィーン体制下(ナポレオン戦争以後)では
アメリカはまだ発展途上で、列強といえばヨーロッパの五大国だといえます。
この時期の列強・・・イギリス、フランス、オーストリア帝国、プロイセン王国、ロシア帝国
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

★南北戦争後、アメリカが急激な発展をとげ、一方オーストリア帝国はふおう戦争で、プロイセンに敗れ、オーストリア=ハンガリー帝国となり、衰退します。そして、ようやく国内統一がなったイタリア王国が登場します。
この時期の列強・・・イギリス、フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国、アメリカ
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

★20世紀初頭、日露戦争終結後から第一次世界大戦の間ごろまで
イタリア王国とアジアから唯一、日本も列強と見なされ始めた。
この時期の列強・・・イギリス、フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国、アメリカ、イタリア、大日本帝国
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

★第一次世界大戦直後から1930年代前半
オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊と、ソビエト・ドイツは戦後の混乱で、列強より脱落。
この時期の列強・・・イギリス、フランス、アメリカ、イタリア、大日本帝国
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

★1930年代後半から第二次世界大戦
ソビエト、ドイツは共に国力を回復し、列強に復帰。
この時期の列強・・・イギリス、フランス、アメリカ、イタリア、大日本帝国、ナチス・ドイツ、ソビエト
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

★第二次世界大戦後
国連安保理で拒否権を持つ五大国・・・米英仏ソ(ソビエト→ロシア)中(中華民国→中華人民共和国)


なお、オスマン・トルコの強盛な時代は、列強といった概念が流行る前です。列強の時代になると、衰えて列強に逆に侵食される弱国に成り下がっていた。
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イギリス工作員ロレンスがオスマントルコでテロしてボロボロ

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Great power = 列強では有りませんからね。

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列強ってアフリカやアジアなど、世界的に植民地を持つ国というイメージですね、私は。


だから違うのでは?
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大きな影響を与えたといわれる。
(wikより抜粋)

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専門家もいるぐらいです。



フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、「有色人種への差別が格別に強かった」と、ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」

Q日本がドイツ、イタリアと同時期に近代化を成し遂げられた理由

日本は欧州に比べて近代化が遅れたと言われますが、それはイギリスやフランスに比べるとであって、ドイツやイタリアと比較すると同時期であったようです。

〇ドイツ統一:1871年 (ドイツ統一の三傑:ビスマルク・モルトケ・ローン)
〇イタリア統一:1871年 (イタリア統一の三傑:カブール・ガリバルディ・マッツィーニ)
〇廃藩置県:1871年 (維新三傑:木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通)

この3国が同じ年に統一近代国家を結成したというのもかなりの偶然なのですが、日本だけが遠く離れた位置にあるのにもかかわらず、西洋諸国と同時に近代化を成し遂げることができたのはなぜでしょうか。

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近代化の土台を整える準備ができていた事。そもそも、近代化できる文化度、産業の土壌が日本には根付いていた事。

近代化の土台を整えた一例を上げますが、教科書では、黒船がやってきて慌てふためいてと教わりますが、慌てふためいたのは事実ですがそれまで何もしていなかったわけではありません。暴れん坊将軍でおなじみの徳川吉宗は、西洋の野蛮さに気付き、西洋研究の必要性を理解していました。そのため1720年に漢訳洋書禁緩和を行いました。これによって西洋の知識が日本国内に入り、近代化の土壌を養いました。

そして、日本には当時から教育制度が確りしていて、識字率はヨーロッパの諸外国よりも高かったと言う説もあります。

教育が確りしていたので、「よいものは吸収する」という今の価値観では当たり前のことが国民レベルで備わっていました。その当時の半文明といわれた大半の国は、「外国の知識」というだけで毛嫌いし、見下す傾向にありましたが、日本は教育が行き届いていたのでその外国の知識が優れているのかを見分ける教養が備わっていました。


産業ですが、実は日本は今も昔も産業国です。昔の日本は農業国というイメージがあるでしょうが、それは一面的です。戦国時代に、西洋の銃を輸入し、それを模造し再現し、現地生産し、しかも改良を行ってその当時の西洋の銃よりも優れた銃が日本中に普及していました。これは、それだけ産業が強かったためです。こんな事が当時できた国は、世界でも稀です。その当時は、西洋と比べても日本の工業力は優れていました。

幕末になると西洋の産業力と比べ物にならなくなるのですが、キャノン砲を模造できるだけの基礎的な工業力は当時からあり、このような教育や産業の土壌があったからこそ、近代化が成功しました。


日本が地理的に極東で幸運だったのは事実ですが、もしそれだけが近代化の成功した理由なら、隣国もその当時に近代化を成功させていたでしょう。

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Q真珠湾攻撃をアメリカが事前に知ってたは明らかにウソでは?

戦死2,345民間人68。
これだけ犠牲が出たのを事前に知ってたけど戦略的な理由で黙ってましたは関係者が遺族から袋叩きになりません?
アメリカは民間人も銃を持ってます。
予想される犠牲者が数人ならともかく有り得ないと思いませんか?

Aベストアンサー

真実はだれにもわかりません。

しかし状況から見て,おおよそのことは判断できます。
私は質問者さんの感覚は正しいと思います。

知っていたけど黙っていた・・・
そんなことがあとからバレたら大統領どころか
政権も吹っ飛びます。

戦争を始めるにはもっと小さな被害で十分です。
民間人が一人虐殺されれば国内は大騒ぎになり,
戦争へとつながります。

生麦事件だって死んだのは一人です。
そこから薩英戦争が起こりました。

軍人を2000人以上犠牲にする必要はありません。
まあ,No.9さんの回答も説得力がありますけどね。

歴史は証明が難しいため,
とかく自分の都合がよいように操作されるものです。
質問者さんのように「自分の常識で考える」のが
いちばんよいのでしょうね。

Qなぜ日本は第一次世界大戦に参戦したんですか?

なぜ日本は第一次世界大戦に参戦したんですか?

Aベストアンサー

第一次世界大戦は、オーストリア皇太子が殺害されたサラエボ事件を発端に

起きました。

ドイツ、イタリア、オーストリアからなる同盟国と、

イギリス、フランス、ロシアからなる連合国との戦いです。

1902年にイギリスと日本が結んだ日英同盟が日本が参戦した理由です。

この日英同盟は、同盟国であるイギリスが1ヶ国と戦争した場合、日本は中立を守り、

イギリスが2ヶ国と戦争した場合は、日本はイギリスを支持するという内容でしたから

参戦したのです。

が主戦場はヨーロッパでしたが、日本はヨーロッパに参戦した訳でなく、イギリスの敵に

なるドイツの東洋艦隊の基地であった青島と膠州湾を攻撃し、その後青島を支配下に

置いた、、という戦争です。

Q三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦

三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。
そこで気になったのですが、当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??
また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所と考えてよろしいのでしょうか?
どなたか詳しい方に教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それすら両陣営ともやや盛った数なので十万に届いていたかどうか。

>何十〜100万の兵
この数は当時の人にとってはSFファンタジー設定でした。
近代の戦争でやっと兵数「数十万」規模の戦闘が記録に登場します。古代と現代の人間の数がこれだけ違うことを考えれば、十万~100万の兵数がいかに思い切った架空設定であったか理解できるはずです。
あり得ない数で架空のお話を創って当時の観客を驚かせたのでしょう。なんでも派手なほうがエンターテイメントとして客を呼べますからね。

なお小説やコミックの『三国志』は三国時代以降に民間で演じられた舞台劇をもとにしたフィクションです。
小説家やマンガ作家の中にも現実を全く学ばずに書いている人が多いですから、あまり本気に受け取らないことです。


>また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所

他の方が回答されている通りです。
日本的に言えば「都市」「街」です。
城を攻略することはすなわち街を攻略することになります。
「●●城が陥落した」という表現があれば、日本では「江戸が陥落した(江戸城ではなく)」というイメージになります。

>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それす...続きを読む

Q【三国志】三国志って実話なんですか? 中国古典に三国志という書物がないんですけど日本人が歴史を読んで

【三国志】三国志って実話なんですか?

中国古典に三国志という書物がないんですけど日本人が歴史を読んで三国志という名前で纏めたってことでしょうか?

日本で三国志は有名なのに中国古典に三国志という書がないんですけど。

Aベストアンサー

中国では「三国演義」というアルヨ。
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Q先の大戦の相手がアメリカではなくソ連だったとしたら、どうなったと思いますか?

日中戦争の頃、今後の日本軍の方針としてシベリアを目指す「北進論」と東南アジアの資源を狙う「南進論」があったと聞きました。
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もし北進論を選択したら、どうなっていたと思いますか?

敵はアメリカではなく、ソ連。
【ドイツ・日本連合軍 vs ソ連】という戦いになっていたはずですが?
もしソ連が勝ったとしても国力はかなり落ちたはずで、米ソ2大国による冷戦はなかったのでは?

Aベストアンサー

陸軍が中心となる北進論に対し、
海軍が中心となる南進論ですね。
ただ、
南進論が本格化したのは
米国の石油禁輸を含む強硬な態度が原因で
そのように仕向けたのは日本の満州政策です。
中国を狙っていた米国としては
日本が満州に浸透するのは不満でならなかったから。

でも、日本としては
最大の仮想敵であるソ連との緩衝地帯を欲していた。
本来はこれが朝鮮半島だったのですけど
21世紀の今になっても強請タカリされるような
間抜けな愚策によって日本に併合してしまったので
さらにその外側に緩衝地帯を求めた。
それが満州。

中国大陸は大規模な市場とみていた米国にとって
日本の切り取り政策は明確な「敵」で
それであの手この手で日本を戦争に導いたわけです。

仮想的であったソ連への対策のために満州政策をしたのに
それで米国を敵に回した結果、ソ連と手をつなぐ施策までした。
戦前の日本はまったくもって、ま・ぬ・け、ですよね。

そんなマヌケな日本に
北進するか南進するかを自分で決める選択枝はありません。
国際政治に疎いアジアの田舎者が
百戦錬磨の欧米人に「踊らされた」だけですよ。

よって、申し訳ないですが
質問者さんの質問は、質問自体成り立たない。
まあ
単なる「戦艦大和と戦艦アイオワではどっちが強い?」
みたいな質問なら深読みも必要ないのでしょうけど
政策についてとなると、その前後が影響しますので。

過去を正しく読み取らないと
また欧米に「踊らされ」ますが
今の日本政治に過去と類似するところがないか
よく見極める必要はあるかもしれませんね。
そういうのを考えるのキッカケとしては
質問者さんの質問は鋭いかと思います。

回答ではなく意見になってしまいました(笑)。

陸軍が中心となる北進論に対し、
海軍が中心となる南進論ですね。
ただ、
南進論が本格化したのは
米国の石油禁輸を含む強硬な態度が原因で
そのように仕向けたのは日本の満州政策です。
中国を狙っていた米国としては
日本が満州に浸透するのは不満でならなかったから。

でも、日本としては
最大の仮想敵であるソ連との緩衝地帯を欲していた。
本来はこれが朝鮮半島だったのですけど
21世紀の今になっても強請タカリされるような
間抜けな愚策によって日本に併合してしまったので
さらにその外側に緩衝地帯を...続きを読む


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