森友学園の問題がにぎわっているようですがなにが、問題なんですか?いまいちわからないので解る方解説の方よろしくお願いいたします。

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A 回答 (6件)

籠池を擁護していたネトウヨが籠池在日陰謀論を言い出した。

頭おかしい?
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かなりさまざまな疑惑が続いています。


学校の許認可に関わったとされる府や国の行政関係者、あと助成金?補助金?に関わったとされている財務省の官僚など野党に攻められています。

どれだけ解明できるのか分かりませんが、今現在、証人喚問で問われているのは、首相と夫人の寄付や報酬(講習演説のお礼の受け取り)などの件です。

学園は既に認可が取り消し扱いになり、本人も認可取り下げています。
建設費に関しては、随意契約なので、最後の部分3億円ほどですが、債務不履行なので、固定資産などの差し押さえ済みだとか
土地は更地にして返却ということになりそうだと聞いてます。

敷地の用地買収の直接の関係者、地元住民団体が訴訟を起こす予定だとか
経過です。
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各種報道前までは塚本幼稚園の教育指導を、関西の保守層を中心に賞賛していたのに、2月が終わる頃には本当にみんながみんな手のひら返しをするみっともなさです。

(忘れてはならないのは、首相も当初、好意的な弁を述べていました)
別に、不正に金銭の授受がなければ、自信を持って初志を貫徹すべきでは?何も悪いことをしていないのでしょうから。
世間の評判を気にして言動が変わるようなのを、少なくとも保守とは呼べない、呼んで欲しくないです。
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しかし、何で今頃籠池グループは在日陰謀論や左翼陰謀論にすり替えメチャクチャ!

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学園理事長籠池が3っ通名を持つ部落民それが国、府、その他に取り付き交付金「税金」40億円以上盗む。

この問題が公に成り総理の嫁さんが副理事長を退職。?後は警察が動くかが鍵
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http://omura-highschool.net/2017/03/02/28365/

もともとは、「テロ等準備罪」を「共謀罪」という呼称で呼んでいたサヨクの方達が、「共謀罪」の審議ができないように焚きつけたものです。
なので、混乱だけを目的としているので、話題があちこちに飛んで収集が付かなくなっています(サヨクの方達の目的どおり)。

しかし、その話題が予想したより拡散しすぎて誰も収集がつかなくなり、その中で「共謀罪」の審議は粛々と進んでいるため、サヨクの方達は逆に「森友問題はアベの陰謀」とまでつぶやき始めています。

ようするに、反政府活動を行っている人がコントロールできない状態になって、あせっているという状態です。
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Qこちらの落款解読と作者が分かりません? 墨絵の掛軸です。解る方よろしくお願い致します。

こちらの落款解読と作者が分かりません?
墨絵の掛軸です。解る方よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

ネットオークションに出ていたものと画像が完全に一致しますが、それのことでしょうか。
落款は、「武彦之印」「幽石」「観自在」と読めます。
「石道人画」の上が空白なので、「石道人」が号だと思いますが、
この号を使っている書家は複数いるので、これだけではわかりません。
「昭和58年10月26日完成」とあるようですし、「田口先生」という記載もあるので、
「田口武彦」という名前である可能性は考えられますが、
ネットには全く情報がないので、著名な方ではないかもしれません。

Q至急解いてほしい問題があります。

Aさんはダイヤモンドを10万円で買いました。
11万円で売りました。
12万円で買い戻します。
そして更に13万円で売りました。
Aさんはいくらもうかったか。
↑の問題、論理的で、数学的な考えじ解けないらしいです。

Aベストアンサー

あくまで考え方の問題です。
入金と出金の収支で考えれば、利益=(11+13)-(10+12)=24-22=2万円です。
もし、11万円で売らなくて、13万円で売ったとしたら、利益=13-10=3万円になったわけです。
そう考えると、3万円の利益を2万円にしたので、損失=3ー2=1万円とも言えます。
あくまで、結果がわかっているから、そう感じるわけで、収支で考えるのが普通でしょう。

Qみなさんよろしくお願いいたいます。

下記の漢詩なのですが
何となくわかるのですが、今いち意味が取れません。
嬉しい詩なのか、悲しい詩なのか?
教えてください!


春望詞(一) 薛 涛(唐)
花開不同賞     花開き 同に賞せず     
花落不同悲     花落ち 同に悲しまず
欲問相思処     問わんと欲す相思の処
花開花落時     花開き 花落つる時

Aベストアンサー

>作者は何が言いたいのでしょう・・・
作者はままならぬ恋の苦しみ待ち人をせつなく詠っています。以下の如く、楽しい喜びの頌ではありませんネ。
この作者は有名な女性です。悲恋の物語で、恋する人を'春'に例えて詠っております。非常に高尚な詩です。私が通釈は雰囲気を壊さぬように細心の注意をしたつもりですが・・・

通解;
花が開いたときにも私たち二人は一緒に楽しむことができない。
よって花が落ちるときにも私たち二人は共に悲しむことも出来ない。
私は問いたいです貴方に私たちの逢えるところをときを。
そこは花が開くところですかそれとも花が落ちるとき。

草花をとりて二人を結び逢わせたい。
そして愛する知己のひとに遺したい。
春の愁いはたったいま過ぎ去っって行った。
そして春の哀しい声はまたやって来るだろう。

ときはゆっくりと過ぎ去った。
しかしそれでも佳境はやはり遥か遠くにある。
愛する人と結ばれることは難しいだろう。
私はただただ同心草を結び逢わせるだけです。

花が開いて枝に満つるとき。
ただただ思いを巡らすのみ。
鏡に向かえばおおなんとわが身の痩せ細ったこの姿。
まだ判らないがこれはもしかして春風が吹き込んで来たのかしら。(良い知らせが春風と共にやって来たのかしら)

*同心草:こういう草が向こう様にはあるようです。

相思:想いあう、恋しあう
攬/檻:自分のほうへ引っ張る、掌中に納める
同心:心を合わせる、相思相愛の仲
(同心結):紐を二つの心臓形に結んだ物-男女間に授受して愛情の誓いを表す
将:まさに~せんとす、きっと~だろう
遺:残す、送る
知音:親友、知己
複:ふたたび、また
猶:まるで~のようだ、なおまだ
渺渺:はるかで遠いさま

>作者は何が言いたいのでしょう・・・
作者はままならぬ恋の苦しみ待ち人をせつなく詠っています。以下の如く、楽しい喜びの頌ではありませんネ。
この作者は有名な女性です。悲恋の物語で、恋する人を'春'に例えて詠っております。非常に高尚な詩です。私が通釈は雰囲気を壊さぬように細心の注意をしたつもりですが・・・

通解;
花が開いたときにも私たち二人は一緒に楽しむことができない。
よって花が落ちるときにも私たち二人は共に悲しむことも出来ない。
私は問いたいです貴方に私たちの逢えると...続きを読む

Q小林秀雄のやさしい解説書

 小林秀雄を理解したいと思います。
 「様々なる意匠」「無常といふこと」を読んでもほとんど意味がわかりませんでした。
 小林秀雄に関する解説書が少なくて見つけるのに苦労しています。
 高校生にもわかるようなやさしい解説書、またはサイトがあれば紹介してください。
 
 

Aベストアンサー

小林秀雄は、フランスの十九世紀から二十世紀の文学や思想(ランボー、ヴァレリー、ベルクソン)を学ぶことから出発し、西洋思想そのものの研究に向かうのではなくて、自分自身の問題意識に向かっていった人です。

文芸批評の分野でおもに活躍したけれど、モーツァルトやゴッホ、あるいは実朝や本居宣長、といった「創造的な天才」を語りながら、そのじつ、つねに自分自身を語っていた。
小林秀雄のむずかしさもおもしろさも、そういうところにあると思います。

たとえば、加藤周一は『日本文学史序説(下)』(ちくま学芸文庫)のなかで、このようにいっています。

「小林秀雄の文章は、おそらく芸術的創造の機微触れて正確に語ることのできた最初の日本語の散文である。その意味で批評を文学作品にしたのは、小林である。しかしそれほどの画期的な事業は、代償なしには行われない。代償とは、人間の内面性に超越するところの外在的世界――自然的および社会的な世界――の秩序を認識するために、有効で精密な方法の断念である。」(p.501)

批評文、あるいは論説文というのは、ひとつないしはひとつながりの問題から出発するものです。
その答えを得るために、確実なところから出発し、論理を積み上げていきます。そうして、本に書かれているのは、その答えです。

多くはその「問い」は書かれていませんから、読み手は、読むことを通じて、逆にその「問い」を、自分の手で作り上げていかなければなりません。

ところがフィクションは、そういうものではありません。
全体が問いであり、同時に答えでもある。
もちろんわたしたちは筋道をたどりながら読んでいくわけですが、その問いも答えも、自分で見つけ、答えていかなければなりません。

小林の評論は、「創造的な天才」が芸術作品を作り出すその現場、たとえば吉田兼好が『徒然草』を書いた動機、本居宣長が古代文献の研究に向かった動機を、自らに重ね合わせつつ洞察し、それを非常にいきいきとした描写で描く。わたしたちはこれを読むと、ハッとするし、おそらくそうだったにちがいないと思い、感動するし、兼行や宣長を「生きた人間」として感じることができる。けれども、それが批評のありかたとして、どこまで有効なのか。

小林秀雄の作品は、そういうものであると思います。

たとえば、小林の著作のなかでも比較的読みやすい『蘇我馬子の墓』を見てみると(いや、単にわたしが好きだというだけなんですが…)、こんな文章から始まっています。

「岡寺から多武峰へ通ずる街道のほとりに、石舞台と呼ばれている大規模な古墳がある。この辺りを島の庄と言う。島の大臣馬子の墓であろうという説も学者の間にはあるそうだ。私はその説に賛成である。無論、学問上の根拠があって言うのではないので、ただ感情の上から賛成して置くのである。この辺りの風光は朝鮮の慶州辺りにいかにもよく似た趣があると思いながらうろつき廻っていると、どうもこの墓は、馬子の墓という事にして貰わないと具合が悪い気持になってきたのである。」

文章の展開のさせかたも、断定も、実に小林秀雄らしい文章ではないかと思います。
このなかには、蘇我馬子のことも、聖徳太子のことも、聖徳太子の仏教思想のことも、馬子の墓が当時珍しい石造り建築であることも、日本の木造建築の繊細さ、滅びやすさも、歴史ということも、伝統ということも書いてあります。そういったさまざまなことがらが、一種の模様のように織り上げられた、美しい布を見ているようです。

「理解したい」とおっしゃる質問に、こう回答するのも、とぼけた話なのですが、わたしもまた、「理解したい」と思います。そうして、その理解というのは「著者は何が言いたかったのか」ではなく、たとえばこんな文章「ある種の記憶を持った一人の男が生きて行く音調を聞いただけである」(『蘇我馬子の墓』)を。
おそらく、心に残った部分を胸の内で反芻し、忘れ、また読み返し、そうやって少しずつわかっていくようなものではないか、と思います。

なお、小林秀雄に関しての評論というと、中村光夫が比較的まとまったものを書いています。大きい図書館に行ったら、筑摩から出ている『中村光夫全集』の第六巻「作家論(四)」に「さまざまな意匠」含め、いくつかの評論が収められています。

小林秀雄は、フランスの十九世紀から二十世紀の文学や思想(ランボー、ヴァレリー、ベルクソン)を学ぶことから出発し、西洋思想そのものの研究に向かうのではなくて、自分自身の問題意識に向かっていった人です。

文芸批評の分野でおもに活躍したけれど、モーツァルトやゴッホ、あるいは実朝や本居宣長、といった「創造的な天才」を語りながら、そのじつ、つねに自分自身を語っていた。
小林秀雄のむずかしさもおもしろさも、そういうところにあると思います。

たとえば、加藤周一は『日本文学史序説(下...続きを読む

Q解説してくれませんか?

川端康成の『バッタと鈴虫』という小説を読んだのですが、うまく解釈することが出来ませんでした。なので、解説していただきたいのですが…

Aベストアンサー

まず、ストーリーを見てみましょう。
『掌の小説』の一編だけあって、あっという間ですね。

語り手は二十人ばかりの子供が手作りの提灯を下げて虫取りをしている場面に行きあわせる。男の子が「バッタ欲しい者いないか」と言い、「頂戴な」と言った女の子にやる。ところがそれは鈴虫だった。男の子は驚いている女の子の横顔を眺める。女の子の胸には提灯に記された男の子の名前が浮かび上がり、男の子の腰のあたりには女の子の名前が浮かび上がっている。

これが表面にあらわれた出来事です。
これだけを読んでいたら、ナンノコッチャ、となるのは当然です。
川端は、表面に書かないことの名手です。行間を読んで行かなくてはなりません。
行間とは何か?
行間とは、登場人物の「気持ち」です。
もう少し高級に言うなら「心理」です。
こういうことは、すべて書いてありません。
登場人物の気持ちを類推し、解釈によって埋めながら読んでいく。
その作業が必要です。

まず、この作品にはいくつか、対立するものが描かれています。
・バッタと鈴虫
・男の子と女の子
・語り手である(=見ている)大人の男性と、行為する男の子
・闇と提灯の明かり
……いくらでも見つけることができるんですが、このくらいにしておきましょう。

タイトルにもなっている「バッタと鈴虫」、このふたつはどういう関係にあるかわかりますね?

バッタ……ただの「獲物」
鈴虫……すばらしい「獲物」

ここでポイントは、表面で贈与される鈴虫そのものには実はあまり意味がないということです。ヴァレンタインデーのチョコレートと一緒。

ですから、なんでバッタなんだろう、とか、なんで鈴虫なんだろう、ということにとらわれていてはダメです。ここで押さえておくのはバッタと鈴虫の関係
バッタ<鈴虫、という、この不等号記号だけです。

男の子は「バッタ欲しい者いないか」と何度も繰り返す。つまり、ここでは目指すべき女の子がおり、その子が来るのを待っていることが暗に描かれています。

そうして、やっときた女の子に「バッタだよ」と言って、鈴虫を渡す。
なんでそんなことをしたのか。

「女の子は褐色の小さい虫を見て眼を輝かせた」

この表情が見たかったんですね。
贈り物をするとき、わたしたちはどこかで相手に喜んでもらいたい、それも、ちょっとびっくりしながら喜んでもらいたい、と思いますね。
だから、男の子の目的は果たせたわけです。

では、つぎの対立を見てみましょう。
男の子と女の子です。これも、見るのは「関係」です。

男の子と女の子、どういう関係にあるでしょう?

男の子は女の子に鈴虫を贈る。
女の子はそれを受け取って、うれしそうな顔をする。

わたしたちが贈り物をすることの「原型」がここにあります。
こういう行為を「贈与」と言います。大昔から人間が繰りかえしおこなってきたことです。

ものをあげたい。
あげることで、相手に喜んでもらいたい。
どうしたら一番喜んでもらえるだろう。
びっくりさせることです。

この「びっくり」というのは、「贈与」のなかの重要なファクターなんですが、これを話しはじめるとそうでなくても長いこの回答が終わらなくなっちゃうんで、やりません。
ただ、わたしたちは誕生日プレゼントを渡すときでも、秘密にしておきますよね。クリスマスプレゼントも、サンタクロースが持ってきてくれるものだ。「ティファニーのオープンハート、つぎのお誕生日に買ってぇ」というのは「おねだり」であって、「贈与」とは何の関係もありません(というわけでもないのですが、これも省略)。

男の子は、この「贈与」のプロセスに「びっくり」を盛り込んだ。それが「バッタだよ」という念押しです。

「鈴虫、あげる」→(うれしい)が
「バッタ、あげる」→「あら、バッタじゃなくてよ」(びっくり)→(すごくうれしい)になった。
そうして、男の子はこの「贈与」がうまくいく、つまり、相手に「負い目」を負わせ、つぎの行為へと相手を駆り立てる、という意味で、友愛の絆を生むことに成功したわけです。

さて、つぎに語り手と男の子の関係を見ていきましょう。

男の子は、当然、自分の行為の意味を知りません。それがどう意味づけられるかを知っているのは、大人である語り手です。
つまり、この語り手は、出来事を単にわたしたちに教えてくれるだけの存在ではありません。
出来事を物語にし、そうして、「贈与」という意味づけを行い、わたしたちに、人間の行為として見せてくれる存在です。
語り手自身が、このようなことを繰り返してきたこと、繰りかえしながら大人になってきたことを明かすのは、そのためです。

つまりこの物語は「大人が子供の行為のなかに男女の基本的な関係(=贈与)のありようを見いだす物語」であるとも言えるのです。

双方の体に浮かび上がる「名前」のシルエット、ここらへんはうまいですね。さりげなく、実にエロティックです。さすが、川端。川端を読むときは、絶対に「エロス」を忘れてはいけません。気がつかない人がいっぱいいるから教科書に載ってるのかもしれませんが。相手の体のどこにお互いの名前が写っているか、これもちゃんと見ておいてくださいね。

この回答を読んで、もしかしたら、いっそうわかんなくなっちゃったかもしれません。
そういうときは、補足してみてください。
時間がないからちょっと遅くなるかもしれませんが、何とか答えようと思います。

まず、ストーリーを見てみましょう。
『掌の小説』の一編だけあって、あっという間ですね。

語り手は二十人ばかりの子供が手作りの提灯を下げて虫取りをしている場面に行きあわせる。男の子が「バッタ欲しい者いないか」と言い、「頂戴な」と言った女の子にやる。ところがそれは鈴虫だった。男の子は驚いている女の子の横顔を眺める。女の子の胸には提灯に記された男の子の名前が浮かび上がり、男の子の腰のあたりには女の子の名前が浮かび上がっている。

これが表面にあらわれた出来事です。
これだけを...続きを読む


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