英文学研究をしており、その研究計画書を書いているのですが、文学研究において研究の進め方とはどのように記入すれば良いのでしょうか?

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A 回答 (1件)

研究の進め方は目的によって変わります。


目的を達成するためには何が必要か。
どういう情報が必要か。
それを考えれば、自ずと決まるはずです。

シェークスピアを研究するのに、当時のグローブ座の俳優たちのことを詳しく知る必要はあるか?
どうやって調べる?

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Q心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。 イギリス文学 心理学 イギリス文学を用いて心理学

心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。

イギリス文学 心理学

イギリス文学を用いて心理学の論文を書こうと思っています。
特にサスペンスやミステリーが好きなので、犯罪心理学の路線で行こうかなと考えていますが、未定です。
集団心理、思い込み(幻想、幻聴など)、多重人格でも何でも、何か心理学的なヒントが見つかりそうなイギリス文学作品があれば教えて頂きたいです。時代は問いません。
和訳されていない作品でも大丈夫です。英語で論文を書くので、むしろそっちがやりやすいかもしれないです。

どんどん挙げてくれたら嬉しいです!
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

シャーロック・ホームズはコカイン中毒だったとのことですから、病理心理学はダメですか?
ルイス・キャロルは幼児性愛者だったそうですが、これも病理心理学として使える?

Q文学研究って?(初歩的です)

閲覧ありがとうございます。
大学入学を志望しています。
文化学を志していたのですが、文学研究と文化学の違いが曖昧だったこともあり、
本を研究対象にしたいと人文学部の文学科を選びました。
近現代文学の中で共通して使われてきたモチーフに視点をあて、
それらを考察することで、そのモチーフが文学内でどう捉えられてきたかを調べたく思っていました。
具体的には様々な文学者が、作品内でモチーフをどう扱っているかを比較検討するような方法を考えていました。

結婚を例として、
「明治大正期の文学に見られる「結婚」」を考察、
もしくは「文学内での「結婚」の扱いは現代と近代で変わっているか」といった感じです。
それを重ねることで、ゆくゆくは日本人もしくは大衆の「結婚」のとらえ方を知りたいと思っていました。

しかし、それでは「Aは結婚をこう書いている」「Bは結婚をこう書いている」というアンソロジーにしかならないのではないかと心配になりました。

興味があるモチーフについて調べてゆきたいという好奇心から始まったのですが、どうも研究と読み物の区別がついていないようで、志望理由に行き詰まってしまうことが多々あります。

一つの事象やモチーフに視点を当てて分析する方法は、文学研究として成り立ちますか?
また、そういった「物事につきまとう概念」のようなものを、文学内のものに限って調べていくことには意義があるでしょうか?
(言語文化の枠ではないかという意見も頂きました。言語文化の視点を取り入れた文学研究、等でも構わないのでしょうか…)

大変初歩的な質問で申し訳ありません、
ご意見いただければ幸いです。

閲覧ありがとうございます。
大学入学を志望しています。
文化学を志していたのですが、文学研究と文化学の違いが曖昧だったこともあり、
本を研究対象にしたいと人文学部の文学科を選びました。
近現代文学の中で共通して使われてきたモチーフに視点をあて、
それらを考察することで、そのモチーフが文学内でどう捉えられてきたかを調べたく思っていました。
具体的には様々な文学者が、作品内でモチーフをどう扱っているかを比較検討するような方法を考えていました。

結婚を例として、
「明治大正期...続きを読む

Aベストアンサー

> 一つの事象やモチーフに視点を当てて分析する方法は、文学研究として成り立ちますか?
> また、そういった「物事につきまとう概念」のようなものを、文学内のものに限って調べていくことには意義があるでしょうか?

実際にそういう研究の例はいくつもあります。
何よりも実例を見てみることが参考になるのではないでしょうか。

まず前田愛『都市空間のなかの文学』(ちくま学芸文庫)

このちくま学芸文庫版は、いくつかの論考が所収されていて、非常にありがたい本になっています。最初の「空間のテクスト」は、ある程度の知識がないと、ちょっと読むのはつらいかもしれませんが、二葉亭四迷の『浮雲』を扱った「二階の下宿」や、樋口一葉の『たけくらべ』を扱った「子どもたちの時間」は、なんとか高校生でも読めるかと思います。

ここに所収されたエッセイは、どれも文学作品に描かれた「都市」もしくは「空間」について考察されたものです。わたしたちはふつう作品を読むとき、どうしても人間に目がいってしまう。その人が何をするか、どうなるか、に目を奪われてしまうのですが、前田さんは、通常は「作品の背景」としか意識されない、舞台の方に目を向けます。立原道造のソネットは、どこに「かへって来るの」か。『舞姫』の豊太郎が歩いたベルリンはどんな街だったのか。

それまで「背景」としか意識しなかった空間に目を向けることによって、これまでわたしたちは登場人物が屹立した個人として、決断し、行為していると思っていたことが、ひどく狭い見方でしかなかったことに気づくことができるのです。主人公を主人公として成り立たせているのは、さまざまな空間であり、その空間における人びととの関係である、ということがわかってくる。

だとすれば、空間を描いた作品をいくつか集めてくれば、それで論考が成り立つのか。

> しかし、それでは「Aは結婚をこう書いている」「Bは結婚をこう書いている」というアンソロジーにしかならないのではないかと心配になりました。

という問題意識は、非常に優秀だと思います(別にわたしが褒めたって何もいいことはないでしょうが、でも、高校生でこの点に気が付いたのは、ほんと、えらい! って思います)。だって「アンソロジーもどき」もいっぱいあるから。

だからこそ、枠が必要になってくるのです。
枠というのは、ゲームのルールです。
前田さんの論考は、「意識/無意識」というユング心理学がその枠になっています。

あるいはルネ・ジラールの『欲望の現象学』

この論考では、『ドン・キホーテ』『ボヴァリー夫人』『赤と黒』『失われた時を求めて』などを通して、主人公の対象に向けた欲望は、媒介となる人物(モデル)の欲望の模倣である、ということが考察されていきます。ジラールはこの主体-対象-媒介の三つの項を「欲望の三角形」と呼ぶのですが、こうすることによって、わたしたちはそうした作品を、これまで思ってもみなかったような角度から眺めることができる。

特にこのジラールの「欲望の三角形」理論を援用した作田啓一の『こころ』を始め、いくつかの文学作品の読解(『個人主義の運命』所収)は、非常におもしろいものです。

そうしてこのジラールの理論というのは、ヘーゲルの欲望論から来ている。

このように、「「物事につきまとう概念」のようなものを、文学内のものに限って調べていく」ためには、かならず「枠」が必要なのです。
ですから「アンソロジーかそうでないか」を分けるのは、この枠があるかないかです。

そうして、それを読む側も、その枠を知っておく必要があるんです。
そうしないと、なんで手を使わないんだ、まだるっこしいな、あんなのスポーツじゃないよ、なんてことをサッカーの試合を見ながら言う羽目になってしまいます。

こうやっていくと、質問者さんがあげられた例というのは、まだまだ問題意識を煮詰めていく必要があるということがおわかりかと思います。
たとえば
・結婚を機能の面から考察していくのか
・社会が持つ集合的表象としてとらえるのか
こういうことについて考えていかなくちゃならないかな、と思います(もちろん、これ以外にも切り口はいくつもあるでしょうが)。

だから、いまは「問題意識」を絞るのではなく、さまざまな「枠」を知ることから初めていかれてはどうでしょうか。

こういうのを正統な文学研究か、というと、そうだとは思わない人もいます。
「カルチュラルスタディース」みたいな呼ばれ方をすることが多いかもしれません。むしろそういうところで必要になってくるのは、哲学とか現代思想とか、あるいは社会学とか、「文学外」の知識が山のように必要になってきます。

でも「内容」より「理論」とか「構造」とかいうことが好きな人は、大丈夫、やっていけると思います。

ほかにもバタイユとかプーレとかブランショとかサルトルとか、もう、ほんとにいろいろあります。そうそう、うんと読みやすいところでは斉藤美奈子の『妊娠小説』もそうです。この人がいったい何を「枠」に使っているか、これは比較的わかりやすいので、質問者さんも考えながら読んでみてください。

ともかく、ぜひ一度、前田愛は読んでみて。

> 一つの事象やモチーフに視点を当てて分析する方法は、文学研究として成り立ちますか?
> また、そういった「物事につきまとう概念」のようなものを、文学内のものに限って調べていくことには意義があるでしょうか?

実際にそういう研究の例はいくつもあります。
何よりも実例を見てみることが参考になるのではないでしょうか。

まず前田愛『都市空間のなかの文学』(ちくま学芸文庫)

このちくま学芸文庫版は、いくつかの論考が所収されていて、非常にありがたい本になっています。最初の「空間のテ...続きを読む

Q文学の研究ってどうやるのですか?

社会人ですが、大学院に行って児童文学の研究をしたいと思っています。
が、大学時代は哲学・社会学系の学部でしたし、そもそも教官から指導らしい指導を受けていない(図書館にあった文献を何冊か読んで、内容を適当にまとめて提出したらAをもらえた)ので、テーマの決め方や研究の手法、論文の書き方などがよくわかりません。
文学系の研究について、わかり易く説明した本があればご紹介ください。
なお、ひとつの作品の一字一句を細かく分析・批判するような研究よりも、作品や作家の社会的・歴史的な意義を考察するとか、あるジャンルの作品群の歴史的変遷を調べるいった、大きな視野での研究をしたいと思っています。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

#2です。お礼欄拝見しました。

>それぞれの分野の中でも、○○という着眼点・手法で論じる方法はもう古いとか、限界があるとか、最近は○○のような切り口から論じる研究者が現れている、といった研究の歴史みたいなのがあります。

たとえば社会学の方法論のひとつに、機能主義というのがありますね。
そこからパーソンズは構造機能主義を提唱し、さらにそれを批判するかたちで、60年代に入ってルーマンの新しい社会システム理論が出てくる。
こうした社会学の「研究の歴史」というのは、社会学理論の歴史にほかならないのではありませんか。

#2で言いたかったのは、内容(理論)があって、方法がある、というように、「方法」はそれだけ取り外して考察が可能なものではない、ということです。
したがって、研究方法の変遷を見るということは、とりもなおさず理論の歴史を見ていくということになると思います。

>#1の回答の方が「現在の文学研究では、こういうやり方が成り立つかどうか自体が論争課題になっていると」とおっしゃっているように、

『文学の思考』を検索してごらんになると分かるかと思いますが、
http://www.utp.or.jp/shelf/200002/083028.html

扱っている内容は文学理論です。
この本はわかりやすくて良い本だと思うんですが、ある程度、受容理論などの基礎タームを理解していることが前提となってくると思います。

>文学研究にも歴史があり、過去にこんな方法で研究をした流派があるとか、今、○○や○○が盛んに研究されているとか、○○的な方法は現在では否定されているとか、新しいところではこんな研究が登場している、といった流れがあると思うのですが、いかがでしょう。

文学理論の歴史でしたら、テリー・イーグルトンの『文学とは何か』(岩波書店)をあげておきます(この本はここで過去三回ほど紹介しましたが、ほんとによくまとまっていて良い本です。多くの大学でテキストとして用いられています)。
文学研究の誕生した18世紀から、最先端のポストコロニアリズムまで、文学研究の流れの大枠は理解できるかと思います。
巻末に参考文献のリストもついています。

そのほかには
土田知則・神郡悦子・伊藤直哉著『現代文学理論 ―― テクスト・読み・世界』(新曜社)
キーワードを手がかりに、さまざまな文学理論が簡潔に説明してあります。手元においておくと、便利かも。

あとはやっぱりはずせないのがウラジミール・プロップの『昔話の形態学』(白馬書房)でしょう。
プロップは理論的系譜でいくと、ロシア・フォルマリストの一員なんですが、この人たちは、言語ばかりでなく、小説や映画にも固有の「文法」があると考えた。プロップは膨大な量の魔法昔話を収集し、話型に分類することで、昔話の「文法」をあきらかにしようとしたのです。
物語論(ナラトロジー)もここから始まっていくし、童話などを研究していくときにも、絶対出てくると思います。

逆にグリム童話を取り上げて、そこからプロップの形態学や精神分析批評、フェミニズム批評などさまざまな文学理論を浮かび上がらせていくマリア・タタール『グリム童話――その隠されたメッセージ』(新曜社)もおもしろい。

おまけとして神宮輝夫の『世界児童文学案内』が電子テキスト化されてここで読めるのであげておきます。
http://www.hico.jp/ronnbunn/jinguu/sekaijidou/sekaijidoumokuji.htm

YAの歴史をたどった本としてはMichael Cartの"From Romance to Realism: 50 Years of Growth and Change in Young Adult Literature"が気にはなってるんですが、まだ読んでいません。

http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0064461610/103-4086258-4175803?v=glance

#2です。お礼欄拝見しました。

>それぞれの分野の中でも、○○という着眼点・手法で論じる方法はもう古いとか、限界があるとか、最近は○○のような切り口から論じる研究者が現れている、といった研究の歴史みたいなのがあります。

たとえば社会学の方法論のひとつに、機能主義というのがありますね。
そこからパーソンズは構造機能主義を提唱し、さらにそれを批判するかたちで、60年代に入ってルーマンの新しい社会システム理論が出てくる。
こうした社会学の「研究の歴史」というのは、社会学理論の歴史にほ...続きを読む

Q中国古代の文学作品はどのように残されたのか?

たとえば田園詩人といわれる陶淵明などは、官を辞して田舎暮らしをしながら詩作を続けたのですよね。できあがった作品はどのような過程を経て一般にしられるよになり、また今日まで残されたのでしょうか?このへんの知識が皆無でして調べようがありません。ご存知のかた、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
中国文化は、古代より、歴史を正確に記録するということに意味を見出していました。春秋戦国時代にも、各国ごとで歴史書が編纂されており、歴史資料を集め保存し、やがて、歴史書として編纂する役人が各国で任命されていたりしました。

それとの関係で、色々な民間の伝承や風習も、記録に残されていたのです。諸子百家時代になると、百家ごとで、それぞれ色々な思想書が造られます。また、その教えに基づいて、色々な資料を集め文書を作成しました。

儒教では、例えば、古代の歌謡を集めた「詩経」というものに高い価値を置きましたが、こういう古代の歌のアンソロジー本が作れたのは、それまでの記録の伝統によるとも言えます。また思想書の一種として占いの本も編纂され、今日残っているのは、「易経(周易)」だけですが、昔は、もっと色々な易の本があったとされます。

こういう伝統基盤の上で、中国の古代からの支配者は、特に春秋戦国を通過すると、士大夫階級となります。これらは支配者というより、官僚であり、政治の実務などを行った者ですが、貴族とまで行きませんが、特権階級で、「文人階級」とも言います。それは、士大夫の資格、基本教養として、詩歌を書き、読み、評価するというような能力が前提されたからです。

中国は、文官統治の世界で、文化教養のない武官よりも、文官の地位が極端に高かったのです。そして文官であるいうのは、科挙の制度が、魏に始まり、隋唐で確立されるまでは、士大夫階級がなったのですが、科挙の制度が成立すると、科挙に通った人、またその子孫などの一族は、士大夫階級であるということになります。

無論、ただの農民が科挙に通ることは難しかった訳で、それなりの有力な家出身でないと、科挙には通りにくかったのです。(科挙に合格するには、膨大な時間をかけて、過去の詩や文学などを学習する必要があり、これは恵まれた環境・豊かな家の生まれでないと難しかったのです)。

とまれ、科挙に合格した者は、官吏として国家の官職についていても、在野にいても、士大夫階級または文人階級の一員であるという自覚が明確でした。有名な詩人で、貧困に喘ぎながら、自分の身体では労働しなかった人が大勢いますが、それは、士大夫、文人階級は、下層の無学な人々とは違い、肉体労働などはしないという誇りがあったからです。

一旦科挙に通り、また文人階級の一員となると、すでに、その挙措や、一生のありようが普通の人とは違って来ます。記録に残る文章を書くのは、同じ文人階級なのですから、誰彼は、田舎で、詩を詠んで優雅に暮らしているとなると、どういう詩か、ということが話題になります。

優れた詩だと思うと、記録に残しますし、文人階級にとって、漢詩のアンソロジーを造ったり、そこに自分の作品を残したりすることは、当然な仕事の一部でもあったので、陶淵明ぐらいの有名な詩人になると、官職を辞して、田舎に帰って、勝手に詩を作っていても、文人仲間は、忘れることはないのです。

ただの一介の農民だと、そもそも詩など作れませんし、造ったとしても、いかに名作でも、文人階級がそれを認めないと、記録には残りません。しかし、認められると、ただの農民から、文人階級の一員になります。

そういう訳で、文字で記されたもの、詩や歴史記録や文芸作品などは、文人階級の存在の証のようなものなので、これは、存在のよりどころのようなもので、大切にしましたし、後世に残しましたし、後世の文人階級の人たちも、自分たちも、歴史に残るため、過去のこのような蓄積を伝承し、残し、伝えてきたというのが、中国の文化伝統なのです。

文人階級の支配、文官統治の伝統は、清朝まで続き、その後にも公然とではありませんが、続いている可能性が高く、毛沢東が、「孔子否定」を唱えたのは、孔子尊重・文人尊重の伝統が強固に存在するからです。中国には、孔子を称える孔子廟というものが至るところにあるのも、その現れでしょう。
 

 
中国文化は、古代より、歴史を正確に記録するということに意味を見出していました。春秋戦国時代にも、各国ごとで歴史書が編纂されており、歴史資料を集め保存し、やがて、歴史書として編纂する役人が各国で任命されていたりしました。

それとの関係で、色々な民間の伝承や風習も、記録に残されていたのです。諸子百家時代になると、百家ごとで、それぞれ色々な思想書が造られます。また、その教えに基づいて、色々な資料を集め文書を作成しました。

儒教では、例えば、古代の歌謡を集めた「詩経」とい...続きを読む

Qアメリカ文学の二大研究者・両大橋先生のお弟子さんは・・・

戦後のアメリカ文学の二大研究者、両大橋先生のお弟子さんのうち、東大の健三郎先生のお弟子さんのお名前は調べがつきました。
 慶應の方の、吉之輔先生のお弟子さんとしては、どういう先生がいらっしゃいますか。情報おまちしております。

Aベストアンサー

濱野成生先生(元・日本女子大学)は大学を4年でおえたあと、高校教師をしながら勉強し、大学の教授になった方のようです。大橋先生との師弟関係はないです。

 遠竹護教授(元・東北学院大学)は、三年生の時に書いたレポートが大橋先生に高く評価され、教授への道が開かれたそうです。

 遠竹先生は、若い学生との交流に情熱的で、メールアドレスを公開しておられます。質問してみたらどうですか。


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