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おはようございます。

甘えてると言われるかもしれませんが、私は「結果がすべて」という言葉が好きじゃありません。
やっぱり過程も見て評価してほしいです。
1つの結果を出すのに人はみな同じ努力の量ではないと思います。
倍以上努力しないと結果でない人と、ちょっとの努力で結果が出る人、
これで評価が同じだと報われません。
みなさんは「結果がすべて」という言葉をどう感じますか?

A 回答 (31件中21~30件)

自分もその「結果が~」って嫌ですね。


個人的に「終わり良ければ全て良し」の方が良いですね(⌒‐⌒)。
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人間はスペックが違って当たり前です。



「できる人はイイよなぁ」「センスあるもんね」

確かに、天性の才能的なものがあると大きいですもんね。
でも、だから「ズルい!」とはならないでしょう?

もし「ズルい!」の感覚を本気でもっているのなら感性がズレてますね。

例えば質問者さんが大好きな料理を店のカウンター席に座り、オープンキッチンでシェフが
凄く手際よく細かいところまで気を配って作ってくれたとします。
出てきた料理が思っていた味付けと違う独特な物だったら評価はどうでしょう?

『結果が全て』は言葉が悪く聞こえるダケで『終わり良ければ全てよし』や『結果が重要』
と違いは対して無いのでは??

結果からいうと『結果に向かい頑張るのは当たり前』なのです。
だから『努力が報われるとき』と云う言葉が使われるのでは??
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求められるのが結果であったなら、大事なのはその結果であり、途中経過に重きは置きません。


例えば今旬の合格発表ですが、合格することが第一目標で=受験勉強の結果と見るならば、もし不合格なら結果が伴っていなかった・自分の希望通りにならなかったということになります。
寝る間も惜しんで猛勉強したので、その過程も評価して欲しい・認めて欲しいということだとしても、それは合格するための手段であって、猛勉強という過程が目的ではありません。
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他者が関係することは結果がすべてです。

努力が評価されるのは学生までですな。
コンペでも思いつきが優秀で勝つ場合もある。寝ずに頑張ったから劣悪プランにされては迷惑だ。
才能がないのに好きだから努力を続けるのは人生においても無駄。
ちょっとの努力で評価を得るヒトは、それまでに切り捨てる努力をしてるのよ。
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努力は評価しますが、でも「結果が出なかった=結果が出せるまでにはは努力不足だった」という事実は変わらないのですよね。



結果がすべてではありません。
私もそう思いますし、事実、努力した過程は本人に残ります。
でも「結果がすべてじゃない」は慰めの言葉であって、評価の言葉ではありません。
努力を認めることはできても、結果がなければ評価はできないんです。
試験であれば、不合格は不合格。
何を言ったところで合格にはならず、合格するためにはより努力するしかないです。
結果を出すまでに必要な努力は人それぞれ違います。
自分に必要なそれを見極めて結果に結び付けるのも評価対象の一部ですね。
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スポーツやゲーム、ビジネスなど、勝ち負けが伴う物事は「結果がすべて」と言ってよいと思います。



一方、音楽とか数学とか哲学、それに家事や育児など、勝ち負けを競うわけではない物事は「結果がすべて」ではなくて、プロセスに価値があります。
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「過程も見て評価してほしい」というのは結果が出せなかった人の言い訳でしかありません。


でなければ逆に、結果が出せた人に対してフェアではなくなってしまいます。

「あなたは0-10で試合に負けたけど、相手より頑張ったからあなたの勝ちにします!」
「あなたは試験に不合格だったけど、合格のAさんより努力したからAさんを不合格にしてあなたを合格にします!」
なんてまかり通ると思いますか?

他人から見れば結局「結果が全て」なのです。
結果がどうであれその過程を一番理解しているのは自分だけ。
厳しい言い方をすれば、他人にとってあなたの努力なんて何の役にも立ちません。
努力なんてものは自分で評価すれば良いことであり、それが自分の力になり、次のチャンスに活かせば良いのです。

>倍以上努力しないと結果でない人と、ちょっとの努力で結果が出る人、
>これで評価が同じだと報われません。

では努力の量を公平に測る方法がありますかね?
もしそんなことができるなら、そういう評価基準もでき得るかもしれません。
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結果が全てと思う人、過程が大事と思う人


大まかにいうと分かれると思います。

実力がある、もしくは自分に自信がある人は
結果が全てと思うでしょう。
その人の経過をくまなく見ることはなく答えを求める。
自分に厳しけれど、人にも厳しいタイプだと思います。

一方、努力をして人並みにたどり着ける人は
過程が大事だと思うでしょう。
自分も頑張ってるから相手の経過をじっくり見ようとする。
自分の辛さを知っているから人には結果をすぐに
求めようとしないタイプだと思います。

ただ残酷なことに評価する段階になると、感情は
度外視されると思います。簡単に結果が残せる人が良く
残せない人が悪いと解せないことも出てくるでしょう。
そこはぐっとこらえなくてはいけないと思います。

あとは心の持ちよう。

『努力は裏切らない』結果にたどり着くまでに時間が
かかったとしても、その努力は自分自身を強くすると
思います。長い目で見るとすぐ結果が出ない方が人間味
ある歳の重ね方ができて素敵だと思いますね。
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場合によっては、結果重視ですね。


試験など合否が進路や生活に左右するので、とにかく受かってナンボのものは、要領よくやっても良い。
だけど、すべてが結果と言う主義の人は、結果が出せなかったら、人生は無意味なんですよねぇ。
これも、寂しいじゃないですか?

とにかく、結果を出せない自分は、無価値になるのだから。要領よくやる事を徹底する、無駄なことはしない考えの人は、私が知っている限り案外と脱落して無職、駄目になるという人は多いです。
そして、自己評価が高すぎて何も出来ないんですよね。
努力する過程があってこその、結果を出せるのだから、人の実績を奪う、盗む、見せかけで結果全ての人はいつか、失敗します。
富士山の頂上だけあればいい。土台無いの人が崩れるのは当然ですよね。
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趣味でやっているなら、本人が楽しければいいです。


しかし、コンテストや競技会、大会に出るということは
順位や結果を競うことに参加するんだから、負けたくせに「精一杯やったので
満足です」なんて言葉は負け惜しみにしか聞こえない

結果重視も過程重視も、全体の一部しか評価してないように見えます
まあケースバイケースでしょうか。
入学試験に落ちて「結果がすべてではない」とは言えないでしょうし。
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