都内在住です。

仏教は宗教であり、お寺へ行くと、僧侶が仏像の前でお経を唱える宗教儀式が見られます。

神道も、神社で神主が祝詞を唱える宗教儀式が見られます。

キリスト教も、教会で神父や牧師が神やイエスにお祈りをする宗教儀式が見られます。

しかし儒教は、宗教のはずなのに、宗教儀式が見られません。一度、見てみたいのですが、どこへ行けば見られますか。東京の近くで見たいです。

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宗教」に関するQ&A: 宗教カテの必要性

A 回答 (3件)

> 儒教は、宗教のはずなのに、宗教儀式が見られません


「宗教には宗教儀式が必須である」という見解で考えるのであれば、それを見つければ良いでしょう。
日本の各地にある神社も宗教の教義のようなのもないですが、参拝の仕方はあったりします。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken03 …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90 …
http://ameblo.jp/m026/entry-12124809342.html
http://祐気取り.com/%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88%E5%BA%A6/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA%E3%80%80%E3%80%8C%E6%B9%AF%E5%B3%B6%E8%81%96%E5%A0%82%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%AD%94%E5%AD%90%E7%A5%AD/

道祖神、氏神、山や川の神、田の神、祖霊崇拝など、決まり切った儀式もないし、祭祀のプロもいないです。 イスラム教も、そうした面だけみれば、似たところがあります。 
祭祀のプロが進行を教導する儀式ばかりが宗教の儀式ではないと考えたらいいのではないかと思います。
何か重要なことを始める前の儀式・ルーティンは、それも宗教儀式と同様と考えたらいいでしょう。精進潔斎、礼拝のルーティンスタイル、香華アロマの儀式、特別の服装、酒肴や果実穀物野菜などの献上、犠牲の献上、オーム唱名呪文を、宗教儀式の一部と考えればいいのでしょう。

ただ、当人は普遍宗教や創唱宗教ではないし、教義や戒律もないから、これは宗教ではないと思っていることはあると思います。 また、道徳、倫理、学問、習俗、慣例、、だから、宗教ではないと強く思い込んでいることはあると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/03/25 08:50

儒教は人として当たり前、教えなくても分かるだろう。

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/03/25 08:50

そもそも儒教を宗教として捉える宗教学者は極めて少数ですよ。


一般的には儒教は学問ですからね。
確かに宗教性を感じられる面もありますが、他の宗教のように絶対的な神などの存在に祈ったりしませんよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/03/25 08:51

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Qユダヤの老人が、バターを塗ったパンを落とした際に、塗り面が上になって着地したことに不安を覚え、ラビに

床に落ちた食べ物をめぐる話で、5秒ルールがありますね。
これに関連して次の話を知りました。

ユダヤの老人が、バターを塗ったパンを落とした際に、バター塗り面が上になって着地したことに不安を覚え、ラビに相談した、という話だそうです。

老人は、何を相談したのかなど、もう少し教えて下さい。

Aベストアンサー

その小話は、ユダヤ人のユーモア(ジョーク)の一種だと思います。
詳細は少し違いますが、よく似た話があります。wikipediaのJewish humourの項目で、
https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_humour
東欧のユダヤ人ユーモアに登場する「愚か者の町」Chelmを舞台にした小話のうち、
>A young housewife living in the town of Chełm had a very strange occurrence. One morning, after buttering a piece of bread she accidentally dropped it on the floor. To her amazement, it fell buttered side up.
で始まるものです。

まず、「食パンを落とすと必ずバターが付いているほうが下になる」というのは、いわゆる「マーフィーの法則」の一つです(「バター面が下になる確率はカーペットの値段に比例する」というバージョンもあります)。経験則による一種のユーモアですが、広く知られた話です。一種の「あるあるネタ」です。
それが、その小話では、「バターが付いているほうが上になる」という、「法則」的にはありえないことが起こった。それで老人は不安になって、ラビに相談した、という流れです。
何を相談したかはわかりませんが、「ありえない」ことがおこった、という設定なので、何か不吉の前兆ではないかとか、そういう感じでしょう。
ここまでで終わっている話なら、マーフィーの法則的な「あるあるネタ」を絶対的な真理のように扱って、それに反する出来事がたまたま起こったことに不安になる、愚かな姿を描いたジョークとも解釈できます。普通ならば、その老人の相談は「たまたまだよ」「何も特別なことはないよ」と一笑に付されるものなので。
Wikipediaに載っている小話によると、この続きがあって、相談されたラビたちは「それは一大事!」と、シナゴーグで3日間も祈りと議論を続け、最終的に「パンの間違った面にバターを塗ったのだ」(「法則」に合わないことが起こるはずがない)という結論を出した、というオチが付いています。
いずれにしても、「食パンを落とすと必ずバターが付いているほうが下になる」という、よく知られた経験則ユーモアが前提にある笑い話です。

その小話は、ユダヤ人のユーモア(ジョーク)の一種だと思います。
詳細は少し違いますが、よく似た話があります。wikipediaのJewish humourの項目で、
https://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_humour
東欧のユダヤ人ユーモアに登場する「愚か者の町」Chelmを舞台にした小話のうち、
>A young housewife living in the town of Chełm had a very strange occurrence. One morning, after buttering a piece of bread she accidentally dropped it on the floor. To her amazement, it fell buttered side up.
で始...続きを読む

Q「儒教」って本当に“宗教”の部類に入るのでしょうか?

“神様や仏様に願ったり祈ったりする”ことは、その対象が“神”であれ“仏”であれ、あらゆる宗教・宗派を問わず大昔から現在に至るまでどこでも行われてきていることですよね。別に特定の宗教の信者じゃなくても、極論すれば常日頃「無宗教」を公言している人だって「こうなってほしい、ああなってほしい」と心の底から強く願ったり祈ったりすることはあると思います。

そこで質問なのですが「儒教(の信者)」にはそのような側面があるのでしょうか?確か歴史の教科書に載っている宗教分布図では東アジア(主に中国と朝鮮半島)は堂々と“儒教”と記されていたように思います。

しかしながら私の「儒教」というものに対する印象はあくまで生活の規範をこと細かく定めたものにすぎないのです(…典礼儀式として東アジア社会諸国ではそのシステム運営のために深く取り込まれはしましたが)。もしかすると「儒教」は“先祖を祀る、大事にする”という部分もありますから、何か願い事をしたい“儒教の信者(?)”は自分の先祖に対して願ったり祈ったりするのでしょうか?…真相をお教えください。

Aベストアンサー

そもそも「宗教」って定義できるものなんでしょうか?辞典にはもちろん解説が書いてありますが、何を見ても、「明確には定義できないが大体次のような傾向がある」などと書いてあります。

一応ウィキペディアを引いときます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99

さて、ではmustapha13666さんが書いておられる「儒教」の話に移りましょう。

そもそも、「儒教」とは孔子の始めた儒学がその基礎となっており、もとは学問なのです。ここで孔子の功績について述べることはしませんが、彼は徳による政治を地上に具現させることを理想としており、そのような人物を聖人と呼んで崇めました。聖人へと近づくための様々な訓練が、儒学という学問であったということもできます。

質問に書かれていた、「生活規範の定義」云々というのがまさにそれです。日常から自らの心身を律することが聖人への道であり、それこそが儒学の本来持つ存在意義です。

ですが、儒学は前漢の武帝の時代に官学化され(これはもちろん、為政者の立場からするに、儒学が都合のよい学問であったからです)、後漢中期以降は価値観の範たる「教え」としての性格を持ち始めました。これが、「儒学」が「儒教」化する過程です。

宗教としての側面を持ち始めた儒教ですが、これが今日メジャーな宗教(特に世界三大宗教のような)と異なるのは、神や仏といった「絶対的存在」がいないことに特色があります。#2の方が書かれているように、孔子は「不語怪力乱心」なのです。


以上のような儒教の持つ特有の性格のために、儒教は宗教と認知されにくくなっているだけです。言い方を変えるならば、現在世界を席巻しているいくつかの宗教が作り出した「画一的な」宗教像の枠にはまらないだけです。日本古来の「八百万の神」を信仰するという「宗教」も、そういう意味で宗教と認識されなくなっていますね。

そもそも「宗教」って定義できるものなんでしょうか?辞典にはもちろん解説が書いてありますが、何を見ても、「明確には定義できないが大体次のような傾向がある」などと書いてあります。

一応ウィキペディアを引いときます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99

さて、ではmustapha13666さんが書いておられる「儒教」の話に移りましょう。

そもそも、「儒教」とは孔子の始めた儒学がその基礎となっており、もとは学問なのです。ここで孔子の功績について述べることはしませんが、彼は徳...続きを読む

Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Q唯我独尊は治りませんか?

いろんなことを考えるのは自由ですね。
哲学についても同様です。

ただ、自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。
自分の考えも、他の人の考えも共に尊重していきたいものです。

孤独の中で考えていると、どうしても自分の考えだけが正しいという結論にたどり着いてしまいます。
そうなると、他人が馬鹿に思えてしまうようです。

どんな考えも自由ですが、他の違う考えにも耳を傾けたいものです。
そうでないと、誰にも理解されず、最終的には自分が疲弊していきます。

人生も半ばを過ぎると、唯我独尊はなかなか治らないものですか?

Aベストアンサー

記憶によると、「天上天下、唯我独尊」だと思いました。
詰まり、当時は色々な宗教が、ごちゃごちゃしてましたので、
「新しい価値観を、自分が切り開いていく。」みたいな意味合いで
理解していました。

それはいいとして、「唯我独尊」と釈迦の言葉と結びつける
必然性もないし、確かに「己を信じる。」と言う意味では、
良いのではないか、と思います。

問題は、「自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。」です。

少し謙虚に考えて、己の全ての知識、思考は、その源を
他者に依っています。

先ず、それを認めることが重要です。

教育を受け、書を読み成長してきたのであれば、それは
先人の知恵を頂いてきた事でもあります。
このことを謙虚に認めないといけない、と思います。
認めて初めて、他者に耳を傾ける事が、出来る。

哲学も同じでしょう。
私は、哲学で、路傍の石ひとつも動かせるわけでもなかろうに、と
思っていますが、それでも、存在を全く否定している訳でもありません。

しかし、独善的な論理構成と結論には、悲哀を感じます。

そういう人は、自分が受けてきた教育や読破した書の価値が
理解できていない。
どのように自分の血となり肉となったか、の理解も出来ていない、と
思っています。

まあ、病気なんだと思っています。

記憶によると、「天上天下、唯我独尊」だと思いました。
詰まり、当時は色々な宗教が、ごちゃごちゃしてましたので、
「新しい価値観を、自分が切り開いていく。」みたいな意味合いで
理解していました。

それはいいとして、「唯我独尊」と釈迦の言葉と結びつける
必然性もないし、確かに「己を信じる。」と言う意味では、
良いのではないか、と思います。

問題は、「自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。」です。

少し謙虚に考えて、己の全ての知識、思考は、その源を
他者に依っています。

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Q森友学園で安倍アキエさんはなにがいけなかったのでしょうか? 野党の質問聞いてもいまいち良く分かりませ

森友学園で安倍アキエさんはなにがいけなかったのでしょうか?
野党の質問聞いてもいまいち良く分かりません。どなたか詳しい方
教えてください。

Aベストアンサー

>韓国の頭のおかしい人達と同じだ。頑張って国を崩壊させてください。

森本学園支持者なら、他の10万人の支持者と共に籠池ファミリーを助けてやってください。
寄付をして倒産しないよう頑張ってください。
この質問者の方は何を望んでいるのでしょう。
お礼の言葉はいりません。今後無視しますので。

QF.ルーズベルトは、なぜ、日本に嫌悪感を持っていたのか?

アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が個人的に中国に親近感をもち、日本に嫌悪感を持っていたのが、日米戦争の遠因になりました。なぜ、中国に親近感をもち、日本に嫌悪感を持っていたのでしょうか。

Aベストアンサー

宋三姉妹、特に蒋介石の妻であった「宋美齢」
の影響が強かったと言われています。

宋美齢は親中派のフランクリン・ルーズベルト大統領やその妻
エレノアと親密な関係を構築し、
日中戦争から第二次世界大戦に至るアメリカの対日政策に
大きな影響を与えたといわれる。
(wikより抜粋)

日本は宋三姉妹に負けたようなものだ、と評する
専門家もいるぐらいです。



フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、「有色人種への差別が格別に強かった」と、ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」

Q一神教の精神・信仰が、よく解らない日本人です。

万物を創造した唯一絶対の神、主に従う、
とか

すべては神の御心のままに、

とかいうのは、
日本人の言葉で言うと

人事を尽くして天命を待つ、

という感じかな?と思ったのですが、どうでしょうか?
ほぼ当たりと思っていいでしょうか?
それとも、全然見当違いですか?

神の御心と人間の主体性についてあれこれと考えています。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
儒教的概念の天も、最初は人格を持った存在として認識されましたが、最終的には一種の法則(理)として捉えられました。
したがって、天の理は全てに平等で、分け隔ては無い事になります。
アブラハムの宗教の「神」は、人格神ですから、「神」の御心と言う物が想定されます。(つまり、「神」には意志があるわけです)
「神」は、絶対的な選択者と想定されますが、全てにおいて平等と言う事は想定されていません。
人間から、見れば、天の理がわからなければ、結果がどうなるかはわからないです。
ただし、天の理にかなった結果が平等におきる事は想定されます。
アブラハムの宗教の「神」は、意志を持っているので、御心で結果は変わります。
したがって、同じ事でも、結果が変わる可能性はあります。
ただし、「神」を絶対的善として想定する人の場合は、善を成す結果が起きると想定する場合がありえます。(この場合は、天の理とそれほどの差はありません)
実を言えば、この世で不合理と思われる結果(運命)がある場合の説明の方法が難しいわけです。
仮に、天の理があるとすれば、人間が不合理と思っても、それは天の理にかなった事と捉えられるでしょう。
「神」の御心によると考えれば、これは「神」の意志によるので、人間が不合理と思っても、それは「神」の意志です。
どちらにしろ、人間が予測できないと言う事では同じと言えば同じです。
両方は、何らかの原因により、運命が決定されていると言う、決定論的世界観を生み出します。
したがって、定められた運命に対しての、人間の自由意志はかなわないと言う結論に到達します。(人間が完全に自由な意思決定をできる余地が無いと言う事です)
これを天命にまかせるとか、「神」の御心と表現するならば、実際の現象としては同じ事にはなります。

お礼ありがとうございます。
儒教的概念の天も、最初は人格を持った存在として認識されましたが、最終的には一種の法則(理)として捉えられました。
したがって、天の理は全てに平等で、分け隔ては無い事になります。
アブラハムの宗教の「神」は、人格神ですから、「神」の御心と言う物が想定されます。(つまり、「神」には意志があるわけです)
「神」は、絶対的な選択者と想定されますが、全てにおいて平等と言う事は想定されていません。
人間から、見れば、天の理がわからなければ、結果がどうなるかはわか...続きを読む

Q以下の6人のニートについて、良い二―トと悪いそれとに評価して下さい。

先日、このカテで、二―トついて質問があり、nak777r様の回答に興味を惹かれました。それは、次のように、6人の二―トが上げられていました。

<A・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、55歳で早期退職し現在ニート
 B・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、30歳で早期退職し現在ニート
 C・20歳で宝くじ7億円当選、現在ニート
 D・自分のコンピュータが代わりに自動で働いていくれている、実質ニート
 E・月極の駐車場の管理人収入で、実質ニート
 F・親の金をあてにした、ニート >
 なお、アルファべットは、質問者(私)が付加したものです。

さて、この6人のニ―トについて、良い二―トと悪いニ―トとに評価して下さい。

(ちなみに、私は、良い二―トは、AとEであり、それ以外の4人は悪いニ―ト、と思います。

理由は、二―トを含め人は、この社会(他人)から恩恵を受けております。食べ物は、他の誰かが作り、配給してくれたものです。呼吸する空気も、誰かが清浄なように監視しています。水も、誰か供給してくれたものです。電気も道路も、社会の誰かが用意してくれたものです。

自分には金があるから、金さえ払えばよい、というわけにはいきません。各人が、自分が使う分に相当するものを、社会に貢献(還元)しなければなりません。したがって、人は、いくら金を持っていても、1月10万円ほどの労働やボランエア活動をし、社会に供給しなければならない、と思います。もちろん、老人・子供・心身の弱い人・妊婦などは除きます。)

二―トについて、良い悪いの評価をおろして下さい。

先日、このカテで、二―トついて質問があり、nak777r様の回答に興味を惹かれました。それは、次のように、6人の二―トが上げられていました。

<A・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、55歳で早期退職し現在ニート
 B・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、30歳で早期退職し現在ニート
 C・20歳で宝くじ7億円当選、現在ニート
 D・自分のコンピュータが代わりに自動で働いていくれている、実質ニート
 E・月極の駐車場の管理人収入で、実質ニート
 F・親の金をあてにした、ニー...続きを読む

Aベストアンサー

良い悪いの基準ですが、社会に対する
貢献度、貢献の有無から決める、という
のですね。


A・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、55歳で早期退職し現在ニート
   ↑
社会に対して貢献したのですから
問題ありません。
良いニートです。


B・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、30歳で早期退職し現在ニート
   ↑
これも「A]と同じです。
有能だったので、30歳で退職できたわけです。
彼の社会に対する貢献度は、「A]と同じか、
それ以上でしょう。


C・20歳で宝くじ7億円当選、現在ニート
   ↑
社会に貢献していませんのでアウトです。
ちなみに、英国の調査ですが、高額宝くじ
当選者のほとんどは家族崩壊などして
不幸になっているとのことです。


D・自分のコンピュータが代わりに自動で働いていくれている、実質ニート
   ↑
電脳を通して社会に貢献していますので
良いニートです。



E・月極の駐車場の管理人収入で、実質ニート
   ↑
その駐車場をどうやって入手したかに
よります。
有能の故であれば「B]と同じです。



F・親の金をあてにした、ニート 
   ↑
社会に貢献していないし、将来迷惑
かけそうですので、完全にアウトです。

良い悪いの基準ですが、社会に対する
貢献度、貢献の有無から決める、という
のですね。


A・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、55歳で早期退職し現在ニート
   ↑
社会に対して貢献したのですから
問題ありません。
良いニートです。


B・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、30歳で早期退職し現在ニート
   ↑
これも「A]と同じです。
有能だったので、30歳で退職できたわけです。
彼の社会に対する貢献度は、「A]と同じか、
それ以上でしょう。


C・20歳で宝くじ7億円当選、現...続きを読む

Q宗教を信仰している人は本気で死後があると信じているんですか?

この時期の墓参り?とかも、別に仏教徒?ではないので自分からいったことない(もう20年くらいは行ってない)程度の無信仰です。

1.宗教を信仰してる人はですね、天国だとか地獄だとか、そんなことの前提として、まずは死後の自意識が継続することありきなんですか?

2.あと適当に見る限り天国ってのは何でも満たされて、50年100年の人生ならいいでしょうけど、ずっとそれじゃ。真綿で首を絞められるように思考力を奪われて退屈すぎてどうにもならないという最高の地獄にみえちゃうんですけど、みんな天国(相当)のとこにいきたいんですか?

Aベストアンサー

#8です。お礼を読みました。
>死後の世界を信ずる人たちは、その前提として死後の自意識の継続が「暗黙的」に(宗教によっては明示的に)信じておられるのかどうか、ぜひお気持ちを教えてください。

死後の世界を信じるとき<死後の自意識の継続>は前提としてあります。
これは当たり前すぎてここに疑問を持つ人がいるとは思わなかったです。

キリスト教で死後に自意識がいつ目覚めるかは様々な考え方がありますが、
死後の自意識の継続は自明なこととして取り扱われてると思います。

キリスト教徒ですが天国とか地獄とかを具体的に考えることはないですね。
天国や地獄は単なる教義でしかなく死後の世界は神しか知りえないでしょう。
ただ、死後の世界がどういう形態であろうと自意識の継続だけはあると思います。

Q【昔の宗教って学問だったのに今の宗教って学問じゃないですよね?】 学問でない精神論みたいな宗教を学ん

【昔の宗教って学問だったのに今の宗教って学問じゃないですよね?】


学問でない精神論みたいな宗教を学んで何の意味があるんでしょう?

学問じゃないから答えってないじゃないですか。

人によって違う答えを突き詰めて考えてそれに当てはまる人は偶然たまたまなわけだし学問でない宗教を研究する意味がない気がします。

その時々の気持ちの問題ですよね?

宗教というより精神心理学の世界ですよね?

突き詰めた答えは自分にしか当てはまらないので自分以外誰の役にも立たない。

Aベストアンサー

学問的なのか精神論なのかは、宗教次第ではないでしょうか?
宗教もそれぞれありすので、その中身をみないと分からないものです。
最近日本にある宗教のシンポジウムがあったそうですが、現在日本の宗教は全て衰退傾向で、ここ10年間で全部人数減少してますが、ただGLAという宗教だけ二倍になっております。
なぜならば、拝むなどの事でなく、学問的なメソッドがしっかりしているからです。ぜひ騙されたと思い覗いてみてください。


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