人工知能プロジェクトに参加していたAIKOさんニールアンダーソン博士や色々な科学者が奇跡について信じていたりしますが、癒しとか信じる事の大切さ語るばっかりで証明をしません。

本当に奇跡的な事が正しいとするならば、奇跡を証明する正しい理屈が存在して、信じる事の大切さ以上に奇跡は現実的だとする証明の方を説明するでしょうし。

奇跡的な事をを信じる科学者たちの理屈は真実を知りたいという事ではなく、願望や裏の事情が絡んでいたりしませんか?

この事について詳しい方で霊の戦いや奇跡は正しいとする方いましたら、一番先に霊の戦いや奇跡の正しさを証明お願いします。

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A 回答 (6件)

奇跡→統計学の罠


霊や死後の世界→人間の脳機能の見せる幻覚
人工知能→機械学習による特徴量決定問題
奇跡的なことを信じる理屈→心理学や宗教学、哲学等

ちなみに18世紀ぐらいまでなら、「神はいるのか」とかその証明なんてのだって全うな学問でしたよ。

いわゆる奇跡と言われるものだって、今でこと確率の概念が当然みたいな風潮があるからわかるわけですが、昔は「大数の原理」なんてのだってそれ自体がなかったんですからね。例えば、サイコロ振って6の目が出る確率が1/6だからといって6回サイコロ振って1回しかでないことってどれだけありますか?宝くじは奇跡的な確率でしか当たらないからっていったって、現に当たる人がいるでしょ?だったらそれは確率が本当に正しいんですか?ということだって言えるわけですよ。当たり前のことだと思ってても実際には、確率という概念ってのは我々が考えてるほど実際の事象を考える上では決して単純ではないのです。そういうことをわかってない人が生半可に確率はこうだ、とか知恵をつけるから、あり得ないようなことが起きた時に「奇跡だ」とか感銘を受けてしまったりもするんですよね。

だから時として直感的でないことが確率で現れることだってある。逆にいえばそもそもこれまでのいわゆる確率なんてものは意味ないんじゃないか、使えないんじゃないかという話も実はあって、例えばベイズ理論あたりの確率論ってのが最近流行ってたりもするのはそれが所以でもあるんですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうです

お礼日時:2017/03/25 07:03

>科学者が奇跡について信じていたりしますが、


>癒しとか信じる事の大切さ語るばっかりで証明をしません。
 その事象が起きる【確立】を計算で導けないのだから
 イメージとして語ることしか出来ないのでしょう。

確立が低い事象に出くわした時、人が「奇跡」と表現するのは普通のことです。

>願望や裏の事情が絡んでいたりしませんか?
 裏の事情(自身の能力不足の開示)というより、
 単に「お手上げ」の状態に過ぎないからでしょう。
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「現在の科学」で証明や説明できることというのは、この世界の中の現象のうちの本当に限られたほんのごく一部に過ぎません。


それ以外(=ほとんど全ての現象)は「現在の科学では」説明できません。
(現在の科学で説明できないだけで、将来説明できるようになる可能性は当然ありえますが)

「現在の科学」では説明できない現象のほうが圧倒的に多い、というのは、
ちゃんとした科学の専門教育を受けてきた人にとっては、常識というか本当に当たり前の前提条件です。

むしろ科学の専門教育を受けていない一般の人のほうが、科学「教」とでもいうべき一種の宗教に近いような科学信仰を持っている人もいるようですが。。

実際問題、それなりの科学的な素養(理系大学をちゃんとそれなり以上の成績で卒業した程度)を持った人が、
ある分野(人工知能なら人工知能)について専門的に勉強しだしとして、半年も勉強すれば、もう「現在の」最先端技術まで追いついてしまいます。
その先は現在の科学では「未知」です。
そういう意味で、「科学の世界の半径は半年」(どんな分野でも半年本気で勉強すれば、知識としては世界最先端まで追いつく)
なんて言われたりします。
といっても、世界最先端に「追いつく」までは半年ですが、そこからたった1日分でも新しい発見をするのは、ものすごい大変なことです。

というわけで、現在の科学では説明できない現象がある、というのは、ほぼ全ての科学者が同意することだと思います。
そして、もちろん、「奇跡を証明する正しい理屈が存在して、信じる事の大切さ以上に奇跡は現実的だとする証明の方を説明する」
としたいわけですが、それがどんなに難しいことかは、(とくに優秀な科学者ほど)認識しています。

人間の一生って80年くらいしかないわけで、研究者として、やみくもに「未知のこと」に取り組んでいては全く成果がでないまま終わる可能性が高いです。
ですから、研究を始める前に、なんとなくの仮説を立てていけそう(新しい発見をできる可能性がちょっとはありそう)、となってから本格的に研究を始めるわけです。

なんで、自分の一生のうちに新しい発見ができる見込みが低そうな分野というのは、手が出しずらいですよね。
(もちろん、皆がそう思っている分野にあえて突っ込んで行って成功した偉人もたくさんいますが)
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この回答へのお礼

ん・・・・

回答ありがとうです(苦笑・・・

お礼日時:2017/03/25 07:02

まず、科学では証明不可能だとわかっているから、証明しようとしていないだけでしょう。


何故ならば、科学自体は形而上の事柄は無視して、現象から、その法則や原理を推定する学問だからです。
形而上の事に触れないで、現象や原理を推定できるという考えが科学を発展させてきたわけです。
あくまで、科学が示すのは、現象の解釈です。(力学における微分積分学の発見は、その発展を促しました)
現象の因果性から、不変量の推定、を行ったのが、物理学の発展ですね。
注意しなければいけないのは、科学者が科学者として発言しているのか、個人として発言しているのかです。
科学者であれば、厳密に証明しようとすると考えるのは、一般人の偏見と言えるでしょう。
科学者だからこそ、形而上の出来事は、科学では証明できない事がわかるわけです。(少なくとも、科学はそのような事柄を証明(解明)する方法論をもっていません)
奇跡とは、一般的には、物理的、科学的に起き得ない事象が現れた事を意味するでしょう。
奇跡それ自体は、イレギュラーなだけで、ある程度は原因は推定できます。
ただ、いつ起きるかはわかりませんから、伝聞だけでは、それをきちんと解明する事は不可能でしょう。
原因がわからないのならば、それをどう解釈するかは、個々人の問題です。
それが、宗教的なものと考えるか、単なる偶然か、はたまた、まだ知りえない原理によるものかは、誰にもわからないわけです。
例えば、目が見えない人が、まわりの状況を判断できたとしても、それが超能力なのか、単純に聴覚や皮膚感覚が敏感なので、知る事が出来るのかは、実験や観測によるしか方法はありません。
日本の場合は、明治時代にそのような実験を行って、いろいろな問題が起きたため、現在はそのような実験を行う研究者は、一部しか存在しないです。(また、その結果も満足のいくものは得られていないです)
昭和40年代後半から、昭和50年にかけての超能力ブームの時も、一部研究者は存在しましたが、不正の暴露番組などにより、それは沈静化して、まともな研究は日の目を見る事は無くなりました。(超能力学会などは、活動しているようです)
人がどのような動機で信仰を持つかは、個々人の問題でしょう。
科学的でなくても、真実を知りたいと言う気持ちが無いとは言えないと思いますよ。
証明無しに、何かが存在すると断言するのは、宗教しか無いと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうです

お礼日時:2017/03/25 07:01

宗教を信じている科学者の態度としてはまっとうだと思います。


なぜならキリスト教の宗教的観念の正しさを証明しろと言われてもそれは不可能でしょう。
貴方の言うように信仰は願望と同じで、言ってみれば希望的観測の世界ですから、
しかしながら、その希望的観測からもたらされた結果というものはこの世に数多く存在して
その1つが奇跡と言われている事柄ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうです

お礼日時:2017/03/25 07:01

ヨナのしるしの他には、しるしは与えられない、とルカ11章に書いてあるから奇跡の証明は今の世の中ではできないことになってますね。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とある動画では奇跡を証明しているみたいですね。
後波があるようで第一にの波第二の波大3の波

第二の波が確率に影響を与える奇跡だそうです。
しかし、奇跡の証明が今出来なくて昔できないというのが本当だとしたら、世界は美しくない。
非対称的な世界ではありませんか。
昔出来たという事をそのまま信じるわけにもいかないでしょうし。

後盲目の女性が男性が指を何本差しているか分かる動画がYOUTUBEにありましたが本当でしょうかね

お礼日時:2017/03/20 12:02

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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412045289
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Aベストアンサー

 まず結論だけ書きます。
「間違い」も「間違え」をOKです。
 ただし、「間違い」のほうが多く使われるようです。 

 詳しくは下記をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1437.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
================引用開始
まず動詞の形が2つあることが、紛らわしさの根源。
  間違う(五段活用)
  間違える(下一段活用)
「間違う」は本来は自動詞だったが、現在では他動詞としても使うらしい(そのことが今回の問題と関係あるか否かは不明)。自動詞/他動詞問題には極力近づかない。コソコソ。
 動詞の連用形が名詞化するのはよくあること(厳密に言うと卵と鶏のどちらが先かは不明の気がする……動詞の連用形が名詞化したのか元々名詞があったのかは不明ってこと)。
  「間違う」の連用形が「間違い」。
  「間違える」の連用形が「間違え」。
 だからどちらも間違いではない。
 ただし、一般的には「間違い」が優勢。個人的には「間違え」には相当異和感がある。
================引用終了

http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/057.html
================================引用開始
間違う? 間違える?

2001.12.01
「間違う」と「間違える 」とは、どう違うのでしょうか。

非常に微妙な違いがあります。「間違う」は「正しい(あるべき)状態から外れていること」、「間違える」は「AとBとを取り違えること」がそれぞれ意味の中心になっていると言えます。
解説
まず「間違う」は、ある「正しい状態」があるのにそのようになっていない、というときに使われます。例えば「人として間違った道を歩む」の場合、「道義的に正しい生き方」というものがあるにもかかわらずその道を歩んでいない、ということを表します。この場合、「人として間違えた道を歩む」とはふつう言いません。
一方「間違える」は、ある2つのものについて「取り違える」ことを表します。「ブーツの左右を間違えて履いてしまった」と言った場合、「右と左とを取り違えてしまった」という意味になります。ただし、右用は右足に、左用は左足に履くのが正しい履き方だ」というニュアンスがあれば、「間違って履いてしまった」と言うことも可能です。
何かの試験を受けたときに、「あるべき正解から外れた」という意味では「答えを間違った」ですし、「正解はAであるのにBと書いてしまった」という意味では「答えを間違えた」ということになります。多くの場合には両方とも使えることが多いのですが、とらえ方が違うのです。
なお名詞の形になると、どんな場合でも「間違え」より「間違い」のほうが多く使われるようです(例「[間違い/間違え]を見つけた」)。
(メディア研究部・放送用語 塩田雄大)
================================引用終了

 まず結論だけ書きます。
「間違い」も「間違え」をOKです。
 ただし、「間違い」のほうが多く使われるようです。 

 詳しくは下記をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1437.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
================引用開始
まず動詞の形が2つあることが、紛らわしさの根源。
  間違う(五段活用)
  間違える(下一段活用)
「間違う」は本来は自動詞だったが、現在では他動詞としても使うらしい(そのことが今回の問題と関係あるか否かは不明...続きを読む


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