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かつて教会旋法というものが教会音楽にはあったのですが、現代ではイオニアン、エオリアンつまりメジャーとマイナーが生き残りました。
しかし、ジャズではモードジャズに廃れた旋法を聞くのですが、クラシック好きの人はモードジャズを聞いて楽しめますか?
なぜここで聞くかというと、クラシックマニアの人は耳がいい人が多いと思うのです。
私は聞いていてもサッパリわかりませんので、敬遠しています。

みなさんはモードジャズを楽しめますか?
楽しめるとしたら、どういうポイントで聞いていますか?

質問者からの補足コメント

  • たとえば、Dmのナチュラルハーモニーはシに♭が付きますが、Dドリアンのシはナチュラルのままなので、各音の相互関係が曖昧です。そのため、聞いていてわかりづらいです。

      補足日時:2017/03/28 02:09

A 回答 (1件)

誰がそう言ったのかわかりませんが、「現代ではメジャーとマイナーが生き残った」というのは大きな誤りです。


「西洋において古典・ロマンの時代に殆ど見過ごされていた各種旋法が、19世紀末に近代作曲家達により再評価された」というのが正しいです。

まことに簡単に言いますと、モノフォニーやポリフォニーが主流だった宗教音楽やバロックの時代から、音楽の中心が上流階級の大衆音楽(所謂古典派)になるつれ、ホモフォニー(主旋律&伴奏という形式)が主流になりました。この時に和声が扱い易い2つの旋法が主流になりました。これが今の長・短調です。
ところが古典・ロマンの時代に作法・形式や当時の理論(厳格な長・短調主義や、機能和声など)によりがんじがらめになった西洋音楽は崩壊し始めます。それと並行してドビュッシーやサティといった作曲家が先立って音楽の近・現代化が始まります。長・短調からの脱却=旋法や様々な音階の使用と、(それまでの機能和声の縛りを拡大した)近代和声、各種平行和音・平行音程といった禁句の多用、解決しないコード、規則的な律動に捉われない音楽(他にも色々ありますが)・・・を生み出し主流にしたこの頃の近代作曲家達は、殆ど現代巷に溢れている音楽のパイオニアと言っていいでしょう。
一般にイメージされる所謂「クラシック」が、ジャズ、ブラック、ポップ、映画音楽・・といった今主流の音楽と明らかに異なり、いかにも「クラシカル」な音楽に聞こえるのは、こういった明らな音楽理論の違いがあるからです。

「教会旋法」という名から「古めかしい魅力」なんて言い切っている無責任な記事を目にすることがありますが、「教会の時代によく使われていた旋法」ということであり、決して「教会の時代『にしか』使われていなかった旋法」という意味ではないです。
ブラック、ロック、ジャズ、ダンス、映画音楽といった、今の西洋で殆ど主流といっていい音楽は、むしろ旋法が当たり前に使われていて、クラシックとは一線を画した「都会的で、クールで、ファッショナブルで、原始的」な音楽に聞こえていると思います。むしろ日本の演歌や歌謡曲なんかは非常に古めかしい音楽に聞こえるでしょうが、これは長・短調に収まっていて旋法が殆ど使われていないからです。(というか、日本のポピュラー音楽は西洋のポップミュージックと違い驚くほど旋法が使われませんね。これが「洋楽」とは違う邦楽の特徴と言えると思います。)


ということで、「クラシック好きの人は、旋法を楽しめるか」に関しては、おおかたNOです。「クラシック好き」と言えば古典・ロマンを中心に嗜んでいる人が少なくないと思います。ところがモーツァルトやベートーベンをいくら聞いたところで、旋法や近代和声には永遠にたどりつきませんし、それらの「魅力」を見出す引き出しも生まれません。
そもそも近・現代音楽含め、ドビュッシーへの理解が乏しいクラシック専門家は結構いると思います。ドビュッシーは形式的で厳格だった昔のクラシックからすれば異端そのものであり、それを許容してしまうことは、ある意味では古典・ロマンの時代の多くの大家達に否を突きつけることも同じだからです。(ただし西洋音楽史の代表的な革新者ですから、支持している専門家も当然多いわけですが。あとドビュッシー支持者はジャズやブラックや現代音楽の世界には多いと思います。根ざしているところが「同じ」だからだと思います。)

現に、クラシック通は巷にままいると思いますが、旋法や近代和声といった近代的な音楽理論に話が及ぶと驚くほどナリを潜めますね。
日本の高等音楽教育では文字通り「クラシック」となってしまった古い時代の作法や音楽理論を「基礎」という名のもとに学ぶ人は多いようですが、近代以降の音楽となると途端に疎くなる人がいる気がします。当の西洋圏でさえ、今作曲家になろうとしたら、近代以降の理論や音楽を無視しては成り立たないんですけどね。みんな作曲のヒントを得ようとしている対象はジャズ・ブラック・ポピュラーだったり、映画音楽だったりします。そりゃそうです、モーツァルトやベートーベンのような音楽を作ってる作曲家なんて現代には1人もいないわけですから。

そんな感じですから、「クラシックマニアの人は耳がいい人が多い」なんて、ものは言いようですよ。私はジャズやブラックが現代の音楽に語れることがあるとしても、クラシックしか知らない人達がこの時代に一体今更何を語るんだろうって思います。
その言葉のイメージから「クラシック」を買い被り過ぎるのは考えものです。クラシックから学べることもあるでしょうが、それは広大な音楽全体からするとほんの一部でしかありません。それが現代の音楽の現実だと思います。
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この回答へのお礼

真摯に回答して下さってありがとうございます。

たしかにクラシック通といっても、聞いているのは古典・ロマン派が主であり自ら新しいものを探さない限り、それに見合った果実は得られないということでしょう。
よく言われるドビュッシー以前と以降が『牧神の午後への前奏曲』を境にコペルニクス的展開をしたのだということは耳にしています。
クラシックが現代の様々なミュージックシーンに影響を与えているということで、まずドビュッシーから始めなくてはと思いました。
もっと色々なジャンルに触れたいと思っています。

ありがとうございました。

お礼日時:2017/03/28 08:32

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